第四十四話 『一馬と来栖』
「なっ……アレクシアっ!」
ルーファスがアレクシアの名を叫ぶ。
渦を巻きながら吹き上がる炎が撒き散らす熱風が頬を撫で、俺は腕で顔を覆った。
彼女が作った水の塊が魔力の制御を失い崩れ落ちる。数十本の炎の礫をまともに受ければ人間はひとたまりもないだろう。
だが、『手応え』はあった。
やがて炎の渦が消え、辺りの熱が引いていく……
そこには、焼け焦げた石畳と、座り込むアレクシアの姿があった。
「あ……わたし……は?」
アレクシアは衝撃に頭が回らないのか、杖を抱き締めて呆然としている。
爆発の衝撃で眼鏡がひび割れてずり落ち、茶褐色のお下げの先が少し焦げてはいるが、ぱっと見た限りでは大丈夫そうだ。
……よかった。今度は助けられた。
俺が安堵の溜め息をついたその時、背中に殺気が突き刺さる。
「『衝撃』」
「……っ!!」
耳元で囁くように紡がれる『ことば』。
瞬間、全身を金棒で殴られたような衝撃を受け、視界の天地が回転する。
吹き飛ばされた……そう認識した瞬間、背中に衝撃と激痛が走る。石畳に叩き付けられたのだ。
反射的に受け身が取れたのはガキの頃からの鍛練の賜物だ。それでも痛いことに変わりない。
クソッ! どこのどいつだ!?
体を転がしながら衝撃の魔法を放った奴を探す。
ロートの傍らに全身を黒いローブで覆った人影が見えた。いつ、何処から出てきた?
俺は反動をつけて素早く体を起こし、石畳に手をついて『ことば』を紡ぐ。
「『飛礫よ』っ!」
『ことば』に応えるように石畳が弾けて石礫の弾丸となり、轟音をあげて黒いローブの人影に突き刺さる……が。
「……ふっ!」
影は短く息を吐くと素早く刀を抜いて飛礫の弾丸を切り落とした。
見切られた? ……間違いない。奴だ!
ローブのフードを目深に下ろして顔を隠しているが……手順無視して魔法をぶっ放し、高速で撃ち込まれた礫を斬り落とせる奴なんて俺と爺さん以外には一人しか知らない。
来栖 仁……あの野郎、夏祭り以来姿を見なかったが、何故今出てきた!?
「撤退だ、紅狼。策は成った。これ以上は無意味だ」
「チッ……つまらん。ようやく興が乗ってきたのだがな」
「……楽しみは次の機会に取っておけ」
牙を剥いて苛立たしげに唸るロートに、芝居がかった仕草でそう答える来栖。
既視感か。前にも同じやり取りを見た。
頭の片隅で、俺の勘が『奴を逃がすな』と警鐘を鳴らしている。
分かってはいるが、相手は強敵ロートにお得なセットで異世界人が付いているハッピーセットだ。
周囲を見ると、俺と同じようにさっきの衝撃波で吹き飛ばされたのかルーファス達もロートから離れた地面に倒れている。
彼等もロートらの動きを察して何とか得物を手に起き上がろうとはしているが、戦えるかどうか。
……つまり、今ここで動けるのは俺だけだ。やれるのか?
ちらと近くのアレクシアに視線を飛ばす。彼女は漸く気を取り直し、杖を手に身構えた所だ。
まあ、このままやられっ放しで見逃すのはムカつくし、やれる事やらずに後悔したくは無い。
再びロート達を見る。赤毛の狼人は構えを解き俺達に背を向けようとしている。
撃つなら今だ。
俺は右手を突き出すと、意識を集中。長い石の杭をイメージして『ことば』を紡ぐ。
「『大地よ』っ!」
俺の『ことば』に石畳が盛り上がり、そこから岩の槍が飛び出した。
十本の岩の槍は一本一本が大人の腕ほど。それが錐のように回転しながら、背を向け走り出したロートに襲い掛かる!
その時、来栖がロートを庇うように岩の槍の前に立ち塞がった。
「『盾よ』」
来栖の張った魔法の盾が岩の槍を轟音と共に悉く打ち砕く。
やるっ! だが、それは想定内!
「『力よ』っ!」
俺は彎刀を握り直すと、胸に手を当て小声で『ことば』を紡いだ。視界が一瞬赤く染まり、体の奥から力が沸き上がる。
「アルっ! 援護をっ!」
そう鋭く叫ぶと、俺は全力で来栖の間合いに飛び込んだ。
「……え? は、はいっ!」
流れる視界の隅でアレクシアが慌てているが、彼女なら任せて大丈夫だ。
「しっ!」
「ちぃっ!」
地面すれすれから掬い上げるように放った逆袈裟の一太刀。しかし、来栖は大きく上体を反らせて切っ先を躱す。
すかさず返す刀で袈裟掛けに斬り下ろすが、奴の刀に受け止められた。
これでいい。俺はこいつを止める。
魔法で強化された力で来栖の刀を押さえ込み、俺はルーファスに叫んだ。
「ここは押さえる! ロート……赤い狼人を追え!」
「っ! 分かった!」
ルーファス達三人がロートを追って走る。俺はそれを視界の隅で確認し、刀を押さえる手に力を込めた。
鋼と鋼が擦れる不快な音が響く。
「ふふっ! 貴様と刃を重ねるのも久し振りだな……一馬」
「何がっ! 人が忘れた頃に顔を出しやがって……」
「少しはやるようになった……が、まだだ」
来栖はそう言ってニヤリと笑い、鍔迫り合いを押し返してくる。俺は力を込めて押し返すが、徐々に押され始めた。
鍔迫り合いを五分に戻した所で、クルスが囁くように言う。
「あの騎士達にロートを追わせたのは失策だったな……奴は強い。例え追い付いても喰い殺されるぞ」
「それは……どうかな!」
腕に力を込める俺。その瞬間、脳裏にイメージが閃いた。
……鳩尾を狙った前蹴りからの袈裟懸け!?
「ちぃっ!」
俺は来栖に押される形で後ろに跳んで奴の蹴りを躱すと、続く袈裟懸けを彎刀で弾く。
鋼のぶつかる音と共に激しい火花が散った。
「ほうっ! やる!」
「まだっ!」
動きを見切られながら喝采の声をあげる来栖。俺は腰を落として彎刀の刀身を水平に倒すと、一気に間合いを詰めて突きを放つ。
が、来栖は刺突を避けることなく、俺目掛けて腕を突き出し叫んだ。
「『爆ぜよ』っ!」
「うっ!? 『疾風よ』っ!」
俺が咄嗟に突きを解いて刀を払った刹那、目の前で炎が爆ぜる。
次の瞬間吹き付けた突風に、来栖の爆炎が絡み付いて渦を巻き、俺は熱風に思わず怯んだ。
それを狙ったように渦巻く炎を突き抜けて、刀の切っ先が俺に迫る!
「ちぃっ!」
何とか体を捻って躱すも、頬を刃先が抉った。焼けるような痛みに顔を顰め、俺はそのまま来栖に体当たりをする。
体と体が激しくぶつかり、俺と来栖は至近で睨み合った。
「メアリム師に学んだ貴様が、何でテロをやって無実の人々を傷付ける?!」
「無実の人間などいるものか! この世界はクソだ。だから潰すんだよ!」
「それは駄々っ子の癇癪だっ!」
「貴様もじきに分かる。永劫回帰の理……そんなクソみたいなモノに縛られたこの世界がな」
「また訳の分からない事を……!」
俺は一瞬引いて来栖の体勢を崩し、身を翻して彎刀を振るう。
肩口を狙って降り下ろした一撃は、踏み留まった来栖に受け流される。反撃の切り返しは上体を反らしてなんとか躱すが、刀の切っ先が鼻先を掠めて背筋がヒヤリとした。
くそっ! 流石に伊達じゃない!
返す刀の横凪ぎを跳ね上げる。そのまま互いに刀を振るうが、すべて互いに空を斬った。
再び間合いを取り、彎刀を上段に構え直す。息が上がっている……こんなに撃ち合ったのは現役以来だ。
クルスも刀を八相に構えて大きく息を吐いた。
「一馬、俺達のところに来い。貴様にはその資格がある」
「……なに?」
唐突な事を言う来栖に、俺は眉を顰めた。
何を言うんだ? いきなり。
「イスターリ宮中伯は自分の野心を満たすため貴様を泥沼の政争に巻き込むだろう。その先に自由はない。だが、俺と来れば下らない宮廷闘争や権力の柵とは無縁だ。己の意思のままにその力を振るうことができる……どうだ?」
「……そうやって自分達のために力を振るった結果が、夏祭りと今回の悲劇か?」
「大義のために犠牲は必要さ。いつの時代も」
「貴様達の大義とやらがどんなものかは知らんが、罪もない子供や女性を殺さなきゃならない大義なんて俺はやだね」
「そうか。残念だ……」
……ぞわり。
来栖の雰囲気が一変する。彼の体から発せられる圧迫感に、俺の背筋に冷たいものが走った。
……来る!
その時、こめかみにチリチリと痛みを感じる。
風のマナが激しく反応しながら上空の一点……俺達の直上に集中しているのだ。
……この感じは、まさか!?
「カズっ!」
アレクシアの叫び。
俺は来栖から離れるように大きく跳ぶと、目を閉じて『盾』の『ことば』を紡ぐ。
そして少女の朗々とした『ことば』が響いた。
「『我、汝に乞う。我が前に立ち塞がる障害を汝が御力にて打ち砕かん。顕現せよ、万雷の大槌……雷よっ!』」
「なんとっ!?」
刹那、世界を白く染め上げる閃光が降り注ぎ、空気を震わせる轟音と大地を震わせる衝撃がいっぺんに襲い来て来栖の絶叫を掻き消した。
にしてもアレクシア、『雷神の大槌』とは。爺さんも詠唱なしでは放てない渾身の大技だぞ。メアリム爺が優秀だと太鼓判を押すだけはある。
帯電したマナの残滓が薄れ、俺は彎刀を構えながら盾の魔法を解く。
来栖は……立っていた。
「ただの魔法使いと油断したが……まさかな」
来栖は忌々しげにアレクシアを睨むとふらつくようにして一歩下がった。
「そんな……手応えはあったのに」
「俺も耐えたんだ。彼奴も耐えるさ」
愕然と呟くアレクシア。俺は彼女を振り向き、宥めるように笑いかける。
「だが、これ以上は戦えないだろ、来栖。投降しろ。じきに騎士団の本隊が来る」
「残念だが……本隊が来る事はない」
「何?」
「火災がここだけだと思ったか? 今頃連中は対応に追われて身動きできなくなっているさ……ふふっ」
口許を嘲りに歪めて笑う来栖。ハッタリの類いではない。いったいどれだけ放火したんだ?
「俺も殿の役目は果たした。ここで貴様に負けるのも癪だ……ああ。折角貴様と再び相見えたのに、残念だよ」
来栖は芝居がかった仕種で頭を振ると、俺を見据えてニィッと厭らしい笑みを浮かべる。
「その体で逃げられると?」
爺さんの雷を受け止めた体験から、来栖は立っているのもしんどい筈だ。
「ああ、ただ逃げるのは失礼だな。土産を置いていこう。楽しんでくれ」
そう言うと、来栖は懐から鈍い光を放つ小瓶を取り出し、石畳に落とす。
……土産だと。この展開、アニメやラノベでお約束のあれじゃないか。凄まじく嫌な予感が。
来栖がローブを翻して踵を返した直後、小瓶が小さな音を立てて割れ……紫色の煙が吹き上がった。
毒ガス? いや、違う。煙の向こうに何かがいる。あれは……
やがて紫色の煙が晴れ、低い唸り声と共に現れたのは、巨大な獅子。
ただ、そいつは歯は鮫のように三列並んでいて、尾は蠍の尾に似た形をしていた。
「食人獣……だと? おいおいマジかよ」
土産にしては悪趣味すぎるぞ! くそっ!




