第31節 蹂躙
「アゼンさーん!」
「アゼン!!」
「ア〜ゼ〜ン」
「アゼンちゃん!」
「……アゼン」
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「……」
ヤツが現れた瞬間、俺の頭の中に懐かしい……奴らの声が響いてきた。それと同時に俺の視界を真っ黒な巨体が覆い隠す。
俺は咄嗟に叫んだ。
「避けろ!!!」
ヤツの攻撃を俺たちは辛うじて避けた。ヤツは水飛沫をあげながら再び海中に姿を隠す。
「お前ら!!大丈夫か!?」
俺は急いで周りを見渡す。タリアとサルサは無事だ。
「ルナ!返事をしてルナ!」
「どうしたの!?」
「ルナが、ルナが立ったまま動かないの……」
「くそ!返事をしちまったのか!アオ、ルナを抱えてトルペンランドにまで戻ってろ!」
「わ、わかりました!」
アオはルナを背負いながらトルペンランドに走っていく。そのあとを追うように黒い影が海中から迫り来ていた。
「させない!」
シオンはそう言って手から鋭い木の棒を影に向かって何本か放出する。それらが当たることは無かったが、影は方向転換してこちらに向かってくる。
「少し距離をとらせてもらいますよ」
サルサは影がいる海中に渦を造り出し、影の動きを停滞させる。俺たちはその間に沖の方へと向かって移動する。
「先輩!ルナは大丈夫なんですか?」
「あいつは今"幻影"の中にいる。ひっぱり出すにはヤツをぶっ倒せばいい。いいか、ヤツが姿を現した時が一番危険だ。絶対に返事をするなよ」
トルペンランドからある程度離れたとき、ヤツが渦から抜け出してこちらに急接近してくる。ヤツはどんどん速さを増していき、海面から勢いよく飛び出した。
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「君が……を変えるんだ……アゼン」
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それは、星無き夜のように黒く、快晴の空との境界でようやく輪郭が捉えることができるほどだった。それでいて、ヤツの顔が何処にあるのかは、明確に理解できた。まるで魚のように頭の横に虹色の眼が漆黒の体に備わっている。その下には、俺たち全員をまとめて丸呑み出来てしまいそうな巨大な口があった。
「……化け物だな」
「……お兄ちゃん、家から"アレ"、とってきて」
「まさか使う気なのか?アレはまだ母さんの———
「大丈夫。どうせ私の物になるんだし。何より今ここでコイツを倒しとかなきゃトルペンが危ない」
「……分かった。皆さん、私は少しの間離れます。それまで持ち堪えてください」
サルサはそう言うと水飛沫をあげながらトルペンランドを迂回するようにこの場を離れていく。
「さて、俺たちだけになっちまったな」
「先輩、どうします?」
「……シオンがヤツの足止め、俺が攻撃を防いでタリアができるだけ攻撃してくれ」
「りょーかいです」
「分かりました」
「……いくぞ」
俺たちは一斉に散開した。俺が正面、シオンが左、タリアが右に移動する。
ヤツはシオンの方へと突進していった。
シオンは両手から何十本もの木の根を出し、それを勢いよくヤツに巻き付ける。ヤツは体を捻じるが木の根が絡まって身動きがとれない。
だがそれもすぐに振り解かれ、ヤツはシオンに向かって青幻素の凝縮砲を放つ。
俺は急いでシオンの前に立ち白幻素でヤツの攻撃を受け止める。白幻素は青幻素を侵食するが、圧倒的な濃度と衝撃波で俺の体は吹っ飛ばされた。
シオンは飛ばされる俺の体をなんとか根で捕まえた。
次の瞬間、蒼き船がヤツの胴体に突進する。ヤツは怯むが尾を船に叩きつける。船は風船のように軽々と弾き飛ばされてしまった。
俺たちはその後も拘束と防御、攻撃を繰り返すがヤツが海に沈む気配がまるでない。
「まったくどんだけタフなんだよ」
「武器さえあればまだ火力が上がるんですが……」
俺たちが嘆いているとヤツが口を開きまた"幻影"へと誘なう声が頭の中でこだまする。
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「アゼン……!お前は……お前は……!———
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「……そんなんで返事なんかするかよ。シオン、大丈夫か?」
「はい、私は大丈夫です」
「タリアは———
彼女を見て、俺は絶句した。
タリアは、敵を鏖殺せしめんとする異様な殺気をヤツに向かって放っていた。
彼女は顔の半分を手で覆っている。彼女の青く美しい片眼からは歪んだ蒼き波が渦巻いていた。
「……その声は……その声は……」
「お、おい、タリア、しっかりしろ」
俺は彼女の肩を揺さぶるが、彼女はこちらを見ることもしない。
「タリア!持ってきたぞ!」
すると、サルサが何かを引きずりながらこちらに向かってくる。それは、巨大な青い錨のようだった。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
「……タリア、大丈夫か?」
「……うん」
サルサはそれをタリアに手渡す。タリアは俺の身長よりも大きいそれを軽々と持ち上げ、自らの肩に乗せる。
「皆さん、離れてください」
「……あれはなんですか」
「我が"トルペン家"に伝わる伝説の武器、"超弩錨"です。あれはトルペン家の当主として選ばれた人間だけが扱うことができます」
「てことはタリアは……」
「はい、タリアはトルペン家の、次期当主です」
すると、今まで微動だにしていなかったタリアが一瞬にして姿を消した。そして瞬きする間もなく彼女はヤツのはるか上空に移動している。そのまま落下しながらヤツに大振りの一撃を喰らわす。その衝撃は凄まじくヤツの体を通して海に伝わりヤツを中心に巨大な波が発生した。
彼女はその後目にも止まらぬ速さで移動してヤツに対して重い攻撃を繰り返している。俺たちは攻撃の際に発生する衝撃波を辛うじて見ることしか出来なかった。
「な、なんだあれ、人間ができる動きじゃないぞ」
「……"幻栓抜錨"。あの武器は、本来誰も扱うことができない、身体の6割を占める水を青幻素に変えることであのような人間離れした動きを引き出しています」
俺たち幻素使いが扱っている幻素は、身体を構成している物質から発生しているのではなく、あくまで身体に滞留している幻素を使っているに過ぎない。身体の物質を幻素として利用するなんて本来は出来ない。
「……そんなことしたら、あいつの身体がもたないぞ」
「ええ、ですので、アレは選ばれた人間、限られた制約の中でしか利用できません。ですが、アレを使っている間、彼女に勝てる人間はいません」
俺たちは目の前に広がる蹂躙を、ただ見つめることしかできない。
タリアが再び空中に飛ぶ。
「……代償を払ってもらうぞ、"雑魚"が」
錨のまわりを大量の青幻素が覆う。それは錨をさらに巨大な錨へと変化させた。それは太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
漆黒の影は、無惨にも常夏の日差しに切り裂かれた。




