6:馬鹿ね
「あら、セドリック。今日もお父様に用事?」
後処理も終わり、久しぶりにのんびり過ごしていたら幼馴染が前触れなくやってきた。珍しいことではないが、何だか今日は様子がおかしい。
思いつめたような、暗い顔をしている。何かあったのだろうか。
「いや。──今日は、お前に会いに来た」
話があるというので、天気がいいし折角ならとガゼボでお茶でもすることにした。
庭師が丹精込めて育てた薔薇が見頃で、何を憂いているかは分からないが、少しでも慰めになるといいと思う。
紅茶を用意してもらい、侍女たちは下がらせた。あまり周囲に人の気配があるのは話しにくい内容かもしれない。
そう思うほど、セドリックはひどい顔をしていた。
急かすようなことは口にしない。話したくなるまで、待つだけ。
カップを手に取り、息をつく。面倒事がなくなり、心も身体も軽い。今思うと、あの王太子の婚約者という立場は、相当負荷がかかっていたのだと思う。
言うまでもないが、王族に名を連ねる重責などではなく、無能のお守りをするという意味で。
本当に、早々に婚約解消できてよかったとしみじみ思う。ある意味、その無能のおかげでもあるが。
「シルヴィア」
「なあに?」
「婚約解消、おめでとう」
「セドリックも協力ありがとう。助かったわ」
「…別に、俺は何もしてない」
「皇太子殿下を連れてきてくれたでしょう? 一体どんな伝手よ」
「…ああ」
「帝国に留学予定って、殿下と繋がりがあったからなの?」
「……シルヴィア」
「あ、ごめんなさい。聞かれたくないことだった?」
「いや」
否定しながらもセドリックは目を逸らして、再び沈黙。
うーん。こうまで口が重いって、余程の厄介ごとなのかしら。
シルヴィアに会いに来たのだから、私で解決できることなのだろうと思う。まあ、公爵家だし? 財と権力は有り余ってますから?
大抵の悩みは捻じ伏せられるだけの力はある。シルヴィアの一番の懸念事項は片付いたしね!
ああ、懸念事項といえば。
「そういえば、アンセルム元殿下の死に戻ったって話、結局何だったのかしら。単なる妄想だったってことかしらね」
まあそれがなければ、もしかしたら婚約解消できずに王家の生贄になっただろうし、もしかしたら、アンセルムの妄想通りになっていた可能性もある。
レイラが無意識に魅了したアンセルムの暴走で。
「──……妄想じゃない」
「え?」
「妄想じゃないんだ。現実に、あったことなんだ」
「セドリック?」
シルヴィアが、魅了魔法にかかったアンセルムに冤罪で処刑されたことが、あの話が現実であったことだとセドリックは言った。
ということは。
「あなたにも、記憶があるというの…?」
死に戻ってきたという記憶が。
信じられない思いで聞くと、セドリックは頷いた。
それから、ぽつぽつと話しだした。
シルヴィアと王家の婚約が決まってから、帝国に留学したこと。
皇太子ととある切っ掛けで友人になったこと。
帝国のお家騒動に巻き込まれて、本国の情報の入手が遅れたこと。
情報を手にしたときには既に遅く、…シルヴィアは処刑された後だったと。
「なるほど…」
シルヴィアが罪に問われたときに、セドリックはどうしていたのだろうとは疑問に思っていた。まさか何もせず傍観していたなどとは思いもしなかったが、隣国にいたのか。
──よかった。
見放されていたわけでは、なかったのだ。
それだけで、シルヴィアは安堵する。
もちろん、私が主家の嫡女であるからにしてもだ。
それにしても、皇太子殿下にも記憶があったとは、驚きである。記憶が残ってるのってどんな基準なのかしら?
そもそも、何で回帰したのかも分かっていないのだけれど。
…ん? ちょっと待って。
「…元殿下は、民衆に革命を起こされて処刑されたって話だったわよね」
「ああ」
「もしかして」
「俺たちが、扇動した」
やっぱり。
セドリックたちが動かなくても、結末は同じだっただろうが。
あのアンセルムが国王じゃ、どんなに周囲が優秀でもね。
「──……俺は、お前を…守れなかった」
「……」
…馬鹿ね。
どうして、あなたがそんな顔をしなければいけないの?
あなたの責任ではないのに。
自分がすべて引き起こしたかのように。
私は覚えていないのに。
…ああそうか。
分かってしまった。
彼がここに何をしに来たのか。
この後、彼が何を言い出すのか。
「だから、俺はお前の傍に、」
「いる資格はないとでも、言いたいのかしら」
最後まで言わせなかった。聞きたくなかったから。沈黙は肯定だ。
決して誰かに責任を押し付けることなく、シルヴィアに許しを乞うわけでもなく。
自責の念と後悔を抱えて、生きていくのだと。
もう起こるはずのない過去を背負って。
セドリックの耳元に、私の贈ったピアスが光っている。らしくなく、シルヴィアからアクセサリーをねだったのも、理由が今なら分かる。
ああ、本当に馬鹿だ。
「──それで、あなたは私から離れて、幸せになれる?」
「……っ」
その問いに、セドリックは息を呑む。
「もし、そうであるなら」
一度は、諦めた恋だった。
諦めなければならない、恋だった。
だから、もしセドリックが、私と離別することで幸せになるのなら。
今ならまだ、大丈夫。きっと引き返せる。
哀しくても、辛くても。
心の奥底で、封じ込めた想いが、彼を想う心が、嫌だと泣き叫んでいても。
「…私以外の誰かと一緒になって、幸せになれるというなら」
「…っ!」
「私は、」
「…そんなわけあるか! お前と離れて俺が幸せになれるわけ…!」
勢いのままに口について出た言葉に、セドリックははっとなる。
そこまで言えば、途中で止めても意味がないわよ。
「ねえ、セドリック」
「……」
「忘れろなんて、無理は言わないわ」
きっと、あなたの後悔はなくならない。たとえ、今が過去と同じでなくても。
あなたの記憶も。
「──あなたの望みは何?」
あなたが、本当に欲していることは?
シルヴィアの問いに、ずっと俯きがちだった顔が、のろのろと上がる。
「……お前が、……シルヴィアが生きていること」
「生きてるわ」
「…お前が、笑っていること」
「心から笑えるようになったわ。あなたのおかげでもあるわね」
「…俺の傍に、いてくれること」
「いるじゃない」
いつでも、あなたが望めば。
私の望みでもあるから。
「だから、もういいの」
自分を責めるななんて言わない。
後悔しないでとも言えない。
私に言えるのは、ひとつだけ。
「だから、もう苦しまないで。……もう、ひとりで、苦しまなくていいの」
「……っ!」
くしゃりと、泣き出す寸前のように端正な顔が歪む。
きっとずっと苦しんできたのだろう。
私の知らないところで。私の見ていないところで。
あなたがそんなにも苦しんでいたのに、気付かなくてごめんなさい。
「シルヴィア……俺は、お前の傍にいていいのか…?」
今更。
「いてくれないと困るわ。だって私、」
あなたに求婚するつもりだったのよ。
微笑みながら告げると、セドリックは何を言われたか分からないという表情をした。
その顔がまた可笑しくて、シルヴィアは声を立てて笑った。
了




