第二十一話 『赤の令嬢と銀の少女』
「ねえっ! カズマ、あの屋台可愛いし美味しそうっ!」
シャルロット嬢が俺の袖を引いて指差した屋台には、色とりどりの果物を砂糖漬けにして串に刺した物が並んでいる。
「でも、あっちの渦巻きパンも美味しそう! どっちにしようかなぁ……」
そう言いながら、彼女はチラリと俺を見た。
うっ……またか。
前菜からメインディッシュ、デザートまで終始こんな感じだ。
男はこういうとき、あまり迷わない。買い物も、食事も大体『これ』というものが決まっているものだ。
でも、女性は『迷う』という行為そのものを買い物や食事と同じくらい楽しむものだ。
……と、昔書店でアルバイトをしていたとき、何の気なしに立ち読みした本に書いてあった言葉を思い出した。
だから、パートナーが迷っているときは一緒に迷って、一緒に悩んでやるのが案外一番の近道。
「そうですね……砂糖漬けは色合いも綺麗ですし、甘くて美味しそうですね。でも、渦巻きパンも安定の美味しさで捨てがたいです。確かに迷いますね」
「でしょ? うーん、どうしようかなぁ」
シャルロット嬢は腕を組んで考え込んでしまう。
人々でごった返す屋台街の真ん中で仁王立ちするお嬢様は、正直皆の迷惑だ。
「そうですね……どうしましょう?」
俺はシャルロット嬢を然り気無く通り脇にずらして、彼女に合わせるように顎に手を当てて考える振りをする。
「じゃあ、二つとも買ってみては如何ですか? お祭りですし」
その書曰く、結論を出すときは彼女の意見を引き出すように会話を振り、一緒に答えを出したと感じるようにする……と女性も満足した結論を出せる。
「うーん、そうよね。両方捨てがたいもん」
シャルロット嬢は楽しげに頷くと果物の砂糖漬けの屋台に駆けていった。
……あの時は女性と買い物やお祭りに行くなんて考えもしなかったから、『そんなものか』程度で済ませていたが。
まあ、人は論理的じゃないからマニュアル通りに行くわけ無い。
でも『そういうものだ』と頭にあれば、相手を思いやる余裕も出る。
……疲れる事には変わり無いけど。
でも、シャルロット嬢が喜ぶ顔を見ると俺も楽しいし、たまには振り回されるのも悪くないか。
「ねえ、カズマも一緒に食べよう? 今日は私の奢りなんだから」
シャルロット嬢の呼び声にふと我に返る。
見ると、お嬢様は満面の笑みを浮かべて両手に砂糖漬けの串と渦巻きパンを持っていた。
「はい。ただいま参りますね」
俺はそう言ってシャルロット嬢の元に走る。
そう言えば、豪商の娘とその付き人という設定は何処に行ったんだろうか。
「『誉れ高きオスデニア。四百の昼と夜の泰平の礎はシュテルハイムの沃野にあり』」
広場の片隅に建てられた小さなテントから美しいリュートの音と澄んだ男の歌声が聴こえる。
テントの前には人だかりが出来ていた。どうやら吟遊詩人が『狼追いの夏祭り』の由来となった英雄譚を弾き語りしているみたいだ。
「『ノブリス六翼将と魔狼』の叙事詩ねっ! 私、この歌好きなの……聴いていかない?」
渦巻きパンの最後のひと片を口に放り込んだシャルロット嬢は、顔を輝かせて俺の腕を引く。
「ちょっ……分かりましたから、走らないで下さい」
強引に引かれてよろめきながら、俺はお嬢様と人だかりを掻き分けてテントの前に出た。
「……えっ?」
聴衆の前列に出て英雄譚を詠う吟遊詩人を眼にした途端、俺は既視感に襲われる。
歌い手は、女性と見間違えそうな程美しい人だ。
鍔広の帽子、羽織ったマント、身に付けた服、全てが黒一色。髪も濡れ羽色。だが、肌は篝火の光を受けてなお透き通るように白く、リュートを爪弾く指は繊細。
気のせいだろうか。この姿、この雰囲気……どこかで。
「『魔狼に呪われし、闇深きシュテルハイムに曙の光もたらしたる偉大なる大帝、その両翼たる六将。その名を知るや?』」
美しく流れるように問い掛ける吟遊詩人。すると、俺達のすぐ隣の少年が真っ直ぐ手をあげて答える。
「『美髪公』ラーン・マール!」
「あっ! 言われたっ! じゃあ、アルフレートっ! 『白魔公』っ!」
シャルロット嬢は一押しの名前を先に言われて悔しいそうに手をあげ、別の英雄の名を上げる。
……ってか、子供かよ。
「『神聖公』デーゲンハルトっ!」
「『狼侯爵』ゲルヴィーンっ!」
「……『敬虔公』ハインリッヒ・フォン・ウラハ公!」
「『雷帝公』っ! 雷帝マルコルフ!」
「忘れてるぜ! 『黒獅子侯』バスティアンっ!」
後ろから、横から。観衆が次々に英雄の名を挙げていく。
吟遊詩人は全員の名前が出揃うの待って、ゆっくり聴衆を見渡すと、再びリュートを爪弾く。
「母なる大河ラーヌと父なる霊峰ムルホランに抱かれし奇跡の子シュテルハイム。その御心が育みしは清廉にして美しき白薔薇ヴェスト……ヒトよ、忘るる無かれ。四百の昼と夜の泰平をもたらせし栄えある六人の物語を……」
美しく、流れるように韻を踏んで語られる英雄譚。
分かりやすい言葉で書かれているから、帝国語の教材として爺さんに薦められ、俺もよく読んだ。
『物語としては良くできておる。しかし、歴史書としてはつまらん話じゃ』
薦めるときに爺さんが言った言葉だ。
ーーある夜、皇帝ノブリスの枕元に大河ラーヌの精を名乗る女性が現れ、『魔狼ヴァナルガンドに呪われた我が娘を救い出して欲しい』と懇願する。
娘の名はシュテルハイム。元は豊かな平原であったが、邪悪な狼ヴァナルガンドに呪われ不毛の荒野と化しているのだと。
『魔狼を討ち滅ぼしてシュテルハイムを解放した後、そこに都を築きなさい。さすれば帝国に永遠の繁栄と平和が約束されるでしょう』
ラーヌの精の言葉に、皇帝はシュテルハイム平野平定の軍を起こす。
魔狼の力は強大で、帝は多大な犠牲を払った。
しかし、英雄と名高い六人の将軍の獅子奮迅の活躍と、大河ラーヌと霊峰ムルホランの精の助力によって、ついに多くの眷属もろとも炎の海に魔狼を落とし、滅ぼすことができたのだった。
めでたしめでたし。
だが、クリフトさんが語ってくれた狼人の歴史を重ねると、違った物語が見えてくる。
シュテルハイム平定の為、そこに住む狼人を征服しようと侵攻した帝国と、それに抵抗した銀狼グリエルモら狼人との戦争を、昔の為政者は邪悪な魔狼と善なる英雄達との戦いの物語に仕立てた。
これは『勝者の歴史』を綴る物語なのだ。
大帝ノブリスはラーヌの精との約束通り、シュテルハイムの地に美しく堅牢な都を築き、永遠の繁栄と平和が約束された……ここで物語は終わる。
この伝説を語り継ぎ、英雄達の偉業を讃えるために始められたのが四百年の伝統をもつ大祭、『狼追いの夏祭り』。
炎を怖れる邪悪な狼を寄せ付けぬ為町中に篝火を炊き、祭りのクライマックスでは魔狼と六人の英雄を象った像を載せた山車が帝都の大通りを練り歩く。
最後は魔狼の像に火をかけて燃やし、一年の豊作と平穏を願うのだ。
歴史を積み重ねるなかで本来の意図は薄れ、秋の豊作への祈りと去り行く夏への感謝の祭りとなった。
いまやこの祭りは帝都の、いや、帝国の民に深く根付いている。
経緯はどうあれ、昔は昔、今は今。祭りは祭り……それでいい。
多分、クリフトさんが言っていた『狼人の誇りと言う呪縛』からの解放って、そんなことじゃないだろうか。
「斯くして魔狼の呪いは消え去り、人々は沃野の恩恵を受ける……だが、忘るるなかれ。魔狼は死なず。心せよ。彼の者は炎を纏いし銀の同胞と共に『大いなる冬』の先駆けとなる」
最後の歌詞を歌い上げた時、吟遊詩人の口許が邪な笑みに歪んだ……ように見えた。
美しい歌声に、聴衆からは割れんばかりの拍手が贈られる。
……しかし、あの最後のフレーズ。妙に引っ掛かるな。
「良かったね! あの吟遊詩人の歌。やっぱり『ノブリス六翼将と魔狼』の叙事詩は最高よね……特に『美髪公』ラーン・マール。『儚い美しさの中に鋼の意思を宿したるラーン・マール。その刃は冴え渡る三日月の如し』……って、聞いてる? カズマ」
「え? あ、聞いてましたよ」
まるで映画館で感動巨編の映画を見終わった直後の、余韻冷めやらぬ女子高生のように吟遊詩人の詩を熱く語るシャルロット嬢。
でも、見ているものは見ているのだ。考え事をしているのがバレてしまった。
「もう……ウソつき」
拗ねるように唇を尖らせ、俺を睨むお嬢様。怒った顔も可愛らしい。
「で? なに難しい顔してたのよ」
「いえ……大したことでは。あの叙事詩、最後の台詞、変でしたよね。あんなのありましたっけ」
俺の言葉にシャルロット嬢も胡乱な表情をする。
「そう言えば、変だったわね……でも、歌詞のアレンジなんて珍しいことじゃないわ。気にすること無いわよ」
「なら、いいんですが」
それにしては、『大いなる冬』とか『銀の同胞』とか、中学二年生が暴走したような……まるであの疫病神みたいな……
「ちょっ……やめてよっ!」
突然、通りの向こうから、少女の悲鳴が祭りの喧騒を引き裂くように響く。
「五月蝿いっ! クソ餓鬼!」
「これは人間の祭りだ! お前みたいな混血児が来ていい場所じゃねぇんだよ」
続いて響く野太い男達の怒声。酔っているのか呂律があまり回っていない。
振り向くと、柄の悪い男が二人、少女の細い手首を捻り上げて雑踏から引き摺り出そうとしている。
少女は全身を覆う灰色のローブを纏い、目深にフードを被っていた。
その時、男の一人が少女のフードを引き剥がす。すると、篝火の光に銀髪がふわりと輝いた。
遠目から見て分かるほど透き通るように白い肌と、意思の強そうな洋紅色の瞳。銀髪から覗く灰色の毛に覆われた三角耳がひときは目を引く少女……
ステラ……?! 何故ここに?
「なに? あの子、狼人なの?」
男達の乱暴に眉を顰め、止めようとしていたシャルロット嬢がふと足を止めた。
「すみません」
「え?」
俺は短くお嬢様に告げると、急ぎ足で揉める三人に近付く。
女の子が酔っ払いの暴漢に絡まれている状況を見過ごしたとあっては男が廃る。
それがあの少女なら尚更だ。怪我でもさせたらクリフトさんに申し訳が立たない。
「見てるだけで気分が悪くなるんだよっ! 犬は犬小屋で残飯でも食ってろ」
ステラの手首を掴んでいた男が、乱暴に少女を地面に突き倒す。
「くぅっ……!」
短い悲鳴をあげ、捻られた手首を押さえながら男を睨むステラ。
「あん? なんだその目は?!」
もう一人の男が舌打ちをするとステラに拳を振り上げ……
その間に滑り込むように、俺は割り込んだ。
「暫くっ! お二人とも暫くっ!」
男達の目の前に掌を突き付け、大声で気勢を削ぐ。
突然の俺の乱入に二人が戸惑ったその一瞬、俺はステラの腕を掴んでその場から引き離した。
「なにするのよっ?!」
「駄目じゃないか、ステラ。こんな人混みの中一人でどっか行っちゃ。お兄ちゃん探したぞ?」
抗議の声を上げるステラに構わず、俺は彼女の銀髪に手を置き、優しく叱るように言った。
「お兄ちゃ……って、何を言って?!」
白い顔を朱に染めて慌てるステラ。俺は『任せとけ』と目配せすると、彼女を庇うように男達に向き直った。
何だか……前にも似たような事があったな。全く。




