第四十五話 『カズマと大獅子』
……ふと、昔聞いた話を思い出した。
故郷のアフリカ、サバンナに住むマサイの人達は勇気の象徴であるライオンの牙を獲るため、年一回獅子狩りをする。
その時、ライオン一匹を二十人がかりで仕留めるのだと聞いた。
それだけ百獣の王と呼ばれるその獣は手強く恐ろしいのだ。
「……さて、どうしたもんか」
改めて目の前にいる獣を見る。
立派な鬣と、金色に光る体毛を持った大獅子……マンティコア。
故郷ではそう呼ばれる空想上の魔獣だが、この国ではなんと呼ばれているのか分からない。
体の大きさは牡牛ほど。剥き出した歯は鋭く、三列になっている。全身筋肉質で、振り上げた蠍の尾の先端に鋭い針がついていた。
……あの尻尾の針、やっぱり毒針なんだろうか。当たらないに越したことはない。
マンティコアは尻尾を高く上げ、低く唸りながら俺を威嚇してくる。金色の瞳は爛々と光り、口許は涎で濡れていた。
まさに腹を空かした猛獣だ。
俺は彎刀を正眼に構えると、マンティコアを睨み返す。
互いに攻撃の隙を窺う緊迫感。
先に動いたのは空腹のマンティコア。咆哮を上げながら全身のバネを使って飛び掛かって来る。
猫科特有のしなやかな跳躍から繰り出される前肢の一撃が瞬く間に眼前に迫った。
「ちぃっ?!」
デカブツの癖に速い!
普通のライオンでさえ一発で野牛を昏倒させる前肢。あの体重と速度が乗った一撃をまともに喰らえばひとたまりもない。
俺は体勢を低くして必殺の一撃を掻い潜ると、擦れ違い様に刃を振るった。肉を切り裂く感覚と共に鮮血が散る。
手応えはあった……が、浅い。この刀では奴の鎧のような筋肉を断てない!
と、不意に悪寒に襲われ、俺は体を捻ってマンティコアから離れる。
その鼻先を掠めたのは……針?! こいつ、尻尾の針を飛ばしやがった!
危ねぇな畜生!
俺は転がるようにして間合いを取り、彎刀を下段に構えた。
傷付けられたマンティコアも、怒気を剥き出しにして再び蠍の尻尾を振り上げて身構える。
ってか、もう新しい針が生えたのか。
人間相手なら現役時代を含めてそれなりに数をこなしてきたが……獣相手はどうにもやりづらい。デカイ図体の割りに動きが速いし、全く隙がない。
刀が駄目なら魔法で、と行きたいが、『ことば』に集中する僅かな隙に襲われたら防ぎようがない。
何とか奴の動きを止めたいが……
「『……我が名に於て顕現せよ、黒き炎の吐息。炎の矢』っ!」
その時、アレクシアの紡ぐ『ことば』が虚空に多くの炎を産み出した。
炎は鏃となって風切の音を立てながらマンティコアに降り注ぎ、一瞬で大獅子を業火に包み込む。
魔獣とはいえ生き物だ。全身を炎に焼かれ、マンティコアは激しい咆哮を上げながら見悶えた。
今だ!
「『飛礫よ』……『槍』っ!」
俺の紡ぐ『ことば』に石畳から多数の石槍が撃ち出され、唸りを上げてマンティコアに襲い掛かる。
何とか炎を振り払ったマンティコアは、風を切って迫る槍を避ける事ができない。
身体のあちこちを石の槍に貫かれた大獅子は大きくよろめいた。
が、マンティコアは倒れることなく踏み留まり、口から血の混じった沫を吹きながら俺を睨み付ける。
あれで倒れない……? なんてタフな。
大獅子は炎で無惨に焼けた鬣を逆立て、狂ったように咆哮を上げて俺に突っ込んできた。
「カズっ!」
アレクシアの悲鳴。
俺は彎刀を正眼に構え直し、獅子の吶喊を真正面から迎え撃つ。
全身のバネをしならせ、弾丸のように飛び掛かるマンティコア。獅子は顎をカッと開き、俺の喉を噛み砕かんと襲い掛かった。
だが、その動きは視えている。
俺は身体を沈めてマンティコアの顎を躱し、彎刀を顕になった獅子の喉元に突き立てた。
「うおぉぉぉぉっ!」
そして気合いを込め、そのまま刀を一気に振り降ろす。
刃は柔らかい腹を深く引き裂き、マンティコアは鮮血と臓物を撒き散らしながら地面に激突。そのまま動かなくなった。
倒した……のか?
肩で息をしながら、俺は自らの血に沈んでピクリとも動かないマンティコアに目を凝らす。
呼吸はしていない。マナの流れも感じない……マンティコアの死を確信すると、俺はがっくりと膝をついた。
勝利の高揚感は無い。
ただ、生き残った安堵と深い疲労感に全身の力が抜けていく。
初めてこの手で生き物を殺した。
勿論、今まで生きていて虫一匹殺さなかったわけじゃない。でも、同じ赤い血を流す他者の命を奪う事は虫を殺すのと訳が違う。相手が逃がすわけにはいかない魔獣で、降りかかった火の粉を払っただけでも、だ。
ふと気付くと、刀を握る手が震えている。
感じていたのは罪悪感ではなく……恐怖だ。
力を入れすぎで白くなった右手を見下ろし、俺は苦笑いを浮かべた。
ロートが嘲笑う訳だ。獅子一頭殺しただけで恐怖する俺に、人が斬れる訳がない。
逆を言えば、この恐怖に馴れてしまったら……
「カズっ! 大丈夫ですか?!」
悲鳴のような声に顔を上げると、アレクシアが今にも泣きそうな顔でこちらに駆けて来た。
マンティコアを斬った途端座り込んだ俺を見て、心配してきてくれたのだろう。
「ええ、大丈夫です。少し疲れただけですよ」
俺は安心させるように微笑むと、右手の指を彎刀から引き剥がして立ち上がった。
「よかった……でも、あんな魔獣をやっつけちゃうなんて、カズは凄いですっ!」
「いや、アルのサポートがあったからだよ。じゃなかったらどうなっていたか」
表情を輝かせて喜ぶアレクシアの言葉に、俺は小さく頭を振って答える。
「そんなこと無いです。私なんて……」
頬を染め、照れ笑いを浮かべながら凶悪な棘の付いた杖を抱き抱えて身を捩るアレクシア。
来栖の時もだが、彼女が絶妙なタイミングの魔法で相手の動きを押さえてくれなければ、俺は攻めきれずにやられていた。
「それに、あんな魔法は見たことありません! 術式の詠唱も無しに『ことば』だけでマナに干渉できるなんて! 大賢者様が直弟子として認める方だから凄い才能の持ち主だと思っていましたが、カズは『マナに愛された者』なんですね……私、感激です!」
「ははは……そんなに大層なものじゃないよ」
淡褐色の瞳を潤ませ、興奮ぎみに捲し立てるアレクシアに、俺は苦笑した。
『マナに愛された者』……手順無視で魔法を使える者をそう呼ぶんだろうか。
「……私、頑張りますね!」
「ん? 何を?」
そう言ってキッと表情を引き締め、細い拳を握り締めるアレクシア。
意味がわからず小首を傾げ問う俺に彼女は熱の籠った視線を俺に向けて、はにかんだように微笑んだ。
「カズのパートナーとして恥ずかしくないよう、頑張りますから」
「……あ、ああ。頼りにしてますよ。アル」
多分、『相棒』として頑張るという意味なんだろう。俺はそう解釈して彼女に微笑み返した。
ところで、何を頑張るんだろう?
……
……
……
……
「卿の書状、読ませてもらった。よく調べたものだ」
「お褒めに預かり、恐悦至極に存じ上げます」
商人街の放火から一夜明けて。
豪奢な椅子に深く腰掛けた老人は、屈強な身体を丸めて恭しく頭を下げる男にそう言うと、その猛禽を思わせる鋭い眼を細めた。
「卿は諜報や策略は不得手と思っていたのだが……まあよい。騎士団の無能どもは未だ奴等の尻尾すら掴めぬ。卿はよい家臣を持ったな」
老人……マルコルフ公は満足げな笑みを浮かべると、ホルシュタイン伯爵が差し出した書状を懐に収めた。
その書状は昨夜狼人トルゲからもたらされた銀狼団の情報を書き写したものである。
「しかし、私は未だに信じれませぬ……ワルト城は『帝国の盾』と呼ばれた名城。廃されて兵が去り壕を埋められても、野良犬ごときに穢されるなどあってはならぬ事です」
(ふん……濠も無く、兵も殆ど居らぬ城が敵を防げるものか。そのような城をいつまでも放っておくからこうなるのだ)
マルコルフ公は、口惜しそうなホルシュタイン伯の語りを胸のうちで一笑に付した。
歴戦の軍人でもある公は軍事をセンチメンタルでは語らない。
「……しかし、すばしこい野良犬は野原を追い回すより、巣に籠った方が狩りやすいか。そういう意味では僥倖だな」
口許を歪めて笑うマルコルフ公の独言に、ホルシュタイン伯は僅かに顔を顰めた。
狼人の賊に城を奪われ笑う公爵を不審に思ったのだろう。
マルコルフ公にとっても帝都の最終防衛戦『戦乙女の首飾り』の一角であるワルトを狼人が占拠したことは驚きだった。だが……
(こうなれば騎士団中央本庁の無能者どもも討伐軍の派遣を急がざるを得まい)
討伐軍三師団一万八千は未だ帝都に留まっていた。部隊を率いる指揮官の人選が遅々として進まないのだ。
指揮官を任せる貴族をどの門閥から出すか、誰の下に誰をつけるか……家柄や派閥の力関係など、様々な調整に時間がかかっている、というのが騎士団中央本庁の言い分だ。
だが、それを口実に派兵の引き延ばしを謀っているのは明白。騎士団は自分達の手で賊を討ちたいのだ。
しかし、小さいとはいえ己の喉元に刃を突き付けられたとなれば、貴族や商人どもが騒ぎ出す。如何に皇帝の騎士とはいえ、抵抗できないだろう。
(それでも渋るようなら、総司令官として全権を奪えばいい……いや、すぐにでもそうすべきか。時間は無いのだからな)
マルコルフ公は鋭い目をホルシュタイン伯に向け、好戦的な笑みを浮かべた。
「じき戦になる。卿の力を当てにしているぞ? マンゴルト」
「はっ! お任せください。このマンゴルト、ホルシュタイン伯家の名に懸けて閣下のために存分に働いて見せましょう」
そう言って胸を張るホルシュタイン伯に、マルコルフ公は満足げに頷く。
そして、ふとその表情を緩めると椅子に深くもたれて問うた。
「時に……そなたの息子とブルヒアルトの娘との縁談は順調か」
義兄の問いに、ホルシュタイン伯は苦虫を噛み潰したような険しい表情を浮かべる。
「それが、ブルヒアルトめ、何かと理由を付けて式を引き延ばそうとするのです。このままでは息子の初陣に華を添えてやることができませぬ」
ホルシュタイン伯がブルヒアルト伯の娘シャルロットを息子ザムゾンの嫁に欲しいと申し入れてから暫く経つ。
だが、ブルヒアルト伯は娘の心労や自身の多忙を理由に答えを避けていた。
「で、あるか……しかし、ブルヒアルト伯の娘は嫡子の嫁には過ぎるのではないか?」
「私も正妻は同格の家から娶るものだと言ったのですが聞かぬのです。余程気に入ったようで」
マルコルフ公の言葉に苦笑いを返すホルシュタイン伯。公は春の舞踏会で見掛けたブルヒアルト伯の娘の顔を思い出し、小さく溜め息をついた。
確かに美しい娘だった。だが、かなり気の強いじゃじゃ馬だと聞いている。乗りこなすのは難しいだろう。
本来なら止めておけと引き留めるのだが、ブルヒアルト伯領と彼の家の役目はマルコルフ公にとって魅力的だった。
ホルシュタイン伯も同じことを考えている。でなければ伝統あるホルシュタイン伯家の嫡子の正妻に、格下の貴族の娘を迎えるなど断固反対した筈だ。
「ならば甥のために一肌脱いでやろう」
マルコルフ公は歴戦の戦士の顔に戻り、ニヤリと口許を歪めた。




