第四十六話 『悪魔と修羅』
カナカナカナカナ……
何処からか聴こえる、甲高く、どこか物悲しげな鳴き声。
俺はその声に誘われるようにふと空を見上げた。
紅色から群青のグラデーションを描く空には夕日に照らされて真っ赤に染まった鱗雲。
……カナカナカナカナ……
涼しい風に乗って蜩の鳴く声が耳に響く。
ああ……秋だな。
俺は実家の縁側に腰掛け、ぼんやりと流れる雲を見上げて少し物悲しい気持ちになった。
夕焼け空と蜩の声、そして涼しいそよ風に郷愁を覚えない日本人はいないだろう。
それは、休日が終わり、明日からの仕事を考えるときの物悲しさ、切なさに似ている。
でも……
何で俺はここに居るんだ?
「……そんなことを考えてもここでは意味がないよ」
不意に聞こえた少年の声。
その途端、目の前の世界はその動きを止める。
壁に写真を貼り付けたような風景に、いつの間にか黒い人影が佇んでいた。
「……ヴォーダン」
俺は目の前に佇む異色眼の少年を睨み付ける。
少年……ヴォーダンは肩を竦めて苦笑すると傍らのアンティークチェアに腰掛け、優雅に足を組み替える。
「久し振りだね……随分活躍しているようじゃないか、カズマ」
「何が久し振り、だ。人の心に土足で上がり込みやがって。何しに来た?」
頬杖をつき、すっかりくつろいだ雰囲気のヴォーダン。そんな奴の態度に俺は苛立って舌打ちをした。
「ククク……つれないなぁ。君と僕の仲じゃないか」
白くて長い指で前髪を弄び、ヴォーダンは大袈裟に肩を竦める。そしてスッと表情を改め、俺を見据える。
「活躍のご褒美に予言をしてあげよう。遠からず、君と、君の大事な人達はその身を危険に晒す事になる。そして、君の選択で誰かが死ぬ」
「何だと?」
ヴォーダンの芝居がかった物言いに俺は眉を顰めた。
予言なんて占いより当てにならない戯言だ。
普段ならそう言って笑い飛ばすところだが、相次ぐ銀狼団のテロで帝都がキナ臭くなってきているのは確かだし、何があってもおかしくはない。
しかし、俺が危険な目に遭うならまだいい。俺の選択で誰かが死ぬとか、ふざけたこと抜かしやがって。
ヴォーダンは俺の表情にニヤリと笑うと、声色を穏やかにして続ける。
「……でも、僕なら君の望む全てを守ることができる。君が僕の与える『加護』を受け入れれば……ね」
ヴォーダンの口調は優しい。だが、その笑顔は言葉とは裏腹に邪悪さすら感じるほど黒い。
だから俺は即答した。
「……断る。これ以上貴様の力を借りるつもりはない」
俺の答えに、ヴォーダンは頬杖をついて冷たい薄笑いを浮かべる。
「何故? 確かに今回君は僕の想定以上に魔法を操っている。世界との相性もいい。でもそれだけだ。今の君の力は、神の加護をうけた銀狼はおろか、彼の手下にすら届かない……想いだけでは何も守れないことは君も知っている筈だよ?」
嘲るようなヴォーダンの言葉。
……知っている? 俺が?
その時、酷い雑音のような耳鳴りと鈍い頭痛が襲い、俺は思わず頭を抱えた。
それでもだ。身に過ぎた力は守る筈のものさえ傷付け壊す……そんな力なら無い方がましだ。
頭のどこかで誰かが声を絞り出すようにして訴える。
「君は何を恐れているんだい? カズマ。前にも言ったけど、力そのものに意思はない。与えられた力だろうと、自らが培った力だろうと、身の丈に合おうが合うまいが、君の振るう力は『君の力』だよ」
ヴォーダンの青と赤の異色眼が怪しく揺らめき、その言葉が俺の思考に絡み付く。
違う。そんな単純なモノじゃない。加護なんて所詮借り物。持ち主が信頼できないのに、そいつから借りる力が信頼できるものか……っ!
誰かの血を吐くような叫びがヴォーダンの言葉を否定する。
俺は腹の底から声をあげると、自分の額を思いきり殴り付けた。
耳鳴りが止み、頭の鈍痛が引いていく。
「そう。それが君の答えか……まあ、『己の思いを裏切る事なく、力を尽くして生きる』……それが君と僕の契約だからね。でも、加護が欲しくなったらいつでも言ってよ……すぐに力を貸してあげるから。クククっ!」
ヴォーダンは椅子にもたれると、肩を竦めて厭らしい笑みを浮かべた。
まるで、『君の痩せ我慢は見透かしている』、とでも言いたげな少年の態度に、俺は舌打ちして睨み返す。
「さあ、次の幕はこの喜劇の山場だ。『君の力』を僕に示して、そして守り抜いて見せてよ……楽しみにしているよ」
ヴォーダンの言葉が響く。瞬間、視界が夕焼け色に染まった濃い霧に覆われ、俺の意識は曖昧になっていく。
「五月蝿い。好き勝手言いやがって……二度と顔を見せるんじゃねぇ! 畜生め……!」
微睡みに似た気怠さに包まれながら、俺は精一杯の悪態をついて……
そのまま夕闇のなかに落ちた。
……
……
……
……
「……ず、……カズ!」
頭の上から呼び声が降ってくる。
鈴のような、という比喩がぴったりな、可愛らしい声……その声に引き上げられ、水の底から浮き上がるように俺は意識を取り戻した。
「やっとおめざですね。おはようございます……カズ」
アレクシアの声にぼんやりと目を開け、その途端俺は息を飲んで目を見開いた。
すぐ目の前に淡褐色の瞳が揺れて、鼻の頭を彼女の吐息が擽る。
思えばすぐキスできる距離に心臓の鼓動が跳ね上がった。
って、……これは、どんな状況だ?!
「昨日寝てないからって、寝過ぎですよカズ。小隊の皆さん、もう出ちゃいましたよ?」
顔の距離はそのままで困ったような表情をするアレクシア。
小隊……そうか。
昨夜、夜警中に銀狼団のテロに遭遇して、そのまま戦いになって……あと少しのところで来栖の野郎に邪魔されたんだった。
ルーファス達もロートを見失って。
火事の鎮圧とか後始末を終えて基地に帰ってきたら今度はルーファスの報告に同行して、事情聴取をうけた。
全部終わって、詰め所のソファーに座り込んでからの記憶がない……どうやら速攻で寝落ちしたらしい。
「小隊……ルーファス達は何処に行ったか分かります?」
俺は体を起こすようにしてアレクシアから距離を取り、問うた。
「ルーファスさんは昨日の現場の検証をすると言ってました。目の前で逃げられたのが余程悔しかったみたいです……私達も行かないと、ですね」
そう言いながら、アレクシアは離れる素振りを見せない。
退いてくれないと動けないんだが。
……あれ? そう言えば。
「アル、眼鏡は……無くていいんですか?」
今朝の彼女はいつもしている分厚い眼鏡をしていない。来栖に襲われたときレンズにヒビが入ってしまったが、大丈夫だろうか。
俺の問いにアレクシアは一瞬キョトンとして、すぐにニッコリと笑みを浮かべた。
「あれは、伊達ですから。学院時代、あれをしていないと男の人に声を掛けられて煩わしかったんです……だから眼鏡を」
「……はあ」
確かに眼鏡を外したアレクシアは、知的で清楚な雰囲気が目を引く美人だ。
だからと言って、煩わしいと感じるほど男から声をかけられるというのは言い過ぎだろう。
もしかして、魔法学院には女生徒が少ないのか……いや、単に自意識過剰なだけかもしれない。
まあ、今はそんなことはどうでもいいが。
「……でも」
「……? でも?」
つ、と目を逸らし、頬を染めるアレクシアに俺は眉を顰める。
「カズには……貴方には私を見て欲しいと思いました。だから眼鏡は要らないんです」
いや、瞳を潤ませて唐突にそんなことを言われても困る。脳裏にシャルロットの拗ねた顔が過るし。
今は雰囲気に流されている場合じゃない。
ちらと詰め所を見渡したが、こんな時に限って皆出払っているらしく俺とアレクシアの二人きりだ。
「と、兎に角。ルーファス達の所に急がないと……」
俺がアレクシアの肩に手を添えて離そうとしたとき、詰め所の扉が開いた。
「……カズマ、まだ居る?」
そこからひょっこり顔を覗かせたのは、一人の少女。
深めに被ったフードから艶やかに光る銀の髪がこぼれ、洋紅色の瞳が俺を見付けて一瞬固まる。
「ステラ、何でお前が……?」
彼女は屋敷で留守を守っている筈だ。
狼人の賊を追っている騎士団の基地に半狼人の彼女がわざわざ来るなんて……屋敷で何かあったのだろうか?
嫌な予感がしてステラに問おうとして、俺は思わず唸った。
俺を見つめるステラの白い顔がみるみる赤く染まり、つり目がちな眼差しが厳しくなる。
「カズマっ! こんのドスケベっ! 人が心配して来てみれば、朝っぱらから何やってんのよっ! 変態!」
「へん……って。いや、これは……」
誤解だ、と言い掛けて、言葉を飲み込んだ。自分とアレクシアを改めて見れば、なかなか言い訳が厳しい状況だ。
「……カズマ様をいきなり口汚く罵倒するなんて。貴女、何様ですか?」
「あ、あんたこそ誰よ! 朝っぱらからカズマに色目使って……破廉恥よ!」
音もなく俺から離れ、ステラの間に割って入り、ステラを見下ろすように仁王立ちするアレクシア。
ステラも負けじと髪を逆立て、威嚇するようにアレクシアを睨み付ける。
そう言えば二人は初対面だったか。
朝の爽やかな空気を凍り付かせる冷たい視線が絡み合い、激しい火花を散らした。
……いや、だから。どうしてこうなった。




