第六話
私は今、橋職人である桐崎十三氏の工房の前におります。
瓦礫山の麓には遊郭街があり、工房はそのど真ん中に構えているので遊女達の勧誘を振り切るのにはほとほと苦労しました。
私は工房のドアを叩きます。中から、入りてえなら勝手に入れと言う声が聞こえました。
言われた通りドアを開けて中に入ると、一人の中年男性が半田ごてを片手に溶接をしているのが目に入ります。
彼が桐崎十三でしょうか。
「ん? 若いの、なんか用かい?」
私は一言挨拶し、探偵事務所へと続く橋がなくなっている事を十三氏に伝えました。
「ああ、あの橋はずいぶん前に透明になっちまったから、見えなかっただけだろ。たまにアンタみたいな余所モンが同じ事を聞きにここへ来るぜ」
なんと言う事でしょうか。橋は確かにそこにあったのです唯私が見落としていただけなのです。
我ながらあんまりな注意力だと反省せざるを得ません。
「そんな泣きそうな顔すんじゃねえよ。男だろうが」
確かに心情的には泣きたいような気持ちもありますが、顔に出ていたのでしょうか。
いえ、そんなはずはありません。私はいつも周りからは仏頂面の無愛想と言われるほど表情のない人間なのです。十三氏が隠し事を見破る事の出来る人間であるというだけの事でしょう。
「なんだよ辛気クセえな。オラ、俺の胸を貸してやるから、泣くなら顔を見せずに大胸筋の中で泣け」
私は十三氏の申し出を丁重に断ると、透明な橋の安全性を問いました。
「安全も安全よ。あれは俺の師匠の師匠の師匠の師匠が造った橋だからな」
この工房は随分と世代交代がなされているようです。
そんな歴史のある工房の人間が作った橋ならば安心でしょう。
私は歴史のある工房なのですね、と言いました。
「そうだなあ。しかし、橋職人ってのは三日で往生しちまう。だから普通の人間の感覚でいったらチャチなもんなのかもしれねえわな」
それはまた短命です。たしか加楠は橋職人は眠らないと言っていました。眠らない代わりに寿命が短いという事なのでしょうか。
しかし歴史があるという事に変わりはありません。彼らは全力で三日間を生きているのです。
私は歴代の橋職人と十三氏に敬意を払うと、工房を後にしました。
工房から出るとまた遊女の勧誘の嵐がやってきます。こんな所で油を売っている時間はありません。塔子を捜さなくてはならないのですから。
またあの瓦礫の町まで戻らなくてはいけないと考えると少し憂鬱ですが仕方ありません。自分の足を使う事に文句は言えないでしょう。
私が怒濤の勧誘を振り切っていると、やたらと親し気な声が私を呼び止めました。
男の声です。
「よお、三時間ぶりだな」
私の目の前にチンピラのような男が立っています。
はて、面識のある方なのでしょうか。
男は三時間ぶりと言いました。と言う事はついさっき会った人物という事になります。私は三時間前、何処で何をしていたでしょうか。
確か下水管の中を進んでいたような気がします。
ということは彼はあの時の死体です。
確かに良く見れば面影はあります。
かなり血色が良くなり、腐っていた傷口はすっかり塞がっていたので気が付きませんでした。
私は三時間ぶりと挨拶を返します。
「いやあ、御陰様で無事生き返れたよ。あんまり元気なもんだからこんな所にも遊びに来たりしてな」
元死体は呵々と笑います。
元気そうで何よりです。あの時の私の助言は役に立ったとみえます。
「あんたも無事に下水管を超えられたようで何よりだよ。どうだ? これからちょっくら遊びにいかねえか?」
残念な事に遊んでいる暇はありません。私は元死体の誘いを断りました。元死体は残念そうな顔をします。
「そうか。じゃあ瓦礫の町へ戻るのか? それなら町への近道を教えてやるよ。あんたには本当に感謝してるからな」
元死体は無邪気に笑っています。どうやら彼は義理堅い性格のようです。これは意外な一面と言えるでしょう。
「あの飴細工の店に入って、ダージリンティーを頼め。そしたら下駄箱の鍵を渡されるから、店の前にある下駄箱に鍵をさして、下駄箱の中に入れ、そうしたら、瓦礫の町の大通りにでるからよ」
元死体は生き返っても道に詳しいようでした。私は礼を言うと飴細工の店に入りダージリンティーを頼みます。
店員は畏まりましたと言い、一度店の奥へと引っ込むと、板状の鍵を持ってきてそれを私に手渡しました。
私は外へ出ます。
下駄箱を見つけるとそこへ鍵を差し込みました。
下駄箱の中は真っ暗で少しも奥が見えません。
やはり闇というのは怖いものです。しかし、私も最早慣れたもので、暗闇くらい何するものぞとばかりに下駄箱の中へ飛び込みました。
下駄箱の中は色々な人間の足の臭いがしました。