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1 免罪符

「おい、おい、こっちだ粕谷(かすや)係長……大丸部長が大変お待ちかねだ! ささっさと入りたまえ!」

 ——ほんと黒川課長は、人を急かす事にかけては東京一だわ。

 黒川はいつもの様に口元を少し歪めながら、社畜さながらに営業から戻った俺をせっついた。

「わかりましたから!」

 ——部長がお呼び?

 ——いったいなんだろ?

 ——育児休暇のことか?

 ——こちとらほんと忙しいのに。

「トントン!」

「入りなさい!」

「では、失礼します!」

「カチャ」

 部長室に入った粕谷は、大川が背を向けて座る席の傍まで歩み寄った。

 窓から景色を見下ろしていた大川は、クルッと椅子を反転させて粕谷を上目遣いに見やり、

「明日から……育休だってな?」

 とデスクに置かれた休暇承認簿を見開いた。

「ええ、三ヶ月程、休暇を頂きますので、よろしくお願いします」

 一礼をしながらそう口にした粕谷に、間髪入れる事なく大川が切り返した。

「今の時代、リモートワークじゃいかんのか?」

 ——思わぬ伏兵か?

 粕谷は思わず半身になりながら、

「育児休暇なのですから、リモワはちょっと……」

「キミは大丈夫なのかね?」

「えっ?」

「仕事を放って休暇を取ってさ」

「まあ、その事については何の心配も入りません。うちには頼りになる野々山がいますから。ご安心して下さい」

 と部長席をバンと両手で叩きながらマジ顔で答えた。

 しばしの沈黙から「あゝ」と声を漏らしながら背もたれに倒れ込むようにした大川は、葉巻を咥えながら、

「つまりあれか? キミはどーしても完全育休を取りやがると……言うのかな?」

 ——あゝ、白々しい。

 ——ほんと付き合い切れんわ。

「ええ、おっしゃるとおりです。私は完全に育休を取らせていただきます!」

「おっ……そうか」

 ——そうでなければ困るんじゃい!

「では、失礼します」

 ——よし、後は引き継ぎだけじゃい!

「おいおい、待ちなさい!」

 ——え?

 ——何?

 ——呼び止めた?

 粕谷は熱い視線を感じつつ背中越しに、

「まだ何か御用でも?」

 と一言呟いた。

「なあに、知り合いからうちの情報を教えてもらいましてね、いや、確証はないのだがね、所謂、情報漏洩って奴かもよ」

 ——何なんだ?

 ——その意味深なプレッシャーは?

「えっ?」

 と再度部長を振り返った粕谷は、神妙な顔つきになり息を呑んだ。

「聞く気になったようだな」

「それ、聞き捨てならんでしょうよ」

「新機種筐体(きょうたい)の機密情報が外部に持ち出されたようなんだが……キミは気づいておらんようだな」

「ええ、初耳です」

 ——何だその目つきは?

 ——疑ってるのか?

 ——まぁ、俺じゃないが。

 ——ってことは誰が?

 ——でも、俺は明日から育休だからな。

「ならいい。キミの部下で責任を持つ者を呼んでくれ。それと、このことは内密にしとくように、いいな」

「わかりました」

 

 そう、粕谷は某パチンコ・パチスロの開発メーカーの営業係長なのであった。

 

 彼はこの新機種の筐体の開発チームメンバーを仕切りながら営業をこなす社畜である。それ故に本来ならその情報漏洩の原因追求の一端を担うべき職責にあった。ただ明日から育休となるため、粕谷はこれを免罪符として、その職務を野々山に託すつもりでいた。

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