第二十九話 『昔の記憶(トラウマ)と少女の思い出』
「……バルタザール監獄要塞?」
俺はステラが口にした名前を鸚鵡返しで聞き返した。
「そうよ。あんた、一体何をしでかしたの?」
「なにもしてないよ」
ベッドに腰掛け、呆れたように俺を見るステラ。俺は彼女の言葉に憮然として言い返す。
バルタザール監獄要塞。
確かメアリム爺さんの授業でその名を聞いた事がある。
元は帝都シュテルハイムを囲む城壁の城壁塔として建てられたものだ。
だが、都市の拡大に伴い、中層区と下層区の間に現在の城壁と城門が建てられたことでバルタザール要塞は城壁塔としての役目を終え、その堅牢さを生かして監獄として生まれ変わった。
中からも外からも難攻不落の監獄。故に『監獄要塞』と呼ばれる。
ーーまあ、今はそんな事はいい。
問題は、何故俺とステラがこんな政治犯やら重罪人が入るような監獄に入れられているのか、ということだ。
ステラがゲルルフの一味だった事は俺とクリフトさんくらいしか知らない筈。
俺は軋むように痛む首に顔を顰めながら部屋を見渡した。
部屋の入り口と思しき扉は、鉄で補強されて格子窓のついた無骨で分厚いもの。よく見ると、扉の覗き窓の向こうに人影が見える。
気配からして二人か……思いの外厳重だな。
窓というものはなく、天井近くに鉄格子が嵌められた換気用の穴が二ヶ所穿たれているだけだ。
そこから光が帯のように陽の光が差し込み、部屋を照らしている。
こんな場所に長く閉じ込められていたら息が詰まってしまいそうだ。
「ステラは、ずっとこの部屋に居たのか」
「……何よ。悪い?」
「いや。今まで介抱してくれたんだな……ありがとう」
「っ! ……べ、別にあんたの介抱の為に一緒の部屋に入った訳じゃないからね? あんたの介抱はついでだから。暇だっただけだから。勘違いしないでよね」
俺が礼を言うと、何故か頬を僅かに上気させ、早口で捲し立て目を背けるステラ。
礼を言われて照れてるのか? 可愛いとこあるじゃないか。
「何をニヤニヤしてるのよ」
「……いや」
頬を真っ赤にしたステラにジト目で睨まれ、俺は肩を竦めて薄暗い天井に目を移した。
まあ、俺たちをここに連れてきたという、『熊みたいな騎士』がもし彼なら……少なくとも直ぐに危険はないだろう。
根拠は無いが……そんな気がする。
それからステラは口をつぐんでしまい、独房に暗い沈黙が流れた。
見張りは居るが部屋の外。薄暗く静かな部屋に女の子と二人……なんとも言えない気まずい雰囲気がつらい。
ふとステラを見ると、ベッドに片膝を抱えるように座って石壁を見詰めている。
その何か思い詰めたような表情に俺は思わず声を掛けた。
「……なあ、ステラ」
「っ! ……今度は何よ」
彼女は目線だけ俺に向けてぶっきらぼうに聞いてくる。その頬が桜色に染まって見えたのは、気のせいだろう。
換気用の小さな窓から差し込む光がまるでスポットライトのように少女の白い肌と銀色に輝く艶やかな髪を照らしている。
それが凄く幻想的で、思わず見蕩れてしまった。
「……カズマ?」
「あ、いや。こうやって黙ってるのも嫌だからさ、何か話さないか?」
不審げに眉を顰めるステラに、俺は慌てて本題に入る。
「……私は別にあんたと話す事無いわよ? 何日か前に会ったばかりじゃない」
「ま、そうだな……クリフトさんの話を聞かせてくれよ。愚痴でもいい」
「なにそれ……何で私があんたにパパの愚痴こぼさないといけないわけ?」
父親の話をしろ、と言われたステラは露骨に嫌そうな表情をする。
ま、思春期真っ盛りの女の子が父親に苦手意識や嫌悪感を抱くのは仕方ないが、俺とステラにはクリフトさんくらいしか共通の話題がないのだ。
「俺、クリフトさんには色々と助けてもらってるけど、実はあの人の事あまり知らないんだ。クリフトさん、自分の事話さないから」
宥めるようにお願いしてみるが、彼女はぷいと顔を逸らしてしまった。
参ったな。
俺は溜め息をつくと、本音を語ることにした。
「実は俺、ステラと同じくらいの歳の妹がいたんだ」
「……へえ?」
突然話題を替えて自分の身内話を始めた俺に、ステラは妙な表情で相槌を打つ。
俺は今でもハッキリと覚えている妹……楓の面影を思い出しながら続けた。
「明るくて素直なやつだったよ……でも、ある時から急に表情が暗くなってね。部屋に引きこもりがちになったんだ。その時は最近顔を見ないなくらいしか思ってなかった」
「……なんか、他人事ね」
膝を抱き締めるようにして聞いていたステラがボソリと言った。
その言葉に俺は苦笑いを浮かべる。
確かにあの時は他人事だった。
「俺はその時、部活……剣術の訓練に一生懸命だったし、人生を決めるかもしれない大事な試合を控えていたから……自分以外の事は目に入らなかったんだ」
当時、俺はその年の国体県代表になるための予選会を控えていた。
俺と同じく剣道一筋だった親父や学校の期待に応えたいという思いと、より強く、高みを目指したいという俺自身の野心で俺の目には剣道以外見えなくなっていた。
いや、それよりも面倒なことには関わりたくないという逃避の方が大きかったのかもしれない。
兎に角、俺は親父との軋轢や学校の友達との関係で悩み、苦しむ楓を見ない振りをした。
「そして夏が終わったある日、妹が親父と喧嘩して家出してね。次の日、高いところから飛び降りて死んだんだ……遺書には『悩みが抱えきれなくて、どうしていいかわからない。明日になるのが怖い』って書いてあったよ」
思えば、楓は今まで俺に表情や態度で何度も助けを求めていた。
そして、居なくなる何日か前の夜、楓が俺に訴えてきたのだ。
『話を聞いて欲しい、相談に乗って欲しい』と。
でも、俺は大事な時期に煩わしい雑音を入れるのが嫌で、彼女を拒絶した。
昔からお兄ちゃんっ子だった楓にとって、その兄からも見捨てられたショックは、俺なんかには想像もできない。
……もしあの時、アイツの言葉を、苦しみを受け止めていたら、少なくとも、楓は自らの華奢な体を冷たいアスファルトに叩き付け、血塗れで最期を迎えることは……無かったのかもしれない。
いや、今更『もしも』は無意味だ。後悔は先に立たない。
楓が自ら命を断った事が原因でお袋は親父の元を去り、その後暫くして親父は病に倒れ、呆気なく死んだ。
そして、妹を喪って喪失感と後悔に苛まれ、道を見失った俺は部活を辞め竹刀を折った。
二度と剣の道に戻ることはないと思っていたのに。まさか異世界転移になるとは。皮肉なことだ。
「その事があってから、俺は絶対に後悔はしないと誓ったんだ」
「……何で私にそんな事を話すの?」
薄暗い部屋で重い身の上話を聞かされ気が滅入ったのか、そう問い掛けるステラの耳は後ろに倒れ、フサフサの尻尾はしんなりしてしまっている。
「夏祭りの夜、アイツらの所に行こうとしたステラの表情が、あの時の妹の顔に似てたから、凄く気になってね」
悩みや苦しみを抱えきれず、押し潰されそうな、そんな表情。
俺の言葉に、ステラは一瞬目を見開き……そして再び顔を剃らして俯いた。
「私は、アンタの妹ほど弱くはないわ……一緒にしないで」
「ああ。分かってる」
ステラの言葉に、俺は微笑みながら頷いた。ステラはそんな俺をちらと一瞥すると、少し躊躇って口を開いた。
「知ってると思うけど、私は狼人の父親と人間の母親の間に産まれた半狼人なの……でも、それがどういうことか、十歳の誕生日まで知らなかった」
それまで、ステラの世界はメアリム爺の屋敷とその周りの限られた場所だった。
街は『狼追いの夏祭り』のような特別な日にメアリム爺やベアトリクスさんに連れられて行く特別な場所だったのだ。
しかし、彼女が十歳になり、一人で街に出掛けたステラの街への憧れは失望に変わる。
人間は狼人を蔑んで忌み嫌い、狼人は征服者であり自分達を迫害してきた人間を憎む。
そんな中で人間でも、狼人でもない『混ざり者』は人間、狼人双方から忌み嫌われた。
『祖父』メアリムや、人間との親交も深いヨルクは彼女を受け入れ普通に接してくれたが、それは一部の例外に過ぎない。
自分は『狼人』なのか。『人間』なのか。
自分の存在に思い悩んでいるとき、ステラは自分の出生について心無い噂を耳にする。
『宮中伯様の所の混ざり者の小娘は、執事の狼人が女を略奪し、乱暴して産ませた子供だ』と。
少女は父を問い詰めた。しかし、父親はそれを明確に否定しなかった。その態度に裏切られたと感じたステラは、父親を激しく詰って家を飛び出してしまったのだ。
「それが私の早とちりって言うか、勝手に思い込んだだけだったって知ったのは、結構最近。でも、あの時は感情に任せて、パパに『人殺し』って叫んで飛び出しちゃった。今思えば馬鹿だったなぁ……って」
そう、自嘲的に笑うステラ。
まあ、流石に『人殺し』って詰るのは酷いと思うな。俺も。
「その後……あてもなく街を歩いて。二日くらいだったかな。偉そうな貴族騎士にぶつかっちゃて、怒った相手に乱暴されそうになって」
そこで言葉を切った彼女は横目で俺を見る。
成る程。彼らから逃げる途中で俺にぶつかった、と。
「……で、何であの時逃げたりしたんだ?」
「それは……あの時、人がいっぱい集まってきて怖かったし、それにカズマがアイツらを追っ払えるとは思えなかったし。それなら、今のうちに逃げるしかないって思ったのよ」
「成る程ね」
ステラの考えも間違ってはいない。突然目の前に現れた俺が味方か分からないし、何より追い詰められてパニックになっていたのだろう。
「……何も言わずに、身代わりに押し付けて逃げるような真似をしたのは悪かったわ」
「いや、あの時は仕方ないさ。どうせ言葉も通じなかったしね」
俺の言葉に、ステラは少しホッとしたような表情をし、すぐに表情を引き締める。
「……アイツに出会ったのは、それからすぐなの」
「そうなのか?」
ステラはこくんと小さく頷いて、話を続けた。
ハンス達を俺に押し付けて逃げたステラは、迷い込んだ低層民街で酒に酔った男達に絡まれてしまう。
美しい少女が治安の良くない夜の街を一人彷徨っているのだ。何もないわけがない。
ステラは男達に暴力を振るわれ、そのまま路地裏に引き摺られ暴行されそうになった。
だが、あわやと言うところで偶然通り掛かった狼人……ゲルルフに救われたのだ。
……つまり、一年前のあの日、ゲルルフも帝都に居たのだ。
「怖くて、痛くて、頭が真っ白になって震えてる私に、あいつは言ったの。『狼神は常に狼人を守っている。だから泣くな。恐れるな……大丈夫だ』って」
その時の事を思い出したのか、ステラは表情を固くして自分を抱き締める。
彼女は少し沈黙した後、話を続けた。
「私は混ざり者だからって言ったらね、『半狼人にも狼人の血は流れている……その、半分流れている狼人の血を誇れ』って言ってくれて……初めてだったのよ。真正面から私を肯定してくれたの」
「それから、ずっと今まであいつの側に?」
俺の問いに、ステラは小さく頷く。
『半分流れている狼人の血を誇れ』か。
それはつまり、半分でも狼人の血が流れている事を誇りに思えって事だ。
彼が肯定しているのは狼人の血であって、ステラの全てを肯定している訳じゃない。
「アイツの仲間はみんな、『狼人が狼人であると言うだけで虐げられるような世の中を変える』って理想に燃えてて……すごく格好よかった。あんな、強くて一本筋の通った大人になりたいって思ったの……でも」
そこまで言って、ステラの表情が曇った。
「そんな真っ直ぐな人達が……あんな事を……なんか、信じられなくて」
「そうか」
ステラにとって、ゲルルフ達『銀狼団』は理想に燃えた大人の集まりだったのだろう。
そんな彼らと、彼らが起こした悲惨な事件のギャップに心の整理がついていないのだ。
だが、高すぎる理想や大義と現実のギャップに絶望した革命家が、理想を実現するためならどんな行いも正義になると過激な行動に出るのは、哀しいが珍しいことじゃない。
ステラには悪いが、ゲルルフもその類いの人間だったということだ。
クリフトさんもゲルルフと同じ理想を抱いている。でも彼は狼人の現状に絶望せず、未来に希望を託そうと頑張っている。
「そこが……ヤツとクリフトさんの違いだな」
「……え?」
俺の独り言に、ステラは小首を傾げた。
「ステラは、自分が狼人でも、人間でもない中途半端な存在だと思ってるんだな。だから、アイツが持つ『狼人の誇り』に共感して憧れた。でも、今はその誇りに疑問を持っている」
俺の言葉に、ステラは何も言わず黙っている。それは肯定の沈黙。
そんな彼女に、俺は続けて語りかけた。
「こう考えたらどうかな。『自分は狼人と人間、両方の良いところを併せ持って、両方の気持ちが分かる特別な存在なんだ』って」
「……特別? 私が?」
ステラは『何を言っているんだ』と言いたげに眉を顰める。
「だってそうだろ? アイツは『狼人の血を誇れ』と言ったけど、俺は混じり合い、一つになった血全てが素晴らしいと思う。だって、今は啀み合う二つの血も、いつか一つになれるって言う、生きた証なんだから。ステラは」
「そんなこと……考えた事も無かった」
呆然と、ステラは呟くように言う。
「二つの血が一つになれる証し……混ざりあっているから私が……そっか……そうだよね」
ステラの声の雰囲気が変わった。見ると彼女の綺麗な洋紅色の瞳に光るものがある。
……泣かせるつもりは無かったんだが。でも、ステラの表情は憑き物が落ちたみたいにスッキリしていた。
どうやら、探していたものを見付けられたみたいだ。
……と。
ステラの耳が細かく震え、ハッとして顔を上げた。
「誰かいる……知ってるような、知らないような妙な臭い」
警戒するように身構え、扉を睨むステラ。確かに扉の向こうに三人目の気配がする。
気付かなかった。いつの間に。しかし、この気配は……
やがて、鍵を回す金属音がして、重そうな扉が不愉快な軋みを上げながら開いた。
そこから現れたのは……




