第三十八話 『父と娘』
「お断りいたします」
そう、迷うことなく答えた娘に、初老の紳士は僅かに眉間に皺を寄せた。
「……しかし、シャルロット、お前も大人だ。自分が我儘を言える立場でないことはわかっているだろう?」
シャルロットは頭を振ると、諭すように言う老紳士……ブルヒアルト伯爵を真っ直ぐ見返す。
「我儘なのはわかっています。でも、顔も知らない男性との結婚は嫌なんです」
「ホルシュタイン伯爵の息子は我が家の晩餐会にも顔を出している。全く知らない筈は無い」
ブルヒアルト伯は腰掛けた天鵞絨の椅子にもたれ、小さく溜め息をついて苦笑いを浮かべた。
「お会いしたかも知れませんが、記憶になければ知らないのと同じです」
「……そうか」
いつもなら小言を言うところだが、ブルヒアルト伯は娘の言葉に小さく頷いただけで何も言わなかった。
「それに、このようなときに結婚の申し込みなんて、そのホルスタインという方はどうかしています。何故そんな無神経な話をお受けになったんです?!」
「ホルシュタイン伯爵だ。シャルロット」
腰に手を当て、憤然とした表情で詰め寄るシャルロット。ブルヒアルト伯の指摘は無視だ。
『卿の娘、シャルロットを息子の嫁に欲しい』……そうホルシュタイン伯爵本人から申し入れがあったのは、夏祭りの悲劇の三日後の事。
確かに縁談を持ちかける時期としては相応しくない。
ブルヒアルト伯も、事件の血の臭いも消えないうちに突然申し込まれた縁談に違和感を覚えた。
だが、家の格はホルシュタイン伯家がブルヒアルト伯家より上。無下に断ることはできず、『シャルロットが事件にショックを受けて臥せっているから』……と返事を保留しているのだ。
「……ホルシュタイン伯家は由緒ある家柄。その息子は文武に優れた優秀な人物だと聞く。縁談の相手として悪くはないと思うがな」
「それは私の為ではなく、家の為にでしょう?」
「貴族の結婚とはそういうものだ」
「……っ!」
ブルヒアルト伯爵は声を低くして娘を見据え、シャルロットは唇を噛んで顔を逸らす。
貴族にとっての結婚とは、家と家とを結び付けるものだ。そこに個人の感情や人格は必要ない。まして、選択肢などある筈もない。
シャルロットも十七歳。姉のイザベラが嫁いだのも同じ年頃だった。彼女も貴族の女の定めと役割は理解している筈だ。
(いや……理解しているからこそ、か)
まるで世界の終わりを見たように青ざめ、怯えたように目を伏せるシャルロット。
ただ我が儘で結婚を拒んでいるだけなら、こんなに思い詰めた表情はしない。
では何故こうも頑なに拒むのか。
「……好いた男でも居るのか」
「……っ!! そ、そんな事はありませんわ」
伯爵の問いに、シャルロットの表情が固まる。
目が泳ぎ、動揺を隠せないようだ。感情を隠すのが下手なのは相変わらずか。
(成程な)
ブルヒアルト伯爵は大きく溜め息をつくと、椅子から立ち上がって窓辺に立った。
「家の為に嫁に行くのが貴族の女の役目だが……儂も親として娘の想いを踏みにじりたくはない」
「……お父様!」
シャルロットはホッとしたように表情を和らげる。
「だが、その男がブルヒアルト伯家の娘に相応しいかは儂が決める。お前が選んだ男に儂が納得すれば……今回の話、考えよう」
「でもお父様、それは……っ!」
シャルロットの抗議の声を、ブルヒアルト伯は厳しい目線で制した。
「自信がないか? 自分の男を見る目に。お前が惚れた男はその程度か」
「なっ?! いえ……分かりました」
シャルロットは一瞬カッと頭に血が上ったようだが、直ぐに何かを心に決めたように静かに頷いた。
(ふう……悪い父親だな、儂は)
シャルロットは淑女の礼をして部屋を後にし、一人残されたブルヒアルト伯は苦笑いを浮かべて再び椅子に腰掛ける。
と、部屋の扉がノックされ、一人の若者が入ってきた。
ブルヒアルト伯家嫡子、ラファエルである。
彼は父親に会釈をすると、意味ありげな微笑みを浮かべて首を傾げた。
「父上、シャルロットに何を言ったのです?」
「聞いていたのだろう?」
わざとらしく問うラファエルに、ブルヒアルト伯爵は酸いような笑いで口許を歪める。
ラファエルは伯爵の言葉を肯定するようにニヤリと笑った。
「……では此度の縁談、どうされるのですか?」
「両家が結べばブルヒアルトは名家と繋がりを得、ホルシュタインは富を得る。常識で考えれば、双方利を得るよい縁談ではある……しかし、今の時世は昔ほど単純ではない。悩ましいな」
ブルヒアルト伯家は良質な葡萄酒の産地を領地に持ち、貴族のなかでも豊かな部類に入るが、家の格はそう高くない。
一方、ホルシュタイン伯家は古くより帝国に伝わる名家であり格は高いが、所領の経営は思わしくなく何かと金に困っていると聞く。
名家らしく気位の高いホルシュタイン伯が格下のブルヒアルト伯家に当主自ら縁談を持ちかけて来たのはそういった事情が関係しているのだろう。
勿論それたけではないだろうが。
「この数ヵ月、公爵派が中立貴族の取り込みを積極的に行っています。ホルシュタイン伯の奥方はマルコルフ公の妹君……そちらの力も働いているでしょうね」
ブルヒアルト伯爵の考えを読んだように、ラファエルが声を落として告げる。
マルコルフ公。四公随一の武闘派で、もうすぐ編成される討伐軍の総司令官だ。
「中立を捨てて公爵と繋がれば、宮廷での地位も上がる……か」
「昔なら。しかし、時代は動いています……今強いものが十年先も強いままとは限りません」
今は公爵派と宰相派の勢力に大きな違いはない。逆に言えば、まだどう転ぶか分からないと言うことだ。
「分かっている……ところでラファエル。お前、シャルロットに好いた男が居るのを知っていたな?」
「……さて、どうでしょう」
ラファエルはとぼけた口調で微笑むと、ブルヒアルト伯は少し拗ねたように口許を歪めた。
「ふむ。知らぬのは儂だけか……気に入らんな。それで、どんな男だ」
「それは……御自身の目で確かめられるのが一番早いかと」
「口では語れぬか」
「はい。しかし、あの者は今のところ我が家の益にも害にもなりません……ただ」
「ただ、なんだ?」
思わせ振りに言い淀むラファエルに、ブルヒアルト伯爵は眉を顰める。
「よい刺激になるかと」
「刺激か……面白そうだ」
ラファエルの言葉に、ブルヒアルト伯爵は意味ありげな笑みを浮かべた。
……
……
……
……
「……と言う訳なの」
そう言って、シャルロットは悲しげに目を伏せ、肩を落とした。
父親が自分の知らないうちに縁談を進めていた。家の為に顔も覚えていない男と結婚させられるのは嫌だーーと言うことらしい。
典型的な政略結婚か。
貴族の女性は親が決めた相手と結婚するのが当たり前で、恋愛結婚は物語の世界でしかない……そういうものだと頭では理解しているが。
彼女が知らない誰かのモノになる……そう考えると何故か胸の奥で暗い何かがざわめくのを感じた。
「良かったじゃない。貴女みたいなじゃじゃ馬に貰い手がいて」
ステラが俺の腕に抱き付くようにして身を寄せ、シャルロットに笑いかける。
そんなステラの態度に、シャルロットは不愉快そうに顔を顰めた。
「誰がじゃじゃ馬よ。見ず知らずの男になんて、貰われなくて結構。私には……その……」
そう言いながら、シャルロットはちらちらと俺の方に視線を送ってくる。
『何だ? 』と問うように首を傾げると、彼女は慌てて目線を逸らした……何なんだ?
「兎に角、貴族の娘だからって、親が勝手に決めた、どこの馬の骨とも知れない男に嫁ぐのは嫌なのよっ! 人生を預けるなら私が納得した人じゃなきゃ」
「……馬の骨って。でも、気持ちはわかるよ」
取り繕うように声を大きくして胸を張るシャルロット。ステラは苦笑しながら頷いている。
この二人、何だかんだ言って仲が良いんだな。
「それで、俺に頼みって何だ? 話を聞く限りじゃ、俺にできることは無さそうだが……もしあるなら、できることはするよ」
シャルロットは少し迷ったように瞳を揺らし、小さく息をつくと真っ直ぐ俺を見上げた。
「カズマ、私と一緒に父に会って欲しいの」
「はぁぁっ?! ちょっと待ちなさいよ?!」
シャルロットの言葉に、ステラがすごい剣幕で食いつくように叫ぶ。
「……何よ」
「貴女、それがどういう事か分かって言ってるの?」
ステラの刺すような視線を、シャルロットは豊かな胸を突き出すようにして正面から受け止める。
二人の鋭い視線がぶつかり、火花が散っているようだ。
いがみ合ったり解りあったり忙しいな、おい。
「父とって……ブルヒアルト伯爵に? 俺が伯爵と会って何になる?」
まさか『結婚は娘さんの意思を尊重すべきです』とか言って伯爵を説得しろってのか。
俺の問いに、シャルロットはすがるような上目遣いで俺を見た。
「お父様は『お前に想う男がいて、その男が伯爵家に相応しいと儂が認めれば、縁談を断る』と言ってるわ。だから、カズマに私の……こ、恋人役になって欲しいの」
「それは、お父上……ブルヒアルト伯爵を騙すことになるんじゃないか?」
恋人の代わりとか、レンタル彼氏かよ。流石にそのバイトは経験がないぞ?
顔を顰める俺に、シャルロットは慌てて手を振る。
「別に嘘をつくわけじゃないわよ? ただ……一日だけでも私の恋人になって欲しいの。カズマなら父も納得すると思うし」
いや、一日でも嘘は嘘だ。俺は彼女の恋人じゃないんだから。
それに、俺は貴族でもなんでもない無位無冠の平民だ。その俺が伯爵令嬢の『恋人』というのはマズくないか?
「段取りは私が何とかするから……お願い。カズマには迷惑かけないわ」
『任せて! 』と胸を張るシャルロット。
彼女の為にできることはする、そう言ったが…………なんか嫌な予感しかしないぞ。
「私は反対よ! 『一日だけでも』とか言って、上手く行ったら絶対既成事実にするわ! そのまま結婚とかなったらどうするのよ」
俺とシャルロットの間に割り込み、威嚇する猫みたいに肩を怒らせて叫ぶステラ。
流石にそのまま結婚は……ないと思うぞ。
「ステラだって、宮中伯様の執事の娘なのを良いことに屋敷に入り込んで隙を狙ってたでしょ?」
「……隙って。この屋敷は私の家なの! 泥棒猫みたいな言い方はやめてよね」
シャルロットとステラは互いに睨みあう。まるで仔猫の喧嘩みたいだ。
と、シャルロットは不意に何かを思い出したように口許を歪める……ラファエルがたまにやる悪い笑顔だ。
「そうだ。カズマ。貴方がこの屋敷で二回も私を押し倒して体に触れた事、お父様やお兄様に黙っておくわ。他人なら乱暴だけど、恋人ならスキンシップだもの……ね?」
あ、このやろ。さらりと脅迫してきやがった。
言っておくがあれは事故だからな? 悪いのは全部あの駄馬だ。
「……話は分かった。でも、これは俺の一存で決められる話じゃない。俺は宮中伯様の使用人で弟子なんだから、先ずはメアリム様に話を通さないと」
俺の答えにシャルロットは何か言いたげに口を開いたが、すぐに頭を振って微笑んだ。
「そっか……そうよね。突然無理言ってごめんね?」
あっさり引き下がったシャルロットに、ステラも意外そうな表情をする。
「でも、できるだけ早く答えが欲しいの。時間はあまりないから」
「……ああ」
失意を誤魔化すようなシャルロットの微笑みに胸を痛めつつ、俺は頷いた。
後悔はしないと心に誓ったが……どうしたものか。




