閑話55話 エマのパワーレベリング*
王城内の訓練場。
朝早くから、そこには場違いな人物が立っていた。
体操服姿のエマである。
「……なぜ私はここにいるのでしょう?」
エマは困惑した顔で、目の前に積まれた大量の瀕死の魔物を見つめていた。
オーク。
ホブゴブリン。
名前は知らないが、やばそうな魔物。
さらには、明らかに一介の侍女が相手にするようなものではない魔物まで混ざっている。
「エマのレベルを上げるためだよ」
隣で平然と言ったのはアベルだった。
「……私の?」
「うん」
「なぜ?」
「これから魔王討伐に向けて別行動が多くなる。その間、エマにも自衛できる程度の力があったほうがいいと思って…。」
「それは大変ありがたい、お心遣いですが……」
エマは素材の山を見た。
「これは『自衛できる程度』というレベルに必要な量なのでしょうか?」
「最初は弱い魔物から始めるつもりだったんだけど」
「だったんだけど?」
「途中から効率を考えた」
「……」
エマは無言になった。アベルのこういうところは、最近かなり理解できるようになっていた。
本人に悪気はない。むしろ本人はいたって真面目に効率を追求している。ただし、その「効率」の基準が、普通の人間とは大きく違う。
「じゃあ、まずはこれのトドメをさしてみて」
アベルが指差した。
訓練場の中央にいる大きな魔物。
エマは目を見開いた。
「……オーガですか?」
「そうだけど?」
「最初がオーガですか?」
「一応、弱めの個体を選んだよ」
「一応という言葉の意味を、私はもう一度教わったほうがよさそうですね」
しかし、エマは侍女である。主人の前で無様な姿を見せるわけにはいかない。
「承知しました」
エマはアベルから渡された短聖剣を構えた。オーガが雄叫びを上げるが、アベルが頭を握って黙らせる。
次の瞬間――。
「えいっ!」
エマが思いっきり踏み込んだ。だが、オーガの皮膚は硬くなかなか刺さらない。アベルはエマに壁際に立ってもらい、短聖剣の柄の後ろを壁に当てて、柄をしっかり手に持ったまま刃を部屋の中央に向けるように指示した。そして短聖剣から絶対に手を離さないようにエマに告げる。
「それっ!」
アベルがオーガを抱えて短聖剣に向けて放り投げた。すると壁に固定されたままの短聖剣がオーガの心臓を突いた。エマは飛んでくたオーガに潰されるかと思ったが、流石にそんなことはなくアベルがしっかりと抑えていた。結果、弱っていたとはいえエマは一撃でオーガを倒した。
「……」
「……」
「……倒せましたね」
「うん。じゃあ、どんどん行こう。」
「お待ちください」
エマの顔から笑顔が消えた。
「今、何と?」
「いや、だから、どんどん行こう、と。」
「いえ、その前に」
エマはアベルの袖を掴んだ。
「私は侍女です」
「知ってるよ」
「本来なら、朝食の準備をしている時間です。なのに、なぜ私はオーガを倒しているのでしょう?」
「将来の安全のため?」
「疑問形なのが怖いのですが…。」
だが、その後も作業は続いた。
オークを倒し、
ホブゴブリンを倒し、
魔法を使う強そうな魔物を倒し、
最後には、かなり高レベルの魔物まで倒した。
そして――。
「レベルが、かなり上がりました……」
今も鳴り止まない脳内のファンファーレ。
普通の生活であれば年に1回あるかないかのレベルアップが、たった1日で確変大解放状態である。
遠い目をして何かを諦めたエマ。
最初こそアベルに手伝って貰ったものの、今ではサクサクと獲物にトドメを刺している。
「アベル様」
「なに?」
「私のレベル、おかしくありませんか?」
「どれくらい?」
「昨日まで一般的な侍女と大差なかったはずなのに、今日だけで騎士団の新人を軽く追い越している気がします。」
「すごいね」
「誰のせいでしょう?」
「……僕?」
「正解です」
エマは深々とため息をついた。
◇
翌日。
王城の廊下。
エマは以前と同じように侍女として仕事をしていた。アベル付きのセレスティア専属とはいえど、王城にいる間は他の侍女と同じ仕事もするのだ。
「エマ、これを運んでくれる?」
「はい」
彼女は軽々と荷物を持ち上げる。
近くにいた侍女が目を丸くした。
「……エマさん。それ、結構重くありません?」
「そうですか?」
「私、一人では持てませんよ?」
「……」
エマは自分の腕を見た。
特に変化はない。
だが、昨日から明らかに身体能力がおかしい。
試しに少し力を込める。
――ミシッ。
「……」
荷物を載せていた木箱が軋んだ。
「エマさん?」
「何でもありません」
エマはそっと力を抜いた。
その日の昼。
厨房で皿を運んでいたエマは、うっかり手を滑らせた。
「危ない!」
近くにいた侍女が叫ぶ。
だが、落下する寸前、エマの手が皿を掴んだ。
自分でも驚くほど速かった。
「……」
「エマさん、今の見えました?」
「見えていません」
「いや、見えてましたよね?」
「見えていません」
さらにその日の午後。
庭で洗濯物を干していたエマの頭上から、風に飛ばされた鉢植えが落ちてきた。
エマは振り向きもせずに手を伸ばした。
――パシッ。
片手で受け止める。
「……」
「……」
「……」
周囲の侍女たちが固まった。
エマも固まった。
「……これは」
エマは鉢植えを見つめる。
「便利ですね」
そう呟いた。
しかし、その日の夕方。
「エマ」
「はい」
アベルが屋敷へ戻ってきた。
「今日、何か変わったことはなかった?」
「ございません」
「本当に?」
「はい」
「訓練の効果とか」
「ございません」
「そう?」
「はい」
エマは完璧な侍女の笑顔を浮かべる。
「私は今まで通り、ただの侍女でございます」
「……そうかな?」
「そうです」
その直後、庭から大きな音が響いた。
ドンッ!
「何だ?」
アベルが窓を見る。
庭では、荷物を運んでいた騎士が転倒していた。
その横で、エマが巨大な荷車を一人で支えている。さっきまで、ここに居たはずなのに……。窓からあそこまで飛んだのか。
「エマ!?」
「大丈夫です!」
アベルも駆け寄ったが、エマは荷車を軽々と起こした。
「少し重かっただけです!」
「……」
アベルは頭を抱えた。
「やっぱりパワーレベリングって、日常生活に影響するんだな」
「アベル様」
エマが振り返る。
「一つお願いがあります」
「何?」
「今後、訓練を行う際には――」
エマはにっこりと微笑んだ。
「『侍女として必要な範囲』を、事前に相談してください」
「……はい」
こうして…
王国史上、おそらく最も戦闘力の高い侍女が誕生した。
本人の希望は、あくまで普通の侍女である。
エマの体操服は偶々無事に使えるものがこれだけだっただけで、アベルの趣味ではありません(多分)




