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英星王座戦 リアライメント・アーク  作者: 明丸 丹一
中世平原大陸ラウンドグレイン
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第10話 ロイヤル・スティング

 郡城の門は、開いていた。


 リャン・セイは、それを見て、最初だけ安心した。


 水車村を後にして、上流に行くと、そもそも盗賊などいなかった。


 水門を閉じたのは太守だった。この国はいよいよ水までなくなったらしい。それで、城砦都市までやってきた。


 石の城壁。


 青い麦穂と王冠の旗。


 門の上に立つ兵。


 城内に見える倉の屋根。


 村とは違う。


 まだ秩序が残っている。


 まだ王朝の形がある。


 そう思った。


 だが、馬を進めるにつれ、その安心はすぐに消えた。


 城門の外に、人が並んでいる。


 いや、並んでいるというほど整ってはいない。


 壊れた鍋を抱えた女。


 空の袋を握った老人。


 痩せた子どもを背負う母親。


 腹を押さえた男。


 村の名を書いた木札を持つ者。


 皆、城門の前で待っている。


 門は開いている。


 しかし、縄が張られていた。


 門の内側に王朝兵が立ち、その縄の外側に民がいる。


 細い縄だった。


 引けば切れる。


 剣を使うまでもない。


 だが、その一本が、王朝の内と外を分けていた。


 縄の向こうには倉がある。


 こちら側には、飢えた民がいる。


 リャンは、その縄を見た。


 これが王朝なのかと思った。


 高い城壁でも、立派な旗でもない。


 いま、この大陸で民が見ている王朝は、この縄一本なのかもしれない。


「殿下」


 ユエンが低く言った。


「ここでは言葉を選んでください」


「選んでいる場合か」


「だからこそです。ここは郡城です。村ではありません。相手は正式な太守です。殿下が感情で命じれば、傍流王族の越権として記録されます」


「記録は腹を膨らませない」


 言ってから、リャンは自分で苦くなった。


 ガイ・レンが言いそうな言葉だった。


 王朝の倉を破る反逆者。


 蜂印を掲げ、御蜂を飛ばし、粥を配る男。


 まだ直接会ってもいないのに、リャンの中でその男の影は濃くなっている。


 自分はあの男と違うのか。


 違わなければならない。


 だが、目の前の民を見れば、同じ言葉が出てしまう。


 門の外で、子どもが咳き込んだ。


 ウンダがすぐに馬を降りた。


 玄武鎖鞭の先を小さな水滴に変え、子どもの唇を湿らせる。


 母親が泣きそうな顔で頭を下げた。


「ありがとうございます。天の方」


「天ではありません」


 ウンダは静かに言った。


「星です」


 母親には、たぶん通じていなかった。


 門のそばでは、リグナが倒れかけた荷車を支えていた。


「この車軸は折れます。人を乗せないでください」


 リグナは穏やかに言った。


 だが、言われた男は困った顔をする。


「乗せないと、母が動けません」


「なら、こちらの梁を添えます。折れたものは、折れたままでは使えません。継げば、少しだけ持ちます」


 青龍長槍の柄から青い光が伸び、車軸に巻きついた。


 イグニスは、縄の外側に小さな火を起こしていた。


「湯だけでも沸かせ! 腹は膨れないが、冷えた水よりましだ!」


 城兵の一人が怒鳴る。


「勝手に火を起こすな!」


「じゃあ、お前が沸かせ!」


 イグニスが言い返す。


「火を禁じるなら、湯を出せ。どっちも嫌なら、そこに立ってる意味を考えろ!」


 兵は口をつぐんだ。


 テルスは城門の横で、座り込んだ老人たちのために土を固めていた。


「地べたは冷える」


 それだけ言って、低い土の腰掛けを作る。


 老人たちは最初怯えたが、やがてそっと腰を下ろした。


 フェルムは、縄の前に立っている兵たちを見ていた。


 白虎刀は抜いていない。


 だが、鞘ごと抱えるように持っている。


 彼女の視線は冷たい。


 兵たちはそれを避ける。


 リャンは城門の前に立った。


 門番が槍を交差させる。


「止まれ」


 ユエンが一歩前へ出る。


「こちらはリャン・セイ殿下。王家の血を引く方である。太守トウ・カク殿への面会を求める」


 門番は迷った。


 王家の名は、まだ力を持っている。


 少なくとも、門番を迷わせる程度には。


 すぐに奥へ伝令が走った。


 待つ間、リャンは門の内側を見た。


 倉がある。


 大きい。


 高い屋根の下に、封印札が貼られた扉が見える。


 その向こうから、麦の匂いがした。


 倉は空ではない。


 空ではないのに、門の外では人が飢えている。


 また、同じだった。


 水車村でも、種籾をめぐって兵と民がぶつかった。


 蜂印を受けた村でも、御蜂は倉の中まで数えようとした。


 どこへ行っても、今日の粥と来年の種がぶつかっている。


 その間で、人が倒れている。


 やがて、城門の内側から男が歩いてきた。


 痩せた中年の男だった。


 官服はきちんと整えられている。


 袖口は古びているが、乱れはない。


 顔色は悪く、目の下には濃い隈がある。


 眠っていないのだろう。


 だが、背筋は伸びていた。


 この男は疲れている。


 しかし、折れてはいない。


「太守トウ・カクである」


 男はそう名乗った。


 礼はした。


 だが、深くはなかった。


「リャン殿下。遠路、このような地へよくお越しくださいました」


 言葉は丁寧だった。


 しかし、声には明らかな硬さがあった。


 歓迎ではない。


 厄介な若者が来た、という声だった。


 リャンは礼を返した。


「水門と倉を開けてください」


 ユエンが隣で息を呑んだ。


 トウ・カクの眉が、わずかに上がる。


「まずは城内へお入りください。殿下には休む部屋を用意いたします」


「門の外に民がいます」


「承知しております」


「では、倉を開けてください」


 トウ・カクは、リャンをまっすぐ見た。


 その目は、民を見ていない目ではなかった。


 だが、先に見るものが別にある目だった。


 王朝。


 制度。


 手続き。


 責任。


 それらが、彼の目の奥にある。


「できません」


 短い答えだった。


「なぜ」


「王命がありません」


「王命がなければ、民は飢えてもよいのですか」


「殿下」


 トウ・カクの声が低くなった。


「傍流とはいえ、王家の血を引く方ならば、王命の重さをお分かりいただきたい」


 傍流。


 その言葉が、わざと少しだけ強く置かれた。


 リャンは、それを聞き逃さなかった。


 トウ・カクは、リャンを王族として扱っている。


 しかし、王そのものとしては見ていない。


 王家の若者。


 血筋はある。


 だが、正式な勅命も軍権もない。


 現地の太守からすれば、話を聞いてやる相手であって、命令を受ける相手ではない。


 ユエンの肩が少し動いた。


 怒ったのだろう。


 リャンは止めた。


 腹は立つ。


 だが、トウ・カクの態度は不自然ではない。


 リャンには、実際に権限がない。


「倉も水も軍粮ぐんりょうです」


 トウ・カクは続けた。


「この倉の麦は、北の砦と街道警備へ送る分を含んでおります。ここを崩せば、北の守りが落ちる。守りが落ちれば、さらに多くの流民と盗賊が南へ流れる」


「門の外の民は、今倒れています」


「分かっております」


「なら」


「だからこそ、全体を見なければならない」


 トウ・カクの声は硬い。


「殿下は、目の前の民を見ておられる。それは尊い考えです。しかし、政は情で動かすものではありません」


 フェルムの指が、白虎刀の鞘を強く押さえた。


 イグニスが小さく舌打ちする。


 トウ・カクは五柱ごちゅうを一瞥した。


「五色の戦士たちの噂は聞いております。天の使いだとか、殿下の義勇兵だとか。しかし、ここは村ではありません。郡城です。王朝の水門と麦倉を預かる地です。流れ者の力と若殿の情でひらける場所ではない」


 空気が冷える。


 リャンは、黙ってトウ・カクを見た。


 この男は悪人ではない。


 それは分かる。


 だが、頭が固い。


 いや、固くならなければ、この城を保てなかったのかもしれない。


 門の外では民が泣く。


 城の中では倉がある。


 上からは王都の命令が来ない。


 下からは飢えた人間が押し寄せる。


 その間で、この男は王朝の札を剥がさずにいる。


 それを罪と呼ぶべきか、忠義と呼ぶべきか。


 リャンには、すぐに分からなかった。


「太守」


 ユエンが口を挟んだ。


「せめて、城内の余剰分だけでも薄い粥を」


「余剰はありません」


「倉の匂いは濃い」


 フェルムが低く言った。


 トウ・カクの目が鋭くなる。


「それは、割り当て済みの麦です」


「食われる前から、行き先があると」


「そうです」


「門の外の子どもより、帳簿の行き先が先ですか」


 フェルムの声は冷たい。


 リャンは手を上げた。


「フェルム」


 フェルムは口を閉じた。


 だが、白虎刀から手は離さない。


 トウ・カクが少しだけ眉を動かした。


「その刀は、ずいぶんよく斬れそうですな」


「斬らせるために来たわけではありません」


「なら、倉を斬れとも言わぬことです」


 その時だった。


 門の外で悲鳴が上がった。


 リャンは振り返った。


 黒金の点が、空にあった。


 一つではない。


 いくつも。


 城門の上。


 倉の屋根。


 縄の外側。


 井戸の縁。


 黒金の蜂たちが、次々に降りてくる。


 御蜂みはち


 民がそう呼び始めたもの。


 ガイ・レン軍では蜂臣ほうしんと呼ぶらしい。


 そして、おそらくケーニギンの眷属蜂けんぞくばち


 その羽音が、郡城を包み始めていた。


 トウ・カクの顔が変わった。


 怒りではない。


 恐れでもない。


 もっと深い、職務上の危機を感じた顔だった。


「蜂印の者か」


 街道の向こうから、一団が近づいてくる。


 黒金の蜂印を掲げた兵。


 その先頭に、男がいた。


 黒と土色の外套。


 腰に剣。


 赤い冠星紋クラウンを右目に宿した男。


 その隣に、黒金の女王蜂が立っている。


 英星エクススター、ケーニギン。


 リャンは、初めて彼女を見た。


 美しいと思った。


 同時に、怖いと思った。


 翅は透明で、光を受けると金色に透ける。


 甲殻は黒く、王冠のような触角がある。


 村人が蜂姫さまと呼ぶのも分かる。


 あれは、ただの怪物には見えない。


 飢えた者の前に降り、蜜を与える天の蜂姫に見える。


 だが、その周囲には黒金の眷属蜂が巡っている。


 倉を数える目。


 水を数える目。


 人を数える目。


 救いと監視が、低い羽音で飛んでいる。


 男が城門前で止まった。


 トウ・カクが一歩前に出る。


「ガイ・レンか」


 その名を聞いた瞬間、リャンの胸が鳴った。


 ガイ・レン。


 王朝の倉を破った男。


 蜂印を掲げた男。


 リャンより早く、村へ粥と甘露を届けた男。


 目の前にいる。


「太守トウ・カク」


 ガイ・レンは低く言った。


「倉を開けろ」


「王命なき開倉は認められぬ」


「王命を待っている間に、民が死ぬ」


「秩序を壊せば、もっと多くの者が死ぬ」


「秩序を守って、もう死んでいる者がいる」


 短い言葉がぶつかった。


 リャンは、ガイ・レンを見た。


 怒っている。


 だが、怒鳴ってはいない。


 憎んでいる。


 だが、民を見ている。


 だから厄介だった。


 悪人なら分かりやすかった。


 斬ればいい。


 止めればいい。


 だが、ガイ・レンは民を見ている。


 リャンより早く。


 リャンより遠くまで。


「リャン・セイ」


 ガイ・レンがこちらを見た。


 その視線には、品定めのような鋭さがあった。


「水車村を巣ではないと言ったのは、お前か」


「そうだ」


「水車を直したそうだな」


「村の人と、五柱が直した」


「遅い」


 リャンの胸に刺さる。


 またそれだ。


 分かっている。


 遅い。


 でも、言い返さなければならない。


「遅くても、巣にはしない」


「巣に入れば、弱い村も冬を越せる」


「巣に入らなければ生きられない村にするな」


 ガイ・レンの赤い冠星紋が、わずかに光った。


 その言葉が届いたのか。


 怒らせたのか。


 リャンには分からなかった。


 トウ・カクが声を張る。


「ガイ・レン。あなたは王朝の倉を破り、村々に蜂印を打ち、街道の民を勝手に従わせている。これは反逆である」


「そうだな」


 ガイ・レンはあっさり言った。


「だが、反逆者の粥で生きた民がいる」


「その粥が、王朝を壊す」


「王朝が民を守っていれば、私は倉を破らなかった」


 トウ・カクの顔がこわばる。


 それは事実だった。


 だからこそ、彼には痛かったのだろう。


 ガイ・レンが手を上げる。


 黒金の蜂臣たちが動いた。


 城門の上。


 倉の屋根。


 鍵穴。


 梁の隙間。


 蜂たちは、城の弱い場所へ入り込もうとしている。


 攻撃ではない。


 まだ、攻撃ではない。


 だが、倉の鍵がどこにあり、兵が何人いて、どの扉が古いかを数えている。


 トウ・カクが叫ぶ。


「蜂を払え!」


 城兵たちが槍を振る。


 だが、蜂には当たらない。


 フェルムが動いた。


 白虎刀が抜かれる。


 白い斬撃が、倉の梁へ走った黒金の線を断つ。


 蜂そのものは斬らない。


 巣脈のように伸びかけた黒金の連絡線だけを断つ。


「倉に通すわけにはいきません」


 フェルムは言った。


 ケーニギンが、その動きを見た。


 複眼が、かすかに光る。


「巣を乱すのですね」


 声は静かだった。


 怒っているようには聞こえない。


 だが、次の瞬間、ケーニギンが地を蹴った。


 浮いていない。飛んだのでもない。


 脚で踏み込み、背の翅がその肉体をさらに押し出す。


 黒金の残像が、地面すれすれに走る。


 兵たちの目には、消えたように見えただろう。


 ケーニギンはフェルムの前へ入った。


 白虎刀が上がる。


 脚甲がぶつかる。


 硬い音。


 フェルムの足元が滑る。


 それでも、彼女は下がらない。


「その戦士は英星だろう」


 ガイ・レンが言った。


 リャンを見る。


「英星をうまく使えば国を変えられる」


「人を強さだけで置くな」


「人だと? あれは力だ」


「力は使い方を間違えればたやすく道を外す」


 ガイ・レンの目が細くなる。


 その間にも、ケーニギンとフェルムはぶつかっていた。


 ケーニギンは戦闘中、空中をふわふわ飛ばない。


 門の石畳を蹴り、縄の杭を蹴り、城壁の低い張り出しを踏み、翅で軌道を変える。


 肉体そのものが速い。


 翅は、その速さをさらにねじ曲げる補助推進だった。


 フェルムの白虎刀は鋭い。


 だが、ケーニギンは刃の真正面に入らない。


 脚甲で受け、膝でずらし、翅で半歩の角度を変える。


 白と黒金が、城門前で何度も火花のような光を散らした。


 その時、門の外側から子どもの泣き声がした。


 混乱で、母親の手を離れた子が、縄のそばへ出てきていた。


 フェルムの後ろ。


 ケーニギンの蹴りの軌道の延長。


 ケーニギンは、フェルムを止めようとしている。


 だが、その後ろに子どもがいることまでは、まだ見えていない。


 いや、見えていても、制圧できると判断したのかもしれない。


 ケーニギンの複眼が黒金に光った。


 脚甲の内側を、光る蜜が流れる。


 膝から足首へ。


 足首から爪先へ。


 そして、踵の奥へ。


 蜜の光が足先に集まる。


 次の瞬間、踵の影から、黒い王針が伸びた。


 リャンの身体が、考えるより先に動いた。


「フェルム!」


 叫ぶ。


 間に合わない。


 リャンは走った。


 ユエンが叫んだ。


 ウンダが手を伸ばした。


 フェルムが気づき、目を見開く。


 リャンは、フェルムと子どもの間へ飛び込んだ。


 ケーニギンの瞳が揺れた。


 だが、技はもう止まらない。


 黒金の脚甲が、リャンの肩口へ入った。


 衝撃。


 息が詰まる。


 次に、針。


 熱い。


 いや、冷たい。


 どちらか分からない。


 肩から胸へ、何かが流れ込んだ。


王針蹴撃ロイヤル・スティング


 ケーニギンの声が、遅れて聞こえた。


 リャンは地面に倒れた。

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