2
「リコ、という言葉。実はイシャスの古い言葉にもあるのをご存知でしょうか」
真層界の言語は皆同じだが、方言のように微妙に言い回しや名称が異なることもある。
リコは自分の名がイシャスの言葉で意味があるのは知らなかった。
「知らない、どんな意味だ?」
「“希望”という意味でございます。その昔イシャスの極寒の地にも負けず咲いていたと言う花、リコ・フラワーが由来です。今はもう滅多に見る事は叶いませんが、雪の下で寒さにも負けず根を張る姿は我々にとって短き春への希望を抱かせます」
「知らなかった。私はコアより生まれた。生まれた時にはもう名を与えられていた。与えられていたのか知っていたのか、それとも知っていると思い込んで名乗ったのかはわからない。でも私の意識が芽生えた時、私はもうリコだった」
「良い名でございますな」
「ありがとう。そうか……希望……」
「リコ様そのものが我々の希望なのかもしれません」
「そうだといいな……」
イェディルは深々と礼をすると去っていった。
「希望か……」
孤独だと思っている自分の人生に希望はあるのだろうか。
どこに見出せばいいのだろうか。
希望なんてどこか不確かで、頼るには儚いものに感じた。
頼るのなら、もっと確実で強いものがいいに決まっている。
「希望……希望? “希望を抱きし者”……リコ・フラワーは希望の花……」
カイルの二つ名にはどんな意味があるのだろうか。
迷宮の守り人は分かりやすい。どう見ても弱っているダンジョンを、コアを守るためにあるのだろう。
だが希望を抱くとは。カイルが抱く希望とはなんなのだろうか。
「カイル……」
小さく呼んだ名は、本人も言った自覚のないまま夜風に攫われた。
手の中の胡桃をもう一度眺める。
カイルと出会った日も、たしか満月だった。
・
・
・
「リコ様! 人間が、人間がやって参ります!」
「騒々しい。迷い込んだのか? 適当に人間界に帰しておけ」
中庭の東屋で過去の魔王に関する記録を読んでいたリコは、慌てて報告するケンタウロスの警備隊を煩そうな目で見た。
ただの迷い人に何をそんな騒ぐ必要があるのか。
だがケンタウロスの顔を見るにどうもそうではないらしい。
「勇者です。勇者が参ります!」
「間違いはないのか?」
「レリックを装備しているとの報告があります」
「なぜ……なんの用があって」
真層界に魔王がいるように、人間界には魔王と対となる存在の勇者がいることは真層界では誰でも知っている。
だが真層界の魔王ほど明確に存在理由をわかっていない人間の勇者とは、リコが生きる一四〇年余りでも会ったことがない。記録にもかなり長い事その存在が登場していなかった気がする。
もし本当に勇者がいるのなら、人間が危惧するような敵対関係ではなく本来なら協力関係にあるはずなのだ。
「一人か?」
「若い男が一人。人間界製の剣と、赤と金の装飾……短剣のレリックを持っていると。目的は分かりませんが、もうじきダンジョンを抜ける頃でしょう」
「会ってみたい。連れて来てくれ」
「ですがもし噂通り我々を敵視していたら……」
「拳で分からせる」
見た目はどこぞの姫君かと思うような繊細さがあるのに、主君は案外豪胆らしい。
ケンタウロスは「御意」と答えると、ダンジョンに引き返していった。
この一四〇年余り、たった一人の魔王として孤独だった。
迷宮の守り人という役割だけでなく、他の六つの地域も時々見回りをしている。
彼の地に魔王の代理人は存在するが、彼らにはコアから与えられた役割があるわけではない。
国の維持はできるかもしれないが、世界に対し責務があるのは魔王や勇者なのだ。
もし友好的ならば実質二人目の魔王と同意義になるかもしれない。
リコは落ち着きなく玉座の前をウロウロしていたが、一時間も過ぎようとした時ようやく「勇者を連れてまいりました!」という声が聞こえた。
落ち着きを取り繕い、玉座に座る。
重い扉が開いたそこには、雨雲のようなグレーの長い髪を無造作に後ろでくくった一人の若者がいた。




