4.5
回想
「葵、行くよ」
「うん!」
祖母に初めて浴衣を着せてもらった彼女は、母の声を追って玄関に向かった。慣れない下駄を苦労して履き、手を引かれて外へ出る。
幼い子どもの身では、日が沈んでから外に出ることはできない。そのせいもあってか、その時の彼女は傍から見てもわかるほど興奮していた。
昼間とはまるで雰囲気の違う道を、浴衣を纏ったたくさんの人が行き来している。その人混みが向かう方に、両親と手を繋いで歩いていく。
程なくして見えてきたのは、見上げるほど大きな鳥居だった。提灯の明かりに照らされたその奥には、もっと大きい社殿が構えている。
しかしそれよりも彼女の目を引いたのは、参道の両脇にずらりと並ぶ無数の屋台だった。
「わぁ……!」
目を輝かせて駆け出した彼女は、両親の手を離していたことに気づかなかった。
道沿いの屋台は、まるでどこまでも続くように思える。
あれこれと目移りしながら駆け回っていた葵は、さすがに疲れて足を止めた。
両親を探して辺りを見回す。そこでようやく気がついた。
「……あれ…?」
通り過ぎていく人々は皆、知らない顔ばかりだ。どちらを見ても、両親が見つからない。
迷子になったのだと、彼女は混乱する頭で考えた。
背の高い誰かに蹴飛ばされそうになるのを涙目になりながら回避し、人気の少ない方へと逃げる。
ふと人通りが途絶える。顔を上げた彼女は、そこに大きな鳥居を見た。
来る時に通った鳥居ではない。その奥には薄暗い参道が続いていた。それを覆うようにどこまでも続くのは、赤い提灯に照らされた、
赤い、鳥居の群。
「…………」
彼女は、得体の知れないものを感じてそっと足を引いた。すぐさま踵を返して引き返したい、しかし何かが引き留めて動けない。
「…………ねぇ」
思わず目を瞑った彼女の耳に、小さな声が忍び込んだ。冷たいものが指に絡まる。
反射的に振り返った彼女は、そこに鮮やかな紅い袖を見た。
紅い金魚を浴衣に泳がせた少女が、いつの間にか彼女の背後に立っていた。
「ねぇ、あなた迷子?」
日本人形のような可愛らしい少女は、彼女よりも少し年上だろうか。彼女の手を掴んで、引っ張ってくれる。
「お父さんとお母さんは?」
「……わかん、ない」
「それなら、こっちにおいでよ」
一緒に探してあげる。
手を引かれるままに、彼女は少女の後について歩き出した。
少女は、立ち並ぶ鳥居の奥に向かって進んでいく。そちらへ歩いていくと祭りの喧騒が遠のいていくようで、彼女は小さく身震いした。
少女が振り返る。
「どうかした?」
「……ううん、何でもない」
そう、と頷いた少女はまた歩き始める。その足取りは軽やかで淀みがなく、そのことが無性に恐ろしかった。
「……ねぇ、どこに行くの?」
「どこって、」
言いかけて再びこちらを見た少女は、少し驚いたように目を瞠る。
「あ……」
その視線を追って背後を顧みた彼女は、提灯に照らされて浮かび上がる人影を見た。
あまり見たことのない古風な柄の甚平を着た、細い少年だった。
少年だったのだと、思う。
その人物は、これまた古風な白狐の面で顔を覆っていた。
履いた下駄を鳴らして、一歩、また一歩と近づいてくる。
不思議と恐ろしくはなかった。
「……帰り道は、そっちじゃないよ」
数歩二人に近づいた少年は、面の奥から静かに言った。低くはないけれど、落ち着いた綺麗な声だった。
白い手が差し出される。
「一緒に帰ろう」
「でも……」
彼女は怪訝に思って振り返ったが、そこには誰もいなかった。暗闇に映える真紅の袖も、艶やかに泳ぐ金魚も初めからいなかったかのように。
困惑する彼女の手を、少年がそっと掴んだ。
「こっちに来て」
言い諭されて、仕方なく足を踏み出す。
少年は、歩いている間ずっと黙っていた。
聞こえるのは二人の下駄の音と、密やかに響く虫の音だけだ。
祭りの喧騒も、ここまでは届かないようだ。
どこまでも続くような鳥居の道に、終わりが見える。
そこで初めて、少年が足を止めた。
「僕はここまでかな」
そう言って、少年は彼女を振り返る。
「ここをまっすぐ行けば、神社の入り口に出られるから」
「うん。……ねぇ、また会える?」
僅かに首を傾けた少年は、彼女の頭を撫でた。
「うん、多分。またこの祭りに来てくれるなら」
少年の手が背中に触れる。
「それじゃあ、……また、来年の夏に」
とん、と背中を軽く押されて、彼女は鳥居の外に足を踏み出した。




