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「リコ…」
急いで口元に顔を寄せる。息はあった。
コートの一部が血で汚れていたが、自分で回復した形跡がある。
手の中にはカイルが投げ込んだ熱を込めたオーブが一つ握られており、他は少し離れた所に落ちていた。
落ちた時に怪我を負ったのだろう。その後怪我を自分で回復し、オーブを一つ手に取ると気を失ってしまったようだ。
顔色はかなり悪い。失血と低体温で生命力が低下しているようだった。
カイルは頭上を振り仰いだ。
自分が目印にしたオーブの炎は吹雪に煽られ猛烈に揺れているのが見えた。
吹雪が強まっている上に、夜を迎えている。
だがクレバスの中に吹雪は入って来ない。
ここで一晩明かし、朝引き上げた方がいいだろう。
少し奥が洞窟のようになっていて入り込む雪を避けられる。
カイルは荷物から手早くキャンプ道具を取り出した。
ブリキ缶の蓋を開けると中にはいくつかオーブが入っている。
一回使い切りのこのオーブはそのまま地面に叩きつけて割れば封印が解け、中に閉じ込めたアイテムが取り出せる。
普通の冒険者はそんなもの高級で手が出せないが、身軽でなければ救助は出来ない。
と言っても大半はウォーレンが趣味で作った物で、これが大いに役に立つ。
カイルは最後に焚き火用オーブに火を放つと、リコをゆっくり抱き上げ毛布の上に慎重に寝かせた。
フードからはみ出した髪と長いまつ毛に霜がついている。
日常的にも白いリコの顔色が、それを通り越して青く見える。唇の色も悪い。
キャスから借りた防寒具は撥水性が高く濡れてはいないようだったが、出血した部分が大きな染みを作り濡れていた。
「リコ……待たせてごめんな」
血に汚れたコートの前をはだければ中も血に濡れている。一部はもう固まりかけていたが、脇腹のあたりの衣服が大きく裂けている。めくって傷を確認すると傷は塞いでありそれ以上の回復は必要なさそうだった。
他に怪我はなさそうだったが、血に濡れたままの衣服は体温を奪うものにしかならない。
カイルは自分のコートを脱ぐとその下に着こんだ1枚を脱ぎ、リコのコートも脱がせた。
「ちょっとごめんな」
ボロボロの血染めの布となってしまったリコの服を切ってはぎ取る。傷は塞がっているとは言え血に濡れた白い胸も腹も痛々しい。
そして手早く自分の服を着せ毛布を撒いてやり、熱のオーブを挟み込むと上からコートを羽織らせた。
自分もコートを着直すとリコをさらに毛布で包み、自分も背中に毛布を被ると焚火の前に座り込んだ。
狼が集まり寄り添い、リコを一緒に温めてくれた。
動くことのできいない今はこのまま温め、彼女が体温を取り戻してくれることを祈るしかない。
焚火の熱で溶けた霜が、リコの目元に涙のように付いていた。
「お前は俺より強い。大丈夫だ」
まるでリコではなく自分に言い聞かせているようにそう言うと、彼女を抱くその手に少しだけ力を込めた。
吹雪はまだ断続的に続いている。
鳴くような風の音がするかと思えば、時折思い出したように月の光が線になってクレバスの底に届く。
風に舞った氷の粒が銀の光を降らせてくる。幻想的な光景は裏を返せばそこに厳しい自然があると言う事。
とても美しく、とても残酷な光景だった。
どれくらい経ったのか、腕の中のリコの顔色がほんの少しだけ戻って来た気がする。
静かな呼吸を繰り返す彼女の頬に自分の頬を寄せたが、まだ冷たい気がした。
無精髭を嫌がる彼女にそんなことをすれば間違いなく張り倒されただろうなと思うと一人苦笑する。まあ今くらいは許せと額に頬を寄せたまま、カイルも少し眠りについた。
気が付くと青白い景色の中にいた。
氷の中に閉じ込められたような建物。
ふとこれは夢だと気づいた。氷のような建物とは、こんな寒い場所で眠ってしまったためだろうか。
見覚えのある赤と金で装飾された剣が見える。
カイルは自分でそれをどこかに安置した。
だが剣の種類が知っているものと違う。
俺はサーベルは持っていない。
コレクションに並んでいる剣は大剣とブロードソード。
あとは預かったリコのショートソードが手元にあるだけ。
急に不安が胸をよぎる。
不安? 違うな、悲しみ? 恐れ? 寂しさ……憧憬?
目に焼き付けようと振り返った光景は――
――薄暗いクレバスの景色が広がった。
「なんの夢だよ」
そう独り言ちて見上げる狭い空はまだ暗い。
吹雪が続く夜の途中のようだった。
腕の中のリコはかなり顔色が戻り、額に寄せた唇には通常の体温が戻っているように感じられた。
気を失っていると言うよりただ眠っている状態に移行したようにも感じ、少しカイルも安心した。




