第十七話 『不逞貴族と優男』
「……貴様はっ! あの時のっ!」
あ? 『あの時の』って何時だ?
カイゼル髭の騎士の叫びに、他の騎士達も表情を変える。
「……何の事だ?」
「忘れたとは言わせんぞっ! 一年前、民草の前で貴様からハンス様と我等が恥をかかされた、あの日の事を!」
一年前……? ああ、思い出した。
俺がこの国に来たあの日、ステラを追い回していたハンスと一緒にいた連中だ。
「何だ。あんたら、あの時の坊やの付録か」
「ふ、付録っ! 我等貴族騎士に対して付録とは無礼であろう!」
顔を真っ赤にして怒鳴るカイゼル髭。
ったく。そんな事はどうでもいいんだよ。
人様が丹精込めて作った料理を足蹴にした上に、無力な人々に対する傍若無人な振る舞い……俺の堪忍袋はとっくに切れてんだ。
「大賢者の家人よ、お前も下がれ。この数を一人で相手する気か?」
「俺が勝手にやることです。狼人の皆さんに迷惑は掛けません」
俺はヨルク老に答えて頷くと、足元でサーベルに手を伸ばそうとしている若い貴族騎士の手を踏みつけ、思いきりにじってやると、地面に転がった彼のサーベルを拾い上げた。
足元で濁った悲鳴が聞こえたが無視。
「貴様、人間の癖に野良犬の肩を持つか……変人宮中伯の家人はやはり変人か?」
カイゼル髭の嘲りに他の騎士達も嘲笑を浮かべて俺を囲む。
数が多いからってこちらを甘く見てるな?
「……爺さんが変人なのは認めるが、俺を一緒にしてもらっちゃ困るな」
「……カズマ様」
向こうからクリフトさんの溜め息混じりの声がする。まあ、売り言葉に買い言葉だ。大目に見てほしい。
「諸君、予定変更だ。先ずはこの不埒な夷人を斬る。こやつの首をお届けすればハンス様も喜ばれよう。野良犬の仕置きはそのあとだ」
「おおっ!」
カイゼル髭がそう号令してサーベルを抜刀する。他の騎士達も彼に応じて抜刀。合わせて九本の刃が俺に切っ先を向ける。
俺はヨルク老から離れるように騎士達と間合いを取りながら、サーベルの刃を返した。
護拳の装飾が繊細でお世辞にも実戦向きとは言い難いが、サーベルには違いない。
「来いよ。今の俺は凄くムカついてるんだ……手加減できないから覚悟しろ」
広場に集まった狼人達が固唾を飲む中、騎士達が一斉に俺に斬りかかろうとした……その時。
「はっはっはっ! ……随分と面白いことになっているじゃないか!」
男のよく通る哄笑が広場に響く。
その場にいる全ての視線が、声の方向ーー広場の入り口に向けられた。
そこに居たのは、緋色のつば広帽と揃いのマントを羽織った男。
肩まで伸びた癖のない金髪と、切れ長で涼しげな深い緑の瞳。整った鼻梁、おまけに色白で背も高く、立ち姿が絵になる色男だ。
「ええいっ! 何者だっ!? 貴様っ!」
振り上げた拳を邪魔されたカイゼル髭が、悪役お約束の誰何を男に向ける。が、金髪の男は大袈裟な仕草で頭を振った。
「問われても、俺は獣に名乗る名など持ち合わせていないな」
「何?」
「そうだろう? 無抵抗の子供や老人に好き放題、それに飽き足らず、たった一人に九人がかりで斬りかかる……恥も外聞も良識もない。そんな連中を獣と呼ばず何と呼ぶ?」
ニヤリと笑って辛辣な台詞を吐く色男……しかし、一体何時からこの状況を傍観していたんだ?
「貴様……どこの馬の骨かは知らぬが、ラハナー伯爵家が三男にして貴族騎士であるこのユスティン・フォン・ラハナーに向かって獣とは……無礼だぞ!」
「ふん。なにを言うかと思えば。ただの掛かり者ではないか。親の威を借りて威張り散らすだけしか能の無い者が貴族だ、騎士だなどと、全くもって片腹痛い。貴様がその程度なら、他の連中の程度も知れるというものだな!」
「ぐっ……! き、貴様ぁ!」
冷笑を浮かべて毒のある言葉を騎士達に吐き付ける男。
掛かり者……冷や飯食らいって事か。
図星を突かれたのか、カイゼル髭はさっきの余裕を吹き飛ばされて肩を震わせ唸る。
あの人、綺麗な顔をしてキツいことをずけずけと言うな……聞いている方も何だか気が滅入ってくるぜ。
「ところで、そこの黒髪の君。名を聞こう」
「へっ? あ、ああ……カズマ。カズマ・アジムです」
突然声を掛けられ、俺は調子のずれた声を出してしまう。金髪の男は俺の名を聞いて一瞬驚いた表情を見せ、愉しげに笑った。
「そうか、君がカズマか……成程、聞いた通りの男だ。俺の名はラファエル。君が良ければ半分受け持とう」
ラファエルと名乗った男はそう言って腰からサーベルを抜き放つ。
何だ? 誰から俺の事を聞いたんだ?
「気にしなくていい。俺も今からこいつらを叩きのめしてやろうと思っていたところさ」
戸惑う俺に、ラファエルは台詞と裏腹の爽やかな笑顔を浮かべる。
キザなのが鼻に付くが……助太刀はありがたい。
「……じゃあ、頼みます」
「ふっ……心得た」
「貴様らっ! 俺の頭越しに話をするなっ! 構わんっ! 騎士団に対する反逆だ! 斬れ! 斬り捨てろ!」
カイゼル髭、もとい、ユスティンが追い詰められた悪代官のように喚き、俺に斬りかかってくる。
だが、遅いっ! 先を読むまでもない。
最上段からの一撃を体を半身ずらしてやり過ごし、そのままユスティンの背後に回る。
ユスティンが慌てて振り向こうとした所をうなじに峰打ちの一撃。カイゼル髭はそのまま昏倒、頭から地面に倒れ込む。
まず一人っ!
「やあぁぁあっ!」
「きえぇいっ!」
続けて、左右から俺を挟むように斬り込んでくる騎士二人。
右からの斬り下ろしを弾いて逸らし、左からの刺突を体を捻って躱す。
そのまま、サーベルを最上段に構えて斬り掛かろうとする右の騎士のがら空きの脇腹を一撃。
騎士が急所を強打されて悶絶するのを一瞥。刺突を躱された騎士が体勢を整えた所にサーベルを突き付ける。
「くっ!?」
一瞬立ち竦んだ騎士に籠手を打ち込んでサーベルを叩き落とし、返す刀で額を打ち据える。
これで三人! 次は……背後か?!
迫る殺気を躱すように体を捻る。空気を斬る鈍い音が耳元を掠めた。
背後から俺を斬り付けた騎士は、まさか躱されると思ってなかったのか驚愕の表情で素早く飛び退り、間合いを取る。
だが、既に倒れ伏す三人を目にして表情を強張らせた。
サーベルを構えて間合いを詰める俺に、その騎士は構えを解いて両手を広げる。
「ま、待てっ! か、金なら幾らでも……言い値で出す! あんたの勝ちだ……だからっ!」
ここで命乞い? いや……
俺は小さく息をつくと、構えを解いてサーベルを下ろす。
「……さっさと失せろ」
そう言って騎士に背を向けた、その途端。
背中目掛けて降り下ろされる殺気を振り向き様に跳ね上げる。
「な、何故だっ?!」
「……あからさま過ぎるんだよっ!」
再び驚愕する騎士の眉間に俺は思い切り柄頭を叩き付けてやった。
これで四人……他は?!
「見事な戦いぶりだ。剣筋は聞いた話より荒々しいが、早さと正確さは流石だな……妹が熱を上げるわけだ」
涼やかな声に振り向くと、ラファエルが微笑を浮かべてサーベルを鞘に納めた所だった。
彼の足元には、五人の騎士が呻きを上げて累累と横たわっている。
あれだけの人数を相手にしたのに息ひとつ、髪の毛一本乱れていない……恐らくほぼ瞬殺だったのだろう。
この人、優男に見えて相当な手練れだ。
……ん? でも、さっき妹って言わなかったか?
この人の妹なら相当な美人だろうが、そんな知り合いは居ないぞ?
俺が怪訝な表情をしたのが可笑しかったのか、ラファエルは肩を震わせて笑いながら帽子を取って胸に当て、優雅な仕草で礼をする。
「申し遅れた。我が名はラファエル・フォン・ブルヒアルト……妹シャルロットが何かと世話になっているようだな」
ブルヒアルト……だと? 確か、かの伯爵家には男子一人と女子二人が居ると聞いたが、その伯爵家の嫡男か?
でも、あのじゃじゃ馬の兄貴にしては似てないな……まあ、貴族だからな。色々あるんだろう。
「その……伯爵家の御嫡男がなぜ貧民窟に?」
「なに。父の領地の視察から帰る途中でね……噂の不良貴族が徒党を組んでバルバの橋を渡るのを見たからちょっと後を付けてみただけさ」
そう言って軽く肩を竦めるラファエル。どうも飄々としていて掴みづらい人だ。
その話、どこまで本当なんだろうな。
と、ざわつき始めた狼人を代表してヨルク老が神妙な表情でラファエルに声をかけた。
「人間の剣士よ、助けてくれた事は礼を言う……が」
「ご心配には及びません。決闘の前に信頼できる騎士に使いを出しました。彼等は我々が処理します……ですが、念のため彼等を拘束してください」
ラファエルはそう言ってヨルク老に笑いかけ、ヨルク老はそんな彼に苦笑いを浮かべる。
「ふん……手回しの良いことだ。ウィルギル」
「はい。こちらに」
「騎士の方々を丁重に縛り上げて差し上げろ。くれぐれも、私刑などせぬように……よいな?」
「……御意」
ヨルク老の指示を受けたウィルギルは、手下に合図をすると今だ動けない騎士達を担ぎ上げて運んでいった。
貴族騎士達が運び出される姿を見送ったラファエルは、広場に留まっている狼人達を見渡し、深く頭を下げる。
「この度は我が同胞がご迷惑を御掛けした。貴族の矜持にも、騎士の精神にも反する行い、深く謝罪させてもらう……償いにはならないかもしれないが、私にできることなら何なりと言って欲しい」
ラファエルの言葉に、周囲のざわめきが大きくなる。まあ、そうだろう。人間とは言え、乱暴者の狼藉を止めた恩人だ。『はい、そうですか、じゃあ……』って話にはならないだろう。
ヨルク老が困り顔で口を開いたその時、女性の大きな声が響いた。
「じゃあ、悪いけど連中に散らかされた炊き出しの片付けと配膳の手伝いを頼めるかね? 子猫の手も借りたいくらい忙しいんだよ」
声の主は、先程騎士に食って掛かって鍋をこぼされたおばちゃん。やはりおばちゃんは強くて大胆だ……これは国と世界が違っても変わらない。
ってか、マジで頼むのか? 伯爵家の坊っちゃんだぞ?
「いいですよ。それくらいは御安いご用です」
おばちゃんの無茶なお願いに、袖を捲り上げながら爽やかな笑顔で応じるラファエル……やるのか。マジで。
「……ブルヒアルト家の方々はなかなか個性的ですね」
いつの間にか俺の側に立っていたクリフトさんが俺に苦笑した。
……まったく。同感だ。