080話 捨て身の選択*
黒き魔力が再び魔杖グングニルへ収束していく。
メイは愉快そうに微笑んだ。
「さあ、勇者様。」
「今度はどうするのかしら?」
クラリスは無表情のまま、小瓶を口元へ持ち上げている。栓はすでに抜かれていた。
アベルは静かに短聖剣を握り直す。
(もう……。逃げない。)
避ければ、また誰かが毒を飲む。
たとえ幻だと頭では理解していても、それを見過ごすことはできなかった。
メイは魔杖を掲げる。
「《神の怒り》」
漆黒の奔流が放たれた。
轟ッ!!
アベルは一歩も退かなかった。
「うおおおおおっ!」
短聖剣を正面へ掲げる。白銀の光が刃から溢れ、勇者の力と短聖剣の加護が全身を包み込む。その光が黒き奔流と真正面から激突した。
轟音が塔を震わせる。石畳が砕け、柱には無数の亀裂が走った。
「ぐっ……!」
アベルは両足で床を削りながら押し戻される。腕が痺れ、全身の骨が軋む。それでも倒れない。倒れるわけにはいかなかった。
黒煙が晴れると、アベルはなお、そこに立っていた。
全身から血を流しながら。
メイは呆れたように肩をすくめる。
「……へえ。さすが勇者様。頑丈ねぇ。でも、だからと言って避けないのは、本当に馬鹿ね。」
そう言いながら、何事もなかったかのようにクラリスへ視線を向ける。
「飲みなさい。」
「やめろ!クラリス、飲むな!」
アベルの叫びも虚しく、クラリスは小瓶を傾ける。飲み干した直後、彼女はその場で崩れ落ちた。
メイは小さくため息をつく。
「人質は、効果がないみたいね。」
そして妖しく笑った。
「なら、遊び方を変えましょう。」
フェリとルナが前へ出る。メイが二人に何かを指示すると、直ぐに二人の身体から濃密な魔力が立ち上った。その気配を感じた瞬間、アベルの顔色が変わる。
(この魔力……まさか…。)
忘れるはずがない。
奈落の迷宮。
ルシィとの最後の戦い。
勝つために――自分自身が放った、あの魔法。
(自爆魔法か……!)
メイは楽しそうに命じる。
「二人とも…勇者様に抱きついて、そのまま自爆しちゃいなさい。」
二人は無言で頷いた。迷いはない。
命令だけを遂行する操り人形のように。
フェリが一気に距離を詰める。アベルはフェリから逃げるために咄嗟に横へ飛ぼうとした。だが、思うように身体が動かない。
グングニルの一撃で受けた傷。
積み重なった疲労。
大量の失血。
それらのすべてがアベルの身が限界に達していることを示していた。
「しまっ――!」
後ろに回り込んだフェリがアベルを羽交締めの体制で強く抱き締める。アベルはどうにか振り解いて逃げようと暴れるも異常な力を発揮しているフェリの拘束からは逃げられない。
ルナもすっと歩み寄り、アベルに正面から首に手を回すように抱きついた。ルナの吐息とフェリの息遣いがアベルの耳に聞こえてくるほどの密着し、そのまま尋常ではない力で抱きつく2人。その直後、二人の身体から魔力が溢れ急激に膨れ上がる。刹那、彼女達を引き離すのを諦めて、アベルは魔力を身体防御に全振りせざるを得なくなった。
「そう、それでいいわ。」
メイは満面の笑みを浮かべる。
「勇者様。今度は、どうやって助かるのかしら?」
次の瞬間、塔全体を揺るがすほどの衝撃が走った。閃光と轟音が周囲を飲み込み、爆風が最上階を吹き抜ける。ガルドたちは思わず腕で顔を庇い、吹き飛ばされそうになる身体を必死に支えた。
激しく吹き荒れる爆風と爆煙が周囲を黒く染めて視界を遮る。だが、爆煙の向こうには、膝をつきながらもなお短聖剣を手放さないアベルの姿があった。鎧はほとんど原形を留めず、全身は傷だらけ。呼吸は乱れ、立ち上がることさえ苦しい。
それでも。
勇者は、まだ倒れてはいなかった。




