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人間界と真層界。
両者はダンジョンの扉を隔てて反対側にある。この反対側とは地図上で反対側にあるわけではない。どういう世界の構造かは解明した者はいないが、ダンジョンを通り抜けた先にある大扉で世界は区切られている。
元々人間も皆真層界の生き物だった。
しかし大気中の魔力が多い真層界で魔力順応度の低い人間が生きるのには過酷で、その時代の人間の寿命はかなり短かった。
魔法の威力等にも影響する深部魔力の許容量。人間のそれは他種族に比べて圧倒的に少ない。
人間が真層界へ行けばやがて魔力にあてられ倒れ、放っておけばやがて衰弱死する。
その逆もまたしかりで真層界の住人が長期間人間界へ来れば魔力が足りずやがて衰弱死だ。
真層界ではその昔、ある一人の男が人間を導き、ダンジョンを通り抜け今の人間界へやって来る。
大気中の魔力が少ない人間界に順応すると次第に寿命を延ばし、数も増えた。
そして現在、ダンジョンのある孤島から海を隔てた大陸にはいくつもの王国が築かれ繁栄している。
この時人間を導いたのは同じ人間という種族の魔王の一人。
真層界に常に幾人か存在する魔王の中の一人は、後に人間界では勇者と言う存在に置き換わった。
実は呼び名から想像するような恐ろしい能力を持っているわけでもない。勿論そんな肩書を持つのには意味があり、身体能力は他を圧倒する。並のヒト、つまり人間や真層界全ての種族が正面からぶつかっても勝つ見込みはないだろう。
魔王に勇者。彼らには彼らの存在理由があるのだ。
このエルフのリコのように。
「“世界が混沌に陥った時”はあながち間違いではないな。恐らく人間が移住してからすぐにコアの危機があったのだろう。魔王は初めから魔王であるのに対し勇者はその自覚がない。最初に導いた魔王の死後勇者が現れなくて、正しく伝わらなかったのかもしれない」
「で? 伝承はさておき、何しに来た?」
「こちらに来たくなった」
あまりにも単純な理由にカイルも「ほう?」と曖昧に返した。
いい加減なカイルならいざ知らず、リコがそんな言い方をするのは珍しい。
「それは個人的興味でか? それともリコの背負った重た~い使命の方か?」
「なぜ強調する……お前は逆に軽すぎだ。いい大人になっておきながらほんとに変わらないな」
「そう睨むなって。可愛い顔も台無し……でもないか。それはそれで趣あるな」
「勝手にしみじみするな」
リコの口元がきゅっと結ばれる。
話の内容からすれば彼女は伝承の魔王という存在のはずなのに、カイルのペースにはまるとその受け答えは一般的なエルフの少女と何ら変わりないように見えた。
彼女は「まったく」と区切ってカイルの軽口をなんとか受け流してから、その理由をもう少しだけ詳しく聞かせた。
「……お前が真層界に来た時と同じようなものだ。こちらに来た方がいいような気がした。理由は別に明確ではない。ただ一つ取り上げるとすれば、私がずっと焦っているという事。……他の魔王が未だ生まれない。私は相変わらずまだ一人。……重責を分かつ同胞もいない……」
カイルは話を聞きながら残ったコーヒーを一気に飲んでしまうと、足を組んで背もたれに寄りかかった。
リコもそれを見て砂糖をひとかけ落とした紅茶に口をつける。
王者の品格なのか元々彼女の持つものなのか、伏せたまつ毛と小さな口元で飲む姿は、美しく、そしてどこか寂し気に見えた。