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昔から家族ぐるみでの付き合いがあったことから、オレンジとティールの婚約はとんとん拍子に話が進んでいった。アルメラルラ家は五年ぶりに生き返ったオリーブの死亡届の撤回といった諸々の行政手続きでバタバタとしていたものの、屋敷に住むすべての人間が、二人を祝福し、二人の幸せを心から祈ってくれた。
そして、ティールと婚姻し、二人が夫婦として結ばれると言うことはつまり、オレンジが長年住み続けたアルメラルラ家の屋敷から巣立っていくということを意味していた。姪のカナリアや甥のブラウンはそのことを寂しがってはいた。しかし、二度と会えなくなるというわけではないことをきちんと理解していたため、屋敷を出ていくオレンジを困らせると言うことはなかった。一方で、姉のオリーブは別だった。第二の人生が始まったと同時に、すぐさまオレンジがこの屋敷からいなくなってしまうことを深く嘆き悲しんだ。
「せっかく生き返ったって言うのに、そんなのってないわ!」
一度自殺を経験したことで、少しは考え方が前向きになるのではないかとシエナとオレンジは考えていたが、一回死ぬ程度で性格が変わるわけではない。それでも、それは二人がよく知るオリーブの姿ではあったため、その面倒臭さも二人にとってはどこか懐かしかった。五年前と同じようにシエナがオリーブの肩を抱き寄せながら慰めの言葉をかけ、オレンジが皮肉まじりに、けれども奥底には親しみの気持ちを込めて茶化す。目まぐるしく変わっていく日々とこの屋敷の中で、その関係性だけは変わることはなかった。
悲嘆するオリーブの新しい慰めになったのは、彼女の甥と姪だった。情緒不安定なオリーブ、天真爛漫な甥のブラウン、そしてオレンジに似て皮肉屋な姪のカナリア。歳が離れ、性格だって似ているとは決して言えない三人だったが、不思議と波長があい、オリーブが生き返ってからすぐに打ち解けた仲になっていた。オリーブが歳の離れた叔母として優しく接するだけではなく、ブラウンとカナリアが悲しみに暮れるオリーブに寄り添うことで、年齢も関係性も超えた絆のようなものが出来上がっていった。定期的に屋敷に帰ってくるというオレンジの言葉にも支えられながら、オリーブは少しずつ心の平穏を取り戻していく。そして、オレンジが屋敷を出ていくその日には、悲しみを胸に抱えながらも、微笑みとともに妹を送り出せるだけの落ち着きを取り戻すことができていた。
「荷物を積み込んでいる途中だけど、ちょっといいかしら?」
オレンジ出立の日。慌ただしく部屋の荷物を運び出していたオレンジに、部屋の外からシエナが話しかける。オレンジは作業の手を止め、シエナに大丈夫だと答える。シエナの後ろには姉のオリーブ、そして甥と姪が立っていた。そして、四人全員の手には、それぞれ別の種類の花で作られた花飾りが握られている。オレンジがその様子を見て、不思議そうに眉を顰めると、シエナがそれを察して説明を始める。
「末っ子のあなたが最初だなんて思ってもいなかったから、伝える機会がなかったの、アルメラルラ家の代々の伝統でね、このお屋敷を出ていく人間には必ず花飾りを贈るように決まっているの。誰かが旅立つ頃になると、お屋敷の庭に色んな種類の花が咲いてね、見送る人それぞれがその中から選んだ花で花飾りを作る。いつから続いてるかはわからないけど、それがアルメラルラ家なりの見送り方なの」
そう言いながらシエナは微笑み、自分が持っていた花飾りをオレンジの頭にそっと乗せる。ガーベラの花が縫い付けられた花飾りから、優しく甘い香りがオレンジの鼻をくすぐる。オレンジは両手でそっと花飾りに触れながら、ありがとうと言葉を返すと、シエナが目を細め、そっとオレンジの右頬を撫でた。
「でも、本音を言えば、花飾りよりもお金の方が嬉しかったわ」
オレンジの冗談にシエナが笑う。それから、姉のオリーブ、ブラウンとカナリアからそれぞれの花飾りがオレンジに贈られた。オリーブの花飾りはクリスマスローズ。ブラウンの花飾りはチョコレートコスモス。そして、カナリアの花飾りはマリーゴールドの花で作られていた。オレンジは頭に乗せきれない分は両腕で抱え、それから目を閉じて、深く息を吸い込む。一つ一つの花から、似ているようで別々の匂いがする。そして、その匂いひとつひとつにどこか懐かしさがあって、オレンジの頭の中を走馬灯のように思い出が駆け抜けていくような気がした。
オレンジがそっと目を開けると、シエナの目が涙で潤んでいることに気がついた。目尻に一雫の涙が溜まり、そしてゆっくりとシエナの頬を伝っていく。オレンジはそっと手を伸ばして、シエナの右頬にできた涙の跡を拭った。それから喉まででかかった、あまのじゃくな言葉をぐっと飲み込んだ後で、オレンジはシエナの目を見て話しかける。
「私もこのお屋敷を出ていくのは、すごく寂しい」
その言葉にシエナと、そして後ろで同じように涙を流しているオリーブが頷く。大丈夫? シエナが穏やかにオレンジに問いかけると、オレンジは優しく微笑み返し、返事をする。
「きちんと寂しいって言えたから、きっと大丈夫」
オレンジはそう言って、シエナと抱き合う。それから後ろに立っていた姉や甥と姪を順番に抱き締めていった。そして、ふとオレンジが部屋の棚へと視線を向けると、そこにはスミレの花で作られた花飾りが置かれていた。オレンジが四人に、あそこにある花飾りも自分のために作ってくれたものかと尋ねたが、誰もその花飾りに心当たりはなかったし、シエナの知る限りでは気を効かせたメイドたちが作ったものでもないらしかった。
あの子からの花飾りだ。誰からの花飾りだろうと皆が首を傾げる中で、ブラウンの頭の中にそんな考えが思い浮かぶ。しかし、それと同時に、あの子とは一体誰なのかと自分で自分の思いつきに首を傾げてしまう。その子のことを考えようとすると、頭の中でその時の記憶がぼやけ、言葉が出てこない。それでも、ブラウンの心のどこかに確かに存在していた誰か。ブラウンが必死に思い出そうとしていると、ブラウンの手を隣にいたカナリアがそっと握った。ブラウンがカナリアの方へ顔を向けると、彼女はにこりと微笑み、それから小さく首を横に振った。理解をするのに、言葉は必要なかった。ブラウンは姉に微笑み返し、それからゆっくりと頷いた。
突然現れた花飾りを前に、あーだこーだ議論をしている三姉妹の後ろで、アルメラルラ家の小さな双子は二人だけの秘密を胸に抱えながら、楽しそうに微笑むのだった。
*****
荷物の積み込みが終わった頃、アルメラルラ家の屋敷にティールがやってきた。正式にオレンジを迎えるため、いつものように庭からではなく、屋敷の正面玄関から邸内へと足を踏み入れる。ティールは深い藍色の貴族衣装に身を包み、両手には白手袋をはめている。大広間で彼を待っていたオレンジの前までやってくると、彼はその場に跪き、オレンジの右手の甲にそっと口づけを行った。それから二人は情愛に満ちた眼差しでお互いに見つめあう。シエナがオレンジの後ろから祝福の言葉を投げかけると、二人はシエナの方へと顔を向け、幸福そうな表情を浮かべた。
そして、それから。オレンジはティールに手を握られながら、ゆっくりとアルメラルラ家の外へ向かって歩き出していく。分厚い玄関の敷居をまたぎ、数メートル歩いたところでオレンジは立ち止まり、振り返った。幼い頃、自分の世界の全てだと信じていた、アルメラルラ家の屋敷。成長し、外の世界を知った今となっては、ここが自分の世界の全てだなんて思うことはない。それでも、ここは確かに自分の世界の一つだった。
もちろんその事実に変わりはない。今も、そしてこれからもずっと。ティールが立ち止まり、オレンジにどうしたの?と問いかける。オレンジは何でもないわと微笑み返し、再びティールと共に歩き出す。
「ところで、プロポーズきちんとしてもらってない気がするんだけど?」
屋敷の外に停まっていたティールの馬車へと乗り込み、扉を閉めたタイミング。オレンジは隣に座っていたティールへとそうけしかける。ティールがやっぱり欲しいのと困惑げな表情で尋ね返すとオレンジは無いよりはマシでしょ?と微笑みかえす。
「今までの人生で色んなことが起きてきたのと同じように、これから色んなことが起こると思う。その中には、楽しいことも、悲しいこともあると思う」
「大好きな人が自殺してしまったり、そうかと思ったら生き返ったりね」
ティールはオレンジの手を握り、真正面を見つめたまま語り、オレンジもまた同じく真正面を見たまま相槌を打った。
「色んなことが起きた結果、ひょっとしたらだけど自分達のことを不幸せだと思ってしまうことがあるかもしれない。自分の選択を後悔したり、自分にはもっと別の、もっと幸せな未来があったのかもしれないと嘆く日が来るかもしれない。それでも……」
「それでも?」
「一生、一緒にいよう」
「もちろん」
ティールが合図を出し、馬車が動き出す。そこで初めてオレンジとティールは互いの顔を見つめ、微笑み合う。そんな幸せに満ち溢れるオレンジの頭の上には、すみれの花で作られた花飾りが乗せられていた。
完




