第二十八話 『腹黒宮中伯と最悪の寝覚め』
夏の昼下がり。
抜けるような青い空に立ち上がるように浮かぶ入道雲。
広場を吹き抜ける風は程好く熱を帯びて心地よい。
「天気が良いのぅ……良すぎて嫌になるくらいじゃ。全く」
メアリム・イスターリは鍔の広い先折れの三角帽子をずらして強い夏の日射しに目を細めた。
昨夜の事などまるで最初から『無かった』事のようにスッキリとした青空。
……せめて小雨でも降ればまだ可愛いげがあるのだが。
メアリムは抜けるような空を見上げて鼻を鳴らした。神とやらにとっては下界の出来事など、些末なことなのかもしれない。
「しかし、まさかこの歳になって爆破テロの現場検証なぞに駆り出されるとはのぅ」
白く豊かな顎髭を撫でながらメアリムは思わす独り言ちた。
「……なにか仰いましたか? 宮中伯様」
「いや、独り言じゃ。気にするな」
傍らに立つ青年貴族……ラファエルの問いに、老賢者はひらひらと手を振って誤魔化す。
(まったく、耳聡い。伊達にブルヒアルト家の血を引いておらぬわ)
メアリムら二人がいるのは、帝都の夏を代表する『狼追いの夏祭り』が行われていた帝都中央公園。
その中心にある英雄広場だ。
燃えたテントや死体はあらかた片付けられ、今は崩れた英雄像の撤去作業が行われている。
それでも辺りに漂う焦げた臭いや、石畳の血、それに群がる蠅の群れが昨夜の惨状を表していた。
昼間から惨い死体の山を見せられ無かっただけマシだが、立ち込める死の臭いは決していいものではない。
「……ここには、高さ約三十三エーヘル(約十メートル)の魔狼の像が建っていました。それが一瞬で跡形もなく吹き飛んだそうです」
「ふむ……」
ラファエルが指差す先には頑丈な土台が組んであり、藁でできた大きな狼の足が載っていた。
土台の上で、メアリムの部下……魔法技術研究所の職員が右往左往しているのが見える。
足だけでこれ程の大きさなら、確かに相当巨大な像だったろう。
「成程のぅ……これを吹き飛ばすとなれば、普通の爆弾では無理じゃな」
この国にも爆弾はある。しかし、火薬は黒色火薬しかなく、ダイナマイト等の性能が安定した高威力の爆薬はまだない。
その上でこれだけの被害を出すものとなれば……あるにはあるが。
「爆弾ではなく、『魔法』ならどうでしょう」
ラファエルがメアリムに意味ありげな流し目をくれる。
何かを掴んでおるのか、それとも鎌掛けか。騎士団の畑に魔技研を入れた理由は推理の裏付け、というわけか。
「……これだけの爆発を引き起こす程のマナを集めるには、相当規模の術式を組まねばならぬ。術者も一人では無理じゃな。不可能ではないが、現実的ではない」
「……そうですか」
ラファエルは前髪を指で弄りながら厳しい表情で何事か考え込んでしまった。
「しかし、今回は流石のお主も情報を掴み損ねたか。その上大事な妹君が巻き込まれるとは、ついとらんの」
「いえ……情報は掴んでいましたよ。不逞狼人の輩が夏祭りを狙っていることも。しかし、情報が多すぎて実態の把握に手間取ったのです」
「ほう?」
メアリムが相槌を打つと、ラファエルは苦々しい表情で続けた。
「十日前、信頼できる複数の筋から全く異なる襲撃計画の情報が入ってきたのです……意図的に大量の情報を流して本物の情報を隠蔽しているのは分かったのですが、裏取りや分析をするには時間が足りなかった……情けないですよ」
「しかし、騎士団を増員し、警戒意識を高めたことで被害を抑えられた。お主はよくやったと思うがな」
メアリムの言葉に、ラファエルは自嘲的な笑みを浮かべて頭を振った。
「死者、行方不明者は推定八百人、負傷者は千人を越えると聞きます。これでは抑えた内に入りません」
犠牲者は確かに多い。
しかし、騎士団の迅速な対応で多くの市民が狼人の牙から逃れられたのも事実ではある。
と、そこまで考えて、メアリムはふと疑問を感じた。
「……しかし、事前に危険を察知しておったなら、何故妹を祭りにいかせたのだ? 引き留めることもできたじゃろ」
メアリムの問いに、ラファエルは困ったような表情を浮かべる。
「あれは例え理由を言っても、自分の意思を曲げぬ娘です。無理に押し込めて、屋敷を抜け出した先で不用意に事に巻き込まれるより、彼女が信頼する男性を側に置いて、彼に護って貰った方がまだ安心できると判断しました」
流石のラファエルも、妹が何故祭りに行きたがっていたか、その理由までは知らないようだが。
「……成程な。あやつはシャルロット嬢を最後まで側で護らなかったようじゃが」
「シャルロットから聞いた状況では、悪くない判断だと思います。多少英雄的行為が過ぎる気もしますが」
「……単身で狼人の戦士に突っ込むなぞ、英雄的行為なものか。それは自殺行為というのじゃ。よい男は無茶はしても無謀はせぬ」
(全く……もしもの為にとクリフトを付けて良かったわ。あれが居なかったらどうなっていたか)
「手厳しいですな、御老は」
メアリムの愚痴に、ラファエルは微笑みを浮かべた。
……と、その時。
「大賢者様~っ! 出ましたっ! 出ましたよぉ!」
そう興奮ぎみに声をあげながら、白衣姿の女性が魔狼の台座をしがみつくようにして降りてくる。
牛乳瓶の底のように分厚い眼鏡に、茶褐色の髪を硬めのお下げに結んだ地味な雰囲気の女性。
メアリムの助手で研究者として非常に優秀な人物だ。
と、彼女はメアリム達の所に駆け寄ろうとして、不意に何もないところで足をもつれさせる。
「……っと、大丈夫ですか? お嬢さん?」
「あはっ……どど、どうも」
咄嗟にラファエルが彼女を支えて事なきを得たが、そのまま転けておったら、手に持った大事な計器が壊れるところだった。
(……優秀なんじゃが、そそっかしくて運動音痴なのがどうものぅ)
「で、何が出たんじゃ? 『報告は手短に正確に』と言っておるじゃろ。アレクシア」
美青年に抱き止められて、柄にもなく顔を真っ赤になっている助手に、メアリムはわざとらしく咳払いをする。
アレクシアはハッとして姿勢を正すと、メアリムに手にした計器を見せた。
「はっ、はい。魔狼像周辺の『魔崩線値』ですが、やはり規定値より高い値が検出されました。人体に影響はありませんが、自然界では不自然な値です。アタリですよ」
「……やはりの。厄介じゃな」
メアリムは顎髭を撫でながらため息をついた。ラファエルが訝しげな表情でメアリムを見る。
老人は肩を竦めると、台座の魔狼像の足を見上げた。
「つまり、この像の爆破に使われたのは、『黒の炎』じゃ。規模は小さいがな」
「『黒の炎』……しかしあれは」
「そう。本来は帝国の管理下にあるもの。だから厄介なんじゃよ」
……
……
……
……
「やあ、随分頑張ったみたいだね」
少年の声に、俺はぼんやりとした頭を軽く振り、周囲を見渡した。
電車がレールの継ぎ目を刻む規則的な音と、車両の軋む音。天井から下がった吊り輪がリズミカルに揺れ、車窓を飛ぶように電柱が過ぎて行く。
夕陽の茜色に照された車内には、俺以外誰も居ない。
……またここか。
正面の長椅子に、足をゆったり組んだヴォーダンが意味ありげな笑みを浮かべて座っている。
いつもなら何か一言言ってやらねば気が済まないところだが、流石に今回は止しておこう。
「一応、礼を言っとく。お前のお陰でステラもクリフトさんも無事だったみたいだ。ありがとうな」
「自分の命が助かったことはどうでもいいのかい?」
「……それは別にいいだろ」
「くくくっ……成程、君らしい」
ヴォーダンは肩を竦めて足を組み替えた。
「それにしても、やはり君は素晴らしいよ。並の人間なら、廃人になるほどの叡智と力の奔流に耐え、しかもそれを即実戦で使いこなすとは」
……並の人間なら廃人って……なんちゅう事を!
死なせたくないみたいなこと言って、壊す気満々じゃねぇか!? クソガキっ!
席を立って少年に掴みかかろうとしたが、体が動かない。
睨み付けて唸る俺に、ヴォーダンは涼しげな笑みを向けた。
「くくくっ! そう怒らないでよ。君ならギリギリ耐えられる事は分かっていたからね……思ったより余裕があったのは意外だったけど」
ギリギリっておい……それに、あれの何処を見たら余裕があるように見えるんだ?
ああ……でも、こいつはそんな奴だった。文句言うだけ無駄だ。
俺は溜め息をつくと、長椅子の背もたれに体を沈めた。
「ちっ!……もう、何も言わねぇよ。力を望んだのは俺だし、結果として上手く行ったんだ。兎に角、もうこの力は必要ないから返す」
「へえ? 折角『魔法の力』を手にしたのに、もう手離すのかい?」
俺の言葉に、少年は驚いたように目を見開く。
「前に言ったろう。『過ぎた力は身を滅ぼす。使い勝手のわからない借り物には頼らない』。魔法なんてよくわからない力には頼りたくないんだ」
魔法……『理を歪める力』。使って分かったが、この力は俺には過ぎた力だ。
気を失う直前の凄まじい不快感は体や精神に異常な負担が掛かった反動。あんな物を使い続けたらどうなるか。
「定めれた段階を踏まずに理を歪める力は、人間には過ぎた力。でも、君はその力を血肉とした。つまり、君の才能って事さ……僕と『契約』した事で開花した、ね」
……随分とご都合主義な事だ。俺はそんな取って付けたような才能なぞ要らん。
「くくくっ……それに、どちらにしとも一度与えた力は返却はできないよ。そういう契約だからね」
なんだよ、そんなの聞いてないぞ?! 押し売りにだってクーリングオフってのがあるだろうが。
と、少年の姿が徐々に消え始めた。電車がレールを刻む音が木霊となって、深さを増していく茜色の世界に響く。
まただ。おい、まだ話は終わって無いぞ!? 勝手に話切ってんじゃねぇ!
「では、また会おう……次も楽しませてくれ。君の道行きに幸あらんことを」
耳元で囁くような声が聞こえた瞬間、俺の意識は唐突に茜色の闇に溶けた。
……
……
……
……
全身が軋むような痛みに目が覚める。
背中にじっとり汗をかいていて寝覚めが悪い。
くそっ……ヴォーダンの奴。俺が手出しできないのをいいことに好き勝手やりやがって。
しかし、寝床が固いな……
違和感に眉を顰めて目を開ける。
「……知らない、天井だ」
そこにあったのは、見慣れた板の天井ではなく、石組の重苦しい天井だった。
……ここは、何処だ? 俺はどれくらい寝ていた?
「あ、目が覚めたのね」
どこかホッとしたような少女の声。
顔を向けると銀髪の少女が木の桶を抱えて、ベッドの側で微笑みを浮かべている。
パッと見た限りでは怪我などしていないみたいだ。
「ステラ? そうか……無事だったんだな。良かった」
「良くはないわよ。全く。大変だったんだから」
ステラはそんなことを言いながら木桶をテーブルに置いたようだ。
布を絞る音と零れる水音がする。
「大変だった……って?」
「ゲルルフが逃げた後、パパは私を置いて姿を消すし、あんたは嘔吐物と鼻血で汚れたまま気を失うし……」
ステラは絞った布を俺の額に載せながら愚痴を言った。
冷たい感触が心地よい。
「……そりゃ、悪かったな」
「全くよ。女の子を一人残して気を失うなんて、情けないわね」
ステラは、ジト目で俺を見下ろして溜め息をつく。
うっ……ゲロと鼻血まみれで気絶……やだな。魔法の反動とはいえ確かに情けない。
クリフトさんはゲルルフを追ったのだろう。無事だろうか。
「……で、霧が晴れたと思ったら騎士団に囲まれちゃって。訳分かんないままこんな場所に放り込まれて……あんたは三日三晩魘されて目を覚まさないし。大変だったのよ?」
……そうか。あれから三日も寝ていたのか。
その間彼女は俺の側で世話をしてくれていたんだろうか?
でも、騎士団に囲まれてここに放り込まれたって……
「なあ、ステラ……ここは、何処だ?」
「よくは知らないけど、熊みたいな騎士が『バルタザール監獄要塞』って言ってたわね……全く私が何したってのよ」
腕を組み、可愛らしい唇を尖らせて憮然とするステラ。
ん? いま、彼女何て言った? バルタザール監獄要塞?
……監獄?!




