1話 妖界からの来訪者
時系列的には「カメレオン少年の選択」の半年後くらいです
海里が史源町を去ってから数年後の話ななります
目を覚まし、視界に広がるのはまだ慣れない部屋の景色。最低限必要なものだけが置かれた部屋は自室として与えられたものであっても、他人の部屋にいるような気分にさせる。
この部屋に滞在するようになってどれくらいになるか、ぼんやり考える。
「まだ一ヶ月にはなってなかったかな」
あの日、親友と想い人に別れを告げてから、海里はいろんな町を転々としてきた。
所属する妖処刑部隊の仕事に合わせて、様々な地を渡り歩いてきた。一つの町に一ヶ月以上滞在するのは珍しいと言えるくらいには忙しなく。
日本だけではなく海外に滞在する時期もあり、同年代とは比べ物にならない経験をしてこられたのは悪くはないかなとは思っている。
自分の家、と言える場所がないのは少し寂しくはあるけれど。
「おはよう、カイ」
視界の隅で揺れる金色に気付き、微笑を浮かべる。
幼い顔立ちに似合わない険しい顔の少年は優しい声で挨拶を返した。
手早く身支度を済ませ、部屋を出る。
今借りているのは小さなアパートの一室で、部屋数は少ない。部屋を出たらすぐそこがリビングとなっている。
ちなみに自室があるのは海里だけだ。
一度辞退はしたものの、そういうわけにはいかないと突っ撥ねられてしまった。
自覚がなくとも、海里は一応王族。妖界の王の実の息子であり、その場でできる限りの丁重な扱いをするというのが共通認識らしかった。
正直落ち着かないが、これも慣れていくしかないことなのだろう。
彼らと一緒に暮らすようになって数年。まだ距離は掴みかねている。
「おはようございます、海里様」
「うん、おはよう」
タイミングを見計らっていたようにちゃぶ台に朝食が並べられる。日本の朝、といったラインナップ。
「例の件、今日だっけ?」
「昼前には来られるとのことです」
じゃあ、早く食べてしまわないとなとレオンの手製の朝食を手早く口に入れる。とはいえ、味わうことも忘れない。
召使い歴が長いこともあって、レオンは料理上手だ。
雑を極めた男料理を提供していた育て親とは大違い。あれはあれで好きではあるが。
「ごちそうさま。今日もおいしかったよ」
「恐縮です」
もうすでにレオンは食事を済ました後のようで、なんとなく寝坊してしまったような気持ちになる。
そもそもレオンが起きる時間が早すぎるのだ。
この家の家事のほとんどをレオンが担当している。レミも多少手伝っているようだが、海里には手伝わせてくれない。
海里本人には一切の自覚のない立場云々の話を持ち出されては断られ続けている。そのまま泣き寝入りする海里ではないので徐々に距離を縮めていくつもりである。
一度自室に戻った海里はレオンから出された宿題をして客人が来るまでの時間を潰す。
学校に通っていない海里はレオンに家庭教師をしてもらって必要な勉強をしているのだ。
人間界において必要な知識と、妖界において必要な知識。両方を勉強している。
妖と人間、両方の血を受け継いだ半端者はどちらの世界でも中途半端にしか生きられない。だから両方の知識が必要なのだ。
最終的にどこでどんな風に生きていくにしても、持っていて損はないと思っている。
机に向かってどれくらい経った頃か、客人が来たとレオンが呼びに来た。
レオンは何やら複雑な表情を見せていた。
「どうしたの?」
「いえ、お気になさらず」
表情の意味を読み取れるほど距離は近くなく、断られて踏み込めるほどの関係値もない。
特に追求することなく、海里はレオンの後ろに続いてリビングに戻った。
「海里様をお連れしました」
「ああ、例の?」
あまりよくない雰囲気の声が聞こえて、小柄な影がこちらを覗き込んだ。
まだ若い少女の外見をしている。身長はレミと同じくらい、纏うのは華美なデザインのワンピースを纏っている。
肩口辺りで切り揃えられた淡い緑髪の隙間から木の枝のようなものは生えている。
木系の妖の特徴だったかな、と勉強内容を思い出す海里を前に少女は明らかな侮蔑を注いでいた。
「話に聞いてはいたけど、やっぱり……。どれだけ高貴な血が入っていようと人間が混じってしまっていてはおしまいよねえ」
分かりやすい嘲笑に、レオンの複雑な表情の理由を悟る。多分、レオンは海里と会わせたくなかったんだろう。
気遣わしげな視線が注がれるのを感じながら海里は笑みを浮かべる。もう癖になってしまっている笑みだ。
「初めまして、武藤海里です。今回はよろしくお願いします」
「穢れた血とよろしくしたくはないけれど、今回はお祖父様に頼まれた仕事だから仕方ないわね」
ここまではっきりと侮蔑されるといっそ清々しい。意外と傷付いていない自分に驚きながら、海里はただ笑みを浮かべる。
「あたしはタオよ。よろしく頼むわね」
「タオさん、ですね」
「はあ!? タオ様でしょ! 穢れた血に名を呼ばれるだけでも不快なのに立場を弁えなさいよね」
「すみません、タオさ――」
呼び方に拘りはない。すぐにでも訂正しようと口にしたところでレオンに制止される。
「恐れながらタオ様、海里様は王に連なるお方です。そのような態度は流石に目に余るかと」
「高貴な血が流れていようと穢れている者に払う敬意なんて生憎持ち合わせていないの。忌子ごときかあたしに意見しないでちょうだい」
人の血が混じっている海里はもちろん、忌子として生まれたレオンもまた侮蔑の対象のようだ。不遜な態度を隠しもしないタオに流石に苦笑を浮かべざる得ない。
「タオ、流石にその態度は私の目に余る。改めろ」
と投げかけられた声にタオがビクリと反応した。
肩を大きく震わせ、タオは声の主の方に目を向ける。
腕を組み、鋭い目つきでタオを見るのは十代くらいの少女だ。蜂蜜色の髪を側頭部で二つに結い上げた小柄な少女はその見た目に似合わない厳しさを表情に乗せている。
少女の名前はレミ。海里が所属する妖処刑部隊で副隊長補佐を務める人物だ。
「ごめんなさい」
「謝罪する相手が間違っているだろう。私ではなく、海里様とレオンに謝れ」
「っ……。……ごめん、なさい」
あれだけ高慢さを振り撒いていたタオがしおらしく頭を下げて謝罪する。
その理由は単純、レミが次期青ノ幹部と謳われる人物だからだ。青ノ幹部が今の風ノ幹部との間にもうけた子供であり、生まれながらの妖――先天的妖の両親に持つ正真正銘の純血なのだ。
妖界で暮らす上流階級の妖たちは混じりものを毛嫌いする純血主義のものが多い、というのはレオンから聞いた話だ。
平民出身で忌子であるレオンや、高貴な生まれでも人の血が混じっている海里は、純血主義の者にとって侮蔑の対象だ。
「あまりにも目に余る行動が続けば、私もお前の祖父に言いつけなければならない。分かるな?」
「はい……」
タオは緑ノ幹部の孫娘だという。緑ノ幹部は堅物だが、純血主義というほどではないという。
タオのこの性格は生まれ育った環境によるものだろう。甘やかされた育てられたことが言動の端々から感じ取れた。
「分かったのなら今回の依頼について話してくれ」
妖処刑部隊の副隊長であるレオンが話を進めるべきところだが、まともに聞き入れてくれるとは見えないのでその役割をレミが代替わりしている。
レミには強く出れないタオは不満を隠さない表情を見せながらも、ここに来た役割を果たすために口を開く。
「先日、我が一族で管理している植物の種が奪われました。貴方たちには種の在処を見つけだしてほしいのです」
「その種というのはどういうものなんですか?」
「そんなことも知らないの?」
タオは無知を語る海里へ蔑みの視線を注ぐも、険しくなるレミの視線を受けてすぐに逸らした。
「緑ノ幹部の一族が代々管理している特殊な植物です。茜桃と呼ばれています」
「せんとうって中国の話に出てくる奴だっけ? 確か食べると不老長寿になるとか」
「よくご存知ですね。ですが、字が違います。今回奪われたという茜桃は茜に桃と書きます」
言いながら、レオンは紙に『茜桃』と書く。
海里の知る『せんとう』は確か『仙桃』と書くので別物のようだ。
「茜ってせんとも読むんだね」
「あまり使われることはありませんからね」
字面から察するに茜色、赤い桃なのだろうか。
気になりはするが、タオの表情が不機嫌に彩られていくのを見て取り、話を進めることを優先する。
茜桃はそれなりに有名なもののようで、レオンやレミはどういうものなのか知っているようだ。後で詳細は教えてもらおう。
「先日、茜桃の種を管理している倉庫が襲われ、一部が持ち去られました。下手人は人間界に逃げたと見られ、レミ様方に協力を要請させていただきました」
身内の不手際ということもあって、タオの表情に先程のまでの傲岸さはない。殊勝とも取れる態度で任務の詳細について話している。
種が奪われたことにかなり責任を感じているようだ。海里やレオンに対する態度はともかくそんなに悪い人でもないのかなと考える。
「逃走の際、うちの者が下手人に匂い玉をつけていたお陰で逃走経路は概ね把握できています」
「匂い玉か……同じ種にのみ、匂いを感知できる特殊な実だったか」
「流石、レミ姉様。お詳しいですね」
「私たちには感知できないとなるとタオを中心に捜索にあたることになるか」
任務の方針はいつもレオンが中心となって話し合っているが、今回はタオの性格を配慮してレミが話を進めている。
特に口を挟むところもないのでレオンも海里も聞くに徹している。
「一先ず、私とタオで捜索にあたる。レオン、海里様のことを頼んだ」
「ああ。……分かりました」
タオの視線を受け、レオンは途中で敬語に切り替えて答える。
普段レオンはレミに対してだけ砕けた口調で話しているのだが、ああも厳しい目を向けられては仕方がない。機嫌を損ねて協力関係が崩れてしまうのは困る。
配慮の結果、今度はレミが物言いたげな視線を寄越している。レオンが敬語を使った理由を理解はしているので、不満はあれど口には出さないといった感じだ。
細かい打ち合わせをして、レミはタオとともに捜索に向かった。家の中にはレオンと海里だけが残される。
「俺たちは行かなくてよかったの?」
「匂いを感知できるのがタオさんしかいない以上、下手に反発されると困りますからね。本当は人手が多い方が望ましいんですが」
協力を要請している側に配慮しなければならないとはなんとも面倒な話だ。こちらが簡単に断ることができないから余計に。
妖処刑部隊の任務は基本的に妖華から下される。王直々の命令であり、隊員の判断で拒否することはできないのである。
何か問題があれば、隊長であるクリスが話をして落とし所を探すという形だ。今回は依頼主の性格上の問題であり、打つ手がまったくないというわけでもないので、そこまでする程のことでもない。
「改めて申し訳ありません。もう少し我々の方で配慮すべきでした。タオ様の仰ったことは気になさらないでください」
「大丈夫だよ。少し驚いたくらいで全然気にしてないよ」
本音ではあったが、レオンは強がっていると思ったようで気遣わしげな視線を注がれる。
なんと言えば、納得してくれるだろうか。慣れているというのはそれはそれで問題がある気もするし、気にしていない理由を説明してもやはり強がりと受け取られそうな気もする。
自分が半人半妖である事実は変えようがなく、それを受け入れられない人もいるのは分かっている。
人間にもなれず、妖にもなれず、中途半端な存在。双方から怪物だとそう謗られても仕方のないことだ。
『あなたはあなたでしょ』
今でも容易く蘇る声がある。なんでもない声と表情で海里の悲愴な覚悟を砕いた声が。
胸の一番大事なところにしまっている存在がいるから、海里は大丈夫だと笑っていられる。
それを説明するのもなんだか気恥ずかしかった。
「それよりも茜桃について聞いてもいい?」
折衷案として話の切り替えを選んだ。レオンは察しがいい人なので、「構いません」と素直に応じる。
「うちが捜索に駆り出されるくらいだからただの桃ってわけじゃないんだよね?」
「そうですね。茜桃は代々緑ノ幹部の一族によって管理されている特殊な効能を持つ果実です」
改めて、先程よりもより詳しい形でレオンは解説する。
「茜桃は食した者の身体能力及び妖力の強化、治癒能力の向上をさせる力があります。加工することで効能を抑え、薬としても使われています」
危険性の高い果実を栽培しているのは薬としての役割が大きいからなのだろう。
緑ノ幹部のもとで管理することで安全性を確保している中で今回の事件が起こった。
大衆に知れ渡れば、騒ぎになりかねない。公になる前に処理するため、妖処刑部隊が協力することになったというところだろうか。
中には身内の失態、ひいては弱みとなる事実を他の幹部たちに隠したいという思惑を隠れているかもしれないが。
「さくらんぼ程の小さな果実ですが、その一粒でかなりの効果があると聞きます」
「その種を盗んで、育てようとしてるのかな……」
「素直に考えればそうなりますね。ただ、茜桃を育てるのはかなり難しい、それこそ緑ノ幹部に伝わる栽培方法でなければ成木まで育てることはできないと言いますが……」
「種を盗むより、果実を盗んだ方が確実な気がするなあ」
何故、わざわざ種の方を盗んだのか。
短絡的な犯行なのか、栽培方法を知っているのか。
「他の幹部が関わっている以上、こちらもあまり踏み込むことはできませんからね」
処刑部隊は妖界の王直属の部隊ではあるので、ある程度優遇されている部分はある。
しかし他の幹部が関わることとなる王でも制限が多く、容易く介入できるものではないらしい。
「下手に介入すると責任問題も生まれますから……」
相手が幹部となると妖界の王も庇いきれない。
変な欲を出さず、タオの指示に従うのが無難な選択といったところだろうか。全容が把握できないことに下手に首を突っ込むことへのリスクは理解できるので、海里は素直に部隊としての方針に従う。
●●●
タオのことは昔から知っている。
レミは青ノ幹部の愛娘であり、次期青ノ幹部と目された立場であり、たびたび他の幹部主催のパーティーに駆り出された。
レミに経験を積ませるためだったのだろうし、人脈を作らせるためだったのだろうし、多くに自分の後継ぎを知らしめるためだったのだろう。いづれにせよ、今のレミには関係のないことだ。
ともあれ、木ノ幹部の親族であるタオもたびたびパーティーに参加していた。
あの手の場所は子供の数も少なく、纏まって大人の邪魔にならない位置追いやられることも多かった。
それが子供たちの社交場、言ってしまえば婚約者候補を見つける場所だ。ここで有力者の子供と親しくなれば、今後婚約者の話が出たときに選ばれる可能性もあがる。
なんなら有力者の集まる社交場で親しい二人と認識されれば次に繋げやすくもなる。
当然、次期青ノ幹部であるレミに近付こうとするものは後を絶たず、面倒なので同性とばかり一緒にいることが多かった。
その中にタオもいた。あの頃から我儘お姫様なところは変わらない。
当時、緑ノ幹部の一族は男ばかりで、待望の女の子をさんざん甘やかした結果だろう。
「レミ姉様はどうしてあんな下賎な者と一緒にいらっしゃるのですか? 姉様に相応しい場所はもっと……」
「私があの場所が好きだからだ」
「そんなっ、あんな者たちのどこがいいと言うのです!?」
「下賎な者と一括りにして見ている間は分からないさ。お前が何を言おうと私の意思は変わらない」
レミと妖処刑部隊の面々は釣り合わない。それはレミも自覚している。
どれだけ逃げても、レミが青ノ幹部の娘である事実は覆せない。彼らの中に混ざり続けることは許されない。永遠に隣で笑い合うことはできない。
タオはレミが彼らの遥か上にいると思っているだろう。でもレミからしたら真逆だ。
彼らがレミの遥か上に立っているのだ。レミの生まれが足枷になって、どんなに手を伸ばしても彼らと同じ場所には立てない。
「そんなくだらない話より今は任務だ。匂いはこの辺りからするんだったな」
「……はい。でも、途中で消えてしまって……ここから先はあたしにも分かりません」
「ならば、この辺りを一通り見て回るか。何か気付いたら報告してくれ」
意識を切り替えて、レミは茜桃の種を盗んだ下手人の捜索にあたる。




