ペーパーナイフ
顔に手をやる。
仮面は無く、自分の肌の感触……
……抜けた?夢蠱から抜けたのか?
だとしたら……
「やってくれたわね!お陰でやり直しだわ」
「やっぱり蠱毒だったんだな?だったら毒蟲を使うんじゃないのか?」
女は鼻を鳴らした。
「嫌よ蟲なんて。人間を使った方がいい呪物になるのが解ってるのに」
人間を使った方が?
「意味が解らない、って顔をしてるわね?」
女は腕を組み、オレをせせら笑う。
「教えてあげる。昔々、蠱は蟲の毒を使った……暗殺の手管だった。生き残った蟲は他の蟲達の毒を吸って強い毒を作るはずだと信じてたのね。けれど、呪術に昇華する際、毒ではなく魂を重視する様になったのよ」
「魂だと?」
「そう。本能と言い換えてもいいわ、生存本能ね。百匹の毒蟲、その生存競争に勝つという事は百匹分の生存本能が上乗せされるわけ」
そんなものを……
「そうして生まれた生存本能の塊を、呪う相手にとり憑かせる。相手は身体から魂を弾き飛ばされる。普通に考えても100対1の戦いなんだから当然よね」
「何の為に?」
「あら?解らない?呪う相手が……例えば大金持ち、とか?政治家なら?蠱には生存本能しか無いのだから、こちらの思い通りになる奴隷が出来るのよ?」
なんだと!?
「生存本能なら蟲より獣より、人間でしょうが!なら人間を蠱毒の材料にした方が上手くいくじゃない!」
という事は、オレ達が被っていた仮面は『魂』生存本能の象徴という訳か。
なるほど、外すと死ぬのはそういう事か。
「夢の中で……そんな事を」
女はクスクスと笑う。
「現実でやれる訳無いでしょ、殺し合い。蠱の材料は数が必要なのよ?拉致する手間がどれだけかかる?裏の世界で奴隷を買ったらどれだけお金がかかるかしら?殺し合わせる為の監禁場所も必要だし」
女は自分の考えた計画を自慢したくて堪らないらしい。
「その点、夢なら!人間をかき集めなくて済むわ!場所も必要無い!夢だから罪悪感も感じず殺し合ってくれる!」
「……随分、都合のいい話だな?」
「えぇ!一度この『夢蠱システム』を創れば、蠱を一つだけじゃなく幾つも幾つも作り続ける事が出来る!これがどういう意味か解る?国のリーダー集団まるごと私の言いなりに出来るわけ。国一つだけじゃないわ」
女がオレを睨む。
「主要国のリーダー集団を、蠱で隷属させれば地球まるごと私のもの……それを邪魔してくれるなんて!」
「いくらなんでも無茶だ!」
オレの叫ぶ声に。
女は尚も笑った。
「何が無茶な訳?メリットは大きいわよ、上手くやれば戦争も無しで世界が統一されるわ。人口の調整も思いのまま。他にはそうねぇ、スペースコロニーを造らせるなんてどぉ?技術的には造れるのに世界情勢のせいで出来無いんでしょ?蠱の壷にぴったりだわ、荒唐無稽で」
甲高い笑い声が耳につく。
女はオレに近付くと、しなだれ掛かる様にくっついた。
「さてと……そろそろ本題に入ろうかしら。貴方のお陰で一からやり直しよ?どうしてくれるわけ?」
「……どうしろっていうんだ?」
「そうねぇ……二通りの選択肢をあげるわ。一つは、このまま夢に隔離してあげる、もう邪魔されたく無いもの」
隔離だと?
女はオレの首に両手を回し、しがみつく様な格好になった。
何も出来無いと馬鹿にしているらしい。
……そのぐにゃぐにゃした顔を近付けるのは止めて欲しい。目がチカチカする。
「まぁ、隔離したらもう目が覚める事は無いでしょうね。眠りながら餓死?それとも病院で植物人間?」
「……っ!で?二つ目は?」
オレは両手をポケットに突っ込んだ。下手に手ぶらだと殴りそうだ。
「二つ目は……私の手伝いをする事」
「なんだと?」
「私はまだ諦めた訳じゃ無いわ!やれるところまでやるつもり。事が成就した時、表舞台で動く人材は必要でしょ?どぉ?上手くすれば統一世界の王……皇帝かしら?」
飾り物。いや、反乱者に対する矢面って事か……
「悪い話じゃ無いでしょ?それとも一つ目の選択肢がいいのかしら」
オレはポケットの中で手を握り締めながら、どうしても訊きたい事を訊いた。
「……一つ、質問なんだが。この夢は『夢蠱』の一部なのか?」
「何その質問?」
「ユウイチが投げた手斧はあんたの身体をすり抜けた。でも今あんたはオレに触っている。ここが『夢蠱』じゃ無いとしたら、あんたはいくつもの夢を操れるのかと思ってな」
「さすがに私の『夢蠱』を破綻させただけはあるわね。ここは『夢蠱』じゃ無いわ、普通の夢よ。私と貴方の魂を同調させただけ」
オレはポケットから握り締めた手を出した。
「ぐっ!?がはっ!」
女の脇腹にぶつけた拳を一旦引く。
女の脇腹が赤く染まった。
更に拳で突く。
更に突く。
突く。
「が、があっ!な、な……」
女の腹がどんどん赤く濡れていく。そしてオレの拳……
……握り締めたペーパーナイフも。
「げふっ……あ、あ……ぐうっ!……か」
「ここが普通の夢で助かったよ。『夢蠱』ならお前に刺さらなかっただろ?」
ぐにゃぐにゃと歪んでいた女の顔が、まともな配列になる。
……といっても、絶望で歪んでいたが。
オレの首から両手が離れる。崩折れた女が仰向けに倒れ、粉になった。
────────
目が覚めた時、既に昼を過ぎていた。
オレは寮を出ると図書館へ向かい、PCを借りる。
─────────
127:タクジ
『主催者』は死んだ。
─────────
これで『夢蠱』の夢は終わった。
(ユウイチとユミは……無事なのか?)
それはもう解らない。
無事ならあの書き込みで解るだろう。
二人が匿名掲示板に記名するかは分からない。したとしても無事が確認されるだけで、連絡がとれる訳でも無い。
もう『夢蠱』の夢は視ないのだから、もう二度と二人の顔を見る事は無いのだ。
……仮面を被らされていたんだから、元々顔は知らなかったな。
『次のニュースです。全国で最近頻発している心不全による死亡は、今月に入り終息の様相を見せていると……』
────────終




