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その空気の向かう画


〈 その空気の向かう画 〉


マナーモードにしていた社用のスマホが振動しそれを耳に当てた瞬間泣き声が入って来てくらりと眩暈がした。

『真野さんっ、カメラが結露していて使えないんですっ、予備も含めてっ・・・・・・』

「機材置き場に置いていたのに結露したのか?」

『会場に新しい椅子が届くとかで地下に移動させられてたんです! 湿気が酷くて・・・・・・!』

内心舌打ちした。結婚式の記録撮影ーーー式の前日に機材を搬入したのだが、そのあとに移動させられてしまうとこちらもどうしようもない。だが撮影不可能というのは確実にこちらサイドの責任になる。別会場を担当している自分は動けないし、他の社員だって同じだった。

「使えるカメラはそっちに一台もないんだな?」

『ないですっ、どうしよう、間に合わない・・・・・・!』

電話の向こうの声は完全に泣きが入っていた。向こうの会場に映像部の社員はこの新人向井ひとり。土曜大安ということでそもそも社員総出でも人数が足りなかった。ーーー社員は。

「向井」

『向井さん』

電話の向こうの、やわらかい声。

「代われ」

『代わってくれますか?』

ややあってーーー音もなく、向こうで空気が変わる。

その名前を呼んだ。

「御影」

『はい、ひろ先輩』

泣いても狼狽えても肩肘を張って硬くなってもいない、いつもの声。

やわらかく、なのに凛としていて、ほんの僅かも揺るがない声。

「ーーー外注ではお前がいたな。打つ手は」

『会社の機材ではないですが私の一眼ならあります。今日のプランは記録撮影でなく式と宴のエンドロールです。出来ます』

「具体的には?」

『商品サンプルと違ってしまうのでここはいっそ風合いを映画仕立てにします。グレーディングもソフトで立ち上げてやります』

「問題は?」

『SDカードが一枚しかありません。なので明日分のを借ります。今日の分は終わったあと外付けに移すので借りる許可さえもらえれば』

「許可する。ーーー向井、聞こえてるな」

スピーカーフォンにしているはずだ、と思い言うと『はい』と湿った小さな声がした。

「今日はカメラが向井で編集が御影だったな。ーーーカメラも御影にする。御影の指示に従って動け」

『でーーーでも、御影さんは外注で』

「この場合一番適任だ」

『わ、私だって撮影出来ます! 研修で習いました!』

「御影のカメラはうちにある一眼よりもスペックが高い。御影が適任だ」

お前より撮影も編集もグレーディング上手い、とは言わない。事実であってもだ。向井は大学でカメラを学んでいたわけではなく入社してはじめて専門的に研修を受けたので仕方がない。

それに、と思う。ーーー撮影部を目指すことをやめ照明部になったこの後輩は、自分が知る中でもトップクラスでカメラが上手い。ーーー嫉妬を通り越し憧憬するほどに。

「御影」

『はい』

「任せた」

ふは、と電話の向こうで後輩が微笑った。

『はい、任されました』



自分の担当の会場はいつも通り時間が押したが滞りなく無事終わり、機材を纏めすぐさま移動した。電車で三十分ほど行ったところに問題の式場がある。顔馴染みの式場スタッフに挨拶しながら裏動線を進み編集場所へと顔を出した。誰もいない。時計に目を落とすとそろそろエンドロール上映のようだった。

披露宴会場を確認し、スタッフ用出入り口からそっと中に身を滑り込ませた。既に暗転した空間の中、新郎新婦が選んだ曲と共に投写されるそれに目を向ける。

太陽の光を浴び煌めく噴水。

舞い上がりぱちんと弾けるシャボン玉。

顔を上げた新婦がベール越しに幸せそうに微笑む。新郎が手をのばしエスコートし、画面が白くフェードアウトすると同時にフラワーシャワーが舞い上がる。

ゲストの楽しそうな顔。

おちゃらけた様子の男たちがこちらを指差し叫ぶ。ーーー音はない。でもわかる。大きな声で言っている。おめでとうと。

着飾った女たちも微笑みながらこちらに手を振る。その目線がふわりと上がって、誰かの目線へと時を移る。ーーー新郎がチャペルに入って来る。

バージンロードを歩く新婦と父。ベールダウンを行う母親。薄っすらと光る涙さえもそのカメラはふわりと捉えて、幸せを形にする。

誓いのキス。そっと触れて離れてーーーそのままカットは移ることなく、新婦が零した笑顔までその画は続く。

はじまる披露宴。ケーキ入刀時に当たる青いスポットライトを見事にハレーションとして捉え、幻想的な世界を創り出す。海の底の明るさのような空間で、一生に一度の時を過ごすひとびと。

新郎新婦の中座。披露宴の撮影はここまでだ。ここまでなのだがーーーそれで終わらなかった。だって流れる曲はまだ終わっていない。どうするつもりなのかーーー新郎がエスコートでのばした手の上に、新婦の細い手がそっと乗った、瞬間。

すうっと世界から色が消えセピア色になった。たくさんの笑顔が巻き戻る。安っぽい巻き戻し方ではない。微かに残像が残るような美しい戻り方。披露宴から式にまで時間は巻き戻る。笑顔。涙。拍手。噴水に戻る水。球体に戻るシャボン玉の泡。

逆回転が終わる。

現れたのは手のアップ。ーーー二人が手を繋いでいるカット。

ゆらりと次のカットに繋がる。

薄日の逆光の静かな世界。

背筋をのばして立つ新郎と手を繋ぐ、レースのトレーンを美しく広げた新婦。

二人の後ろ姿。

残像を描くようにカットは新郎新婦の横顔になりーーー眼と眼を合わせた二人は、やわらかく微笑い合った。

曲と共に映像もフェードアウトする。

一瞬の沈黙ーーーそして、波のようにはじまる拍手。

その拍手は終わることがなかった。会場が明るくなってもやむことはなかった。ーーー多くのゲストが涙を流し、けれど幸せそうに笑いながら拍手をしていた。

司会者さえも呑み込まれたのかなにも言えない。宴を仕切るキャプテンさえもどこか呆然ともう色の消えたスクリーンを見つめている。

その中でひとりだけ、呆然としてなければ拍手もしていない人間がいた。

その人物はただじっと眼の前の光景を見つめていた。

凛と背筋をのばし、印象的な深い眼をまっすぐに向けてーーーすべてを呑み込むように、じっと眼の前に広がる世界を見つめていた。




機材室に入ると備え付けの椅子に座りデスクにぺたりと突っ伏している少女がいた。

ーーーいや、少女ではない。黒いパンツスーツ姿の後輩だ。・・・・・・スーツを着ていなければ女子高生くらいに見えるし、スーツを着ていても女子高生くらいに見えるが。

「御影」

「・・・・・・お疲れ様です、真野さん」

顔を上げた後輩はへらりと笑った。ーーー心配そうな顔で。

「式場側にも説明して来た。新郎新婦にも。サンプル映像と全然違ったわけだし・・・・・・」

「・・・・・・クレーム、来ました?」

ゆるやかになにかを覚悟したような訊き方。

その大きな眼を見て、ゆっくりと首を横に振った。

「来なかった。式場側も機材を移動させた負い目があったし、それにお前の作った作品のクオリティに驚いていた。新郎新婦も『こっちの方が断然いい、値段このままでいいんですか?』って仰ってくれたよ」

「・・・・・・そうですか」

やわらかく表情がやわらいでーーー小さく、微笑った。

「それならよかった」

「・・・・・・」

「結果も聞けたし・・・・・・帰ります。長居してても邪魔だし」

立ち上がり、うーんとのびた後輩がくるりとこちらに身体を向ける。細身の身体に細身の黒いスーツ。髪は束ねられいつもと違った雰囲気を醸し出す。

さらりとその髪が揺れた。

「真野さんはまだまだお仕事ですね。頑張ってください」

「・・・・・・一度会社戻らないといけないからな」

機材を回収しなければならない。うなずいて苦い思いを噛み殺した。・・・・・・ここで直帰なら後輩をどこかに誘えるのに。

下心以前の問題としてーーーあのアクシデントの最中、あれだけの者を呑み飲んでしまえる作品を作ったのだ。労いくらいはしたかった。ーーーそれでも。

「・・・・・・さっきは違ったのにな」

「え?」

「お前。電話の時は『ひろ先輩』って呼んでたのに今はまた『真野さん』に戻った」

自分の所属する会社を外注契約として後輩に紹介したのは自分だ。長期の映画の合間、空いた日があれば撮影やら編集やら入ってくれる後輩は当然のように即戦力だし最強の人員のひとりだ。この上なく助かっている。ーーーけれど。

同じ会社に顔を出すようになってから後輩からの呼び方は『真野さん』になった。それは社会人として恐らく当然で、そして個人的にはーーー差がさらに広がった気がしていた。

誰とは言わないけれど。

「ああ・・・・・・」

ふわりと視線を上げ、思い出すようにして後輩はうなずいた。印象的なその深い眼をまっすぐこちらに向けて、

「だって真野さん、焦ってたから」

「・・・・・・」

「カメラが全滅する機材トラブルなんて流石に前代未聞でしょう。真野さん自身動ける状態じゃなかったし。昔からの顔馴染みがいますよってわかったら少しは安心出来るかなって」

「・・・・・・そうだな」

その通りだよ。

技術を飼い慣らし空気を映す。ーーー結婚式なんて誰でも幸せそうにしているが、それでもカメラマンの腕で映る画は変わるものがある。少女のようなやわらかい顔立ちをした後輩がにこにこと微笑みながらカメラを向けたら、それだけで被写体も微笑み返してしまうだろう。

「安心したよ。お前で」

「でしょう。やったね」

「ああ、本当。俺はお前がいい」

「でしょう。吉野にも今度言ってやってください」

「三木はずっと昔から知ってるよ」

「そうなんですか?」

「そうだよ。知らないのはお前くらいだよ」

そうなの? と首を傾げる後輩に少しだけ笑った。そうだよ。ーーーずっとずっと知らないのは、お前だけだよ。

不思議そうに眼を瞬かせた後輩がこきりと首を傾げる。と、その時ぶーっとスマホが鳴った。ーーー後輩の。

眼でこちらに謝って、ディスプレイを見て、・・・・・・笑顔になった。

「はいもしもし。うん。うん。終わったよ、ともり」

微かに聞こえるのは、電話の向こうの涼やかな声。

決してこちらには向けられない、後輩にしか向けられないやわらかくやさしい声。

「うん、今から出るね。ーーーはあい。またあとでね」

電話の向こうから返事をもらい、後輩は通話を切った。

「ーーーあいつ?」

「はい。ここの近くに用事があるらしくて、終わったらご飯食べて帰ろうって約束してて。結婚式、ご飯が豪華だから見ててお腹減っちゃいますよね」

僅かに唇を尖らせて後輩が言う。鞄を持ち、それから笑った。

「真野さん」

「ん?」

「吉野に言っときますよ。真野さん社会人としてばりばりやってたって」

「・・・・・・あの生意気なクソガキにも言っとけ。俺がどれだけ優秀な上司やってたか」

「あはは。了解です。」

「お疲れ」

「さまでーす」

いつものやり取りがあって。

にこりと笑い、後輩が出て行く。

ぱたんとドアが閉まり、ーーーため息を吐いて天井を仰いだ。

「・・・・・・あーあ・・・・・・くそ・・・・・・」

仕事のあとの食事も。仮に誘えたとしても、その場にはあいつがいたのだと、苦笑いしながら心が理解する。

逃す気なんて更々ないのだと。

「もっと積極的に行かなきゃなあ・・・・・・」

あの鈍くこの手のことには酷く鈍感な後輩が理解出来るくらい強く。・・・・・・大体あの生意気なクソガキのアタックですら流してしまう後輩の方に問題が有りすぎる。飼育係の教育が行き届いていてあいつら本当にと頭が痛くなる。

もう一度ため息を吐いて痛みを堪えていると、がちゃりとドアが開き入って来た。ーーー向井が。

その眼が、ほんの少し赤い。

「・・・・・・真野さん。・・・・・・ご迷惑をおかけしました」

「向井のせいじゃない。けど、それでも対応しなきゃならない。今回のことはいい勉強になったな」

後輩の指示に従いカメラを処理したり編集データを取り込んだりしていたらしい。が、悔しそうに唇を噛んで軽くうつむく向井はそれでも納得しなかった。

「・・・・・・御影さん、・・・・・・すごかったです」

「・・・・・・」

「全然狼狽えないし焦らないし。無駄なく指示して自分はあちこち回っていろんな画を撮って。・・・・・・出来上がった時私身動き出来なかったです」

「・・・・・・あいつはそういう奴だから」

「でも映画の照明部なんですよね? 撮影部じゃないのに・・・・・・」

悔しそうに悔しそうに向井は言った。腕のいいブライダルカメラマンを目指す社員の向井と、映画の照明部をやりながら合間にブライダルカメラマンをやる後輩と。・・・・・・学んでいる年数が違うと言っても意味がないだろう。

だから本当のことを言った。

「御影は上手いよ。本当に撮影が上手い。あいつには撮影部の方が向いてる。本人は認めたくないだろうけど」

カメラマンを目指して大学に入学した後輩。でもいつしか、それを目指さなくなった。

感じる違和感。ファインダーを覗く度、それは大きくなっていく。


ひろ先輩、私、カメラマンには向いてない。


在学中後輩が落とした言葉を聞いたのは自分だけだった。

撮影部になれないから照明部を目指したわけではない。撮影と切っても切り離せない照明にも同じくらい興味を持ったからこそ照明部になったのだ。

カメラマンになることをあきらめたから進むことの出来た道だ。

向井からしてみれば、とんでもないことなのだろうけれど。

「たくさん学べよ。御影はちゃんと教えてくれる奴だよ。まだまだこれからだ」

「・・・・・・はい」

赤く滲んだ目で向井はこちらを見た。

「・・・・・・でも真野さんもすごかったです」

「え?」

「全然焦ってなくて。・・・・・・電話で的確に指示して。流石だなって思いました」

「・・・・・・」

だって真野さん、焦ってたから。

ああ。そうだな。

血の気が引くほど焦ったよ。

やっぱり俺は、お前がいいや。

「・・・・・・とにかく上に報告だな。会社戻るぞ」

「はい」

さっさと終わらせよう。

明後日は休みだ。ーーー後輩の予定を訊いて食事に誘おう。

ああでもなにも考えていない、或いは勘違いする後輩はせっかくだからみんなで食べようともうひとりの後輩や生意気なクソガキも呼ぶかもしれないな。さてどうやって誘おうか。

休みの日くらい、その呼び方は昔と同じ親しいものにしてもらおう。




〈 その空気の向かう画 その空気を望むひと 〉




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