第五十九話 『大賢者と闇取引』
魔法学園は、父なる山霊峰ムルホランの裾野に広がる学園都市である。
帝都シュテルハイムより標高の高いこの地は、既に晩秋を思わせる涼しさだ。いや、むしろ寒いかもしれない。
「やはりムルホランの姿は心安らぐのぅ」
メアリムは草原に敷いた絨毯に座り、髭を撫でて深呼吸をした。
魔法学園前学園長ランドルフの葬儀も終わり、時間をもて余したメアリムは学園を離れてムルホランの裾野に広がる高原を散策しているのだ。
物見遊山である。
「旦那様、紅茶が入りました」
「うむ……出来れば仕事なぞ放り出してのんびりしたいものじゃ」
メアリムはベアトリクスが差し出したティーカップを手に取り、なみなみと注がれた琥珀色の紅茶の香りを楽しみながらしみじみと言う。
「残念ですが、そうはいきません……例の密売について資料をお持ちしました」
「マルクス……お主、少しは空気を読まんか」
どこか冷めた感のある事務的な声に、すっかりくつろぎモードだったメアリムは眉を顰めた。
だが、声の主……魔法省の制服である空色のローブをきっちりと着込んだマルクスは上司の文句を無視して眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。
「では、静かにしますね?」
ベアトリクスはそう言って笑うと、小さく『ことば』を紡いだ。
すると草原に三人を囲むような円陣が描かれ、静寂が満ちる。円陣の内と外の音を遮断したのだ。
マルクスは遮断魔法の発動を確認するともう一度眼鏡を押し上げて報告を続ける。
「ご指示通り、昨年の夏に破棄された『黒の炎』の運搬に携わった者に聞き取り調査を実施しました」
「……うむ。それで?」
メアリムに先を促され、マルクスは淡々とした口調で続けた。
「昨年の夏に、勅命により解体された『黒の炎』五発は全て魔法学園より運び出されたものです」
「そうであったな。しかし、そのようなことは今さら確認するまでもあるまい」
マルクスの報告に、メアリムは軽く肩を竦める。
『黒の炎』とは、簡単に言えば火のマナを暴発直前まで圧縮させたものである。
高濃度のマナに晒された外殻は時間と共に劣化し、事故の危険が増すため、保存年限を迎えた『黒の炎』は専用の施設で無害化、解体する必要があった。
ただ、魔具を管轄するのは魔法省の仕事である。改めて報告するまでもない。
すると、マルクスは『それを踏まえてこちらをご覧ください』と報告書の束をメアリムに差し出した。
メアリムはマルクスが手渡した書類に目を通して小さく唸る。
魔法学園を出発した『黒の炎』は馬車二台で運ばれた。一号車には三発、二号車には二発積んでいたという。
一行は事前に報告していた輸送路を進んでいたが、途中の森林地帯で季節外れの濃霧に巻き込まれて立ち往生してしまった。
その場所は季節によって霧がよく出る場所らしいが、それでも方向感覚をも失うような濃霧は初めてだったと輸送に当たった者は証言している。
「一号車を担当した御者、警護の兵士など複数の者達を別々に聴取しましたが、ほぼ全員が霧に遭遇した事を証言しました……余程印象に残ったのでしょう。よく覚えていましたよ」
「しかし、道中のトラブルで到着が遅れたという報告は受けとらん」
メアリムはベアトリクスから二杯目の紅茶を受け取り、マルクスの報告書を指で弾いた。
解体作業の報告書はメアリムも確認している。トラブルがあれば記憶にあるだろうが、そんな記憶はない。
「霧は一刻(約一時間)程で消え、行程に大きな影響は無かったようです……しかし、報告書にこの霧の記載はありませんでした。行程に影響が無かったから記載しなかったのか、それともほかに理由があるのかわかりませんが」
「ふむ……霧で立ち往生している間、異常はなかったのか」
「皆、馬車の周辺に固まって霧が晴れるのを待っていたそうですが、特に異常はなかったと」
メアリムはマルクスの報告書に再び目を落とし、ふとあることに気付いた。
「……二号車の関係者に聴取はしなかったのか」
マルクスがとった証言はみな一号車の関係者のものだ。では、二号車はどうだったのか。彼の事だから調べていない事は無いだろうが。
メアリムの問いに、マルクスは眼鏡をずり上げると頭を振って少し表情を厳しくした。
「二号車を担当したのは、警備の者を含め人手不足を理由に臨時で雇われた者達でした。一号車担当の者も知らぬ顔だったそうです。しかも、彼らの事も報告書にはなく、魔法学園にも記録がありませんでした」
「二号車の関係者はゾスト商会の息がかかっておる……か。あり得るな」
「恐らく。そして輸送中の霧に乗じて『黒の炎』を偽物にすり替えた……あくまで私見ですが、状況的に十分説得力のある話です」
頷くマルクスに、メアリムは大きく溜め息をついた。
「荷物の出所はハッキリしているし、輸送ルートも計画通りで行程に遅れはない。受け入れ側としては何も疑う理由はないな。何かの切っ掛けで双方の記録を調査しない限り発覚することはない……か」
そうやって密売された『黒の炎』が『血の獅子月』の悲劇を引き起こしたのだ。
そして、問題の二号車には『黒の炎』が二発積まれていた。最悪、全てすり替えられていれば、行方の知れない『黒の炎』が後一発あることになる。
「……しかし、季節外れの霧か。方向感覚を失うほどの」
突然霧が広範囲に立ち込め、包まれた者は方向感覚を失う。似たような話を最近聞いた事がある。
マルクスもメアリムと同じ結論に至ったのか、静かな口調で言った。
「恐らくは霧の魔法……魔法学園の魔法使いに共犯者が居ると思われます」
だが、メアリムは別の人物を思い描いていた。
かつての弟子……今は無法の徒に堕ちた異世界人の青年。
「とは言っても、今までの事は全て前学園長の告発と作業員の証言を元にした推測に過ぎません……やはり決定的な証拠を握らねば、サミュエルを捕らえることはできないでしょう」
「なに、問題ない……連中は魔法省が発注した銀狼団討伐軍の物資、『炎人の小瓶』を取引に使うつもりじゃ……近々動くであろうよ」
メアリムはそう言うと、凄い悪戯を思い付いた悪ガキのような笑顔を浮かべた。
……
……
……
……
街道が森に差し掛かった所でアブラハムは不安げに周囲を見渡した。
「仕事仲間から聞いたんだが……魔法学園の馬車がこの森でよく盗賊に襲われてるらしいぞ」
「はっ! なに怖がってやがる? その為の俺達なんだろうが。襲ってきたら返り討ちにしてやるよ」
前を行くエルマーが肩越しにアブラハムを振り向き、軽口を叩く。
アブラハムとエルマーは魔法学園が帝都に送る魔具の護衛として臨時に雇った傭兵だ。
しかし……と、アブラハムは銃を構え直して周囲を警戒しながら思う。
魔具という機密の塊を、契約を結んだ傭兵とはいえ外部の人間に任せるというのはどういうことか。魔法学園に人が居ないのか?
しかも、仕事の中身の割りに報酬が破格だ。片道七日、馬車の後をついて歩くだけで半年は食い繋げる程の額なのだ……勿論魔具を狙う盗賊の噂もあるからその分割高になっているのだろうが。
「しかし、他の隊は何処行ったんだろうな? ルートは間違ってないんだろ」
「さあな……後ろがもたついてるだけじゃねぇか」
エルマーはそう言って軽く肩を竦め、話はそれまでとアブラハムに背を向けた。
後ろがもたついている……? なら、先導する騎馬隊が進行速度を調整する筈だが、彼等は後ろを無視して黙々と進んでいる。
妙な――
と、アブラハムの視界の隅を何かが過った。慌てて目で追うが、森の木々に紛れて見失ってしまう。
「おい、何か……」
居るぞ、と声をあげようとしたその時、突然隊列が止まった。
「賊だっ!」
「犬どもだ! 狼人がでた!」
誰か叫ぶ。 その声に応えるように、街道を囲む森の中から槍やサーベルで武装した狼人が飛び出してきた。
五十人は居るだろうか。馬車はあっという間に狼人の群れに包囲されてしまう。
いつの間にこんな近くまで……いや、待ち伏せされていたのか。
「ちっ! 先導の奴等、逃げやがった!」
エルマーが忌々しげに吐き捨てた。見ると、アブラハム達をここまで先導してきた騎馬隊の姿がない。
これは……まさか。
「逃がさず皆殺しにしろっ! 我等の姿を見たものは尽く殺せっ!」
「をおおおっ!!」
狼人の咆哮。
「ふざけるな! 犬どもがっ!」
エルマーは唾を飛ばして叫ぶと鉾槍を振るって襲い来る狼人に飛び込んでいく。
「ちっ!」
アブラハムも銃を素早く構え引き金を引いた。腹に響く轟音と、視界を埋める白煙。その向こうで狼人が頭から血を吹きながら倒れる。
だが、二発目を撃つには距離が近すぎる。アブラハムは舌打ちをすると銃を投げ捨て、サーベルを抜いた。
既にあちこちで戦いが始まっている。
こちらは二十人、賊は少なく見積もってもこちらの倍。しかも、相手は強靭な狼人だ。
状況は絶望的。しかし、アブラハムもまだ死ぬわけにはいかない。
突き出される槍をサーベルで切り払い、横合いから斬り付ける狼人のサーベルを掻い潜って擦れ違い様に斬り捨てる。
「があぁっ!!」
悲鳴に振り向くと、エルマーが脇腹に槍を喰らって苦悶の表情を浮かべていた。
「この……犬野郎がっ!」
叫んだ刹那、狼人のサーベルが彼の首を刎ねる。
そして、この場にいる人間はアブラハム一人となった。周囲を囲む狼人の双眸が一斉にアブラハムを貫く。
――ええい! 儘よっ!
アブラハムが叫びを上げて狼人の群れに斬り込もうとした、その時。
馬車の反対側で爆音と共に火柱が吹き上り、数人の狼人が火だるまになりながら吹き飛ばされた。
……何が起こった?
突然の事に人間も狼人も戦いの手を止める。
「まてぇぃ!!」
一瞬の静寂に響いた大喝。その場の皆が自然と声の方を振り向いた。
その先に居たのは灰色のローブを身に纏い、節くれだった杖を手にした老人。
「血塗られた富に集り、醜い欲望を満たさんとする蛆虫どもよっ! その行いを恥と知れっ! ……人、それを『外道』という」
老人は白く豊かな顎髭を風に靡かせながら、芝居がかった口調で口上を言う。
彼の後ろには萌黄色のワンピースにフリルのついたエプロン姿のエルフと眼鏡をかけた真面目そうな男が付き従っている。
奇妙な連中だ……何なんだ?
「なっ……何者だ貴様!」
アブラハムに刃を向けていた狼人が苛立ち混じりに誰何の声を上げる。
老人はニヤリと口許を歪めると手にした杖を振るって叫んだ。
「お主らに名乗る名はない! ……闇あるところ光あり、悪あるところ正義ありっ! ベアト、マルクス、殺ってしまいなさい!」
「……かしこまりました」
「はあ……恨まないでくださいよ」
エルフはニッコリと微笑んで二本の細剣を抜き放ち、眼鏡の男は大弓に矢をつがえて溜め息をつく。
……そして、蹂躙が始まった。




