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第四十七話 『銀の乙女と魔法使い』

 「じゃあ、ベアトリクスさんになにも言わず出てきたのか?!」


 「深夜だったし……書き置きはしてきたから大丈夫よ」


 ーー何故ベアトリクスさんと屋敷の留守を守っている筈のステラがここにいるのか。


 俺は朝の睨み合いから落ち着いたステラに問い質した。すると、彼女は不機嫌を露にしてこう答えたのだ。


 『深夜、帝都の空が真っ赤に燃えていたから……あんた、鈍臭いところあるから。心配で来てやったのよ』


 昨夜の火事は火元が複数あったし、火の勢いも強かった。だから遠目から見ると空一面が真っ赤に燃えて見えたらしい。


 ただならぬ状況に、夜警に出た俺が心配になって、深夜屋敷を抜け出してここまで来たのか。


 全く、無茶しやがって。


 「か、勘違いしないでよね? あんたが怪我でもしたら私の仕事が増えるから心配してるだけよ」


 「……分かったよ。ありがとうな」


 頬を真っ赤にしながら上目遣いに睨むステラに笑みを向けて、俺は彼女の頭を撫でた。


 「俺は大丈夫だから、ステラは屋敷に戻るんだ。ベアトリクスさんが心配してる」


 「……む」


 頭を撫でられ、心地良さそうに俺の掌に身を任せていたステラだが、そう声を掛けると急に怒ったような表情で身を引いた。


 「そうですよ、ステラちゃん。カズマ様はこれから私と仕事があるんですから」


 「……っ!」


 優しい口調で諭すように言うアレクシア。ステラは彼女を鋭く睨み付け、何か考えたあとその視線を俺に向けた。


 「私もいく」


 「なに?」


 「屋敷の仕事が溜まってるのよ。手伝ってやるからさっさと終わらせなさいよね」


 「……手伝ってやるって。遊びじゃないんだぞ?」


 その時、アレクシアが俺の肩に手を置いてステラを一瞥した。


 「カズマ様、早くルーファス卿の所に行かないと。随分遅刻してますよ?」


 ……そうだった。このまま問答してたら昼間になってしまう。


 俺は溜め息をつくと、ステラを軽く睨んだ。


 「全く、好きにしろ」


 ……


 ……


 ……


 ……


 吸い込む空気がうっすら焦げ臭い。


 規制線を示す黄色いロープをくぐった俺は、陽の光の下で改めて見る現場に眉を顰めた。


 銀狼団のロートらによって焼き討ちされたアジッチ・バーチュ邸は騎士団による撤去作業が行われている最中だ。


 惨殺され晒されていたアジッチ夫妻とその子供達、そしてアジッチ家の使用人達の遺体は騎士団によって既に回収され、あの夜の惨劇を語るのは黒く焼け焦げた石壁と燻りをあげる木の柱だけ。


 俺が殺した魔獣(マンティコア)も、夜のうちに魔技研(マギ)が研究の検体(サンプル)として回収していったとアレクシアから聞いた。


 奴が倒れた場所も血の跡が綺麗に洗い流され、何事もなかったようになっている。


 「……で、お前はいつまで付いてくるんだ? ステラ」


 俺は当たり前のように規制線を越えて隣に立つステラをジト目で睨んだ。


 王宮に仕える魔法使いで騎士団に出向中のアレクシアはいい。しかし、ステラは一般人。関係者以外立ち入り禁止の現場に入っていい筈がない。


 だが、ステラは腰に手をあて、憮然とした顔で俺を見返し言った。


 「また子供扱いする。好きにしろって言ったのはカズマよ?」


 「いや、そうは言ったけどな?」


 「おいおい、人が汗と煤にまみれて働いてるのに、朝っぱらから両手に華とはいいご身分だな? カズマさんよ」


 不意に掛けられる恨み節に、俺は髪を掻きむしってため息をついた。


 ルーファスの奴が先に現場入りしてたんだった。


 「別に侍らせてるわけじゃない。お前は言うほど汚れて無いだろ。ルーファス」


 「細かいことは気にするな。言葉のあやだ」


 昨夜の部下を連れたルーファスはジト目で言い返す俺を素通りすると、アレクシアに優雅な一礼をして微笑みかける。


 「ああ、アレクシア嬢フロイライン・アレクシア。今朝も貴女は美しい。その深く澄んだ淡褐色(ヘーゼル)の瞳はまるで琥珀(ベルンシュタイン)のようだ」


 「……ありがとうございます。アッカーマン卿。でも、朝から甘い言葉は少々胸焼けがいたしますわ」


 白い歯をキラキラさせながら浮いた台詞を吐くルーファスに、アレクシアは形ばかりの笑みと跪礼(カーテシー)を返し、サッと踵を返した。


 「……馬鹿ね」


 カッコよくキメた台詞を酷評されて項垂れるルーファスに、ステラの冷たい言葉が追い討ちをかける。


 そんな彼の様子に、苦笑いや呆れたような表情を浮かべるルーファス隊の騎士達……なんと言うか、頑張れよ? ルーファス。


 「それはそうと、奴等の手懸かりは見付かったのか」


 「ん? あ、ああ……どうもな」


 話題を変えてやろうと問う俺に、答えるルーファスは歯切れが悪い。


 成果は芳しくないようだ。


 しかし、これだけ派手に暴れて逃走の痕跡を全く残さないとか、どんな手品を使ったんだか。


 「アル、追跡とか探索の魔法を使えば、ロートの痕跡を追えるんじゃないか?」


 「『探索コンクィーシーティオー』でマナの痕跡を探すことはできますけど、不特定多数の人や物が行き来する野外で特定のマナの僅かな痕跡を探すのは、河原で砂金の粒を探すようなもの。私なんかでは三〇〇エーヘル(約一〇〇メートル)四方の範囲の探索がやっとです。お役に立てなくてすいません。カズマ様」


 そう言って申し訳なさそうに項垂れるアレクシア。


 探索魔法って、アレクシアでも難しいものなのか。アニメやラノベでは比較的簡単な魔法ってイメージだけどな。


 「アルが謝ることはないよ。魔法だって万能じゃないんだから」


 俺は頭を振り、微笑みを浮かべて彼女を慰める。すると彼女は耳まで真っ赤になって俯いてしまった。


 ……いや、そういうのは今要らないから。ほら、ルーファスの部下が睨んでるじゃないか。


 しかし、足と目を使った騎士団の捜索は空振り。魔法による探索も難しい、か。そうなると……


 「カズマ、ロートおじさんを追うんだよね? 前に言ったけど、私、一味(ファミリー)の臭いは覚えてるわ。昨日の夜ついた臭いなら追跡できる」


 ステラが得意気にそう言って薄い胸を目一杯張る。


 確か、犬の嗅覚は人間の約一億倍あると昔バイトしたペットショップの店長が言ってたな……


 いや、狼人(ハウド)狼人(ハウド)だ。嗅覚は人より優れているかもしれないが、犬の真似事をステラにやらせるなんて駄目だろ。


 ……それ以前に勝手に民間人を捜索に加えていいものか?


 「そっか、ステラちゃんは狼人(ハウド)だな。本当に(ロート)の臭いを追えるのか?」


 「勿論よっ! ……多分ね」


 両腕で可愛らしく力瘤をつくる真似をして見せるステラ。


 いや、そこは『民間人は~』とか言って断るところだろ、ルーファスさん。


 「あのな、ステラ。何度も言うが、遊びじゃないんだぞ?」


 「何よカズマ、私も一人前の狼人(ハウド)なのよ?! それとも混血(ダブル)だから半人前だって言いたいの?」


 「違う。そんなんじゃない。そうじゃないが……」


 ステラはほっぺを河豚みたいに脹らませて俺を睨む。全く、その仕草が子供だって言うのに……


 「いいんじゃないか? カズマ。ステラちゃんもヤル気だし、やらせてみろよ」


 「あのな……彼女は民間人だぞ? 勝手なことできるかよ」


 「そこら辺はお前の裁量に任せるよ。お前とアレクシア嬢は名目は魔法省からの出向だが、騎士団に組み込まれた訳じゃないからな」


 『知らなかったのか?』とニヤリ笑うルーファス。ってか、そんなこと聞いてないぞ。


 溜め息をついて髪を掻きむしる俺。ふと、期待を込めた瞳でこちらを見つめるステラと目があった。


 「じゃあ、頼むよ。ステラ」


 「ふ、ふん。最初からそう言えばいいのよ」


 はいはい……わかったから、そんなに尻尾を振るなよ。


 ……


 ……


 ……


 ……


 現場の指揮があるルーファスと襲撃現場で別れ、俺はアレクシアとステラを連れてロートが立ち去った道を辿っている。


 「……臭うわ。こっちよ」


 鼻唄混じりに路地を歩くステラがふと足を止めた。だが、彼女が指差したのは何もない建物の壁。


 「こっちって……壁しかないが?」


 「……でも、こっちよ。壁の向こうから臭うの」


 俺の問いに、ステラも戸惑いながら、でも確信を持った表情で答える。


 ふむ……壁から臭い、か。嘘や冗談じゃなさそうだが。


 「カズマ様、この壁、妙な感じがします……ちょっといいですか?」


 俺は頷いてアレクシアに場所を譲る。壁の前に立ったアレクシアは、胸の前で印を組むと小さく深呼吸した。


 「『我が声に応えよ、泉より湧き(いず)る無限の叡知の守護者。汝、不死なる賢者にしてあらゆる真実を見通す者。我が名に於いて顕現せよ、真を照らす光……見破(ウェーリタース)』っ!」


 アレクシアの紡ぐ『ことば』が路地に響く。すると、彼女の目の前の壁が大きく歪み、やがて消えた。


 「幻術か。よく分かったな」


 「一応魔法使いですから。お役に立てて良かった」


 感嘆の声を上げる俺に、アレクシアはホッとしたように微笑む。もしかして探索魔法の事を気にしていたのか?


 幻術の壁が消えて現れた道は、建物の隙間を縫うように延びて狭く薄暗い。


 「でも……本当にここ? 少し狭い気がするけれど」


 「何よ、私の鼻を疑うの? ね、カズマ?」


 「どう思います? カズマ様……?」


 「……何で二人で俺を見るんだよ」


 軽く火花を散らしたあと、同意を求めて俺を見る二人に、俺は肩を落として溜め息をついた。


 アレクシアが言う通り、ステラが示した路地はロートが行くには少し狭い気がする。が、狼人(ハウド)の嗅覚がそこだと言うなら間違いないのだろう。


 「行ってみよう。アル、何があるかわからない。すぐに魔法を使えるよう構えていてくれ」


 「はい。カズマ様」


 俺が彎刀の柄に手をかけながら指示すると、アレクシアは胸の前で拳をグッと握って頷く。


 そう言えばアレクシア、昨日の物騒な朝星棒(モーニングスター)を持ってないな。今朝から俺のことを『カズマ様』なんて呼んでるし……何か思うところがあったんだろうか?


 ま、いいか。


 「何やってるの?! 早く行くわよ!」


 路地の奥からステラの声がする。


 あいつ、何時の間にあんな所まで!


 何があるかわからないから勝手な行動はするなと……言ってない気もするが、迂闊だぞ。


 「勝手に先走るなステラ!」


 「大丈夫よ。ここには誰もいないわ。ほら、こっちよ」


 路地の奥でステラが手を振っている。人目が無くなったからか、彼女は深めに被っていたフードを取っていた。


 白い肌と艶やかな銀髪(シルバーブロンド)が路地に射し込む陽の光に照らされて輝いて見える。


 俺はステラのその幻想的な美しさに思わず見蕩れた。監獄の時より輝いているように見えるのは、彼女の表情が明るいからか。


 と、アレクシアが隣に立って、少し不満げに俺を上目遣いで睨むと声を落として問う。


 「気になっていたのですが、あの()、何故あのロートという賊の臭いを覚えているんでしょう?」


 「ああ……アルは知らないんだっけ。ステラは宮中伯様の執事の娘なんだけど、彼女、前はゲルルフの所に居たんだ」


 「……っ?! それって」


 俺の答えにアレクシアは目を丸くして驚く。


 そして何か言おうとしたその唇を、俺は人差し指で塞いだ。途端にアレクシアは頬を染めて固まってしまう。


 「大丈夫。アイツは連中とは違うよ。だから他言無用な?」


 「……貴方がそう言うなら」


 アレクシアは顔を真っ赤にして、唇を押さえながら不承不承といった雰囲気で頷いた。





 「行き止まり?」


 ステラが臭いを辿って進んだ路地の先。


 そこは建物(アパルトメント)の高い壁に囲まれた広場のようは場所だった。


 四角く切り取られた青空から陽の光が射し込んてはいるが、昼なお薄暗く、湿り気を帯びた不気味な雰囲気が漂っている。


 「本当にここなの? ステラ」


 「間違いないわよ。おじさんの他にたくさんの狼人(ハウド)の臭いがする……まだ新しいわ」


 疑わしげに睨むアレクシアに、ステラは憮然と唇を尖らせた。


 ……しかし、確かに何もないな。


 ステラも戸惑っているように見える。臭いの『行き先』が見えないからだろう。


 彼等はここで消えたのか? ……まさかな。


 俺は広場の真ん中まで歩くと、ゆっくりと見渡した。


 人が立ち入らないのか、石畳は風化して土が露出し、地面はドクダミに似た草や名前も知らない雑草に殆ど覆われていた。


 ……ん?


 よく見ると草が不自然に踏み倒されている場所がある。怪しい。


 「……カズマ様?」


 無言のまま広場を歩き回る俺に、アレクシアが胡乱な表情で小首を傾げた。


 そんな彼女の前を通り過ぎ、草が踏み倒されている場所を覗き込む。


 そこにあったのは、石でできた丸い蓋のようなもの。


 風化の具合から随分古いもののようだ。よく見ると蓋と縁の間に隙間があった。


 建設会社のアルバイトでマンホールの蓋を開ける作業を手伝った事があるが、長い間放置されてきた蓋は縁との間に土や小石が噛み込んだりして開けるのに随分苦労したものだ。


 つまり、この蓋は最近(・・)開けられた事があるということか。


 「アル、これってなんの蓋か分かるかい?」


 「……多分『シュテルハイム大水道』の立坑の蓋だと思います。こんなところにもあったんですね」


 俺の問いに、アレクシアが少し自信なさげに答える。


 やっぱりそうか。


 俺の頭の中で記憶のピースが繋がり、ひとつのシナリオを組み上げていく。


 そう言うことか……盲点だったな。


 「……ステラ、ルーファスを呼んできてくれ! 急いで頼む」


 「……え? うん、分かった!」


 ステラは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに踵を返して今来た道を駆けて行った。


 「カズマ様、もしかして……?」


 「ああ……俺が考える通りなら、銀狼団が神出鬼没だった謎がすべて解ける……!」


 俺は興奮ぎみにそう口に出して、途端に自分が恥ずかしくなった。名探偵気取りとか年甲斐もない。


 認めたくないものだな。自分自身の、チューニの残滓の疼きというものを……


 「流石カズマ様、凄いです!」


 アレクシア、そんな三流チートラノベみたいな感想は止めてくれ。なんだか悲しくなってくるから……


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