~勇者×聖女=勇者×聖女~
「帰ってきたー!」
いつもの部屋の中、やったー、とそんな嬉しくもなさそうな無表情+棒読みぐあいでハルがバンザイをする。
「おかえり、僕の聖女♡」
「ただいま、勇者サマ。」
ハルは僕に視線を向け、棒読み状態のままそう言った。
「づがれだー……」
ぽふんとベッドに横になる。あんまりにも愛おしいので近寄って、いつものように優しく頭をなでた。
「うんうん、頑張ったね。」
ハルは今日、電車に乗って遠くの本屋へと買い物に行ってきたのだ。
以前はどんな乗り物に乗っても酔っていたハルだが、異世界から帰ってきてからそれが劇的に改善されたのだ。最近は自転車(ただし電動)にも乗り始めた。
異世界から帰ってきて、ひと月ほどが経っていた。
といっても、向こうはいろいろなことが変わったが、こちらの生活自体はほぼ何も変わっていない。
強いていうのなら、乗り物酔いが改善されたことと――
――ハルが、自らを聖女だと認識したことだろうか。
僕にとっては大きな成果だ。
ベッドでごろごろしながらスマホで最近始めた放置ゲームをプレイし始めたハルに視線を向け、目を細める。
やはり、毎日聖女だと呼びかけるだけでは、だめだったのだろう。
僕が勇者だと主張するだけでは、だめだったのだ。
ハルは気づいているだろうか、異世界から帰ってきても、聖女のスキルが使えるということに。
この世界でも、見ようと思えば他人のステータスが見れることに。
年齢が25才のまま、歳を取らなくなっているということに。
あの様子では、まず、気づいてはいない。
もしかしたらあと5年くらいは気付かないかもしれない。
ハルのことだから10年くらい気付かない可能性もそこまで低くはない。
気づけばきっと、鍵の開いた記憶の扉はすぐに開くはずで。
記憶の扉が開けば、僕たちのことも思い出すだろう。
そうすれば、なぜ自分が聖女として召喚されたのか、なぜ勇者の加護がついているのかも全て、理解するはずだ。
全てが詳らかになったあと、“ハル”は怒るだろうか、悲しむだろうか。
でもハルを異世界へと送り出したときの僕は、諦められなかったんだ。
“聖女”を。
僕が勇者になったのは、もうだいぶ前のことだった。
そこで僕は、異世界から召喚されたのだという聖女と出会った。
もちろん聖女と初めて交わした言葉などはまったく記憶にないが、すでにフェルストスというあの忌々しい国の王子と結婚していたことだけは覚えている。
敵対は、していなかった。
邪神という、共通の敵がいたからだ。
邪神とは、世界の神々の中でも創造神に次ぐ力を持つ神の一柱である。
創造神がまずは世界を創り、その世界に住まう生命を作る前に正の神を作った。それから様々な神が生まれたのち生命が世界に溢れ、最後の最後にこの世界の負の力を一手に引き受ける存在として、邪神が創られた。
正の神はまず光の神を創り、それから自らの力を割きながら生命の神、輪廻の神など聖に属する神を多く生んだが、邪神は何も生むことはなく、ずっと一柱のままだった。ただ、その漏れ出した負の力と生命の神の間に愛の神が誕生しただけだ。
とはいえ邪神は世界を滅ぼそうなどとはしていなかった。邪神は、世界が滅びないため、力の均衡を保つために、負の力を管理する存在として創られたのだから。
しかし、その世界に生まれた者たちが、騙し合い、殺し合い、奪い合う負の感情を集めているあいだに、ただ管理するだけだった邪神は負の力に汚染されていった。その結果が、魔王であった。
魔王を倒しても、邪神から漏れ出す邪悪な力によってすぐに次の魔王が創られる。それはそれで邪神の力を削ぐことはできるが、斃した次の瞬間には世界のどこかで魔王が創られるのでは、世界への被害は大きくなるばかりだ。
神々は話し合い、そして、邪神を封印することにした。
邪神は強い。しかし、この世界で創られた存在であり、理もこの世界に縛られていた。
この世界の理から外れている勇者の魂と聖女の存在は、邪神への切り札になった。
そうして勇者と聖女は手を取り合い、邪神を封印することに成功したのだった。
ハッピーエンドのラノベならばそこで勇者と聖女は結ばれるのだろうが……勇者と聖女は結ばれることはなかった。
なぜならば聖女はすでに召喚した国の王子と結婚していたし、国をあげて世界に広くそれを知らしめられていたから。
聖女は、「ごめんなさい。」と言った。
勇者は、静かに首を振った。
聖女には、神の加護はあるが、それだけだ。
聖女は国に帰り、国母となった。
しかし勇者には神からの報酬があった。
それも、邪神を封印するという難易度SS級の報酬が。
勇者は願った。
生まれ変わっても、記憶と、力を引き継ぐことを。
そうして勇者は別の世界で一度勇者ではない人生を挟んで再びこの世界の勇者になり、さらに違う世界での人生を挟んでこの世界で勇者になった。この世界の勇者の魂は、ひとつだけになったのだ。
その間にも聖女は相変わらず召喚され、勇者と共闘することもあれば敵対することもあった。
しかし聖女の魂は“彼女”ではなかった。
もともと勇者だって、同じ魂がなるわけではないのだから、当たり前だ。
しかし神は言った。
勇者と聖女の魂は特別で、聖女として選ばれている魂はそれほど多くなく、一度聖女になれば再び聖女に選ばれることが多い、と。
何度目かの勇者への転生で、僕はとうとう聖女の魂を聖女の中に見た。
しかし聖女は勇者と敵対しており、すでに国母となったあとだった。
聖女は一目見るなり勇者のことを思い出し、泣いた。
どうすることもできなかったと泣いた。
彼女には、神の加護しか、なかったからだ。
彼女が亡くなる直前、僕はその魂に勇者の加護を被せた。
僕は考えた。
この世界に転移したあとでは、だめなのだ。
それよりももっと前に、“彼女”を見つけなければ。
勇者は魔王を倒し、神の望むままに魔族の国を再興した。
そして、神に報酬を願った。
僕は僕になった。
片陸 煌。
それが、向こうの世界で僕が生まれると同時にこちらの世界で生まれた、僕の片割れの名前だった。
勇者としての記憶も力もそのままだが、こちらの世界の記憶もきちんとあった。
勇者のスキルは多岐に渡るが、もちろん堂々とスキルを使ったりはしない。
この世界にないスキルを使うと、わずかだが法則が乱れるのだ。
ただ、この世界に記憶と力を引き継いだぶん、こちらの世界の神からの仕事は当然受けた。スキルも使うことを許可された。
僕はこちらの世界でも、正しく、勇者であった。
そうして僕は、すぐに僕の聖女を見つけた。
聖女の魂を覆う加護は、僕がつけたものだ。
神をも驚かせる、僕の全力の加護。
加護は普通、身体に授けられるものだ。
でも僕は魂を覆うようにつけた。生まれ変わっても、すぐに分かるように。
春渡。ハルちゃん。僕の愛しい、聖女。
10年前に出会ったハルは、何ひとつ覚えていなかった。
僕と聖女の話に似たようなラノベをたびたび読ませてみたものの、決まって返ってくるのは「アキはラノベ好きだよねえ。」だ。
聖女と呼ぼうが勇者だと言おうが、「ラノベ脳に侵されすぎじゃない?」と一蹴された。
僕は焦っていた。
僕の加護は強く、ハルは聖女の力にすでに目覚めているはずだ。
記憶のないまま聖女として召喚されてしまえば最後、ハルは向こうの世界でクズどもの餌食だ。
8年前、ハルが召喚されかけた。
僕たちはまだ学生だった。でも、毎朝家まで迎えに行くなど常に一緒にいたおかげで防ぐことが出来た。
4年前、再びハルが召喚されかけた。
聖女を召喚するような国はクズだと言い含めていたがまだ不安だったし、新婚気分真っ只中だったので丁寧に力づくでお断りした。
そしてひと月前、満を持してハルは召喚された。
こちらの世界の僕の表向きの仕事は、勇者ではない。普通に会社に出勤するし、休みは隔週2日だ。四六時中ハルを守ることはできないのだ。
それに、僕だけの力では記憶の扉の鍵が開かないのだとしたら、一度聖女としてあっちの世界にかけてみるものいい。焦らされ続けている僕は、そう思った。
普通、異世界に召喚されたら、混乱して不安定になる。
力のある聖女とて、予測していなければそれは同じだ。
ハルなんてきっと頭が真っ白になってしまうだろう。
しかしハルには僕の加護がついている。
ハルが知らない土地で必要以上に怯えることのないように。
混乱の極みに陥って、うっかり優しく接してくるだろう王子に絆されないように。
負の方向へと感情が高ぶったときにしっかり感情を制御できるように。
自分の丈夫な感情に違和感を覚えないよう、たくさん言い含めた。
ラノベでの異世界転生や、異世界転移のあれこれ。もし召喚されたらどうすれば良いか。
ステータスオープンも含め、あっちの世界の基本構造などもフィクションにそれとなく混ぜて説明していた。いつ、召喚されても良いように。
そしてそれ以上に、聖女を召喚する奴はクズだとこの数年言い続けていたのだ。
ハルは上辺だけのやつらなどに騙されはしないだろう。
きっとハルは、すぐに自分のスキルを見て、自分が聖女だと自覚し、僕が勇者だと思い出して僕を召喚してくれるはずだ。
僕はハルが召喚されたことに気づいて、会社で仕事をしながらじっとそのときを待った。
待って、待って、夜になった。
不安が押し寄せる。
次の日の朝になっても、ハルは僕を召喚しない。
ハルがステータスを見ていないはずはないし……なのになぜ?
こちら側の世界に生まれた僕は、自分からあっちの世界に行くことはできない。
今、僕についているのはこっちの世界の神の加護で、神は異世界に干渉することはできない。
僕は彼女を再び失う恐ろしい妄想に囚われながら、聖女の記憶はもうどうでもいいからずっと一緒にいれば良かったと後悔していた。
しかし、蓋を開けてしまえばなんてことはない、ハルが勇者のことを思い出していなかっただけだった。
僕はあまりの強固な記憶の扉にうんざりした気分になった。
以前の聖女であれば僕の顔をひと目でも見ればすぐに思い出してくれていたというのに、ハルの鈍感さにはむしろ感心するほどである。
しかし、僕は気づいたのだ。
たしかに聖女だったことを思い出してはほしい。どれだけ僕と聖女が想い合い、どれだけ必死に力を合わせて邪神を封印したのか、知ってほしい。
けれど、だからといって僕は聖女が僕の記憶を取り戻さなくとも、ハルが好きなのだ。愛している。
だから、聖女の記憶を思い出したときに、“ハル”ではなく“聖女”を愛しているのだと思われることが少し怖くもあった。
異世界で聖女として扱われているはずのハルだが、召喚された瞬間見えたのはいつものハルであった。
週に3回は着ているお気に入りのワンピースに、いつものサンダル。僕が現れて、あからさまに困惑したような表情を浮かべている。あまつさえ、「え?勇者も出たの?どこ?」発言である。
あまりにも、あんまりだ。僕は思い出にこだわることをやめた。
――元の世界で苦悩していた僕とは違い、僕を召喚する前のハルは神でさえ考えつかないようなことをしていた。そしてやらかしていた。
聖女の血をデバフだと言い切るのは、聖女しかできないことだろう。
王族が持っていた癒やしの力も浄化の力も解毒の力もスキルとしてはひどく弱く気休め程度で、それらは王族の証以外の価値がなかった。だから聖女の血を消すこと自体は良かったのだが、ハルが力を使った範囲も力加減も何もかもがだめだった。
ハルは僕の加護で振り切れたMPを使い切った。
ハルの聖なる力は世界の隅々まで広がり、悪しきものを浄化しきった。20年くらいは聖の力で覆われた世界に流行り病や飢饉は起こらないだろう。そしてその底上げされたINTはそれでもとどまらず、封印されていた邪神の力をごっそりと削り取った。あと500年は封印しなければならなかった邪神を即自由にしてもいいほどに。
それは、普段はただじっとしているだけで何もしないはずの創造神が重々しく口を開いて、僕に神託を下すほどだった。
「世界は、初期化された。」
知るか、と言いたいが、たしかにハルはやりすぎた。ベリュアズに問い合わせて調べさせてみれば、人・亜人・善人・悪人など全く区別せずにただ世界全てを浄化したのだという。勇者の加護だけではできない所業だ。ハルの聖女の力はどうやら僕にも計りきれていなかったらしかった。
そうして聖女の力をこれでもかと使ったハルだったが、記憶は戻らなかった。
家に帰ってきたあと、ハルは熱を出した。
いろいろなことがありすぎて、疲れたのだろう。
それからも、僕は相変わらずハルを聖女と呼んでいる。
ハルも、僕のことを勇者と呼ぶようになった。
しかし、記憶が戻っているような様子はない。
ベッドサイドに座り、スマホの画面を見ながら寝てしまったらしいハルの頬をそっと撫でる。
「思い出さなくて、いいよ。僕の愛しいハル……。」
ぽつりと言葉を落とすが、寝付きがよくなかなか起きないハルには届かない。
届かなくていい。
愛するハルの、ハルも知らない2人の甘い秘密を、僕だけのものにするのもいい。
僕はそっとハルのおでこにキスを落として、薄い毛布をその体にかけた。
これにて完結です。
ありがとうございました。




