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英星王座戦 リアライメント・アーク  作者: 明丸 丹一
中世平原大陸ラウンドグレイン
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第9話 今日と明日(後編)

 翌日の昼過ぎ、ガイ・レンは兵を率いて街道北の橋へ向かった。


 壊れた橋の前に、十人ほどの盗賊がいた。


 いや、盗賊と呼ぶには痩せすぎていた。


 粗末な槍。


 削った木の棒。


 ぼろぼろの鎧。


 彼らは、橋を渡ろうとする者から麦を奪っていた。


 その橋も半分落ちている。


 盗賊たちは、自分たちが守っているつもりなのかもしれない。


 この橋を通れば、麦が動く。


 麦が動けば、自分たちの口には残らない。


 だから止める。


 奪う。


 守るために奪う。


 この大陸には、同じ理屈があちこちに転がっている。


 ガイ・レンは馬を止めた。


 盗賊の一人が叫ぶ。


「止まれ! 通行料を置いていけ!」


 シュウ・バクが弓を構える。


 ガイ・レンは止めた。


「ケーニギン」


「はい」


 ケーニギンが前へ出る。


 彼女は浮かなかった。


 地に降り立った。


 黒金の脚甲が、割れた石畳を踏む。


 翅は背で薄く震えている。


 飛ぶためではない。


 踏み込む身体を、さらに押し出すための羽音だった。


 盗賊たちは最初、笑った。


 たかが女一人に見えたのだ。


 すぐに、笑いは消えた。


 黒金の蜂臣たちが、橋の下からも、欄干の割れ目からも、茂みの中からも響き出す。


 盗賊たちの背後にいた見張りが、悲鳴を上げた。


 刺されたのではない。


 肩のすぐ横に蜂が止まったのだ。


 そこにいることを、見つけられた。


「首領はどいつだ」


 ガイ・レンが言う。


 蜂臣たちが一斉に、一人の男の周りを飛んだ。


 大柄な男。


 背に斧を持っている。


 首領は逃げようとした。


 逃げ道にも蜂がいた。


 ケーニギンが地を蹴った。


 翅が鳴る。


 黒金の身体が、地面すれすれに加速した。


 飛んだのではない。


 跳んだ。


 脚で踏み込み、翅で軌道を押し、次の一歩をありえない速さでつなげる。


 首領が斧を振り上げる。


 ケーニギンの脚甲が、その柄を蹴り上げた。


 斧が空へ飛ぶ。


 そのまま彼女は、橋の欄干を片足で蹴った。


 翅が短く震え、身体の向きが変わる。


 回転した高踵ハイヒールが、男の胸元すれすれで止まった。


 当てていない。


 踵から針を出してもいない。


 だが、男は尻もちをついた。


 ケーニギンは、彼の喉元の前に脚を下ろす。


「この橋は、群れの道です」


 声は静かだった。


「塞げば、飢えが広がります」


 首領は震えていた。


「俺たちも飢えてる」


「知っています」


 ケーニギンは、脚を下ろした。


 ガイ・レンが前へ出る。


「橋を直せ」


 首領が顔を上げる。


「は?」


「直せ。通行料は取らせない。だが、橋を守る者には粥を出す」


「俺たちに、働けと」


「略奪よりは楽だ」


 盗賊たちは顔を見合わせる。


 シュウ・バクが小声で言った。


「信用できますか」


「できない」


「では」


「見張る」


 ガイ・レンは御蜂を見た。


 黒金の蜂たちは、橋の梁へ止まっている。


 盗賊たちの武器、人数、隠した袋、逃げ道。


 すべてを数えている。


 首領はそれに気づき、顔を歪めた。


「俺たちは、檻の中か」


「違う」


 ガイ・レンは言った。


「巣の中だ」


 盗賊の首領は、その違いが分からないという顔をした。


 ガイ・レンも、それ以上は説明しなかった。


 檻は閉じ込めるもの。


 巣は生かすもの。


 だが、外から見れば似ている。


 それも分かっていた。


 夕方までに、橋は仮復旧した。


 盗賊たちは橋守として名簿に入れられた。


 逃げれば、蜂が追う。


 働けば、粥が出る。


 殺さずに済んだ。


 だが、自由でもない。


 ガイ・レンは、壊れた欄干にもたれて街道を見た。


 南の村から運ばれた麦二袋が、北へ向かっている。


 護衛には、元盗賊が二人つく。


 橋の修繕には、元盗賊が残る。


 道の上には、御蜂が飛ぶ。


 街道が少しだけ戻った。


 本当に、少しだけ。


 それでも、道は道へ戻り始めている。


 シュウ・バクが近づいてきた。


「ガイ様。北の村から報告です。麦二袋、到着すれば今夜は越せると」


「明日は」


「分かりません」


「なら、明日の分を探す」


 その時、別の蜂臣が戻ってきた。


 羽音が速い。


 ガイ・レンの手甲へ止まり、情報を流す。


 水車村。


 水車、一基稼働。


 蜂印、未成立。


 返答文。


 水車村は、まだ誰の巣でもない。


 ガイ・レンは、橋の向こうを見た。


「まだ、か」


 シュウ・バクが言う。


「拒絶ではないのですか」


「拒絶なら、強引にでも奪い、集める。」


「では」


「迷っている。いや、選ばせようとしている」


 リャン・セイ。


 ガイ・レンは、その名を口の中で転がした。


 傍流の王族。


 五色の英星を従える少年。


 水車を直した者。


 そして、村は巣ではないと返した者。


「遅い」


 ガイ・レンは言った。


「だが、面倒だ」


「面倒?」


「村が自分で立とうとする」


 シュウ・バクには、その何が面倒なのか分からない顔だった。


 ガイ・レンは説明しなかった。


 強い村は、自分で立てる。


 水車を直し、井戸を見て、種籾を守り、元郷兵まで使える村は生き延びるかもしれない。


 だが、すべての村がそうではない。


 話を聞く者がいない村。


 帳面を読める者がいない村。


 水車を直す者がいない村。


 飢えた兵に踏み込まれれば、それだけで壊れる村。


 そういう村の方が多い。


 強い村だけを残すわけにはいかない。


 弱い村を、冬まで運ばなければならない。


 だから巣が要る。


「ケーニギン」


 ガイ・レンが呼ぶと、黒金の女王蜂が隣に立った。


 いつの間にか、という立ち方だった。


 だが、足は地面についている。


 彼女は、いつも静かだった。


「お前は、巣の外で群れが生きられると思うか」


 ケーニギンはすぐには答えなかった。


 彼女は、街道の向こうを見ていた。


 仮に直された橋。


 粥を待つ元盗賊。


 麦を運ぶ荷車。


 遠くの村へ飛ぶ蜂臣。


「弱い群れは、散れば死にます」


 彼女は言った。


「巣は、弱きものを冬まで運ぶためにあります」


「では、巣の外で生きる村は」


「強い村です」


「強い村だけを残すわけにはいかない」


「はい」


 ケーニギンは、静かにうなずいた。


「だから、弱き村を巣へ入れます」


 その答えは、優しかった。


 そして、容赦がなかった。


 ガイ・レンは納得した。


 やはり、自分たちは同じ方向を見ている。


 飢えた者を見捨てない。


 弱い村を放置しない。


 散って死ぬくらいなら、巣へ入れる。


 そのために、数える。


 そのために、従わせる。


 ◇


 夜になった。


 橋のたもとで、粥が炊かれた。


 元盗賊たちが椀を受け取り、黙って食べている。


 南の村から来た荷車引きも、同じ火に当たっている。


 シュウ・バクは、明日の行程を兵に伝えていた。


 蜂臣は、橋の上、木の枝、荷車の軸、粥鍋の縁に止まっている。


 誰も逃げない。


 誰も襲わない。


 誰も飢え死にしない。


 少なくとも、今夜は。


 ガイ・レンは、帳面を開いた。


 南の村。


 橋守。


 北の村。


 水車村。


 郷兵崩れ。


 種籾。


 病人。


 幼子。


 粥。


 蜜。


 甘露。


 数は増えていく。


 数えられるものが増えれば、救えるものも増える。


 そう信じている。


 信じなければ、やっていられなかった。


 ケーニギンが、彼の横に膝をついた。


 女王のように立つこともできる彼女が、その時は火のそばで静かに座った。


「あなたは、民を愛しているのですね」


 前にも聞かれた問いだった。


 ガイ・レンは筆を止めた。


「愛している」


「では、なぜ信じないのですか」


 ガイ・レンは、すぐには答えなかった。


 粥をすする音がする。


 慌ててかき込んで、むせる音がする。


 遠くで馬が鼻を鳴らす。


 蜂臣の羽音が、低く続いている。


「信じている」


 やがて、ガイ・レンは言った。


「民は生きたいと願う。子を食わせたいと願う。来年の畑を残したいと願う。隣の村も死なせたくないと、余裕があれば思う」


「なら」


「だが、飢えれば隠す」


 ガイ・レンは帳面を閉じた。


「飢えれば奪う。飢えれば嘘をつく。飢えれば、来年の種も食う。自分の子を生かすためなら、隣の村の子の椀を見ないふりもする」


 火が小さく鳴った。


「それは悪ではない。人だ」


 ケーニギンは黙って聞いている。


「だから、仕組みが要る。数える者が要る。奪ってでも集める者が要る。配る者が要る。恨まれても、今日死ぬ村へ麦を送る者が要る」


「その者が、あなたなのですね」


「そうだ」


 ガイ・レンは、橋の向こうの闇を見た。


「王朝は、それをやらなかった」


「リャン・セイは」


「まだ分からない」


 君主の少年。


 遅い。


 甘い。


 危うい。


 だが、無視できない。


「彼は、巣の外で村を生かそうとしている」


 ケーニギンが言った。


「そうだ」


「それが叶えば」


「叶えば?」


「巣は、要らないのでしょうか」


 ガイ・レンは、ケーニギンを見た。


 黒金の女王蜂。


 飢えた者へ蜜を届ける英星。


 救うために巣へ入れる女王。


 その彼女が、初めて巣の外を見ていた。


「要る」


 ガイ・レンは断言した。


「強い村は生きられる。だが弱い村は死ぬ。賢い村は種を残す。だが愚かな村は食い尽くす。近い村は助け合える。だが遠い村は忘れられる」


 彼は立ち上がった。


「だから、巣が要る」


 空を見上げる。


 黒金の蜂臣たちが、夜の星のように散っている。


「すべての村を、ひとつの巣にする。どこで病が出たか、どこに麦が残るか、どこに種があるか、どこで兵が飢えているか、すべて知る。奪って、集めて、配る」


「従わない村は」


「従わせる」


 ケーニギンは目を伏せた。


 怒ったわけではない。


 悲しんだわけでもない。


 ただ、その言葉を自分の中に入れたようだった。


「愛している。だから従わせる」


 ガイ・レンは言った。


 それは言い訳ではなかった。


 誓いだった。


 夜が深くなる。


 橋の下を、細い水が流れていた。


 弱い流れ。


 それでも、止まってはいない。


 その上を、黒金の蜂臣たちが飛んでいく。


 街道は、少しずつ巣になっていた。


 病人には蜜が届く。


 幼子には甘露が届く。


 盗賊には仕事が届く。


 村には蜂印が届く。


 そして、種籾の数まで、すべてガイ・レンの帳面に届く。


 救済だった。


 まぎれもなく、救済だった。


 だが、その救済は羽音を立てながら、村の戸口から倉の奥へ入り込んでいく。


 王朝はまだ滅びていない。


 だが、もう守れてはいない。


 ならば、守る者が要る。


 ガイ・レンはそう信じていた。


 たとえその守りが、巣と呼ばれる形をしていても。


 朝になれば、彼は北の堰へ向かう。


 昼には、水を売る郷兵崩れを制圧する。


 夕方には、水車村へもう一度蜂印の使者を送る。


 リャン・セイが巣の外で村を生かそうとするなら。


 ガイ・レンは、その外側ごと巣で包む。


 黒金の羽音が、夜の街道に広がっていく。


 それは、祈りのようでもあった。

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