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第五十五話 『哀と狂気』

 「……随分と勝手をしてくれたな」


 怒気を孕んだ声に、俺は恐る恐る背後を振り向いた。


 俺の胸に顔を埋め、背中をぎゅっと抱き締めていたシャルロットも慌てて俺から離れる。


 「ブルヒアルト伯……」


 「気安く呼ぶな! 愚か者が……っ!」


 向き直り、胸に手を当てて礼をしようとした俺は、顎に衝撃を受けて倒れ込んだ。ブルヒアルト伯爵の拳が俺を殴り飛ばしたのだ。


 口の中に鉄の味が滲む。痛ぇ……本気でぶん殴られるのは高校の時親父にやられて以来だな。


 と、周りを囲むようにしていた騎士団の兵士達が一斉に俺に殺到してきた。


 俺は抵抗するまもなく兵士達に両手を捉えられ、首根っこを捕まれて地面に引き倒される。


 ……そういや、シャルロットを助けた後の話は知らないぞ?! どうなるんだ?


 「娘の門出を台無しにしおって……斬り捨ててくれる」


 ブルヒアルト伯爵はその彫りの深い引き締まった顔を怒りに歪め、手にしたサーベルを抜き放つと、俺に突きつけた。


 その表情に演技は欠片も見えない。本気で俺を斬ろうとしている……まさか、策の話が伝わってない?


 俺の目と鼻の先で伯爵のサーベルの切っ先が鋭く光り、背筋に冷たいものが走った。


 その時、拘束された俺を庇うようにシャルロットがブルヒアルト伯爵との間に割って入る。


 「待って下さいお父様っ! 彼は私のために戦ったの! だから許して!」


 「そこを退け、シャルロットっ!」


 「いいえっ! 退きません。斬ると言うなら私も一緒に斬って!」


 シャルロットは立ち上がって両手を広げるとブルヒアルト伯爵を睨み付ける。


 しばらく二人は無言で睨み合ったが、ふとブルヒアルト伯爵が声を低くして問うた。


 「……この男か。お前の惚れた男と言うのは」


 「ええ、お父様。今なら自信を持って言えますわ……心から彼を愛してます」


 ブルヒアルト伯の目を真っ直ぐ見詰め、そうはっきりと答えるシャルロット。


 「ふん。まあ、悪くない。いいだろう」


 伯爵は彼女の目を見ると、鼻を鳴らしてサーベルを鞘に納める。そして騎士団の部隊長に顔を向けた。


 「この者はブルヒアルト伯家が始末をつける。拘束を解いてくれ」


 「よろしいのですか?」


 「なに、逃げはせんよ」


 ブルヒアルト伯の答えに、部隊長は肩を竦めると俺を取り押さえていた兵士達に拘束を解くよう命じた。


 兵士達は互いに顔を見合わせ、戸惑いがちに俺の拘束を解く。


 ふう。死ぬかと思った。


 彼等にしてみれば俺は婚約式を台無しにした憎き暴漢だが、だからといって親の仇みたいに押さえ付けるのはやめて欲しい。取り押さえられて圧死なんて冗談ではない。


 「ブルヒアルト伯! その男の始末を卿が引き受けるだと?! 何を勝手に決めておるのだ!」


 俺が捻じ上げられた手首をさすっていると、ホルシュタイン伯が血相を変えて怒りをぶちまけながらブルヒアルト伯に詰め寄った。


 ブルヒアルト伯はそんなホルシュタイン伯に僅かに顔を顰め、俺に冷たい目線を向ける。


 「この者は我が家に仕える寄子の子でしてな……真っ直ぐな男だとは思っていたが、まさか娘を想う余り婚約式に乗り込んで新郎に決闘を挑むとは」


 「ならばブルヒアルト伯、その男を我等に引き渡せ! 息子が受けた屈辱の落とし前をつけさせてやる!」


 俺を指差し、歯を剥き出して吠えるように叫ぶホルシュタイン伯爵。その彼から俺とシャルロットを庇うようにラファエルが割り込む。


 「恐れ(なが)ら、ホルシュタイン伯。この者の事は我等ブルヒアルト家の問題。お怒りは分かりますが……」


 「黙れ小童(こわっぱ)!」


 若者に意見されたのが気に食わなかったのだろう。ホルシュタイン伯はラファエルの言葉を遮って唾を飛ばし怒鳴り付け、ラファエルは顔を顰めて閉口する。


 その時、成り行きを見守っていたマルコルフ公が怒り冷めやらぬホルシュタイン伯の肩を掴んで静かな口調で嗜めた。


 「ホルシュタイン卿。ザムゾンの為に怒る気持ちは分かるが、他家の方々が見ておられるのだ。そう熱くなられるな」


 「公爵……っ! しかし!」


 「……ホルシュタイン」


 マルコルフ公の静かだが有無を言わさぬ威圧に怒気を削がれたホルシュタイン伯は、不承不承といった態で引き下がった。


 そしてマルコルフ公はブルヒアルト伯に目を向けて問う。


 「……して、ブルヒアルト伯。この男、卿はどう始末をつけるつもりか」


 「この者は領地にて謹慎せよという私の命に背いただけでなく、婚約式を台無しにして娘を力づくで奪おうとしました……逆さに串刺しにして、帝都の門前に晒されても文句は言えますまい」


 伯爵は言いながらちらと俺を一瞥する。逆さに串刺しの上晒しものとか。表情を変えず、さらりと恐ろしいことを言うな……


 が、マルコルフ公は伯爵の口振りから本気でないのを察したのか、意味ありげな笑みを浮かべた。


 「だが、この者がシャルロット嬢を賭けてザムゾンに正式に決闘を申し込み、勝利したのも事実よ……まるでどこぞの戯曲のように、な」


 「面倒な事をしてくれたものですよ……悩ましいですな」


 そう言いながらも、ブルヒアルト伯の表情は少しも悩んでいるようには見えない。


 「これは卿の問題だ。儂はなにも言わぬ……好きにするがよい」


 マルコルフ公はそれだけ言うとザムゾンやホルシュタイン伯を一瞥して野次馬を決め込んでいる貴族達の元に下がった。


 公爵はこれ以上介入しないと言うことだ。


 ブルヒアルト伯はマルコルフ公に頭を下げると、俺に向き直る。その表情はまるで息子を嗜める父親のように厳しく、威厳に満ちていた。


 「ロメオ。貴様がやったことは、如何なる事情があったとしても許されることではない。罪は罰で償わねばならぬ……それは分かるな」


 「承知の上です」


 伯爵の問いに俺は迷いなく答えた。


 ロベルトの冤罪を晴らす事も、シャルロットを取り戻す事もやれることはやると決めた。後悔はしていない。


 ……していないが、さっき伯爵が言ってたみたいな刑罰は嫌だな。まあ、そこら辺は首謀者(いいだしっぺ)のラファエルが何とかしてくれる筈だ。


 してくれる筈だ……多分。


 俺はブルヒアルト伯の後ろで澄まし顔をしているラファエルに目配せしてみる。が、ラファエルの奴は俺の目線アピールを無視した。


 あんの野郎。本当に大丈夫だろうな?


 「ならばロメオ、貴様にブルヒアルト伯領の屋敷にて五年の蟄居(ちっきょ)謹慎を命じる。その間シャルロットと関わることは一切許さん。が、もし五年の間互いの想いが変わらなければ、お前たちの結婚を認めてやる」


 「……っ?! 閣下」


 「ありがとうございます……父上」


 俺とシャルロットは二人でブルヒアルト伯に頭を下げる。


 伯爵もなかなか上手いことを考えるな。


 ロメオに対しては、五年の蟄居(ちっきょ)謹慎。起こした騒動の大きさと影響に比べれば五年の蟄居は軽い方だが、その間想い人と一切関われないという意味では、どんな拷問や苦役より厳しい命令だ。


 しかし、五年耐えればシャルロットと添い遂げることが許されるという希望はある。


 シャルロットに対しては、ロメオと五年引き離して冷静に二人の関係を見詰めさせる。五年は結構長い。もし若さの熱に浮かされただけなら、冷めるのに十分な時間だ。


 もしそれでも二人の想いが変わらないのなら、互いの想いは本物だと認めて結婚を許すという事だろう。


 まあ、あくまで『ロメオとシャルロット』の話で 、本当に俺とシャルロットを引き離そうという訳じゃない。


 ……でも、俺とシャルロットには身分という高すぎるハードルがある。だから伯爵は余裕なのかもしれないが。


 「待て! ブルヒアルト! 卿の娘とザムゾンとの婚約は……互いに誓った言葉は活きておる。勝手にその様なことを決めるなど、許されんぞ?!」


 その時、ブルヒアルト伯の俺……ロメオに対す処罰を聞いたホルシュタイン伯が激怒して食ってかかる。


 だが、ブルヒアルト伯はホルシュタイン伯を睨み据えると、突き放すように言った。


 「神の名のもとに交わされた神聖な誓いには、一片の疑いがあってはならない。だが、卿の息子は晴らすべき疑いを晴らせず、愛を賭けた決闘に膝をついた。そんな男に娘を預けるなどできん。それに、儂も人の親だ。娘には心から愛する男と添い遂げて欲しいとも思っておる。悪いが、この婚約(はなし)は無しにしてもらおう」


 「おのれ、謀ったな……ここまで我が家に恥をかかせて、ただで済むと思うな?」


 ホルシュタイン伯は顔を真っ赤にし、怒りに肩を震わせて唸る。が、その言葉はこの場での自身の敗北を認めていた。


 ザムゾンが俺の決闘を受け、敗北した時に全て終わっていたのだ。


 「ふざけるな……俺が負けるなど、俺が奪われるなど……認めん。認めんぞっ!」


 その時、遠巻きに俺達を囲む兵士達の後ろから唸り声が聞こえ、俺は声の方を振り向いて息を飲んだ。


 血で顔を真っ赤に染めたザムゾンが、目を血走らせた幽鬼のような顔でゆらりと立ち上がったのだ。


 ただ事ではない雰囲気に俺は鉄剣に手を添えて身構える。


 ザムゾンは周囲を忙しなく見渡し、近くに立つ部隊長を見付けると猛然と掴み掛かった。


 あいつ、何をするつもりだ?!


 「……っ?! ザムゾン卿っ! 何を?!」


 驚きの声をあげる部隊長を殴り付け、ザムゾンは彼の拳銃嚢(ホルスター)から短銃を奪うように抜くと、カッと目を見開いて俺達に銃口を向けた。


 「おおおっ! 馬鹿にしやがって! お前らみんな殺してやる……殺してやる……!」


 目に狂気すら宿して絶叫するザムゾン。突然の事にブルヒアルト伯やホルシュタイン伯、兵士達すらピクリとも動けない。


 ……こいつ、怒りと屈辱に理性がぶっ飛んだか?!


 無機質な銃口がまるで獲物を狙う蛇のように揺らめき、唐突に動きを止めた。


 俺は銃口の指す射線を目で追い、その先に花嫁の怯えた表情を見た。


 「っ?! シャルっ!!」


 「……!!」


 それまでの時間は酷く緩慢で、そして残酷なまでに一瞬だった。


 閃光、轟音、硝煙。


 その瞬間、俺は……





 爆音の瞬間、俺の頬を焼けた鉄で殴られたような痛みと衝撃が走る。


 一瞬よろめき、それでも強引に駆け出そうとした俺は、目の前の光景に呆然とした。


 シャルロットの真っ白なドレスの、その胸元に真っ赤な花が咲いている。花……彼女の胸から溢れる血潮はみるみるドレスを赤く染め、少女は泣きそうな顔でゆっくりと崩れた。


 「シャルロット……っ! シャルロットっ……!!」


 少女に駆け寄り、搔き抱いた時既に彼女の瞳は焦点も虚ろで、体も熱を失いつつあった。


 それでも彼女は俺を求めて瞳を彷徨わせ、虚空に手を伸ばす。


 「カズ……ま」


 「ああ、俺はここだ! シャルロット!」


 俺は彼女の手を握り締め、耳元で名を叫ぶ。シャルロットは一瞬微笑み、掠れた声で呟いた。


 「ごめん……ね……カズ……およ……めに……なれなかっ……」


 そして、彼女の手は俺の手から零れ落ちた……


 ああ……俺はまた……!!





 「シャルっ……!!」


 叫んだ瞬間、衝撃が全身を貫いた。


 脇腹に焼けた鉄杭をハンマーで撃ち込まれたような熱さと痛みと衝撃は、悲しい記憶(・・)を頭から吹き飛ばすには十分すぎる。


 でも……今度も何とか間に合った。


 もう、シャルとアレクシアを目の前で失うのは死んでも御免だ。


 「いやあぁぁぁっ!!」


 絹を裂くようなシャルロットの悲鳴。脇腹から全身の力が抜けていくような感覚に、俺は膝から石畳に倒れ込んだ。


 「あぁっ! 何で! 何でっ!」


 少しして、柔らかい感触に包まれる。シャルロットのいい匂いだ。


 見上げると彼女の真っ白なドレスが赤黒く汚れていた。


 勿体無いな……綺麗だったのに。


 「お願いっ! 返事してっ! やっと……一緒になれたのに……死なないで……死なないでよぉ! 」


 ……死ぬ?


 ああ、なんだ。やけに体が重いと思ったら……そうか。


 「しゃ……る」


 「っ! 何?! カズマ……」


 「泣くなよ。笑った顔のお前が……好きだ」


 「……ばか」


 泣きそうな顔で必死に作ったシャルロットの不器用な笑顔を見て……下手糞だな、なんて思いながら。


 俺の意識は闇に落ちた。


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