最終話
本日2話目。
「この雰囲気、苦手」
「私も……」
七倉高校文化祭。その喧騒の中、僕と彼女は顔を合わせて苦笑した。
初日の午前中で、まだ一般公開が始まっていないこの時間は、ある意味では最終準備時間。
周りの生徒たちは、楽しそうに声を掛け合いながら、お祭りの雰囲気を醸し出している。
そんな中、保健室登校組の僕たちは、この文化祭において一切の仕事がなかった。
2学期から、僕たちは保健室でのんびりと勉強することになった。それが必要だと判断された。
実際、まだ『死にたい』という衝動に駆られることはある。でも、それが許されないことは、2人ともわかっている。
「どこか行きたいところ、ある?」
彼女の質問に、僕はパンフレットを見ることもなく答える。
「別に」
死ぬつもりだったあの日は、ここに行きたいとか、あれを見たいとか、そんな話をした気がする。でも、実際に生きて参加すると、行きたい場所なんてなかった。
「とりあえず南棟に行こうか。こっちよりは、たぶんマシだよ」
七倉高校は北棟と南棟に分かれていて、北棟が生徒棟、南棟が職員棟になっている。
出店は北棟が主で、南棟に居を構えているのは一部の部活くらいだ。
僕たちは活気から逃げるように、南棟へ向かって歩き出した。
「生物室に引きこもっちゃおっか」
図書委員が退屈そうに本を並べている前を通り過ぎると、彼女がそんな提案をしてきた。その提案は、今の状況よりはずっといいと感じさせた。
「鍵、貸してくれるかな?」
「私たちが、この雰囲気が辛くて耐えられませんって言えば、貸してくれるよ」
「はは、そうだね」
僕たちは先生方の間でも完全に腫れ物なのだ。
一般の方は立ち入り禁止と書かれた看板を抜けて職員室へと向かうと、ドアの前でちょうど顧問と遭遇した。
「先生、生物室の鍵、貸して?」
「……どうして?」
僕たちに対してフランクだった顧問も、今ではどう接していいのかわからないようで、気を使うような曖昧な笑みを浮かべた。
「お祭りの雰囲気が辛くて、耐えられない」
彼女の言葉は別に嘘ではない。それを聞いた顧問は困った顔して、「ちょっと訊いてくる」と職員室に戻っていった。
顧問が戻ってくるまでに、5分以上は時間がかかった。その間、僕たちはどうでもいい話をしながら待った。そんな普通を取り戻すくらいには、僕たちは回復していた。
「なんか、俺がお前らについてることになった」
鍵を持って戻ってきた顧問は、やはり困った顔でそう言った。
2人きりにして自殺でもされたらかなわないもんな。それはもう、できないのだけれど。
「先生、担任持ってないんでしたっけ?」
「持ってるけど、副担に任せることになった」
「すみません」
「いや、いいよ。顧問だからな」
3人で職員室から生物室に向かう途中に出店してたのは美術部のみ。ストラップや缶バッチを販売してる美術部を横目に、僕たちは足を止めることもなく生物室へと歩いた。
ドアを開ける。ここにはあの後も何度も来ている。僕たちが1番落ち着ける場所。そして、1番壊れやすい場所。
「何する? 1日トランプ? 3人ならマシになる」
夏休み前半、2人でトランプをしたこともあった。ゲーム自体は全然楽しくなかったけど、楽しかった。
「俺もやるのか。ただいるよりはそっちの方がいいか」
文化祭中に教師とトランプ。まぁ、いいか、そういうのも。
現時刻は10時前。文化祭が終わるのは15時半。のべ5時間半以上。その間、ずっとトランプ……。
まぁ、飽きたらテキトーに雑談でもすればいい。時間を潰すだけならどうとでもなるだろう。
そんなわけで、彼女はカードを配り始めた。
*
トランプは普通に楽しかった。普通に雑談をしながら、普通に盛り上がる。そんな時間が1時間半くらい続いた。
「先生、案外弱いですね」
「さっきのところ、QペアじゃなくてAシングルだったら勝ちだったのにさ。2は4枚もう出てたよー。数えてないの?」
「うるさいな。手札が弱かったんだよ」
彼女は勝つたびに顧問を煽った。顧問も僕たちに普通に接していいことを理解すると、結構ムキになって反論した。……勝てた手順が具体的に言われてるのに、手札が弱かったはないだろ。
「あ、LINE」
そんなやりとりをしていると、僕のスマホが震えた。
『Marin Hazuki: 今日、0時過ぎから七倉の文化祭行きます。案内しろ』
あれ以来、真凛さんとは連絡を取り合っている。朱音さんのお願いに従って、勉強を教えるために。
真凛さんの夏休みの宿題は、僕と彼女がやったと言ってもいい。その後、ちゃんと真凛さんに理解させるのが大変だった。
「真凛さんが午後から来るって。案内しろって言ってる」
「案内? 私たちに案内できるところなんてある?」
ずっとここでトランプやってたから、どこも回ってない。当然にオススメの店なんてない。
「ん? 真凛さんって?」
「僕たちのせいで死んだ友達の妹です」
顧問はその言葉に固まったけど、それはどうでもよかった。
「どこを回るか、先に考えよっか」
「そうだね」
僕たちは、ずっと見もせずに持っているだけだったパンフレットを広げた。
「先生、先生のオススメ、教えてください」
「そりゃ、うちのクラスだ」
脊髄反射でそう言える顧問は立派な担任だと思った。
それから30分、僕たちは顧問も巻き込んで、真凛さん案内コースを作成した。
真凛さんには到着したら生物室に来るように連絡して、僕たちはそれを待っていた。
「海で死ぬ気だっただ? おい、今もそんなこと考えてないよな?」
真凛さんとどう出会ったのかを訊かれて、彼女が、海で死のうとしているところを止められたと答えたものだから、顧問がだいぶ取り乱した。
「今も考えるけど、実行はできなくなったから、安心」
「君さ、顧問にはなんでも言うよね?」
朱音さんの能力の話はしていないけれど。
「だって、ヒョウモントカゲモドキ飼ってるんだよ?」
「ごめん、意味わかんない」
「ヒョウモントカゲモドキってのは、これが可愛くてね、20〜30cmくらいなんだけど、あっ、写真あるよ」
いや、ヒョウモントカゲモドキ自体は知ってる。爬虫類ペットの定番らしい。彼女の影響で、ちょっと自分でも調べた。
だが、それを飼ってるからなんだというのだろう。彼女、詐欺師が「私、トカゲを飼っていまして」って言ったら簡単に騙されるのではないだろうか。
「おい、ヒョウモントカゲモドキより、今も考えるってとこ! お前ら、死にたいとか」
「失礼しまーす」
彼女がヒョウモントカゲモドキの写真を用意し、顧問が真面目そうな顔で僕たちに詰め寄ったところで、真凛さんがノックもせずに入室してきた。
「……お取り込み中でした?」
「いや、雑談がヒートアップしただけだから」
「そうなんですか? ……トカゲ、キモい」
「キモくない! 可愛いの!!」
彼女のスマホに表示された写真を見た真凛さんの一言で、生物室はさらにカオスになる。彼女の前で爬虫類を否定するのが地雷だとまだ学ばないのか……。
ヒョウモントカゲモドキの可愛さを説こうとする彼女をなんとかなだめて、「文化祭、回ろうか」と言う。
ここでこのグタグタとした感じを続けるのも、僕としては嫌ではないけれど。
「おい、お前ら」
「先生、僕たちは死にませんよ。そうだよね、真凛さん」
「はい。おふたりは、死ねない呪いをかけられてますから」
姉のお願いを呪いとは……。でも、僕と彼女にとってはそれに近い。
僕たちは生物室を出た。
「さっきの人、誰です?」
「生物部の顧問。いい先生だよ。今から回るコースもほとんどあの人が考えた」
顧問は企画内容をかなり把握していたので、ほぼ丸投げした。本心を言えば案内にも顧問を連れてきたかったのだが、真凛さん的にそれは気まずいだろう。
「おふたり、お姉ちゃんの2つ目のお願い覚えてます?」
「え?」
「文化祭中におじさんと一緒に部屋に引きこもってるとかおかしいですよ。ほら、カップルらしく手を繋ぐ!」
「いや、えっと」
僕は小心者らしく動揺したけれど、彼女の方は黙って右手を差し出してきた。……情けない。
文化祭中とあって人目があるってレベルではないけれど、誰も僕たちのことなんて気にはしないと自分に言い聞かせて、彼女の手を握った。
「それでよろしい。終わったら2人きりで打ち上げとかしてくださいね」
そう言って、僕らを追い越し先行していく真凛さん。余計なお世話だと思った。
「真凛さんは僕たちのなんなの?」
真凛さんはこちらを振り返って、微笑みを浮かべ。
「さぁ? たぶん、青と緑で結ばれてるんじゃないかな」
そう言った。
『運命の緑の糸』はこれで完結になります。読んでいただき、ありがとうございました。