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第四話 忠心と懸想②

 ◆

 ある日の夕刻、湯浴(ゆあ)みをするというフロレンツィアのために、ロザリーは一階の釜戸(かまど)から三階のフロレンツィアの部屋まで湯を運んでいた。

 部屋に備え付けられたバスタブに湯を張るためには何往復かしなければならない。さすがのロザリーもこの重労働に根をあげそうになりながら何度も階段を往復していると、


「あ、貴女フロレンツィア様の従者の方よね?」


 ロザリーと同年代の使用人が二人並んで歩いていて、ロザリーに声をかけてきた。


「湯浴みの準備? なら私たちも手伝いましょうか?」

「一人でやるより何人かでやった方が早いわよ」

「あ……、ありがとうございます」


 あと三往復は覚悟しなければと思っていたところで思わぬ助っ人にロザリーは歓喜した。

 湯浴みの準備を終え、フロレンツィアが湯船に浸かるのを確認すると、


「では私は部屋の外で待機しておりますので、何かあれば呼んでください」

「うん、ありがと。ロザリーは入らないの?」

「私は今仕事中ですので」

「えー、こっちで入っちゃいなさいよ。何なら一緒に入る?」

「冗談言わないでください」


 ちょっと不機嫌になったフロレンツィアを後にしてロザリーは廊下に出た。外には用意を手伝ってくれた二人が待っていた。


「ありがとうございます。助かりました」


 ジェシカとノンナと名乗った二人の使用人にロザリーは深々と頭を下げる。


「いいわよ。元々お客様のお世話は私たちの仕事だし」

「そうよ。貴女だって本来客人でしょ?」

「いえ……でもさすがにじっとしているわけには……」


 ロザリーが苦笑すると、二人も同意して笑った。


「まあそうよね。これも使用人の(さが)ってやつかしらね」

「ご主人様が側にいるとどうしてもゆっくりなんて出来ないわよね」


 本当の事を言うと、フロレンツィアはロザリーに対しそんなに命令をしてくるわけではない。


(むしろ風呂に一緒に入れとか言ってくるもんな……)


 それはそれで主人としてどうなのか、と苦笑いしていると、不意に二人の表情が真剣なものに変わってロザリーはどきりとした。


「ねぇ、それよりロザリーさん。せっかくの機会だし聞きたい事があったのだけれど」


 目の色を変えたジェシカがロザリーに詰め寄ってきたのでロザリーは気圧(けお)される。

 一体なんだろうと首を(かし)げると、


「フロレンツィア様は旦那様の事どのように思ってるの?」

「え?」


 一瞬何を言われているのわからなくて、ロザリーは間抜(まぬ)けな顔で聞き返した。


「もうっ、お二人の仲はどうなのかって聞いてるのよ!」

「そうよ、フロレンツィア様がこのお屋敷に滞在するようになってから一週間経ったでしょ? 何か進展はあったのかしらって」


 期待を含んだ瞳を向ける二人に対しロザリーはぽかんと呆けた顔をして、それからようやく質問の意図を理解した。

 彼女たちにとってルートヴィッヒは主人だ。主人の縁談が上手くいっているのかどうか、気になるのは当然だろう。

 あれから何度か二人を引き合わせようと努力はしていたが、仲が進展したかと言われるとそうでもない気がする。

 とはいえ正直に言うのも気が引けるのでロザリーは曖昧(あいまい)に言葉を濁した。


「フロレンツィア様はルートヴィッヒ様の事をお(した)いしているようですよ」

「きゃあ! ほんとに!」


 まるで自分事の様にはしゃぐ二人にそこまで気になるものかと疑問を抱く。


「だってあの(・・)旦那様の縁談相手だもの」


 含みのある言い方にロザリーは今までのルートヴィッヒの数々の所業を思い出す。


「ああ、確かに……女癖悪そうな方ですからね」

「……? 何言ってるの?」


 今度は二人の方が呆けた顔をしたのでロザリーは話の嚙み合わなさに戸惑った。ノンナがちょっぴり心外そうな顔をして、


「旦那様がそんな事するわけないじゃない。むしろ(うわ)ついた話が一つもなくて私たち使用人も困惑していたのよ」

「え……?」


 ロザリーは思わず間抜けな声を出し眉間(みけん)にしわを寄せた。


「旦那様って誰にでもお優しいじゃない? 領民にも慕われてるし」

「……はぁ」

「私たち使用人にも本当に良くしてくれる方でね」

「しょっちゅう商人に譲ってもらった装飾品や舶来のお菓子なんかも(ほどこ)していただくし」

「……へぇ」


 誰にでも分け(へだ)てなく優しい主人。確かに、ここに来てからの領民とのやり取りを見るにそれは間違いないのだろう。


(じゃあ、私といる時のあの態度は何なんだろう?)


 相変わらずロザリーの前ではガサツだし意地が悪い。そういう姿を他の人の前でも見せた事はないのだろうか。


「私たちの中にもあの方をそういう意味でお慕いする子も結構いるのよ。勿論身分は(わきま)えてるけど。でも旦那様って本当に(なび)かないのよね」

「噂で王都に想う相手がいるんじゃないかって話していた子もいたけど」

「王都?」

「ほら、あの方ここに来る前は王都にいたらしいから」


 そういえば行きの馬車でそんな事を話していたな、と思い出す。


(他に想い人がいる、のか)


 あくまでも使用人たちが勝手に言っている噂話なのに、ロザリーは何故かずんと身体が重くなり、そわそわして落ち着かない気持ちになる。

 ふと気になって、ロザリーは二人にルートヴィッヒの事を尋ねてみた。


「あの人ってどうしてここの辺境伯になったんですか?」

「どうしてって、そりゃあベルクオーレン家の嫡子だからじゃない? ――ああ、でもブラムヘンってそれ以前は独立した所領じゃなかったのよね」

「独立した所領じゃない?」


 ロザリーが首を傾げると、二人は顔を見合わせて頷いた。


「元々ここの領地って空位というか、近隣の他のベルクオーレン家の領主が(まと)めて統治してたところだったの。でも三年前に――突然ブラムヘンの街が独立した所領になって、ベルクオーレン家の身内の人間が辺境伯としてこの屋敷に来られるからって使用人の募集がかかったのよ」

「そうそう、確か三年前に私たちまとめて雇われたの。この町の出身者もいれば、元々ベルクオーレン家の別の御屋敷で働いていた人もいるわ」


 いわゆる所領分け、というものなのだと説明され、ロザリーは考え込む。元々この屋敷にブラムヘン領の辺境伯はおらず、三年前ルートヴィッヒがこの領地を任される事になった。貴族の所領地の問題はロザリーにもよくわからないけれど、こういう事はよくある事なのだろうか。


「ここって隣国の国境近くだから防衛の目的もあるって町のお年寄りから聞いたことあるけど」

「まあ、(くわ)しい事は上の問題だし私たちが考えても仕方ないわよ」

「そうね、少なくとも旦那様は今やこの町にはなくてはならない存在だし」

「フロレンツィア様との結婚が決まればますますこの屋敷も(にぎ)やかになるわ。美男美女の夫婦だもの」


 期待に胸を(ふく)らませる二人に対し、ロザリーはどことなく疎外感(そがいかん)を覚えていた。


(私はフロレンツィア様の影武者。彼女が安全に、幸せになる未来を守る事――)


 そう頭では理解しつつも、どこか釈然(しゃくぜん)としないのはなぜだろう。


「ねえ、ロザリーさん貴女も協力してね」


 手を握られて期待の視線を送られる。なんて答えるべきか考えているうちに部屋からロザリーを呼ぶ声がして、ロザリーは慌てて主の元に向かった。


 ◆

「フロレンツィア嬢、良ければ明日裏手の湖に鵜飼猟(うかいりょう)に行かないか?」


 もうすっかりお馴染みとなったフロレンツィアとルートヴィッヒの晩餐(ばんさん)。ロザリーは主人の(かたわ)らで給仕の手伝いをしているのだが、その日珍しくルートヴィッヒがフロレンツィアに誘いをかけた。


「鵜飼猟?」

「湖に(あゆ)などの川魚を放って鵜に()らせるんだ。まあ狩猟の一種だな」

「まあ! 私も出来るのですか?」

「湖の管理人がいるから、その者が教えてくれるよ。この辺の子供はよくそれで遊んでいるし、遠慮(えんりょ)することはない」


 フロレンツィアは是非(ぜひ)にと首を縦に振った。ルートヴィッヒがフロレンツィアにアプローチをかけるなんて珍しい。少しは婚約者としての自覚を持ち始めたという事だろうか。


(でもいい事だな)


 二人の仲が進展するのはロザリーとしても嬉しい事だ。なんて自分は蚊帳の外でフロレンツィアのグラスに水を注いでいたら、


「ロザリーも来るだろう?」

「えっ……」

「フロレンツィア嬢の護衛なんだから」


 突然話しかけられて思わず水差しを取り落としそうになった。含みのある言い方にロザリーは奥歯を噛む。そしてロザリーが答える前にフロレンツィアが口を開いた。


「当然彼女も連れていきますわ。私の従者ですもの」


 ロザリーに選択肢は与えられていない。勿論フロレンツィアが出かけるのなら同行する気でいたが、なんだかこの男に上手く乗せられた気がした(しゃく)(さわ)る。


「では明日、楽しみにしています」


 ルートヴィッヒは何食わぬ顔で部屋を後にする。ふいに夕刻のジェシカとノンナの話を思い出して、ロザリーは複雑な気持ちになった。


(誰にでも優しい、部下想いの主人か……)


『誰にも(なび)かないのよ』『王都に想い人がいるのかもって――』


 二人の会話がぐるぐると脳裏を駆け巡る。


『ロザリーさんも協力してね』


 ああいやだ、どうしてロザリーがあんな奴の事で頭を一杯にしなければならないのか、と、


「ロザリー?」


 名前を呼ばれてロザリーはハッとした。すぐ側にフロレンツィアがいるというのに、すっかり気を散らしていた事に動揺する。


「ああ、申し訳ありません。お部屋に戻って明日の衣装を決めましょうか」

「……」

「……どうかされましたか? お嬢様」


 フロレンツィアは黙ったままじっとこちらを見つめている。その物言いたげな視線は、最近ふとフロレンツィアが寄越(よこ)すもので、どこかロザリーの動揺を誘うものだ。


「お嬢様?」


 やはりどこか具合でも悪いのかと思いロザリーが顔を近づけると、フロレンツィアは急に狼狽(ろうばい)して目を反らす。


「何でもないわ。部屋に戻りましょう」

「……ええ」


 釈然としないロザリーだったが、素直に主の後についていく。


「貴女の衣装も選んであげるわ」

「何度も言いますが、私はこの格好で十分です」

「なんでよー、ロザリーのドレス姿私も見たいのに」


 フロレンツィアはどうしてもロザリーを着せ替え人形にしたいらしい。少々面倒ではあるが、こうして駄々(だだ)をこねるフロレンツィアの姿を見ると、ロザリーは逆に安堵(あんど)する。


「私は貴女の護衛なんです。いざという時に動きにくい恰好では任務に支障が出ますから」

「ええー……つまんないの」

我儘(わがまま)言わないでください」


 そう言ってロザリーはフロレンツィアに笑顔を見せた。


「私は貴女が着飾って笑っているのを見る方が何倍も嬉しいです」


 女の子らしい衣装に憧れが無いわけではないが、やはり自分には(しょう)に合わない。それよりもフロレンツィアがおしゃれをして伸び伸びと過ごしているのを見る方がよっぽど楽しい。

 するとフロレンツィアは真ん丸な瞳を一層大きく見開いて、


「……わかったわよ」


 彼女は消え入りそうな声で呟いた。

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