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ダークストーン ~【心臓喰らいの復讐譚】神殺しの魔女と不死の傭兵~  作者: 花見川さつき
第二章 ロイ編

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第048話 灼熱の攻防

 二人の体が水面を割り、高温の熱湯へ沈む。

 瞬間、想像を絶する熱量が全身を包み込んだ。


 100度を超える地獄の釜。

 鋼鉄の皮膚を誇るガドンであっても、熱伝導までは防げない。皮膚が焼け、ただれ落ち、鼻や口から侵入した熱湯が体内を内側から焼き尽くしていく。


「ガ、アアアアアアッ!!」


 ガドンが水中で絶叫する。

 眼球は瞬く間に白濁し、茹で上がって視力を失った。

 だが、それでも最強の肉体を持つ男は死なない。生存本能が彼を暴走させる。


 ガドンは視界を失ったまま、圧倒的な怪力で暴れ回った。

 拘束から逃れようと、滅茶苦茶に腕を振り回し、ロイの体に拳を叩き込む。


 水中での抵抗などものともしない、剛力の一撃がロイの脇腹に突き刺さる。

 肋骨が砕け散り、肺や心臓が押し潰された。


 致命傷だ。普通の人間なら即死する衝撃。一瞬だけガドンの体を掴む手の力が抜ける。

 だが、ロイは離さない。

 潰された内臓を瞬時に再生させ、すぐに万力のようにガドンの胴体を締めつけ直す。


 ガドンが狂乱し、至近距離から頭突きを放つ。

 ロイの頭蓋骨が割れる嫌な感触が伝わり、顔面が陥没する。脳が破壊され、意識が飛びかける。


 それでも、ロイの腕は解けない。

 意識が消え入りそうになろうとも、魂に焼きついた執念だけが筋肉を収縮させていた。

 再生しては破壊され、破壊されては再生する。

 何度も続く死と蘇生の中で、ロイはただ一点、ガドンをこの煉獄の底へ繋ぎ止めることだけに全霊を注いだ。


 水中で繰り広げられる、泥臭く、凄惨な消耗戦。

 ガドンの抵抗は凄まじかったが、熱は確実に彼を蝕んでいく。

 やがて、暴れ回っていた剛腕の勢いが衰え始めた。


 肺が焼け、筋肉が煮え、脳が機能停止する。

 最強を自負した金剛の肉体は、ついにピクリとも動かなくなった。


 同時に、ロイの動きも止まる。

 二人して泥の底へと沈んでいく。静寂が訪れ、水面にはボコボコと泡だけが浮かんでは消えた。


 数秒の沈黙。


 突如、水面が割れた。


 真っ赤にただれた腕が水面を突き破り、岸辺の岩を掴む。

 全身から凄まじい湯気を上げながら、一人の男が這い上がってきた。

 皮膚はドロドロに溶けているが、見る間に新しい皮膚が形成され、肉体が修復されていく。


 ロイだ。

 彼は完全に蘇生し、その右手には茹で上がって絶命したガドンの腕が握られていた。

 ロイはガドンの巨体を岸に引きずり上げると、大の字になって息を吐いた。


「……ふぅ。最悪の湯加減だぜ……」


 数秒もしないうちに、ロイの体は傷一つない元の状態に戻っていた。

 一方のガドンは、二度と動くことはない。


「さてと……」


 ロイは腰に手を伸ばすが、そこにあるはずの剣がない。先ほどの乱闘の最中、どこかに落としてしまったようだ。


「あー……剣、なくしちまったな」


 ロイは頭を掻きながら周囲を見渡す。

 その様子を見ていた一人の男と目が合った。


「よう、そこのお兄さん」


 ロイはガドンの死体を見下ろしながら、日常会話でもするような口調で言った。


「悪いんだけど、包丁持ってないか? 肉を捌きたいんだ」


---


 一方その頃。

 城壁の外にある外堀から、ずぶ濡れになった二つの影が這い上がっていた。


「プハッ……! なんとかなりましたね……」


 アベリーが顔についた水を手の甲で拭う。

 タラマキオンも体を震わせて水を払った。


「ええ。ですが、まだ安心はできませんよ」


 タラマキオンが城壁の上を指差す。

 そこには、悠然と二人を見下ろすセレンドラの姿があった。


「ここなら土の地面があります。タラマキオンさんの独壇場ですよ」


「ええ。これ以上深追いしてくるようなら、僕が返り討ちにします」


 二人は身構えるが、セレンドラの行動は予想外のものだった。

 彼女は城壁の階段下に待機させていた影サイと、城壁の上にいる影大熊を霧散させ、その黒い粒子を自身の影へと吸い込ませていく。


 そして、再び影から膨大な量の漆黒の粒子を巻き上げた。

 粒子は渦を巻き、巨大な翼と長い首を形成していく。

 それは――漆黒のドラゴンだった。


「嘘でしょう……あんなものまで作り出せるなんて……」


 アベリーが絶句する。

 セレンドラはそのドラゴンの背に優雅に飛び乗ると、城壁から飛び立った。

 翼を広げ、アベリーたちの方へ向かって一直線に滑空してくる。


「まずいですよ、アベリー様! ゴーレム出します!」


「お願いします!」


 タラマキオンが地面に手をつき、土塊を隆起させてゴーレムの生成を始める。

 だが、ドラゴンの滑空速度は速い。迎撃が間に合うか際どいタイミングだ。


 アベリーはとっさに右手の人差し指を突き出し、迫りくるドラゴンに狙いを定めた。


「効くとは思えませんが……!」


 放たれた光弾が一直線に飛ぶ。

 巨大なドラゴンに対して、あまりにも頼りない小さな光の弾丸。

 だが、それがドラゴンの眉間に命中した瞬間――。


 乾いた破裂音と共に、ドラゴンは黒い粒子となって霧散した。


「えっ!?」


 驚いたのは撃ったアベリー自身だった。

 足場を失ったセレンドラは、空中に投げ出される。


「ちょっ……!?」


 彼女は受け身を取ることもできず、そのまま地面へと叩きつけられた。

 高さがそれほどなかったことと、地面が土だったことで大怪我は免れたが、前のめりに倒れ込んだ勢いで顔面を強打する。


「ぐっ……!」


 セレンドラが顔を上げると、整った鼻筋からツーっと赤い血が流れていた。


「……まさか効くとは」


 アベリーは拍子抜けしたように呟き、冷静に分析する。


「どうやらあなたの能力にも限界があるようですね。限られた影の量で体積の大きいドラゴンを作ったせいで、強度が極端に落ちていたんでしょう。違いますか?」


「……黙りなさい」


 セレンドラは鼻を押さえながら立ち上がり、アベリーを睨みつけた。その目は怒りに燃えている。


「ひどいじゃない……殺す理由が増えてしまったようね」


 彼女は無言のまま霧散した粒子を自身の影に吸い込ませていく。

 タラマキオンが即座にゴーレムを前進させ、臨戦態勢をとった。


「アベリー様。攻撃しますか?」


「……いえ、待ってください」


 アベリーはタラマキオンを制し、一歩前へ出た。


「シャドウキャスターのセレンドラさん、でしたね。少し話をさせてください」


「あら、命乞い? そういうのは受け付けてないの」


「いいえ。あなたの信じている『神託』についてです」


 その言葉に、セレンドラの眉がピクリと動く。


「ジャックは『夢の中で女神マルファーから神託を受けた』と言っているそうですね。『復活のためなら無関係の人を傷つけ、どれだけ犠牲を出そうと構わない』と」


「……ええ、そうよ。だから私たちは大義のために手を汚している」


「それは嘘です」


 アベリーは断言した。


「不老不死の漆黒石を宿すロイが、マルファーの夫であるペルモスさんと会いました。彼の中に眠る意識と対話したんです」


「な……ッ!?」


 セレンドラの動きが止まる。

 マルファー教団の信徒である彼女にとって、女神の夫であるペルモスの名は特別な意味を持つ。


「……おや? その反応、どうやら報告は上がっていなかったようですね」


 アベリーはセレンドラの動揺を見逃さず、冷ややかに告げた。


「報告……?」


「以前、ある村で私たちを襲撃した信者を、あえて殺さずに逃がしたことがあります。彼はその時、ロイが夢の中でペルモスと対話している事実を知った。逃げ帰った彼が、その重大な情報を組織に報告しないはずがありません」


「……」


「ですが、幹部であるあなたがそれを知らないということは……ジャックが握りつぶしたんでしょうね」


 アベリーの言葉が、鋭いナイフのようにセレンドラの核心を突く。


「ジャックにとって、女神を深く理解している夫ペルモスの言葉を聞ける『もう一人の神託者』の存在は、自分の嘘がバレる不都合な真実……だから、あなた達の耳に入らないよう情報を操作したんですよ」


「そんなはずない……」


「ペルモスさんは断言しました。『僕の愛した妻は、他人を犠牲にしてまで生き返りたいと願うような女性ではない』と。そして『彼女の名誉を、魂を、これ以上汚さないでくれ』と涙ながらに訴えていました」


「……」


「こんなやり方で生き返らせても彼女は喜びません。ジャックの主張する神託は自身の野望を正当化するための捏造です。あなた方はマルファーの意志ではなく、ジャックの野心のために利用されているに過ぎない」


 アベリーの言葉は、静かだが確かな重みを持って響いた。

 セレンドラの瞳が揺れる。彼女の中で、絶対だったはずの正義にひびが入る。


「デタラメを……! 敵の言うことなんて信じるわけないでしょ!」


「信じるかどうかはあなた次第です。ですが、ジャックのやり方に一度も違和感を覚えたことがないとは言わせませんよ」


 セレンドラは唇を噛み締め、押し黙った。

 やがて、彼女はふいっと視線を逸らし、影から黒い粒子を巻き上げ始めた。


「……今日のところは、見逃してあげるわ」


 それは明らかな負け惜しみだったが、アベリーは追撃を命じなかった。


「次に会う時までに、自分の頭で考えておいてください。あなたが本当に戦うべきは誰なのかを」


 セレンドラは何も答えず、生み出した影馬に乗り、その場を後にした。

 だがその背中には、来た時のような自信に満ちた殺意は消えており、どこか迷いのようなものを感じさせた。

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