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英星王座戦 リアライメント・アーク  作者: 明丸 丹一
エクストラエピソード
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EXエピソード 墳墓の王女と白き騎士

 灼熱の砂漠は、夜になると冷たかった。


 昼のあいだ王都を焼いていた熱は、すでに墳墓の石へ吸われている。頭上には星があった。神官たちが神々の目と呼ぶ、無数の小さな光。その下で、王女ニトクリスは、壊れた石棺の陰に身を寄せていた。


 王女、と呼ばれるものは、もう何も残っていない。


 額に巻いていた金の飾りは、逃げる途中で外れた。薄い亜麻布の衣は、膝のところで裂けている。腕には石段で打った痣があり、足の裏には血がにじんでいた。


 それでも、血だけは残っている。


 神殿の者たちは、そう言った。


 王家の血。


 王朝の正統。


 古い神々へ祈りを届けるための、最後の器。


 ニトクリスは、その言葉を信じたことがなかった。信じたくなかったわけではない。ただ、自分の血を信じろと言う者たちは、いつも民の顔を見ていなかった。


 彼らは王統を守れと言った。


 神殿を守れと言った。


 玉座の名を守れと言った。


 だが、川下の村で水路が壊れても、麦倉が空になっても、徴税兵が最後の羊を連れていっても、彼らは「いまは王朝の危機です」と言った。


 その王朝が、今夜、崩れようとしている。


 墳墓の外から、兵の声が聞こえた。


「こちらだ。足跡が残っている」


「王女を生かして捕らえろ。代官閣下の命令だ」


「神官どもは?」


「抵抗した者は斬った。残りは朝までに膝をつく」


 ニトクリスは息を殺した。


 覇王の代官。


 その言葉が、頭の奥で硬く鳴った。


 海の向こうから来た征服者は、最初から王を名乗らなかった。彼はこの国の神々を笑わず、神殿を焼かず、王家の名も潰さなかった。


 ただ、代官を置いた。


 白い肌の征服者に仕える代官。


 代官は、王朝を残した。


 王女も残した。


 祭礼も残した。


 その代わり、水路の鍵を握った。倉の札を握った。港の税を握った。。民が生きるための道を、ひとつずつ握っていった。


 二つの裁定者が、この国を挟んでいる。


 墓の中に眠る古い王朝。


 川と港を握る新しい征服者。


 そのあいだで、民だけが痩せていった。


 ニトクリスは、壁に刻まれた古代文字へ手を置いた。


 読めない。


 王家の娘なのに、読めない文字が多すぎる。


 自分は本当に、何を継ぐというのだろう。


 足音が近づいた。


 松明の火が、墳墓の入口を赤く染める。


 兵士が三人、低い通路をくぐって入ってきた。彼らの鎧はこの国のものではない。革と青銅を組み合わせた軽装に、白い布の肩掛け。腰には短い剣。背後には、代官の印を持つ槍兵が続いている。


「いたぞ」


 ひとりが言った。


 ニトクリスは立とうとした。


 膝が震える。


 それでも、立った。


 王女だからではない。


 座ったまま捕まりたくなかったからだ。


「王女殿下」


 兵士は、口だけ丁寧に言った。


「代官閣下がお待ちです。王朝の存続について、寛大な条件をお示しになるでしょう」


「寛大?」


 ニトクリスの声は、思ったよりかすれていた。


「水路を閉じ、村を飢えさせ、神官を斬っておいて?」


「反乱の鎮定です」


「民は反乱していません」


「ならば、なぜ逃げたのです」


 兵士が一歩近づく。


 ニトクリスは、石棺の破片を握った。武器にもならない。投げても、せいぜい相手の額を切る程度だ。


 それでも、何も持たないよりはましだった。


「来ていただきます」


 兵士が手を伸ばした。


 その時だった。


 星が落ちた。


 いや、そう見えた。


 墳墓の天井は石で塞がれている。空など見えない。なのに、冷たい星明かりが、通路の奥へ一本差し込んだ。


 光は金ではなかった。


 白だった。


 砂に埋もれた月のような、静かな白。


 兵士たちが振り返る。


 そこに、騎士が立っていた。


 白銀の鎧。


 赤い外套。


 左腕には聖盾。


 右手には、聖剣。


 顔は兜に覆われている。だが、怖くはなかった。むしろ、あまりに静かで、墳墓そのものが人の形を取ったように見えた。


「何者だ!」


 代官の槍兵が叫ぶ。


 騎士は答えなかった。


 ただ、一歩だけ前へ出た。


 その一歩で、通路の空気が変わった。


 逃げ道のない墳墓で、乱戦になったのではない。


 戦場が、整えられた。


 狭い通路。


 割れた柱。


 倒れた石像。


 壁画の前に残るわずかな空間。


 それらが、ひとつずつ位置を与えられていく。


 兵士は三人。


 槍兵は二人。


 王女は石棺の後ろ


 騎士はその前。


 そこに、見えない円卓が置かれたようだった。


「退きなさい」


 騎士が言った。


 声は低く、よく通った。


「この方は、まだ答えを出していない」


「答えだと?」


 兵士が笑う。


「そいつに答えなどない。血統だけの小娘だ」


 騎士は、そこで初めて剣の柄に手を置いた。


「ならば、なおさら待つべきです」


 兵士が斬りかかった。


 速かった。


 だが、騎士の動きはもっと静かだった。


 剣は半分だけ抜かれた。


 刃が火を受けて白く光る。


 次の瞬間、兵士の剣は宙を舞っていた。


 斬られたのは腕ではない。


 槍だけだった。


 柄から先が、音もなく切り落とされている。


 兵士が尻もちをついた。


「弑さずに場を……?」


 ニトクリスは、思わずつぶやいた。


 騎士は振り返らなかった。


「今は、殺す場ではありません」


 槍兵たちが同時に突いた。


 騎士は盾を上げる。


 金属音。


 ただ受けたのではない。


 盾に触れた槍の角度がずれ、互いに絡み、二人の槍兵が体勢を崩す。次に騎士の剣の腹が、それぞれの膝裏と手首を打った。


 槍が落ちる。


 二人が倒れる。


 通路には、誰の血も流れていなかった。


 それでも、もう兵士たちは進めなかった。


 白銀の騎士が、通路の中心に立っている。


 たった一人なのに、そこに戦列があるようだった。


 見えない十二の座が、彼の背後に並んでいるようだった。


「化け物め」


 兵士のひとりが震える声で言った。


 騎士は静かに答えた。


「いいえ」


 白い兜が、わずかに傾いた。


わたしは騎士です」


 それ以上、兵たちは踏み込まなかった。


 代官の印を持つ槍兵が、倒れた仲間を見た。ニトクリスを見た。騎士を見た。


 そして、歯を食いしばった。


「退け。一度、退け!」


 足音が遠ざかる。


 松明の赤い光も、墳墓の入口から消えていった。


 静けさが戻る。


 ニトクリスは、その場に座り込みそうになった。


 だが、騎士がこちらを向いた。


 膝をつく。


 白銀の騎士が、砂と血のついた墳墓の床に片膝をつく。


 その姿を見て、ニトクリスの方が息を呑んだ。


「王女ニトクリス」


「あなたは……誰なのですか」


英星エクススター、アルトリウス」


 騎士は名乗った。


「かつては、救国すくいの剣と呼ばれた者です」


「誰があなたを呼んだのです」


 ニトクリスは聞いた。


 自分には、祈る時間などなかった。


 神官たちは散り、王座は奪われ、冠もない。王女と呼ばれても、彼女には何もない。


 だが、アルトリウスは首を横に振った。


「さて、誰にも呼ばれてはいません」


「では、なぜ」


「あなたが、まだ答えを出していなかったからです」


 ニトクリスは言葉を失った。


 答え。


 さきほども、騎士はそう言った。


 アルトリウスは、静かに問いかけた。


「さあ、あなたはこの国の秩序をどうしますか?」


 墳墓の奥で、砂が落ちる音がした。


「王朝を救うか。民を救うか」


 ニトクリスは、壁の古代文字を見た。


 読めない文字。


 継ぐべきだと言われた血。


 守れと言われた神殿。


 奪われた水路。


 痩せた村。


 徴税兵に最後の羊を連れていかれた子どもの顔。


 今まで、彼女はずっと逃げていた。


 代官から逃げた。


 神官から逃げた。


 王女という名から逃げた。


 けれど、この問いからは逃げられなかった。


「答えが出るまでは、あなたを守りましょう」


 アルトリウスは言った。


「たとえ王朝が滅びようと。たとえ王座が空であろうと。答えを持たぬ者を、剣の前へ押し出すことはできません」


 ニトクリスは、ゆっくりと息を吸った。


 胸が痛かった。


 王朝を救え。


 血を守れ。


 神々の名を絶やすな。


 そう言われてきた。


 けれど、王朝を救うために民が痩せるなら。


 神殿を守るために川が閉じるなら。


 血統を残すために村が死ぬなら。


 それは、何を救っているのだろう。


 ニトクリスは、顔を上げた。


「民を救います」


 声は震えていた。


 だが、はっきり聞こえた。


「王朝の名が残らなくても。神官たちが私を裏切り者と呼んでも。私は、国を開きます」


 アルトリウスは黙って聞いていた。


「王朝を救うのではありません」


 ニトクリスは続けた。


「民を救ったあと、まだ王朝と呼べるものが残るなら、それを受け取ります」


 白銀の騎士は、深く頭を垂れた。


 それは、王に対する礼ではなかった。


 まだ王ではない者の答えに対する礼だった。


「見事です」


 ニトクリスは、その言葉に少しだけ笑いそうになった。


 こんなところで、こんな格好で、何が見事なのかと思った。


 けれど、笑えなかった。


 涙が先に出た。


「なぜ、私を助けるのですか」


 ニトクリスは聞いた。


「私は、まだ王ではありません。王座もありません。冠もありません。神々に選ばれたかどうかも分かりません」


 アルトリウスは、ゆっくりと立ち上がった。


 白銀の鎧が、星明かりを受けて静かに光る。


「英星としての役目――」


 そこで、彼は一度言葉を止めた。


 役目。


 それは、かつて幾度も使ってきた言葉だった。


 冠星紋クラウンに呼ばれ、戦場に配され、剣を抜く。


 そのたびに、彼は役目を果たしてきた。


 だが、今は違う。


 誰も彼を呼んでいない。


 冠星紋クラウン王座スローンが彼を縛ったわけでもない。


 王座の命令が、彼をこの墳墓へ置いたわけでもない。


 彼は、この問いを見た。


 王朝か、民か。


 血統か、生活か。


 名を残すことか、明日を残すことか。


 その問いの前に、剣を捧げるべきだと判断した。


「――いや」


 アルトリウスは、剣を抜いた。


 白い刃が、墳墓の闇を薄く照らす。


「使命ですから」


 その瞬間、遠い星海で何かが鳴った。


 王座の命令ではない。


 配備の合図でもない。


 それは、ひとりの英星が、自らの剣をどこへ捧げるか選んだ音だった。


 英星エクススター軌道接続オンユアマーク使命遂行セット・スタート


 墳墓の床に、白い円が広がった。


 円卓ではない。


 まだ、卓を囲む者はいない。


 だが、十二の空席が、砂の上に淡く浮かぶ。


 守る座。


 開く座。


 運ぶ座。


 癒やす座。


 記す座。


 裁く座。


 そして、王へ道を開く座。


 アルトリウスは、その空席の前に立った。


「私は、あなたの王朝を守るとは誓いません」


 ニトクリスは、息を止めた。


「あなたが民を救う限り、その道を守りましょう」


 墳墓の外で、再び兵の声が上がる。


 今度は数が多い。


 代官の旗もある。


 神官の裏切り者もいる。


 夜明けまで、まだ遠い。


 だが、ニトクリスはもう、石棺の陰には隠れなかった。


 彼女はアルトリウスの横に立った。


 王女としてではない。


 まだ王でもない。


 民を救うと答えた者として。


 白銀の騎士は剣を構えた。


 乱れた墳墓の通路に、戦列が敷かれる。


 兵たちが雪崩れ込んでくる。


 アルトリウスは、一歩も退かなかった。


 その背中は、王に侍る騎士のものではなかった。


 王を見出す騎士のものだった。


 ――そして、墳墓の夜に、王女の右目に青い光が灯った。

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ここまで読んでくださってありがとうございます。

『英星王座戦 リアライメント・アーク』は、守る者と奪う者が、滅びかけた世界の次の秩序を賭けて戦うSFヒーロー連作です。

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好きな英星、気になった王座戦、読みづらかった箇所など、ひと言でも歓迎です。
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