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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第10章 目の前の壁が怖いんじゃなくて
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第10章 目の前の壁が怖いんじゃなくて 1

 夏休み一番の山である模試が終わったにも関わらず、昨夜は全く眠れなかった。模試の結果に対する不安に耐え切れず、深夜、机の上で模試の答え合わせを延々とやっていたのだ。ホッチキスで止められた問題用紙と、スマホに映る、どこかの団体がどのような手段で出しているのか分からない解答速報を見比べながら、デスクライトの光の下、自分がどれくらい点を取れたかを算出する。しかし、記述問題で自分がどのような回答したかなんて覚えているわけもなく、また、どこまで部分点が取れているかなんて詳細な解説がないと分かるはずもない。そんなやっても無駄な答え合わせを深夜、延々とやっていた。


 翌日の午前の十一時半。歩は昨日模試へ行くために乗っていた路線バスと同じバスに乗っていた。

 昨夜眠りにつけたのは午前四時ごろ。それがたたり十一時頃に起床した歩は、スマホを見て初めて瑠美からメッセージが来ていたことを思い出した。歩は慌てて瑠美へ送ってきたURLの場所へ行く旨を返信した。そして外出お決まりの白シャツにデニム生地のパンツを履き、スクールバッグに携帯と財布だけ入れて、すぐに外へ飛び出したのだ。

 昨日、瑠美から送られてきたURLは、浦和駅近くにある美術館だった。今日の打合せはここでやるから来い、とのことらしい。

 沿道の木から漏れる光が、窓を通過して歩の顔を撫でる。バスの中は冷房が付いており、人も少ないため空気は冷えて澄んでいた。同じ道、同じバスなのに、昨日とは違い空間が弛緩しきっているように感じた。歩は思わずうとうとする。意識を取り戻すと、最寄り駅のすぐそばに来ていた。歩は飛び起き、急いで「とまります」のボタンを押す。すぐそばでボタンを押したため、バスから降りる時、運転手から嫌な顔をされてしまった。

 電車の中もガラガラ。いるのは老人と、どこかへ出かけようとしている学生が数名。朝の電車は、ただ人を吸っては吐き出すを繰り返す箱でしかないのに、昼間はこんなにも穏やかなのか。車窓に映るのはただのただ住宅やビルなのに、なぜか安心する。昨日よりも、風景の色がはっきり見えるように感じた。

 ただ同時に、そんな余裕ぶった状態の自分が不安になる。何か、もっと焦らないといけない気がして。


 浦和駅に到着した旨のアナウンスがとともにドアが開く。外に出ると駅のそばにある大きなデパートが目に飛び込んできた。肌で感じるのはコンクリートが蓄えた熱。体に纏った冷房の空気を溶かして徐々に肌を焼いていく。そう言えば、昨日の天気予報では今日は猛暑日になると言っていた。滲んだ汗をハンカチで拭きながら、ホーム階段を降り改札を出る。そして連絡通路を通り西口に出る。

 東口側はほぼ住宅街になっているのに対し、西口側には大きなバスターミナルとデパートがありとても賑やかだ。そして、バスターミナルの真ん中には、地元サッカーチームの名前が入った大きな看板が植木に囲まれ、駅の出入り口に向かう形で設置されている。歩はこれがあまり好きではない。地元愛を主張しすぎではないか? そこまでやると、逆に嫌われてしまいそうだが。

 柴高祭実行委員メンバーは、そんな地元顕示欲の塊のような看板の前に並んでいた。

「あ、やっと来た」

 最初に気付いたのは弦。今日は半袖ワイシャツに七分丈のパンツとシンプルな服装。それでも見ものになるのは、やはり弦だからだろう。

 すぐに気づいて手を振る弦に対し、瑠美とカトケンはこちらに全く見向きもせず、ベンチに座ってスマホを見ていた。瑠美の服装は大きく袖の空いたブラウスに膝下ほどの長さのスカート。あんな性格して、いつも私服は大人っぽいコーディネートなのが不思議だ。そして初めて見るカトケンの服装は、肩まで捲し上げた半袖のTシャツに下はつんつるてんの黒ジャージ。うん、イメージ通り。

 そんな二人も弦に遅れて歩が来たことに気が付くと、スマホを持ったまま立ち上がる。

「遅いよ、あんた私が電話したの気が付かなったの?」

「え、うそ」

 そう言いながらスマホを取り出しロックを解除する。すると瑠美が言う通り、電話アプリの右上に着信件数を示す「12」と数字が浮かんでいた。移動中は寝不足でずっとぼーっとしていたため、全く気が付かなかった。

「ごめん、全然気が付かなかった」

 歩の謝罪に、瑠美は大きく「はー……」とわざとらしくため息をつく。少し腹立つが、今回は歩が悪いので何も言えない。眠気といらつきで歩が目をしかめると、瑠美が歩の顔をじっと見つめてくる。

「? なに?」

「……あんた、隈やばいよ。パンダみたいになってる。なに? 寝不足?」

 その言葉で、歩の眉間のしわはさらに深くなる。その様子を見て、弦が割って入りフォローに入る。

「まあまあ、時間ちょっと少し過ぎたぐらいだし、俺らもさっきまで飯食ってたから」

 弦が入ったところで、瑠美の暴言はさておき、と歩は切り替える。

「で、今日って何するの? 買い出しとかは、夏休み明けにクラスの担当でする予定だったと思うけど」

 歩がそう言うと、弦の頭の上に疑問符が浮かぶ。

「瑠美、もしかして今日何するか言ってないの」

「? ああ、ごめん、そうかも」

 そういうことか、と弦は小さくため息をつきながら肩を落とす。そして、しょうがない、と説明を始めた。

「今日は柴高祭で集まったわけじゃないよ」

「は?」

 弦の思いもしない発言に、歩は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。

「いや、だから前相談してくれたじゃん、あの子の件」

 弦はそう言うと、カトケンの方に目線をやる。するとカトケンが背中の方を見て「ほら、なんで隠れてんだよお前」と背中に引っ付いているものに前へ出るよう促す。そして、その引っ付いているものがカトケンの横から顔を出した。黒い長袖のトレーナーに七分丈のズボンを履いた少年。柚木だった。

「え、柚木? なんでいるの?」

 歩は柚木に近づこうとするが、またカトケンの後ろに隠れてしまった。そして、カトケンの背中にうずくまりながら「……こいつらに騙された」と柚木は呟く。

「こいつ、藤井も来るって言ったらめっちゃ嫌がってたんだよ。なんでか分からんけど」

 カトケンは柚木が引っ付いた背中を反らせながらそう言った。歩はまだ状況が呑み込めず、また弦の方を向く。弦は説明を続けた。

「今日、ここの近くの美術館で、絵本の原画展やってるんだよ。カトケンが見つけたんだけど、これ、柚木君の参考になるんじゃないかと思って、一緒に行こうってなったんだ」

 そう言って弦は歩に自分のスマホの画面を見せる。画面には「世界絵本原画展」と書かれた、さまざまな絵本の絵がスクラップされ張り付けられたようなデザインのチラシが映っていた。

「いきなりで申し訳ないんだけど、今日は柚木君がここに行くための付き添い」

 え、ちょっと待って、と歩はまだ理解が追い付かない。

「それじゃあ行こうか」

 弦がスマホをしまいながらそう言うと、カトケンと瑠美が「はーい」と言って付いて行く。状況をまだ受け入れ切れていない歩は思わず、「ちょっと待って」と三人と柚木の歩みを止めた。

「柴高祭の準備は? 大丈夫なの?」

「大丈夫も何も、もう打合せすることもあんまりないし、いいじゃないこういう日があっても」

 瑠美は何を焦ってるんだと不思議そうにそう答える。

「ていうか、今日美術部は? いつも月曜活動じゃないの?」

「今日は休み」

「なんで?」

「私が休みにしたから」

 そんな横暴な、と歩は唖然とする。こいつに聞いてもだめだと思い、弦に目を向ける。

「弦君も、忙しいんじゃないの? 家のこととか」

「ああ、いいよ今日は。休みたい」

 いつものさわやかな笑顔だが、なんだか今日は目が死んでいる。そして弦としては珍しく投げやりな回答。なんだ? 弦は弦で仕事をしたくない気分なのか?

「カトケン君は……ごめん何でもない」

「て、おい! なんでだよ!」

 カトケンは期待通りの突っ込みを返してくれた。

「まあいいから、一回、歩きながら話そ」

 弦がそう言うと、また三人と柚木は歩き始める。歩はまだ何も納得いってない。焦らなければならない。柴高祭も、勉強も、他のいろんなことも。

 ただ、歩にはもう彼らに文句を言う気力がなく、柚木を置いて帰る選択肢もない。

 そういうことで、歩はどうしようもなく、ただ黙って三人と柚木に付いて行った。

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