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第五十八話 『大賢者と魔法学園』




 ……時は、カズマが騎士団の夜警任務にあたっていた頃まで遡る。




「報告いたします。旦那様」


「……うむ?」


 夕食の給仕をするベアトリクスの言葉に、メアリムはパンを千切る手を止めた。


 魔法学園(シューレ)近郊のとある小さな町。


 彼はその町の町長の屋敷を一部屋宿代わりに借りて滞在していた。


「何か掴めたか」


「はい。国内の各商人、職人組合(ツンフト)を調べましたが、『ゾスト』なる商人は登録されておりませんでした」


 ……『ゾスト商会』。


 二年前から魔法学園(シューレ)に入り込み、副学長サミュエル・ヴュストと頻繁に接触している商人の名前だ。


 しかし、帝国内の商人組合(ツンフト)にその名が無いという。


組合(ツンフト)に所属しなければ、商人は表立って商いができぬ。となると、『ゾスト商会』は無届けの闇商人か、もしくはそもそも存在しない(・・・・・)か……予想していたこととは言え、厄介なことじゃ」


 メアリムは顎髭を撫でて唸ると、千切ったパンをスープに浸して口に放った。


 魔法省大臣メアリムが自ら魔法学園(シューレ)の調査に乗り出したのは、学園長ランドルフ・メルテンスの告発があったからである。


 魔法学院(シューレ)が製造、保管している魔具のうち、兵器や兵器に転用可能なものが密売されている……先の事件で使われた『(スルト)の炎』は、この密売で学院から流出したものである疑いがある、というものだ。


 魔法学園(シューレ)は魔法使いの素質を持った若者たちがその理論や実技を学ぶ教育機関であり、魔法学の研究者達が魔法の理論や技術の研究開発を行う研究機関でもある。


 そして、その研究の一環として魔具の製造を行っており、その中には『(スルト)の炎』のような兵器も存在していた。


 学園はこの『魔法使いの育成、及び魔法技術の研究』と『魔具、魔法兵器の製造開発』によって帝国国内における高度な自治を保証されており、その見返りとして帝国に魔法技術及び魔具、魔法兵器を提供している。


 帝国は魔具、魔法兵器の流通を厳しく管理しており、特にこの世界に現存する兵器としては別次元の威力を持つ『(スルト)の炎』は皇帝の命令、則ち勅命でなければ場所を移す事もできない程厳重に管理されていた。


 ランドルフが言うには、ゾスト商会なる商人が帝国が禁じた魔具の密売を行っており、副学長サミュエル・ヴュストがそれに深く関与しているという。


 告発が……特に『(スルト)の炎』の密売が事実であれば、学園の存続を揺るがす重大な背信である。


「ゾスト商会が闇組織なら尻尾を掴むのは容易ではないか……かといって、自治権を持つ学園の副学長を何の証拠もなしに締め上げるわけにもいかぬ。ランドルフめ、下手を打ちおって」


 メアリムは憮然として吐き捨てると葡萄酒(ワイン)をあおって溜め息をついた。


 予定では、学園近郊のこの町で告発者である学園長ランドルフと接触し、密売の証拠など情報提供を受ける予定であった。


 だが、メアリムが帝都を発った直後、ランドルフが急死したのだ。


 病死との事だが、タイミングが良すぎる。学園長の告発が副学長側に知られた為、口を封じられたのではないか。


 しかし、それも状況に過ぎない。証拠が不足している。


「如何なさいますか?」


「予定通り、明日魔法学園(シューレ)に入るさ。かつての部下の葬式くらい顔を出さねば。ついでに副学長とやらの面を拝んでやろう。言葉を交わせばわかることもある」


 知らせによれば、ランドルフの葬儀が三日後に行われるという。葬儀前だが、魔法界の要人が突然死んだのだ。行っておかしい事はない。


 それに、突然押し掛けて動揺させてやれば、上手く行けば何かボロをだすかもしれない。


 メアリムは豊かな顎髭を撫でながら、悪戯を思い付いた子供のような悪い笑みを浮かべた。


 ……


 ……


 ……


 ……


「宮中伯様がわざわざおいでくださるとは……亡き学園長も喜んでおりましょう」


「あやつとは魔法省時代からの付き合いじゃ。葬式くらい顔を出さねば天国で何を言われるかわからぬ」


 広大な敷地を持つ魔法学園の、ほぼ中央に位置する巨大な塔。『象牙の塔』の愛称で知られるその塔を数人の男達が歩いていた。


 病を得て急死した学園長ランドルフ・メルテンスの葬儀に出席するために来園したメアリム・イスターリの一行と、魔法学園(シューレ)副学長サミュエル・ヴュストである。


「メアリム様、長旅でお疲れでございましょう。お部屋を準備しておりますゆえ、ゆっくりお休みくださいませ。お望みのものが在りましたら何なりと」


 サミュエルは樽のような体を窮屈そうに折り曲げ、メアリムに(へつら)うように笑いかける。


 そのあからさまな態度にメアリムは一瞬眉を顰め、だがすぐに笑顔を張り付けて鷹揚に頷いた。


「そうだな……では、学園長(ランドルフ)の執務室を見てみたい。あやつの仕事ぶりは聞いているが、実際に目にしたことがなくてな」


「学園長執務室でございますか……あそこは現在遺品整理(・・・・)の途中でございまして」


 メアリムの答えに、サミュエルが一瞬焦りの表情を見せる。メアリムはそれを見逃さず、今度ははっきりと顔を顰めた。


「ほう? 随分急ぐではないか。何か見せたくないものでもあるのかな?」


「ご冗談を。承知いたしました。すぐにご案内いたします」


 動揺で目を泳がせるサミュエル。彼の頭では、いま様々な計算が駆け巡っているのだろう。


「うむ。宜しく頼む」


 まるでそこに何かあると言わんばかりの態度に、メアリムは満足げに頷いた。


 と、そこに彼等の後ろに控えていた若者がメアリムの傍らに立って言う。


「宮中伯様、私は準備がありますので先に宿舎に戻ります」


「わかった。先に戻って休んでおれ」


「……御意」


 男の名はマルクスという。メアリムの部下で、魔法省で彼の右腕と言われる男だ。


 脚のすらりとした颯爽たる長身。涼しげな目元に眼鏡を掛けた知的な印象のある彼は、省の女性職員だけでなく、宮廷の貴婦人方にも人気が高い。


「少しお待ちを。おい、お前! マルクス殿を宿舎まで案内して差し上げろ」


 無駄の無い動きで踵を返すマルクスをサミュエルは慌てて引き留め、部下に案内を命じた。


 宿舎には一度案内されているから、改めて案内する必要はないが、サミュエルは魔法省の人間を一人で行動させたくないらしい。


「さあ、参りましょう。こちらでございます」


 マルクスに部下を張り付けたサミュエルは、再び諂うように笑うと、廊下をそそくさと歩き始めた。


 ……


 ……


 ……


 ……


 『遺品を整理している』、と言う割りに、学園長執務室は殆ど手付かずの状態に見えた。


「全く、奴の性格が滲み出るような部屋じゃ……一緒に仕事をしておった頃を思い出すわ」


 綺麗に整理された本棚にきちんと整頓された事務机。几帳面な性格が顕れるような執務室を見渡して苦笑いするメアリムに、サミュエルが言う。


「ランドルフ前学園長は学園の長としても、研究者としても素晴らしい方でした」


「ランドルフは真面目が過ぎる男でな。特に道理に合わぬことは正さねば気が済まぬ性格(タチ)じゃった」


「左様で……」


 おどけた調子で語るメアリムに、サミュエルはどこか落ち着かない様子で相槌を打つ。


 その様子はメアリムを警戒していると言うより、彼が何に気を留めるか気にしているように見える。


 あの様子では、彼等もまだ何も手にしていないらしい。


 メアリムは小さく肩を竦め、執務室をゆっくりと見渡しながら口を開く。


「……実はな、儂は奴に呼ばれていたのじゃ。だから帝都を出てすぐ死んだと聞かされ時は驚いたよ」


 メアリムの言葉に、サミュエルは落ち着いた様子を装いながらその瞳に緊張の色を滲ませた。


「……それは、どのような用件で?」


「詳しくは知らぬ。何か悩みを抱えておる様だったが……何か知らぬか?」


 メアリムは真っ直ぐ目を見据えて問い返す。が、サミュエルは老人の探るような目線を避けるように俯くと小さく頭を振った。


「いえ……前学園長はあまりご自分の事を語らぬ方でしたから」


「そうか……サミュエル卿」


「は……?」


 メアリムは、うって変わって穏やかな微笑みを浮かべてサミュエルの肩を力強く握る。


「これからの魔法学園(シューレ)は卿の肩にかかっておる。期待しておるぞ?」


「勿体ないお言葉……このサミュエル、宮中伯様の期待に応えるよう、全力を尽くします」


 サミュエルは戸惑いながらも緊張した強い表情でメアリムの激励に答えた。


 ……


 ……


 ……


 ……


「お帰りなさいませ。如何でしたか? サミュエル様は」


「どうも儂は招かれざる客のようだな。諂っているように見えて疎んじておるのが見え見えじゃ」


 学園内にある貴賓室。


 学園長執務室の視察から戻ったメアリムは、出迎えたベアトリクスに肩を竦めた。


「そうですか……確かに、このお部屋の有り様では歓迎されてはいないようですわね」


 掃除の途中だったのか、箒を持ったベアトリクスはそう言ってもう一方の手に持った袋をメアリムに見せた。


「何じゃ?」


「お帰りになる前にお部屋の掃除(・・)をしていましたら、()蜘蛛(・・)が所々に……全く、管理がなっていませんわ」


「鼠に蜘蛛か……成程な」


 頬に手を当て、困った表情で袋を見るベアトリクスに、メアリムは苦笑いを浮かべた。


 二つとも監視魔法の媒体で、鼠は追跡監視、蜘蛛は定点監視に使われる。それが袋一杯仕掛けれていたのだ。


「既に全て無力化しております。処分いたしますか?」


「……いや、当たり障りのない情報を刷り込んで元に戻しておけ。仕掛けた奴を逆探知するのを忘れるな」


「かしこまりました」


 ベアトリクスはメアリムの指示に優雅な跪礼(カーテシー)で答え、袋を手に貴賓室の奥へと消えた。


「さて……何か出るかな」


 ベアトリクスの背中を見送ったメアリムは、懐から耳栓の様なものを取り出して耳に嵌めると、豪華な装飾が施されたソファーに座り目を閉じる。


 僅かなノイズのあと、耳栓から何者かが会話する声が聞こえてきた。





『……しかし、貴様のお陰で何とか乗り切ったよ。貴様がいち早く宮中伯の動きを伝えてくれなかったら、うまく対応できなかった』


『いえいえ……私共はただ宮中伯の動きをお伝えしただけでございます。上手く対応できたのはサミュエル様のお力でごさまいますよ』


 会話する人物のうち、一人はサミュエルであろうが、相手の男は初めて聞く。


 声の質感からして若い男だろう。わざとらしいくらい慇懃な口調にメアリムは眉を顰めた。


『しかし、メアリム・イスターリ……宮中伯だ大賢者だと威張っていても、所詮は役人。おだてて見せれば調子に乗る小物よ』


『左様でございますな……』


 自分を揶揄する会話に、メアリムは心の中で舌打ちをした。それにしても……サミュエルの相手は何者なのか。


 メアリムの魔法学園(シューレ)訪問はほぼ抜き打ちであった筈だが、貴賓室に監視魔法が仕掛けられていた。


 この短時間によくやるものだと思ったが、事前に情報が流れていたか。


 それはつまり、自分達が『彼等』に監視されていたことを意味する……メアリムとしては揶揄されたことよりそちらの方が腹立たしかった。


『しかしゾストよ。ランドルフ・メルテンスの始末、急ぎすぎたのではないか? 宮中伯は小物だが馬鹿ではない……あれはなにか感づいておるぞ』


『いえ。手を下すのに急ぎすぎることはありませぬ。もし学園長が宮中伯と組めばそちらの方が面倒なことになっていました』


『うむ……そうであるな』


 やはりサミュエルの相手はゾストという商人のようだ。


 そして、ランドルフはサミュエルに暗殺された。そしてそれをやらせたのもゾストということか。


 しかし……とメアリムは思う。このゾストという男、ただ者ではない。


 密売の証拠を握るランドルフと捜査する権限のあるメアリムが接触してしまったらサミュエルに打つ手は無い。だから、告発者を速やかに殺して証拠を消す。死人に口は無いのだ。


 自分がサミュエルの立場でも間違いなくそうする。


 ――これは、一筋縄ではいかないか。


 メアリムは眉間に皺を寄せて唸った。


『それよりも、サミュエル様。本題に入りましょう。今回の注文(・・)はこちらにございます』


 ゾストが声を落として書類か何かを鞄から取り出す音がする。それを受け取ったらしいサミュエルは低く唸った。


『……メアリムがまだ学園に居るのだ。取引を再開するのは不味くないか』


『近々出陣する朝敵討伐軍本隊の支援物資として魔法学園シューレに魔具の提供要請があると聞いています……ご安心を。取引の安全は我等ゾスト商会が保証します』


『そうか。ならばよい……しかし、『炎人(ムスペル)の小瓶』はよいが、この『帝都龍脈図写本』は魔法学院(シューレ)の至宝。持ち出すのは簡単ではないぞ?』


 サミュエルが戸惑いぎみに口にした言葉に、メアリムは耳を疑った。


 帝都龍脈図は、その名の通り帝国周辺を走るマナの流れ、『龍脈』と龍脈が交わり作られるマナの溜まり場、『龍穴』を描いた絵図であり、写本とは魔法学院(シューレ)の魔法使い達によって最新の状態に更新された物である。


 命の源といわれるマナの流れを記した龍脈図はこの国の生命線である。それを素性の分からない商人に売り渡そうと言うのだ。


『何をおっしゃいます。貴方様は今や、この魔法学院(シューレ)の主ではないですか。魔法学院(シューレ)の物は貴方の物。それに、原本を欲しているわけではありません。勿論、相応の金額をお支払いたしますよ』


『そうだったな……うむ。わかった。準備しておこう』


 商人におだてられてその気になったサミュエル。少しおだてらたくらいで国家機密を簡単に売り渡す男の浅はかさに、メアリムは怒りを通り越して悲しくなった。


『では、お受け取りください』


 そう言って、商人は鞄からまた何かを取り出した。金属の擦れる音がする……何であるかはいうまでもない。


『うむ。いつも済まぬな』


『いえいえ。これは先行投資で御座いますよ。サミュエル様が正式に学園長に就任されるためにはまだまだ御入り用でございましょう? では、取引はいつものやり方で……と、肩に塵が付いておりますよ』


 ゾストがそう言った瞬間、不愉快なノイズがメアリムの耳を打った。マイクを握り潰されたらしい。





 メアリムは強めに舌打ちをすると、目を開けて溜め息をついた。


 相手は思ったより厄介な奴のようだ。


「いや……厄介なのはゾストじゃな」


 兎に角、次の取引までにランドルフが渡そうとしていた『証拠』を、相手が消す前に急ぎ握らねば。多少強引な手段を使っても。


「ベアトよ、ちょっと頼めるか」


「はい。何なりと」


 今回はちょっとだけ本気を出す必要がありそうだ。久し振りに彼女の手を借りなければならない。


 ベアトリクスもメアリムの表情から察したのか、その微笑みに黒いものが混じっていた。


 



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