第五十六話 『赤の令嬢と魔法使い』
「……ようこそ。我が宮殿へ……久し振りだね、カズマ」
歌うような少年の声に、俺は目を覚ました。
ここは、どこだ? ……俺はどうなった?
「いつも君の精神に干渉しているからね。たまには僕の世界に招待してあげようと思ったのさ」
ヴォーダンはそう言って笑うと、周りを示すように両手を広げた。
天井も壁も闇に溶けて見えないが、かなり広い空間だ。床は深紅の絨毯が敷かれ、まるでビルのように巨大な本棚が林立している。
本棚には黒い背表紙の本がびっしりと並べられているのが見えた。
ヴォーダンは『宮殿』と言っていたが、どちらかと言えば巨大な図書館だ。
「ここには、この世界の全て……ありとあらゆる時間、知識、記憶が刻まれている……この瞬間も刻々と、ね」
そしてそこの主である僕はこの世界の全てを知っている……そう言いたいのか?
「それにしても……君は本当に面白いね。教会の熱演、下手な戯曲よりも感動的だったよ。悲劇的な結末も嫌いじゃない」
アンティークチェアに頬杖をつき、前髪を弄りながら批評家よろしく語るヴォーダン。
ああ、そうだ。
俺は、ザムゾンと婚約させられるシャルロットを取り戻すために、婚約式に乱入して彼と決闘したんだ。
でも、上手く纏まるかと思った矢先、ザムゾンが騎士団から拳銃を奪ってシャルロットを……
「……俺は死んだのか」
「まさか。君が死んだら戯曲が冷める。ま、相手の銃の腕前と詰め込んだ肉襦袢に感謝するんだね」
そう言って皮肉げな笑みを浮かべるヴォーダン。戯曲が冷めるとかそんなことはどうでもいいが。
急所を外れた上に、着込んだ服や詰め込んだ布が防弾チョッキ代わりになって弾の威力を弱めてくれたお陰で即死は免れたようだ。
シャルロットを助けたい一心で何も考えず飛び出したけど、今思い返せばかなり無茶をした。
「くくくっ……そうだ。感動的なモノを見せてくれたご褒美に、君の望むものをひとつあげよう」
「そうだな……じゃあ、ひとついいか?」
俺の答えに、ヴォーダンは少し意外そうな表情をした。この手の誘いは断っていたから、驚いたのだろう。
「教えてくれ。俺の人生は何回目だ?」
ルーファスの時も、アレクシアの時も、シャルロットの時も、直前に別の未来が脳裏を過った。
あれは、リセットされた過去の記憶ではないか?
そう思ったのだ。
「……その手の質問は冷めるな」
今までの笑顔が一転、ヴォーダンの表情が不機嫌そうな憮然としたものに変わる。だが俺は構わず続けた。
「俺の望みを叶えてくれるんだろう? それともあれは嘘か?」
「ふふ……言うね。でも、僕も君が望むような答えは持っていないよ」
「なに?」
顔を顰める俺に、ヴォーダンは肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
「そんな大した話じゃないさ……神様も万能じゃないって事だよ」
「はぐらかすな。ヴォーダン」
「はぐらかしてなんかいないさ。そうだね……君は、印象に残らないような戯曲の事をいつまでも覚えているかい? 世界の記憶はやり直された世界を含めて、この世界の全てを記憶するけど、何回リセットしたかなんて無駄なことは記憶しないよ」
呆れ気味に笑って足を組み直すヴォーダン。
まあ、俺だってリセットの回数を正確に知りたい訳じゃない。だが、少なくともカウントするのが煩わしくなる程度には仕切り直しを食らっているってことだ。
……どの時点から仕切り直しなのか、とか何故リセット前の記憶が断片的にフラッシュバックするのか、とか気になるところだが、奴に聞いてもどうせ答えないだろう。
「さて、君の世界では幾許かの時が流れたようだ……これ以上は何かと支障が出るからね。では、御機嫌よう」
そう言って、いつものように一方的に話を打ち切ると、ヴォーダンは気障な仕草で指を鳴らした。
次の瞬間、俺の意識は再び闇に溶ける。
……
……
……
……
目が覚めた俺は暫くぼんやりと天井を見つめた。
寝かされているベッドは体が沈み込むくらい柔らかく、レースの天蓋がかかっている。
ここは……知らない天井だ。
「……ん、ぅ」
小さな呻き声に首を巡らせると、赤毛の少女がベッドに突っ伏すように眠っていた。
シャルロット……か。
「か……ずまぁ……むふふ」
シャルロットは妙な寝言を呟いて身動ぎすると、うっすらと目を開けた。
「やあ……おはよう。シャル」
「……あ」
何気ない朝の挨拶。うーん。何となく気恥ずかしいな……別に何をしたわけでもないのに。
俺と目があったシャルロットは一瞬目を大きく見開き、みるみる泣きそうな表情に変わる。
「か……カズマ……っ!!」
少女は上擦った声で俺の名前を呼ぶと、俺に飛び付き首にむしゃぶりついてきた。
シャルロットが飛び付いた衝撃が脇腹に響き激痛が走るが、ぐっと歯を噛み締めて耐える。
「目が覚めた……よかった……このまま目覚めないんじゃないかって不安で……っ!」
「ごめんな。もう大丈夫だ」
俺は感極まった声で泣きじゃくるシャルロットの髪を優しく撫でた。
「どれくらい眠ってたんだ? 俺」
「……丸二日よ。時々苦しそうにうなされて、凄く心配したんだから」
丸二日か。結構寝込んでたな……まさかシャルロットのやつ、俺が目覚めるまでずっと側に居たのか。
「心配かけちまったな。シャル」
「……本当よ。馬鹿」
と、首を締め上げる勢いて抱き付いていたシャルロットが体を離した。といっても、鼻の頭がくっつきそうな至近距離だ。
「カズマ……」
彼女の息遣いが頬にかかってこそばゆい。
「……シャル」
「……うん」
シャルロットは小さく頷くと、頬を真っ赤に染め、目を閉じて唇を僅かに開く。
……朝の目覚めにキス待ち顔。なにそれ反則。
未だ痛む脇腹を無視して、俺はシャルロットの頬に手を添えるとそっと唇を近付け……
「お嬢様、カズマ様の傷の上に乗らないでください。傷口が開いたらどうするんです?!」
「え? ……あ。ああっ!!」
突然響く鋭い声。シャルロットは自分の膝が俺の脇腹に乗っていることに気付いて慌ててベッドから飛び降りる。
代わりに俺の傍らに入り込んで来たのは、茶褐色の髪をゆったりと三つ編みにした女性だ。
淡褐色の瞳が神秘的な、優しい雰囲気の女性……なんだか随分印象が変わったが間違いない。
「アレクシア嬢、何故貴女が?」
シャルロットが側に居るのはまあ、分かる。直前まで一緒にいたから。何故アレクシアがここにいる?
「カズマ様、そんな他人行儀な呼び方は酷いです。私は貴方様の伴侶なんですから、いつものように『アル』って呼んでくださらなきゃ嫌です」
そう言いながら拗ねたように唇を尖らせるアレクシア。
いや、確かに貴女とは相棒だったけど……って、アレクシアの後ろでシャルロットが鬼のような形相をしている……っ!
俺はわざと大きめに咳払いすると、ジト目でアレクシアを睨んだ。アレクシアも俺の言いたい事を察したのか、表情を引き締める。
「一昨日、聖ミハエル教会で人が撃たれ、至急治癒魔法の使い手を派遣してほしいと騎士団から要請を受けたんです。でも、治癒魔法が使える魔法使いはみんな討伐軍に随行していて、例の件の事で仕事を外されていた私しか居なかったんですよ」
「仕事を外されたんですか……なんか、すいません」
彼女はイスターリ宮中伯の直接の部下として、魔法省でもエリート組にいたんだろう。
それが俺と関わってしまったことで、仕事を失ってしまった。魔法が大好きだと言っていたのに。
命を救っても、その人の人生が駄目になってしまったら意味がないじゃないか。
しかし、アレクシアは優しく微笑んで頭を振った。
「いいんです。魔法技術研究所の仕事の事は。仕事を外されたお陰でカズマ様の命を救うことが出来た。そしてこうやってお側に居られる……全てはマナの導きですから」
マナの導き……か。世の中に偶然なんてものは存在しないから、この再会も必然のうち何だろうが。なんか出来すぎた話だ。
その時ふと、あのいけ好かない餓鬼の厭らしい笑顔が脳裏を過った。
……あり得ない話じゃないか。あの野郎。
「何が『マナの導き』よ。彼女、私を邪魔物扱いして無理矢理引き剥がしたのよ?! 酷いと思わない?! カズマ!」
「当然です。伯爵令嬢だろうが何だろうが、素人が患者にくっついたまま喚いていたら治療の邪魔ですから……ね? カズマ様」
「くっ……! そうですけど!」
拳を握り締め、猛獣のような唸り声をあげてアレクシアを睨むシャルロット。相手を射殺さんばかりの鋭い視線でシャルロットを睨み返すアレクシア。
……似たような光景を前にも見たな。どうしてこうなるんだ?
「……で、何しに来たんです? アル。まさかシャルロットとじゃれ合うために来た訳じゃないでしょう?」
「あら……私としたことが。カズマ様の傷口の具合を見に来たんでした」
アレクシアは俺の問いにハッとすると、表情を一変させて柔らかな微笑みを浮かべる。
「じゃ、失礼しますね」
アレクシアはそう言うと、掛け布団を剥がして俺に体を寄せ、寝巻きのボタンを手早く外していく……って。
「アル、ボタンくらい自分で……」
そう言っているうちにボタンが外され、包帯を巻いた裸が露にされる。と、俺の裸を見たシャルロットが顔を真っ赤にして顔を逸らした。
一方のアレクシアは微笑みを浮かべたまま俺の体に巻かれた包帯をほどき始める。その動きは淀みなく手際がいい。
「随分と手慣れてますね」
「……治癒魔法は本人の自然治癒力、新陳代謝を高めて傷や病気の治療を行う魔法ですから、薬を使わないだけですることは薬師や医師と変わらないんです」
成程……ラノベみたいに魔法を使ったらみるみる傷口が癒えるわけじゃないんだな。
……ん? でも、爺さんや俺が治癒魔法を使ったときはすぐに治ったような。
やっぱり違うんだろうか。俺達とこの人達は。
「……良かった。傷は殆ど塞がっています。この調子で安静にしていれば、あと二、三日で元に戻りますよ。じゃあ、今日の分、いきますね」
完治まで二、三日か。ロベルトの件もあるから余りのんびりできないんだけどな。
と、アレクシアは俺の脇腹の傷口を大事そうに手で覆い、唄うように『ことば』を紡ぐ。
「『我が声に応えよ、世に満ち満ちる万物の源。汝が司るは癒し。霜の巨人に侍る者。死者を招く女神にして最良の医者。その御手はあらゆるものを癒す。我が名に於いて顕現せよ、『癒しは満たされる』」
『ことば』とともにアレクシアの掌が淡く光り、全身に暖かいものが広がる感覚に俺は僅かに呻き声をあげた。
爺さんに掛けてもらった時のような強烈な感覚ではないが、これはこれで心地よい。
彼女の魔法の光が消えた直後、倦怠感が全身を覆った。
「結構きついな……」
「治癒魔法は体への負担が大きいので、何回かに分けてかける必要があるんです」
成程。しかし、ゲルルフとやりあった時、自分に治癒魔法をかけたが、こんなだるさは感じなかった。やはり、何かが違うんだろう。
「ちょっと! アレクシアさん! さっきからやけに馴れ馴れしくないですか? 私が居るんですけど」
アレクシアが治癒魔法を終えても俺にくっついているのが気に食わないのか、シャルロットが新しい包帯を手に俺の側にやって来た。
「それは……私とカズマ様はあの熱い一夜を共に過ごした間柄ですから」
「なっ……熱い、なに?」
意味ありげな笑みを浮かべるアレクシアに、シャルロットは頬を真っ赤に染めて絶句する。
この思わせ振りな言葉のチョイスはわざとなのか?
「アル、いちいち紛らわしい言い方しないで下さい。シャルが変に誤解するでしょう?」
俺は肩を落として溜め息をついた。このままだと話が変な方向に行ってしまう。
「シャル、商人街が焼けた事件があったのを覚えてるか?」
「ええ。付け火じゃないかって噂のあれでしょ? 夜空が真っ赤に燃えて怖かった」
シャルロットはぎゅっと自分を抱き締めて表情を暗くした。
「俺とアルはイスターリ宮中伯の指示で騎士団に参加していて、あの日の夜もロベルト達と銀狼団捜索の仕事をしていたんだよ」
「……え? じゃあ、あの夜、カズマはあの中に居たの?」
「ああ。だから、彼女とはせんゆ……」
「だから私とカズマ様は、死地を共に乗り越えた伴侶なの。燃え盛る炎の中、恐ろしい狼人の戦士達や賊の魔法使い、そして巨大な魔獣と戦うカズマ様の勇姿、今でも思い出すわ」
頬に手を当て、うっとりとした表情をするアレクシアに俺は頭を抱えた。
なんで俺の言葉に被せて来るかな。それに、あの時はルーファス達も一緒だっただろうに。
「ちょっ……何よそれ。私が閉じ込められてる間にそんなこと……羨ましい。けど、それとこれとは別です! 治癒魔法が終わったなら離れて下さいます? 包帯を巻く邪魔です!」
羨ましいって……ああ、シャルロットは騒動に首を突っ込みたがるじゃじゃ馬姫だった。結婚騒動で忘れてた。誤解は解けたみたいだけど。
それにしても……
『包帯を巻くまでが治療術です』とか『カズマの世話は私がやります』とか言い合う二人を眺めながら思う。
せめて傷口回りの処置だけはして欲しいな。




