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第二十七話 『吼える銀狼と嘲笑(わら)う悪魔』

 「戦士への情けだ。苦しまず戦死者の王宮(ワルハラ)へ送ってやる」


 ゲルルフはそう言うと、長剣(トゥーハンド・ソード)を逆手に持ち替えて、大きく振り上げた。


 狙いは……首。喉に剣を突き立てるつもりだ。


 俺はギュッと目を閉じて歯を食い縛った。


 「カズマ様っ!!」


 「カズマぁぁ!」


 クリフトさんの絶叫と、ステラの悲鳴が耳に届く。


 ……俺は。


 ……俺はまだ終われないっ!


 折れかけた心を無理矢理奮い立たせ、目を開けた俺が見たのは……奇妙な光景だった。





 俺の首目掛けて長剣(トゥーハンド・ソード)を振り降ろすゲルルフ。


 ロートの斧を弾き飛ばし、俺に駆け寄ろうとするクリフトさん。


 石畳に座り込み、手で顔を覆うステラ。


 みな、写真に切り取られたように動きが止まっていた。


 「……なにが」


 唖然とする俺……一体なにが起こった?


 「時間と空間にちょっと干渉したんだ。刹那を切り取り、僕の世界に取り込んだ……間に合ってよかったよ」


 嫌味が混じった少年の声が静寂を破る。この声……忘れたくても忘れられない。


 しかし……『時間と空間に干渉』とはまた、中学二年生が泣いて喜びそうなワードだな。


 「……何をしに来た? ヴォーダン」


 「くくくっ……随分苦労しているね。カズマ」


 俺の側に立ち、濡れ羽色の髪を掻き上げて愉しげに笑うヴォーダン。


 畜生……だから何だってんだ。笑いに来たのか。


 「……このままでは君は確実に死ぬ。でも、それじゃつまらない。折角の喜劇が白けてしまう。だから、この場を切り抜けるいい方法を教えてやろうと思ってきたのさ」


 切り抜けるいい方法……だと?


 薄ら笑いを浮かべながら言うやつが信用できるか。


 「じゃあ、このまま彼に首を刎ねられるかい?」


 問われて、俺は押し黙った。


 選択肢は確かに無い。しかし……


 「……君は力が欲しくない? 理を歪める力が」


 しゃがみこみ、耳元で愉しげに囁く少年。分かる。この囁きは、すがったら最後、骨の髄まで吸い尽くされる悪魔の誘惑だ。


 ……それでも。


 後悔はしないと決めた。


 「いいよ……ならば与えてあげよう。さあ、僕達を楽しませて」


 ヴォーダンはスッと立ち上がると、白鳥が羽を広げるように天に向かって両手を掲げた。


 「『我が言葉は神が紡ぐ幾千の呪言。堕ちたる魂を目覚めさせ、秘めたる力を紡ぎだす』……くくくっ! あはははっ!」


 ヴォーダンの哄笑。


 少年の体から溢れ出した光が、俺の体に流れ込む。


 その瞬間、全身を引き裂くような激痛が身体中を駆け巡る! 何か大きな物を無理矢理体の中に捩じ込まれるような感覚……


 頭の中に何かが溢れ、弾ける。まるで頭の中を熱せられた鉄の杭で掻き回されるようだ。


 抽象的なイメージ、様々な言葉、紋様、文字、風景、記憶……視界が真っ赤に染まり、全身が電流を流されたように痙攣する。


 嵐のような情報の奔流に揉まれ、なにも考えられない……思考が追い付かない!


 「があぁぁぁぁあああっ!!」


 俺は悲鳴とも絶叫ともつかぬ叫びをあげた。


 このまま永遠に苦痛の渦に呑まれるんじゃないか? 全て壊され、真っ白になって消えてしまうんじゃないか?


 そう思った時、唐突に、呆気なく嵐のような苦痛が終わった。


 ーーよく耐えたね。やっぱり君は素晴らしいよ。くくくっ!


 少年の囁きが耳元を(くすぐ)る。


 ……そして、世界が戻ってきた。





 「ぬっ!? 貴様……?!」


 刃を降り下ろそうとしたゲルルフが一瞬戸惑いの表情を浮かべた。


 何に驚いたか知らないが、その隙は命取りだ!


 その時、俺の脳裏に『ことば』が産まれた。


 習ったこともない、全く知らない言葉。だが、俺は握り締めた拳を突き出すと、迷うことなくそれを口にする。


 「『疾風よ(ヴェントゥス)』っ!」


 紡がれた『ことば』に応えるように、風が渦を巻いて俺とゲルルフの間に集まっていく。


 俺は、一気に圧縮された空気を爆発のイメージで解放する。


 「がっ!?」


 猛烈な突風を至近で食らったゲルルフは、驚愕の叫びをあげて吹き飛んだ。


 俺は呻き声をあげながら起き上がると、取り落とした半月刀(シャムシール)を拾った。途端に立ち眩みと脱力感に襲われて膝をつく。


 乗り物酔いに似た不快感。


 不意に鼻から何かが流れ落ちた。錆びた鉄の臭いに鼻を拭うと、手の甲にベッタリと血が付いている。


 ……くそっ! 最悪だ。


 だが、そんな最悪のコンディションに反して気持ちは昂っている。胸の中に渦巻く衝動を発散したくてウズウズしている。


 だから、俺は笑った。


 鼻血を垂らしながらニヤリと笑う姿は端から見たら気味が悪いだろうが……そんなことを気にする暇はない。


 「魔法だと? 貴様、魔法使いだと言うのか……しかし、術式も無しに魔法を使うなどっ……!」


 反動をつけて立ち上がり、忌々しげに俺を睨むゲルルフ。俺は半月刀(シャムシール)を構え直し、右肩の傷口に手を添えた。


 「『癒しは満たされるサナーティオ・プレーヌム』」


 小声で呟く『ことば』と共に、暖かいものが傷口を癒していくのが分かる。


 完治とはいかないが、戦いに支障は無いだろう。多分。


 俺はゲルルフとの距離を測りながら周囲に素早く目を配った。


 クリフトさんとロートは互いに睨み合いながらこちらの成り行きを見守っている。


 ステラは状況について行けないのか、地面にへたりこんだまま呆然とこちらを見ていた。


 他の狼人(ハウド)達も遠巻きに俺達を囲んでいるだけで動く気配はない。


 「ゲルルフ……ひとつ答えろ。あんたの誓いってのは、罪のない人々を無差別に殺す事なのか?」


 「笑止。貴様ら人間は、長きにわたり我らの神に火をかけ、冒涜してきた。それが罪だ。神への罪は死をもって(あがな)わなければならぬ」


 俺の問いにゲルルフは吐き捨てるように答えた。


 神への罪だって? なんの権限があってヒトがその罪を裁く? それは詭弁だ。


 「何が『神への罪』だ。あんたがやっているのは神の名を騙った、ただの人殺しだ。こんな事をしたら人間は狼人(ハウド)を憎む。その憎しみが同胞を更に傷付けるんだぞ?」


 バルバ狼人居住地の人々は、今でも厳しい生活を強いられている。テロによる暴力は彼等の救いには決してならない。


 「クリフトさんと交わした誓いは、狼人(ハウド)の未来を良くするためのものじゃないのか?」


 「貴様……知ったような口を利くな! 人間! 問答は無用!」


 咆哮をあげたゲルルフが長剣(トゥーハンド・ソード)両手(・・)で最上段に構え、斬り掛かってくる。


 「そうかいっ! 『大地よ(テルース)』っ!」


 俺は掌を石畳にあて、『ことば』によって生じた力を大地に流した。


 その瞬間、岩盤が石畳を突き破って、まるで打ち出された杭のようにゲルルフを襲う!


 「ぅらぁっ!」


 だが、ゲルルフは襲い来る巨石の杭を長剣(トゥーハンド・ソード)の一振りで粉砕した。


 ……こいつ、化け物かよっ!?


 やはり『付け焼き刃の小手先』では無理か……ならっ!


 「『力よ(ウィース)』っ!」


 俺は拳を胸にあて、『ことば』を紡いだ。純粋な『力』をイメージする。


 視界が一瞬赤く染まる。全身の血が沸き立つような高揚感、体が一回り大きくなったような感覚。


 先程までゲルルフから感じていた圧迫感(プレッシャー)が消える……いけるっ!


 「おおおっっ!」


 俺は腹の底から気合いを入れると、半月刀(シャムシール)を振り上げてゲルルフとの間合いを一気に詰めた。


 「はぁっ!」


 「ぐっ! 貴様っ?!」


 渾身の斬撃は長剣(トゥーハンド・ソード)に阻まれる。


 今までと異質な剣撃の音と衝撃に、受け止めたゲルルフの表情が驚愕に歪む。


 「いゃぁっ!!」


 「ふんっ!!」


 俺は素早く間合いを取ると、裂帛の気合いでゲルルフに斬り掛かった。


 ゲルルフも俺に合わせて長剣を振るう。


 断続的に響く剣撃の音、弾ける火花。


 撃ち合うこと数合。ゲルルフの表情が僅かに動いた。そこに覗くのは、焦りと苛立ち。


 『先読み』が出来ても受けるのが精一杯だったゲルルフの斬撃。だが、膂力と瞬発力を魔法で強化した今なら反応できる!


 そうなれば、大振りで小回りが利かない長剣(トゥーハンド・ソード)はゲルルフにとってハンデだ。


 俺はゲルルフの重く鋭い斬撃を躱し、受け流し、返す刀で反撃を撃ち込む。


 「ちぃっ!」


 ゲルルフは苛立ちを露にして舌打ちをすると俺の反撃を受け止め、そのまま間合いを詰めて拳を振るった。


 上体を反らして紙一重で躱したものの、拳の圧力にバランスを崩す。


 そこを狙いすましたように振り下ろされる追撃。俺は敢えて体を投げ出すように倒れてその一撃を躱す。


 長剣(トゥーハンド・ソード)の切っ先が鼻先を掠め、俺の背筋に冷たいものが走った。


 この野郎っ! 


 「『飛礫(サブルム)』っ!!」


 受け身をとって素早く転がり、拳をゲルルフに突き出して『ことば』を叫ぶ。


 石畳が弾け、そこから生まれた拳大の礫が弾丸のようにゲルルフに飛んだ。


 「なんとっ!」


 だが、至近で放たれたその弾丸をゲルルフは半身をずらして躱した。しかし礫を完全に避けきれず、ゲルルフの頬を僅かに抉る。


 だが、足止めには十分っ!


 「うおぉっ!」


 俺は勢いをつけて起き上がり、そのまま突きを放った。


 狙いはゲルルフの喉元……これでっ!


 「……『爆ぜろ(エールプティオー)』っ!」


 俺とは違う『ことば』。俺の目の前に炎の塊が収束する。


 ……不味いっ!


 「くっ! 『疾風よ(ヴェントゥス)』っ!」


 咄嗟に風を炎の塊に叩き付けた。


 刹那、目の前で炎が弾け、突風によって四散する。


 熱を帯びた突風をまともに受けた俺は、吹き飛ばされて石畳に叩き付けられた。


 背中を強かに打って息が詰まり、涙が滲む。


 さっきのは……爆炎の魔法?


 ゲルルフの手下にも魔法を操るやつがいるのか?!


 痛む体を強引に起こして、俺は息を飲んだ。


 いつの間にか、ゲルルフの傍らに黒の外套を身に纏った青年が立っている。


 鋭い切れ長の目と、整った綺麗な顔立ち。肩まで伸びた艶やかな髪、真っ直ぐ俺を見据える瞳は深い漆黒。


 彼から感じる重苦しい圧迫感(プレッシャー)……俺はこいつを知っている。


 「銀狼(ズィルバー・ウォルフ)よ。いつまで遊んでいるのだ? この程度、お前なら苦も無いだろう」


 「これから楽しくなるのだ。邪魔をするなクルス!」


 ゲルルフは突然間に割って入った黒マントの青年、クルスに牙を剥き出して唸る。


 何が『これから』だ。負け惜しみをっ!


 「……騎士団の増援が到着した。頃合いだ」


 「っ! ちっ……!」


 クルスの言葉に、ゲルルフは不満げに舌打ちをすると、長剣(トゥーハンド・ソード)を腰の鞘に納めて俺に背を向けた。


 「カズマと言ったな、人間。貴様の名、忘れぬ」


 「待て! 逃げるのか! ゲルルフ!」


 追い縋ろうとする俺の前に、クルスが音も無く立ち塞がる。


 「逃げはしない。ただ立ち去るのみ……彼は『英雄』だ。己の守るべきものの為に、身も心も血で穢れるのを(いとわ)ぬ英雄。あんたと同じさ……『安心院 一馬』」


 「……なっ!?」


 そう言ってクルスが口を歪めて笑う。その冷たく刺すような視線……俺の全身の血の気が引き、冷や汗が全身から噴き出した。


 俺はこの目を知っている……いや、違うな。『思い出した(・・・・・)』。


 「来栖(くるす) (しのぶ)……っ!」


 その時、ゲルルフが夜空に向かって甲高い遠吠えをあげる。


 それに合わせてロートや他の狼人(ハウド)達も次々と遠吠えをあげた。


 これは……撤退の合図か?!


「ふふふっ……『霧よ(ネプラ)』!」


 来栖は胸の前で印を組むと、静かに『ことば』を唱える。


 その瞬間、俺の視界突然真っ黒に塗り潰された。突然沸き上がった濃い霧が広場を充たしたのだ。


 夜霧?! ……くそっ! あの野郎、どこだ?!


 「また会えて嬉しいよ。一馬」


 「くっ! 姿を見せろっ!」


 半月刀(シャムシール)を握り直して身構える俺の耳元で、来栖の囁きが聞こえた。


 慌てて声の方を振り向くが、霧に塗り潰された闇のなかでは何も見えない。


 「永劫回帰エーヴィヒ・ヴィーダーケーレンの理の果てに(ようや)相見(あいまみ)えたんだ。もっと喜べよ」


 こいつ、何を言ってやがる。永劫回帰の理だって? ふざけたことを。


 「……また会おう」


 来栖の囁きが耳元を撫でた瞬間、今まで感じていた圧迫感(プレッシャー)が消えた。


 と、同時に視界を覆っていた夜霧が嘘のように掻き消え、冴え冴えとした月の光が広場を照らす。


 そしてゲルルフや来栖、そしてロートら他の狼人(ハウド)もその姿を消していた。


 あの野郎……好き放題言いやがって。


 途端、俺の全身から力が抜け、半月刀(シャムシール)を取り落として膝をついた。


 背筋に悪寒が走り、全身が小刻みに震え始める。脳が揺さぶられる感覚に込み上げる嘔吐感を押さえきれず、俺は石畳に這いつくばって吐いた。


 ここに来るまでに胃の中身は全部吐いてしまったから、もう胃液しか出ない。


 「カズマ様っ! 大丈夫ですか!?」


 「……カズマっ!」


 朦朧とする意識の向こうで、クリフトさんとステラが俺の名を呼んでいる。


 くそっ……魔法の反動か。戦いの恐怖と緊張が今になって来たか?


 ああ……でも、ステラは……良かった。


 涙と胃液と汗でぐちゃぐちゃになりながら、俺は意識を失った。


 ……


 ……


 ……


 ……


 ーー英雄広場で魔狼(ヴァルナガンド)の像が爆発し、『狼追いの夏祭り』が血と炎に塗り潰された、丁度同じころ。


 公爵家が抱える劇団の看板女優による、叙事詩『ノブリス六翼将と魔狼ヴァナルガンド』の朗読が楽団の美しい調べと共に屋敷のホールを満たしていた。


 帝都の北、オストゼー海に浮かぶリーゲン島。


 帝国有数の避暑地でもあるこの島にウラハ公爵家の夏の別荘がある。


 普段はウラハ家の人間以外招くことの無いその別荘に、今年は多くの貴族が招かれていた。


 きらびやかに着飾った司祭が公爵家の祖である、六翼の一人ハインリッヒを讃える祈りを捧げたあと、客人の貴族たちが屋敷の庭に据えられた魔狼(ヴァナルガンド)の像に火のついた松明を投げ付け、燃え上がる魔狼に歓声をあげる。


 ウラハ公ゲラルトはその様子を眺めながらゆっくりと葡萄酒(ワイン)のグラスを傾けた。


 ……と。


 「閣下」


 不意に背後から聞こえる、華やかな宴に似付かわしくない陰湿な声。心なしか背中に感じる空気が冷たくなった気さえする。


 「……何か」


 ウラハ公は周囲に聞こえない程の声でその呼び声に答えた。


 「帝都で野良犬どもが乱を起こしたようでございます……お戻りを急がれた方が宜しいかと」


 「乱……な。主の筋書き通りか? オージン」


 「……これは異なことを」


 ウラハ公の言葉に、オージンと呼ばれた影はくつくつくつ……と不気味に笑う。


 「まあよい。では、明後日にはここを立つ事としよう。儂が戻るまで彼奴等の引き綱を確り握っておけ」


 「御意のままに」


 オージンは(しわが)れた声を残し、現れたときと同じように音もなく消え去った。


 入れ替わるように、ウラハ公の傍らに公爵家の家令が立ち、恭しく頭を下げる。


 「閣下、皆様がお待ちでございます。お言葉を」


 「……うむ」


 ウラハ公は鷹揚に頷くと、宴の終わりを告げるために椅子を立った。


 ……


 ……


 ……


 ……


 時に帝国歴二六七七年、獅子月(レーヴェ)の二十五日。


 後に『血の獅子月(レーヴェ)』と呼ばれるこの事件を境に、帝国は混沌の時を迎える。


 



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