001話 ゲーム世界の主人公に転生
――目を覚ました瞬間、二つの記憶が重なった。
見慣れない天井。
柔らかな朝日。
そして、頭の奥を駆け巡る膨大な記憶。
「……ここは」
幼い声だった。
身体を起こそうとしても思うように動かない。
だが、それよりも衝撃だったのは、自分が誰なのかを思い出したことだった。
(俺は……)
前世ではごく普通の会社員だった。
休日になるとゲームばかりしていた。
中でも一番好きだった作品がある。
恋愛RPGと王道ファンタジーを融合させた名作。
『エターナル・ブレイブ』。
発売日に購入し、本編を何周も遊んだ。追加シナリオも、隠しダンジョンも、DLCも、設定資料集も。攻略サイトすら必要ないほどやり込んでいた。
その世界に、自分はいた。
(アベル……。)
主人公。
アベル・アルフォード。
魔王討伐の英雄。
七人の仲間と旅をし、最後は魔王と相討ちになって命を落とす青年。
(俺が……アベル。)
不思議と恐怖はなかった。
むしろ、どこか懐かしい気持ちだった。
あの世界が好きだった。
ヒロインたちも好きだった。
彼女たちを幸せにするためなら、何度でも最初から遊び直した。
(最後は死ぬけど……。)
ゲームでは、どのルートでも変わらない。
アベルだけは生き残れない。
ヒロインたちは未来を掴む。
世界は救われる。
そして主人公だけがいなくなる。
それが唯一の結末だった。
(……まあ、仕方ないか。)
不思議なくらい、受け入れられた。
ゲームでもそうだった。
アベルは最後まで笑っていた。
みんなが生きているなら、それでいい。
その姿が好きだった。
だから自分も、その運命を歩めばいい。
「アベル?」
優しい声がした。扉が開き、一人の女性が部屋へ入ってくる。二十代半ばほどだろうか。栗色の髪を後ろでまとめ、簡素なエプロンドレスを身に着けている。
どこにでもいそうな若い母親。
「おはよう。」
自然と笑みがこぼれた。
「母さん。」
彼女の名はマリア。王都の屋敷で住み込みで働くメイドだと聞いていた。父親はいない。物心ついた頃から母と二人で暮らしていた。
「今日はよく眠れた?」
「うん。」
「じゃあ朝ご飯にしましょう。」
何気ない朝。
何気ない食卓。
焼きたてのパン。
野菜のスープ。
少しだけ硬い干し肉。
決して裕福ではない。
それでも温かい食事だった。
前世では失っていたものが、ここにはあった。
だからアベルは満足だった。
◇◇◇
それから数年。
アベルは不思議な環境で育っていく。
「もう一度。」
庭先には木剣を構える老人がいた。
「踏み込みが浅い。」
「はい!」
アベルは何度も剣を振る。
老人は一切手を抜かない。
相手が子どもでも容赦なく叩き伏せる。
「剣は力ではない。間合いだ。視線だ。呼吸だ。」
ゲームで知っていたアベルの戦い方とよく似ていた。だから教わることは苦ではなかった。むしろ楽しかった。
「今日はここまで。」
「ありがとうございました!」
老人は珍しく微笑んだ。
「筋がいい。」
それだけ言って帰っていく。母に尋ねても、
「昔からお世話になっている先生なの。」
としか教えてくれない。
剣だけではない。
家庭教師が来て読み書きを教える。
礼儀作法を教える女性も来る。
歴史や政治を教える老人もいた。
平民の家とは思えない教育だった。
「母さん。」
「なあに?」
「うちはそんなにお金持ちだったっけ?」
マリアは困ったように笑う。
「色々な人に助けられているの。」
「だから、あなたもいつか誰かを助けられる人になってね。」
その言葉だけは、何度も聞かされた。
◇◇◇
十歳になった頃だった。
街へ買い物へ出かけた帰り道。突然、人々が道の端へ寄り始める。
「王太子殿下のお通りだ!」
兵士の声が響く。
豪奢な馬車がゆっくり進んでくる。
アベルも母に手を引かれ、道端へ下がった。
「すごいな……。」
窓が少しだけ開く。中には、自分と同じくらいの年頃の少年。
金色の髪。
端正な顔立ち。
堂々とした姿勢。
王家の血筋だと一目で分かる気品があった。
「王子様か。」
ゲームにも第二王子は登場していた。
王都に残り、内政を支える人物だったはずだ。
主人公とはほとんど接点がない。
(やっぱり本物は格好いいな。)
そんな感想しか浮かばなかった。
馬車はゆっくり通り過ぎていく。
少年と目が合うこともない。
遠い世界の人。
それだけだった。
その頃、馬車の中では、レオニスが窓の外を何気なく眺めていた。そして、一人の黒髪の少年が目に留まる。
どこにでもいそうな平民の少年。
だが、その姿を見た瞬間、胸の奥に理由の分からないざわめきが生まれた。
(……誰だ?)
そう思っただけだった。
その時のレオニスは、まだ知らない。
その少年こそが、本来この世界の主人公であることを。
そして自らの運命を大きく変える存在であることを。




