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第六〇話 『大賢者と大捜査』

 魔法学園(シューレ)の一角にある屋敷。


 そこは副学長サミュエル・ヴュストが彼の客人を滞在させるために建てた私的な邸宅である。


 普段は滅多にヒトが出入りしないその屋敷の玄関に、二頭立ての立派な馬車が荒々しく横付けされたのは、メアリム一行が狼人(ハウド)の盗賊を殲滅させた三日後の事であった。


 苛立たしげな足取りで屋敷に入った恰幅のよい男性……サミュエルは、居間の扉を乱暴に開け、ソファにくつろぐ青年に怒鳴った。


「とんでもないことになったぞっ!」


「……何をそのように慌てておいでですか」


銀狼団(いぬども)がしくじった。折角の段取りが台無しだっ! くそっ!」


 対面のソファに身を投げるように腰を下ろし、頭を抱えるサミュエルに、青年は冷やかな目線を送る。


 鋭い切れ長の黒瞳と、整った綺麗な顔立ち。肩まで伸びた艶やかな髪。


 青年は名をゾストと名乗っていた。


「……何故です? 彼等はそれなりに腕のたつ戦士。人間の傭兵風情に遅れは取らない筈だ」


大賢者(メアリム)だ。彼奴(きゃつ)め、よりによって襲撃現場(・・・・)の近くに居やがった! 全く余計なことをしてくれる」


「ああ……あの人が」


 サミュエルの恨み言に、ゾストは『成程……ベアト(ねえ)なら仕方無い』と小声で独り言ちた。


「それで、その知らせが来たのはいつです?」


「ついさっきだ……早馬で知らせてきた。明後日には馬車が引き返してくる」


 ゾストはサミュエルの答えに舌打ちをする。


「ならなぜ今()のところに来たんですか。積み荷が魔法学園(シューレ)に入ってからでも対応ができたものを……わざわざあの人を招き入れるなんて。馬鹿ですか?」


「なっ! 貴様……」


 ゾストの、呆れたような、何処か小馬鹿にしたような物言いに、サミュエルはカッとなって若い商人を怒鳴ろうと声をあげた。


 が、それは部屋の外から聞こえる騒ぎに止められる。


「何事か! 騒々しい!」


 だが、サミュエルの声に姿を見せたのは、同伴した執事ではなく灰色のローブを纏った老人であった。


「騒々しくて悪かったの……しかし、来客用に別宅とは、随分儲かっておるようで羨ましいわい」


「メアリ……いや、イスターリ宮中伯様……っ?! 何故このような場所に……」


 中腰の姿勢のまま、苛立ちから驚愕、更に焦燥と忙しく表情を変えるサミュエルに、老人……メアリム・イスターリはニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。





 ――二日前





「やはり銀狼団だったか」


「はい。駆け付けた騎士団が死体を改めたところ、ほぼ全員が狼神教の『信仰告白』を身に付けていたと。間違いないと思われます」


「……『狼神(ヴァナルガンド)の他に神はなく、銀狼は狼神の使徒なり』のう」


 マルクスの報告に、御者台に座るメアリムは二頭の馬に鞭を入れ呟くように言った。


 狼人(ハウド)の賊を文字通り殲滅したメアリム達は、最寄りの町に駐留している騎士団に事件を通報するため比較的怪我の軽い傭兵を走らせた。


 報酬のない任務は渋るかと思ったが、返り血に濡れたベアトリクスが微笑みを浮かべて頼むと皆泣くほど喜んで協力を申し出たのだ。


 ……まあ、五十人の屈強な狼人(ハウド)を、微笑みを浮かべたまま半刻(約三十分)で皆殺しにする様を見せ付けられては、ああもなるだろう。


 兎に角、駆け付けた騎士団が現場を検分し、被害者の事情聴取やら賊の身元確認やら諸々を済ませるのにほぼ一日掛かってしまった。


 メアリムはその遅れを取り戻すために馬車を飛ばしているのである。


「しかし、あのアブラハムという傭兵、上手くやるでしょうか?」


「さあな! そら! 次の宿場まであともう一息じゃ。頑張れ、頑張れ! 『癒しは満たされるサナーティオ・プレーヌム』!」


 かなりの速度で走る馬車から振り落とされぬようにしがみつくマルクス。メアリムは馬達を励ますように声を上げると馬に治癒魔法を施した。


 馬は人間よりも体が大きい。当然、治癒にかかる魔力も相応のものが要求される。しかもそれを二頭同時に施すなど魔法使いの常識からすればかなり無謀な事だが、大賢者ともなれば問題ないのか。


 本気を出した大賢者に疲労回復を強制された馬達は、抗議の嘶きをあげながら街道を駆ける。


 疲れることを許さない強行軍……ある意味拷問だとマルクスは名も知らぬ馬達に同情した。





「大賢者様、予定通りです。サミュエルの奴、襲撃の事を報告したら真っ青な顔して引っ込んでいきましたぜ」


 魔法学園(シューレ)に戻ってきたメアリムは学園市街のある酒場で傭兵アブラハムと合流していた。


 彼はあの乱戦の中で殆ど傷を負っていなかったため、魔法学園(シューレ)に襲撃の事実とその撃退を伝える早馬を任されていたのだ。


 彼には、積み荷を積んだ馬車が戻るのは遅くとも二日後と伝えるよう言ってある。


 狙いが当たればサミュエルはその対応を相談するために、ゾストと接触を謀る筈だ。


「『引っ付き虫』は?」


「万事抜かりなく」


 笑顔で頷くアブラハムに、メアリムは満足げに頷いた。引っ付き虫とは、オナモミの実のように鉤爪状の棘で覆われた魔具で、特定の波長の魔力を放つ所謂ビーコンである。


 サミュエルに事件の報告をした際、アブラハムは彼の服にこの魔具を仕込んでいた。


「うむ。御苦労じゃったな。疲れたろう? 報酬は後で支払うよって、それまで休んでおれ」


「いえ、お付き合いしますよ。こいつは偽の依頼で捨てゴマにされかけた俺の個人的なケジメで」


 そう言いつつ、アブラハムは腰のサーベルの柄を拳で軽く叩く。


 メアリムは苦笑いを浮かべて肩を竦めた。


「……荒事になっても追加の報酬は出らんぞ?」





 メアリムとアブラハムが、サミュエルに仕込んだ『くっつき虫』の反応を追って魔法学園(シューレ)市街地を郊外に向かっている頃。


 マルクスは魔法学園(シューレ)の書庫に積まれた資料に目を通していた。


 魔具は、その機密性から輸送には様々な手続きを要する。


 事前に輸送経路や人員の計画書を提出し、終われば輸送報告書を作成し提出する。


 先日賊に襲われた部隊のように外部の傭兵を使う時はそれも事前に報告しなければならない。


 今回の『炎人(ムスペル)の小瓶』輸送任務についても輸送計画書が魔法省に提出されている筈。


 そして、文書は同じ内容で正副二部作成する事が義務付けられている。マルクスが探しているのはその副本であった。


「――ふむ、これは」


 目当ての書類を見付けたマルクスは、凄まじい早さで書類をめくりながら、やがて目を細める。


「確かに、書類だけ見れば完璧、ですが」


 マルクスは文書を閉じるともとの場所に戻しながら素早く周囲を見渡した。幸いなことに、こちらを見ている目線はない。


 と、彼の背後に萌黄色のローブを纏った人物が音もなく近づいてきた。体つきやフードから除く顎のラインから見て女性のようだ。


「監視は大丈夫ですか?」


「全て問題ありませんよ……疑って?」


「――まさか。貴女に関しては何も」


「では」


 マルクスはローブの女性と小声で言葉を交わすと、手にした書類を何気無い仕草で女性に手渡す。


 女性は素早くローブの袖に書類を隠し、マルクスから離れた。


 その後ろ姿を横目で見送りながら、マルクスは小さくため息をつく。


魔法学園(シューレ)の監視魔法に浸入、機密文書の窃盗……全く、何をやっているのやら」


 ――しかし、腐敗した魔法界の膿を吐き出すためには多少際どいこともやらねばならない……何より自分達の未来のために。


 マルクスはそう自分に言い聞かせると、ローブの女性――ベアトリクスに背を向け、足早に書庫を後にした。





「メアリ……いや、イスターリ宮中伯様……っ?! 何故このような場所に……」


 中腰の姿勢のまま、苛立ちから驚愕、更に焦燥と忙しく表情を変えるサミュエル。


 メアリムは顎髭をゆっくり撫でると立ち上がろうとするサミュエルを制して座らせ、応接間に素早く目を走らせた。


 部屋に居たのはサミュエル一人だけ(・・・・)だ。部屋に乗り込む直前まで感じていたもう一人の気配はいつの間にか消えている。


 逃げ出したような気配はない。この部屋の何処かにいる筈だ。


「なにか?」


「いやなに、帝都に戻る途中、魔法学園(シューレ)の輸送隊が賊に襲われておるのを助けてな」


「存じております。先程早馬で知らせが来たところ……五十を越える狼人(ハウド)を全て討伐されたとか。流石は大賢者様と……」


「御為ごかしはよい」


 媚びるような笑顔を作るサミュエルをメアリムは強い口調で制する。


「サミュエル、その事でお主に問い質したい事があってな……故に急ぎ引き返してきたのじゃ」


「それならばわざわざこのような場所にお出で下さらずとも……」


「まあ聞け。輸送隊のうち、襲われたのは先頭の馬車だが、この馬車は事前に提出された経路を外れておった。一方、後続の隊は正規の経路を予定通り進み、被害を免れている」


 メアリムの言葉にサミュエルは一瞬瞳をさ迷わせ沈痛な面持ちで肩を落とした。


「先導の隊が道を間違えたのでしょう。あってはならない失態です」


「……じゃがな、警護に当たった兵士の話では、賊の襲撃は明らかに待ち伏せによるものだったそうじゃ。しかも、襲撃の直後に先導の騎馬隊が逃亡しておる。儂は、襲撃された隊は賊の待ち伏せする場所に誘導された……そう睨んでおるのじゃが?」


「まさか……しかし、それが事実なら大問題です。魔法学園(シューレ)内に、銀狼団(・・・)と通じている者が居るということ。急ぎ調査しなければなりませぬ」


「――待て。話は終わっておらぬ」


 慌てた様子で席を立とうとするサミュエルをメアリムは再び押し留めた。まだ決定的な証言を取っていない。


 メアリムは表情を厳しくすると、サミュエルの目を覗き込むようにして問うた。


「賊の被害に遭った隊だが、馬車の御者から警護の兵まで全て外部の傭兵であった……魔具は機密性が高い品故、原則学園の職員や生徒が扱うこととなっておる。外部の者が関わるときには魔法省に報告が義務付けられている筈だが……報告は済んでおるのか?」


「傭兵を? それは……なにぶん急な要請でしたし、学期末ということもあって長期に拘束できる人員の確保が難しく、やむなく傭兵を雇ったのでしょう。担当の職員に問い質します」


 サミュエルは初めて聞いたような物言いをする。だが、その声は僅かに震え、目線が泳いでいた。


 確かに今回の要請は少し急ではあったが、報告書を作る暇がないほどではなかった筈だ。しかも、例外的に人を雇う事を副学長の判断抜きに勝手にやるとは考えにくい。


 言い訳としては苦しいものだ。メアリムは顎髭を撫でて顔を顰めた。


「人数が確保できなかった……か。しかし、魔法省の要請した数は後続の二台が輸送している分で足りておった。その馬車の御者や護衛は全員魔法学園(シューレ)の職員。わざわざ人を雇う事は無かった筈だが」


「それは……ですから、私は知らぬ事で」


 メアリムの追求に言葉を詰まらせたサミュエルは、表情を強張らせ、額に汗が滲む。


 その時、居間の扉がノックされ、男が一人入ってきた。眼鏡を掛けた青年――マルクスだ。


「メアリム様」


 マルクスはメアリムに近付くと何事か耳打ちする。メアリムは片眉を上げて頷くと、マルクスと入れ替わるように扉の前に下がった。


「サミュエル様、魔法学園(シューレ)の輸送計画書を確認したのですが、今回賊の被害に遭った隊は計画書に存在していない(・・・・・・・)。一体どう言うことか、説明願いますか」


 マルクスが取り出した書類に、サミュエルは一瞬驚愕に目を剥き、慌てて目を逸らした。


 「そのような事を言われても書類を作ったのも、輸送隊を編成したのも私ではない。部下の手違いであろう」


 全部部下が勝手にやった事で自分は知らない――あくまでしらを切るサミュエルに、マルクスの表情に苛立ちが滲む。


 「……では、保護された馬車の積み荷に、リストにはない『帝都龍脈図写本』が紛れていたのも貴方の部下の手違いですか? あれは魔法学園(シューレ)学園長の許可がなければ持ち出しができないモノの筈ですが……」


「――っ?! 知らんっ! 私は報告されていることしか知らん! 全部部下がやったことだ。大体、魔法学園(シューレ)の機密文書が何故ここにある? 誰の許可を取って貴殿はそれを持ち出したのだ!」


 マルクスの口から『帝都龍脈図写本』の名を聞いた途端、サミュエルが今までに無いほど動揺し、席を蹴って怒鳴った。


 仮に報告書の虚偽記載や盗賊との内通が全て部下の仕業だったとしても、学園長が直接管理する『帝都龍脈図写本』まで持ち出されたとあれば、サミュエルの責任問題だ。


 主犯でも、共犯でも、何も関与していなくても自身の地位に関わる罪を負う――この瞬間、彼は詰んでしまったのだ。


 メアリムは顎髭を撫で、冷めた目をサミュエルに向ける。


「それにしても、『問うに落ちず語るに落ちる』とはこの事よな、サミュエル。そなたは先程、賊が五十を越える狼人(ハウド)――銀狼団だと言ったが、早馬は単に『賊に襲われた』と伝えただけで、賊の正体や人数は言っとらん……のう? アブラハム」


「ええ……俺は副学長様に狼人(ハウド)の賊なんて話は一言もしてません。その話、一体何処から聞いたんです?」


「ぬっ……ぐぅ……」


 入り口の扉に身を隠し、様子を伺っていたアブラハムがサーベルの柄に手をかけてゆらりと姿を現す。


 その姿を目にしたサミュエルは、己が嵌められた事を覚り、愕然としてソファーに沈みこんだ。


「サミュエル・ヴュスト。貴方を魔具の横領、盗賊行為の幇助等の罪で確保します……ご同道下さい」


 マルクスが力なく項垂れるサミュエルの腕を取って立ち上がらせようとした――そのとき。


「――『氷刃よ(グラキエース)』」


 冷たい『ことば』が居間に響く。


 刹那、無数の氷の刃が虚空に現れ、空気を引き裂いてメアリム達に襲い掛かった。


「ちっ! 『盾よ(スクートゥム)』っ!!」


 メアリムは咄嗟に腕を振るって『ことば』を紡ぎ、氷の刃は光の壁に阻まれて砕け散る。


「あの不意討ちを防ぐとは、流石ですね……先生」


 低く笑いながら姿を現した襲撃者に、メアリムは厳しい目線を向けた。


「ようやく顔を出したか。ゾスト――いや、来栖」


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