032話 死地を超えて
深層迷宮第五階層。
探索を開始してから三日目。「宵闇の月」は補給を挟みながら、慎重に未踏破区域の調査を続けていた。この日の目的は、新たに発見された通路の先にある空間の確認だけ。
深入りはしない。
危険を感じたら即座に引き返す。
それがガルドの決めた方針だった。
「今日は様子見だ。」
「欲張るなよ。」
その一言に、誰も異を唱えない。長く生き残ってきた者ほど、「引く勇気」の価値を知っているからだ。
⸻
新しい通路は、これまで以上に不気味だった。壁を覆う黒い鉱石は脈打つように明滅し、天井からは紫色の結晶が無数に垂れ下がっている。
「……嫌な空気だな。」
リックが小さく呟く。
トーヴも頷いた。
「魔力濃度が急に上がってる。」
アベルは目を閉じる。
魔力の流れを探る。
何かがおかしい。
濃い。
濃すぎる。
まるで、この先に巨大な魔力の渦があるようだった。
「ガルド。」
「どうした。」
「この先……魔物ではない…もっと大きな何かがいる。」
ガルドは一瞬だけ考える。
「引くか。」
その判断は早かった。
だが——
ゴゴゴゴゴ……
足元が揺れた。
「しまっ——!」
轟音とともに通路が崩落する。退路が土砂に埋まり、四人は広間へと押し出された。
「囲まれた!」
リックが叫ぶ。暗闇の中で、幾つもの赤い瞳が灯る。
一つ、二つではない。
二十を超える魔狼の群れ。
しかも、その中心には一回り大きな個体が静かに立っていた。
「群れの主か……!」
ガルドの表情が険しくなる。
「最悪だ。」
戦いは、一瞬で激化した。
リックが前へ出る。
トーヴの拘束魔法が二体を止める。
ガルドが主を押さえ込む。
だが数が多すぎた。
一体。
二体。
三体。
魔狼が次々と飛び掛かる。
「右!」
アベルが叫ぶ。
ガルドが半歩下がる。
その直後、見えなかった死角から魔狼が飛び出し、空を切った。
「助かった!」
ガルドが叫ぶ。だが今度はトーヴが包囲される。
「くっ!」
杖を構える暇がない。魔狼が牙を向ける。
アベルは迷わなかった。
一直線に飛び込み、剣を振る。
一体。
二体。
三体。
連続で斬り伏せる。
しかし。
「まずっ——!」
四体目。
死角から飛び出した魔狼の牙がアベルの肩へ迫る。
避けられない。
そう思った瞬間。
ガァン!
盾が割り込んだ。
「一人で抱え込むな!」
ガルドだった。その横からリックの斧が振り抜かれる。
「坊主!」
さらにトーヴの魔法が炸裂し、残る群れを吹き飛ばした。
連携。
誰か一人が無理をすれば、必ず誰かが支える。
それが「宵闇の月」だった。
⸻
十分後。
最後の魔狼が霧となって消える。
全員が荒い息をついていた。
鎧は傷だらけ。
盾には牙の跡。
トーヴの腕からは血が流れている。
「……生きてるな。」
ガルドが笑う。
「奇跡だ。」
リックが地面に座り込む。
トーヴも苦笑した。
「全員無事なら上出来だ。」
アベルは黙って回復薬を差し出した。
「使ってくれ。」
トーヴは受け取りながら笑う。
「ありがとな。」
「遠慮しなくなったじゃねえか。」
リックがからかう。
「最初は『了解した』しか言わなかったのにな。」
ガルドも笑う。
「少しは人間らしくなった。」
アベルは困ったように小さく首を傾げた。
「……そうだろうか。」
「そうだ。」
ガルドは力強く答える。
「最初は一人で全部背負おうとしてた。」
「でも今日は違った。」
「助けを受け入れた。」
「それだけで十分だ。」
アベルは静かに四人を見る。
学院では誰も、自分を助けようとはしなかった。
助ける必要がないと思われていた。
いや、助けることすら許されていなかった。
だがここでは違う。
危険なら助ける。
無理なら支える。
誰一人、それを特別なこととは思っていない。
「……ありがとう。」
その言葉に、一瞬だけ全員が目を丸くした。
そして…
「おう。」
「気にすんな。」
「仲間なんだからよ。」
ガルドが笑いながらアベルの肩を叩く。その力は痛いほど強かったが、不思議と嫌ではなかった。
深層迷宮という死地の中で。
アベルは初めて、自分が「誰かの仲間」であることを実感していた。




