第一章 機械の存在意義(7)
それから、アルバートの案内で、クリスタルは、サ・ジャラが入室している、職員用の宿舎へとやって来た。ロワーズ邸からは、歩いて二、三分の距離にある、大きなホテルのような建物であった。壁の白色が、眩しい。
「そういえば、サ・ジャラさん、とても疲れているようだったので、寝ているかもしれません。いきなり訪ねて、迷惑にならないでしょうか」
ふと、思い出して、クリスタルは不安になった。これ以上サ・ジャラに悪いことになってしまったら、もうあわせる顔がないと思わずにはいられなかった。
「大丈夫だ。むしろ今のうちに行ってあげないと、可哀想だと、私は思う」
アルバートは、そう、保証の言葉をクリスタルに伝えた。もっとも、彼女には、何故そう言い切れるのか、分かりようもなかったが。
「可哀想、ですか?」
サ・ジャラの部屋は、二〇階建てのその宿舎の、一五階にある。クリスタルとアルバートの会話が行われているのは、上昇中のエレベーターの中であった。
「ああ。必ずクリスタルは謝りに来る。その時に寝ていては、相手にされなかったと君が勘違いしてしまうと心配していた。それまでは起きてないと可哀想だと、私との通信では、頑張っていたよ。多分今も、眠い目を無理矢理開けて我慢しているだろう。だから、お節介なのは分かっているのだが、こうして君を呼びに来たのだ。このままでは、サ・ジャラが倒れてしまう。そういう意味では、君達二人は、似た者同士だ」
と、アルバートは笑った。そして、さらに、冗談半分のような口調で、付け加える。
「おっと。今の話を私がしたということは、サ・ジャラには内緒だぞ」
「はい。わかりました」
クリスタルは頷いた。そんな話を暴露したら、より面倒臭い状況になることは、クリスタルにも分かる。
エレベーターが一五階に着き、アルバートとクリスタルの会話が途切れた。アルバートが先導し、その半歩あとくらいを、クリスタルが続いた。クリスタルの手には、老人から貰ったユリが、大事に抱えられている。
「一五一二室、ここだ」
扉が一列に並んでいる廊下を進んでいたアルバートが足を止めると。クリスタルが気持ちを落ち着かせる前に、
「クリスタル?」
と、勢いよくその部屋のドアが開いた。思わず手にしたユリを落としかける程に、クリスタルは仰天した。
「ああ。まあ、よく来てくれました。ささ、どうぞ、中に入って。いらっしゃい」
そんな彼女にお構いなしに、ドアから身を乗り出していたサ・ジャラが、アルバートを押しのける勢いで、クリスタルの背中を押すように、部屋の中にクリスタルを招き入れる。
「来てくれると思っていました。本当にあなたは。本当にあなたは。なんていい子なんでしょう」
あれだけ傷つけるようなことをした後だというのに、まるで忘れてしまったかのように、サ・ジャラはクリスタルの来訪を喜んだ。
「私はおじゃましなかった方が良かったな」
アルバートは、ほとんど放置されたことを気にもせず、二人のあとでドアを閉めながら入って来た。
「そんな訳がないでしょう。あなたが連れてきてくれたのですよね。クリスタルは私の部屋の場所すら知らない筈ですもの。ありがとうございます、本当に」
サ・ジャラはアルバートの冗談に、オーバーに頭を振って彼も歓迎した。
「わ」
部屋に通されたクリスタルが、短く驚きの声を上げる。
サ・ジャラの部屋の中は、アミナスの彼女の住居とは違い、全くカモフラージュが施されていなかった。中は、予想外に広いスペースであった。
アミナスでも使っていた日用家電やシャワーブースもあるにはあったのだが、その部屋の半分以上が、黒々とした高性能コンピュータで埋め尽くされている。サ・ジャラ一人で住んでいるのだろうが、何故かコンピュータは八台も並んでいた。モニターは、一つに着き、最低四個は設置されている。一番奥などは、一六個のモニターが天井にまでぶら下げられており、まるで宇宙船のパイロットシートのようであった。
コンピュータはほとんどが停止している状態だが、一番入口に近い一台だけが、電源が着いたままである。思わずクリスタルが覗き込もうとすると、
「あ、ああ。それは、見ないでいいのです。良い子だから離れましょうね」
慌ててサ・ジャラが駆け寄ってクリスタルを遮るが、生憎、クリスタルは一瞬でも画面が見えれば映されている内容が、把握できてしまった。
右側には、いつの間に撮影していたのか、クリスタルのデジタル写真が並んでいた。左側には、メモ書き用のテキストエディタ―。そこには、『クリスタルとの仲直りプラン』と題された計画の案が、箇条書きでびっしりと書き込まれていた。
「サ・ジャラさん」
それが見えたクリスタルは、いてもたってもいられなくなり、座る場所を勧められるのも待たずに、サ・ジャラに頭を下げた。
「本当にごめんなさい」
こんなに大切に思って貰えているのに。クリスタルの後悔は、いや増しにクリスタル自身の感情を揺さぶった。それ以外に、言葉が出なかった。
「気にしないで、という言葉は、私の本心ですけれど、その言葉は、あなたにとってはどうしていいか分からなくなってしまうのでしょう。だから、私としては、こんな偉そうな言い方は、ちょっと心が痛むのだけれど、あなたにとってはその方が安心できるでしょうから、こう、答えておきます――許します」
と、サ・ジャラは一気にまくし立てるように、早口で答えた。そして。
「ありがとうございます。その、お詫びの代わりに、これを」
クリスタルが、ユリのうちの一本、花の形がより整っている方をサ・ジャラに差し出すと、
「まあ、ありがとう。あなたも一本。私も一本。これでまた、仲良しですね」
それを受け取りながら、穏やかに微笑んだ。ただ、生憎サ・ジャラの部屋には花を生ける花瓶がなかった。彼女は花瓶代わりに背の高いコップに水を張り、そこにユリの花を生けた。そのコップを、クリスタルの方にも、刺し出す。
「さあ、あなたのも。お水がないと、花も可哀想です。ここにいる間だけでも、入れておいてあげましょう」
「はい」
素直に、クリスタルはそれに従った。クリスタルがサ・ジャラに倣って花をコップに入れると、二本の花は、まるで寄り添うように、僅かに揺れた。
「本当にごめんなさい。私は、表面的にしか、ユーグのことも、サ・ジャラさんの仕事も、理解できていませんでした」
もう一度、クリスタルは、何を詫びに来たのかを、しっかりと言葉にした。そんなクリスタルに、サ・ジャラは何も言わずに、まず、床にカーペットが敷かれた場所に、座るように促した。
「そこに座ってください。温かい物を飲みながら、お話しましょう」
「はい」
と、クリスタルは勧められたカーペットの上に、ぺたんと腰をおろした。隣に、さも当然そうに、アルバートも座った。
「私はコーヒーで良い」
「アルバート、家主が、あなたは何を飲みますか、と聞く前に答えるのはやめてください。私が意地悪をしているみたいではないですか」
と、サ・ジャラは笑った。ただ、既に手はコーヒーカップに延びていた。
「サ・ジャラさんは、お水以外は飲めないのに、家にコーヒーがあるんですね」
クリスタルが不思議に思って尋ねる。
「ええ。ひとの家に年中飲みに来る人がいるせいです」
一瞬アルバートを見て、サ・ジャラは笑顔でクリスタルに答えた。そういえばと、クリスタルは首を捻った。アミナスでも総司令官と、ずっと立場が下の、一介のメカニックといったコミュニケーションではなかった。
「もしかして、サ・ジャラさんとアルバートさんって」
「夫婦、とかではない。うまくは言えないが、波長が合う、と、言ったところか」
アルバートが先に答えた。
「腐れ縁ではありますね。嫌ではないですが」
と、サ・ジャラも笑った。
「難しいですけど、なんとなく、素敵な関係なのかなって気がします」
クリスタルには、そう見えた。