359話 奪われた影*
魔王城地下。
巨大な円形空間を埋め尽くしていた骸骨兵の群れは、まるで地下深くから湧き出してくる黒い潮のように絶え間なく押し寄せ、その骨と骨が擦れ合う乾いた音が幾重にも重なりながら、広大な神殿全体を不気味なざわめきで満たしていた。
その混戦の中心。
マユミのすぐ隣に立つ黒い影が、ゆっくりと一歩前へ踏み出した。
人の姿をしている。
アベルと同じ背丈。
アベルとよく似た輪郭。
けれど、その身体には肌も衣服も存在せず、全身が光を吸い込むような漆黒に染まっている。まるで誰かの影だけを切り取り、それに人の形を与えたような異様な姿だった。
そして、その手には短剣が握られていた。
それを見たアベルの目が細くなる。
「俺の影を、いつの間に……」
影は答えない。
ただ、ゆっくりと剣を構えた。
その構えを見た瞬間、アベルの表情が変わった。
肩の位置。
足の置き方。
重心の落とし方。
そして、次の一歩へ移るための僅かな身体の角度。
それは単なる模倣ではなかった。かつて自分自身が、何度も繰り返して身体へ刻み込んだ構えそのものだった。
影が消える。
「――!」
次の瞬間には、目の前まで迫っていた。
白銀の光を纏った刃が、アベルの首元を狙って横薙ぎに走る。
アベルは反射的に短聖剣を滑り込ませた。
ギィィンッ!
二つの刃が激突し、地下神殿の壁まで響き渡る甲高い音を奏でる。
腕に伝わった衝撃に、アベルの肩が僅かに沈んだ。
(……重い。)
ただ速いだけではない。
力の込め方まで、自分と同じだった。アベルは刃を受け流すと同時に身体を回転させ、影の懐へ入り込む。
短聖剣を斜め下から振り上げる。
影は紙一重で身体を反らした。白銀の刃が黒い胸元を掠め、僅かな黒い粒子が舞い上がる。
「くそっ……」
アベルは確信した。
だが、その瞬間、影が身体を捻る。同時に、アベルとまったく同じ軌道で反撃の斬撃が走った。
アベルは短聖剣で受け止める。
さらに一撃。
また一撃。
影は一切の無駄なく連続攻撃を繰り出してくる。その一つ一つが、アベル自身ならば最も効率がいいと判断する軌道だった。
右から来れば左へ流す。受ければ、その反動を利用して次の斬撃へ繋げる。相手が後退すれば、追撃ではなく逃げ道を塞ぐ。
まるで、自分自身の戦闘記録を、そのまま目の前で再生されているようだった。
「アベル様!」
奥にいたマユミから放たれた魔法の矢がアベルをかすめ、同時に影に身体強化のバフが届く。
「くっ……」
影はマユミに手をあげて感謝し、それをマユミはうっとりとした表情で見ている。バフを受けた影は、剣速を上げてアベルに迫る。
アベルは息を吐きながら、影の一撃を受け流したが、先ほどよりも余裕がない。
そして次の瞬間、影の身体から黄金色の魔力が噴き上がった。それを見たアベルの瞳が、大きく見開かれる。
「……まさか、勇者の力?」
間違いなかった。
かつて自分の身体を満たしていた、あの力。
今では以前ほど強く感じられなくなった力が、目の前の影からはまるで全盛期のような密度で溢れ出している。
アベルの胸に、冷たい違和感が走った。
(どうして……。)
マユミとの従魔契約の反動で勇者の力を失ったはずの力を目の前のシャドウが利用している。
半魔であるマユミと無理やり魂を繋ぐ契約のために限界以上の力を引き出し、その代償として勇者の力が弱まった。それが、ずっと自分の中での答えだった。
しかし、目の前にいる影は。かつての自分が持っていた力を、何の代償もなく使っている。
「……まさか。」
アベルの中で、一つの可能性が形になり始める。
その時だった。
「リシア!」
フェリの叫び声が響いた。その声にアベルが振り返る。その視線の先で、デュラハンの大剣がリシアの剣を弾き飛ばしていた。
「ぐっ……!」
リシアの身体が大きくよろめいたところへ、デュラハンが踏み込む。黒い大剣が、リシアの身体を真っ二つに断つ勢いで振り下ろされた。
「リシア!」
アベルは即座にシャドウから離れた。
白銀の光を足元へ集中させ、一瞬で距離を詰める。
リシアが咄嗟に腕を上げるが、間に合わない。
ギィィィンッ!
アベルの短聖剣が、デュラハンの大剣を正面から受け止めた。
「……間に合った。」
アベルの足元の石床が大きく砕ける。
凄まじい衝撃が両腕を貫き、身体全体が押し潰されるような重圧が襲ってくる。
それでもアベルは、一歩も退かなかった。
「大丈夫か、リシア!」
「……アベル殿」
リシアは息を整えながら立ち上がる。
「かたじけない」
デュラハンが大剣を押し込みながら、低く笑った。
「仲間を庇う余裕があるとはな。」
アベルは歯を食いしばる。
「やらせない。」
だが、背後から金色の斬撃が飛んできた。
アベルは反射的に身体を捻るが刃が肩を掠め、金色の魔力が爆ぜる。
「……っ!」
アベルの影は、既にアベルの背後まで追いついている。その姿を見たリシアが息を呑む。
「アベル殿……あれは?」
「俺の全盛期の……影だ」
アベルは影を睨みつけた。だが、デュラハンが目の前にいる以上、同時に相手をすることはできない。
「私たちも!」
フェリが駆け込んできた。その隣にはアンジェリカ。
二人ともすでに武器を構えている。
「フェリ!アンジェ!」
アベルは即座に判断した。
「影を頼む。時間を稼いでくれ!」
「任せて!」
フェリが弓を構える。
「こちらはお任せください。」
アンジェリカも剣を握り直した。
「助かる。」
アベルはリシアの肩を軽く叩いた。
「行くぞ!」
「……はい!」
リシアは一瞬だけアベルを見つめ、それからデュラハンに再び向き合った。
◇
フェリの魔弓術の矢が放たれ、風を纏った矢が大きな弧を描いて影へ迫る。影は身体を僅かに傾けて避けた。しかし、その逃げ道にはアンジェリカが回り込んでいた。
「そこです!」
剣が閃く。
影は腕で受け止めた。
黒い腕と剣が激突し、火花が散った。
「硬い……!」
アンジェリカが驚く。
影が反撃する。その金色の斬撃をアンジェリカは剣で受けるが、その衝撃で数歩後退した。そこへマユミの魔法の矢が追撃する。しかし、魔法の矢はアンジェリカに当たる前にフェリの放った矢が相殺した。
そしてフェリが次の矢を放つ。今度の矢は影そのものではなく、その足元へ向かう。矢が床へ突き刺さった瞬間、風が爆発的に巻き起こった。影の身体が僅かに浮く。その瞬間を狙い、アンジェリカが踏み込む。
「はぁっ!」
剣が黒い身体を斬り裂いた。だが、斬撃は浅く、影は空中で身体を捻り、そのまま着地した。
影は影を盗んだ時点までのアベルの知識しか持たず、その後のアベル自身の研鑽で得られた技術なども習得出来ていない。あくまで、あの時点でのコピーのようなものだ。だが、それでも勇者の力をフルに使えるアベルと考えれば十分に脅威だ。故に、影は金色の魔力を全身から放つ。
それを見てフェリとアンジェリカが同時に後退した。
「……強い。」
フェリが息を整える。
「これ、本当にアベルと同じ力なの?」
アンジェリカも影を見据える。
「少なくとも、先ほどの剣技は……アベル様のものに極めて近い。」
影は二人を見つめる。その視線に感情はない。
だが、次の瞬間、マユミが影の隣へ移動した。
「アベル様。」
黒い影を見上げる。
「一緒に、あの偽物たちを倒しましょう。」
影が僅かに身体を動かす。
それに合わせて、マユミも扇を開いた。
「はい。」
風が巻き起こり、影が金色の力で踏み込む。マユミがその進路を風魔法で補助していた。それは長い間、共に戦ってきた二人のような連携だった。
「来るよ!」
フェリが叫ぶ。
影が迫る。
その短剣をアンジェリカの剣が受け止める。
しかし、同時にマユミの風刃が横から襲い掛かった。
フェリは矢を放ちながら風刃を相殺して後退し、アンジェリカを援護する。
四人の攻防は一進一退を繰り返した。
影単体でも圧倒的な戦闘力を持つ。そこへマユミの補助が加わることで、さらに隙がなくなっていた。
だが、フェリとアンジェリカも互いの動きを理解し始めていた。
フェリが影の進路を矢で制限し、アンジェリカがその隙を狙う。
マユミが風で影を加速させれば、フェリが逆方向から風をぶつけ、進路を僅かに逸らす。
戦場の一角では、拮抗した戦いが続いていた。
◇
一方、アベルとリシアは、再びデュラハンと対峙していた。
振り下ろされた大剣をアベルが受ける。そこでリシアが横から斬り込むが、手甲でリシアの刃を弾く。
デュラハンは二人を同時に相手取りながら、一切の動揺を見せない。
「そんなものか?偽勇者!」
アベルとリシアの連携は上手く機能していたものの
それでもデュラハンは全く崩れない。アンデッドだからか、疲れも感じないようだ。だが、アベル達は違う。アベルの腕は徐々に痺れ、リシアの呼吸も荒くなっている。
◇
そのさらに後方。
セレスティアたちは、なおも増え続ける骸骨兵への対応に追われていた。
「右から来ます!」
エリスの声。
「任せて!」
ミリアがパワードスーツで骸骨兵を吹き飛ばす。クラリスが魔導銃で追撃し、ルナが広範囲魔法で群れを押し返す。しかし、倒れた骸骨兵は無事な骨が集まって再び立ち上がる。粉々になった骨も1箇所に集まって新たな骨を形成し始めて、骨の形に成ると再び骸骨兵の一部に利用されてしまう。従って。エリスが聖魔法で浄化することだけが、骸骨兵を無力化うる唯一無二の方法だった。
さらに別の場所から新たな骸骨兵が押し寄せてくる。セレスティアは結界を維持しながら、戦場全体を見渡した。周囲はどこを見ても敵。なんとか膠着状態には持ち込めているが、戦闘が長引けば不利になることは明らかだった。
前方ではアベルとリシアがデュラハンと死闘を繰り広げている。右手ではフェリとアンジェリカが、マユミと影の連携に食らいついている。
セレスティアは改めて周囲を見渡す。自分たちの周囲には、終わりの見えない骸骨兵の群れ。戦場全体が、少しずつ限界へ近づいていると感じいたところに、追い討ちをかける変化がもたらされた。突然、エリスの聖魔法の威力が落ちたのだ。
「《セイクリッド・サークル》」
聖なる方陣が数体の骸骨兵と砕けた骸骨兵の残骸を包み込む。これまでは、それで範囲内の骸骨兵と残骸を全て消滅できていた。しかし、今は残骸こそ消せるものの骸骨兵は少し苦しそうにするだけで消滅には至らない。
「一体、どうして……魔力切れでもないのに!」
その理由は直ぐに明らかになった。数多くの骸骨兵の集まる奥に1人の少女が現れたからだ。その姿はまるでエリスと瓜二つ。だが、衣装は聖衣ではなく邪悪な神に使える邪神官のような黒い露出の多い衣装でこちらの様子を伺っている。アベルの影を盗んだのとは別のシャドウがエリスの影を盗んだのだ。
そして、その黒エリスが呪文を唱える。
「《リバースド・エリア・ヒール》」
すると、浄化による消滅が間に合っていなかった壊れた骸骨兵達が直ぐに復活して立ち上がり、一番近くにいたクラリスに再び襲いかかった。
「きゃあぁっ!」
「クラリスさん!」
パワードスーツを着たミリアがクラリスを抱えてセレスティアの張っている結界まで下がった。
「助かりました」
「無事でよかったです」
黒エリスの存在に気づいたアベルが皆に警告する。
「皆、強い光を出す魔法は使うな!シャドウという魔物に影を奪われるぞ!」
エリスの聖魔法は光の属性を併せ持つため、使用する時には一際強い光が発生する。それにより生じた影をシャドウという魔物に奪われたのだ。そして、今まさに光を宿した剣尖を放とうとしていたリシアは直ぐに技をキャンセルする。
一方、エリスは黒エリスの姿を見て少なからずショックを受けていた。
「まさか……じゃあ、あれは私の影なんですか……なんて破廉恥な!」
それからは黒エリスが加わったことで、クラリス達が骸骨兵を倒す速度よりも、骸骨兵が増える速度の方が明らかに早くなってしまった。一方でエリスの回復魔法の効果が半減したことで、戦線の維持さえ難しくなる。
ルナはその光景を見ながら、無意識に魔王城地下へ流れる巨大な魔力を感じ取っていた。骸骨兵をいくら倒しても終わらないし、このままでは、こちらの魔力と体力が先に尽きる。彼女の頭の中に、ある魔法が浮かび始めていた。




