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青色の幻影

〈 青色の幻影 〉



別れたのだろうな、とは、思っていた。

「ーーーああ。別れたよ」

あっさりと。乾いているわけでもなく、湿っているわけでもなく。そう言った腐れ縁は、くい、と瓶の中のアルコールを煽った。

「いつ?」

「三週間ちょっと前」

「そうか」

そうか? ーーーなんだその返しは。

三月に入ってもう既に一週間弱。その三週間ちょっと前から今まで何度か会う機会はあったのだが、この腐れ縁、今の今まで一切この話を口にしなかった。

「何年付き合ったんだっけ?」

「二年と少し」

「・・・・・・短くはないな」

「まあ・・・・・・そうだろうな」

流石に腐れ縁は苦笑いした。その笑みも、すぐに無理なく消えたが。

妙な気分だった。決して女を見る眼が悪いわけでもないのだが、女運が悪くてーーーいや、女云々の前につけ込まれ易いのだ。別れてくれて正直ほっとした。

「・・・・・・なんか嫌だな」

「なにが?」

「お前みたいにーーーオーリみたいになんだかんだ言いつつ結局やさしい人間って、汚い人間押し付けられていつも損して終わることが多いだろ」

「褒められてるのか貶されてるのか」

「どっちでもない。これは苦情だよ。ーーーそういう人間こそ幸せになるべきなのに、なんでそうじゃないんだろうな」

「さあ・・・・・・まあ、そう言ってもらえるだけ俺は幸せなんだろうな」

「・・・・・・」

だから。

そういうところなんだ、と。

なにに対して苛立っているのかわからぬまま、自分もぐいと瓶を煽る。

それをしげしげと眺めていた友人はふいに立ち上がると一度デスクに行きペンとメモを持って来た。それをこちらの眼の前にぱんと置く。

「? なんだ」

「俺の彼女」

「・・・・・・メモとペンどっちが?」

「ちげえよ。どんな子か書くんだよ。俺の理想の、俺にぴったりの、俺の女の子」

「なんだそれ」

「ディーも考えろよ。そういう子見付けたら俺絶対逃がさないから。ほらスタート」

ぱん、と合図のように手を叩かれてなんとなしにメモとペンを取った。どうでもいいが俺が書くのか。

「えー・・・・・・じゃあ・・・・・・髪は?」

「外見はとりあえず後回し」

「・・・・・・性格は?」

「あー・・・・・・やさしい」

「『やさしい』・・・・・・お前と相性いいってことは・・・・・・不器用なほどやさしいんだな。それで損しがち」

「『やさしい』『不器用』『損しがち』・・・・・・なんだろう胃が痛くなって来た」

「似た者同士だからじゃねえの? ・・・・・・よく泣く?」

「あー・・・・・・基本泣き虫なんだけどあんまり泣かないように、してる子」

「人前じゃ泣かないようにしてる子か。健気だね。敗けず嫌いで・・・・・・泣かれるの嫌なのか?」

「泣かしたくはないけど自分の前で泣かれるのは嫌じゃない」

「あーはいはい。『泣き虫』『健気』『敗けず嫌い』」

「よく微笑う」

「『笑顔がかわいい』」

「勇敢」

「『勇敢で度胸がある』・・・・・・いるかなこんな子」

「夢のないこと言うな」

「はいはい・・・・・・じゃあそろそろ外見は?」

「んー・・・・・・この国生まれじゃない」

「外人?」

「俺と違う世界で生きて来た子」

「ああ。なるほど。『遠いところから来た子』」

「髪は・・・・・・思い付かないな。特別な色。俺にとって。・・・・・・見たら一眼でわかるような」

「『特別な色』」

「眼は・・・・・・黒がいい」

「黒? 暗い色だな」

「黒色はすべてを抱えて呑み込む色だ。すべての色が集まって出来る色だ。・・・・・・眼の前にあるものがどんなものであれすべてを呑み込んで映す、そういう色だよ」

「・・・・・・」

ぼんやりとしたイメージでしかなかった、その女の子が。

友人の眼の前で、微笑った気がした。

「・・・・・・でどうすんだこのメモ。捨てるのか?」

「んなわけねえだろ」

肩を竦め、腐れ縁は眼の前でぷらぷらと空いた瓶を振った。




「なんで酒飲んだあと外出なくちゃいけないんだよ・・・・・・」

「あー、いい風」

「いい風じゃないだろ馬鹿三月だぞ夜だぞ橋の上だぞ」

歩いてやって来た近場の大きな橋は当然だが人気はなく空と水の境界線もよくわからなかった。当たり前だ。凍死する。

「寒いんだよさっさと帰んぞなにするんだよここで」

「これを、」

ひらりと、書いたメモをこちらに示す。

「こうして」

くるくると丸め、持って来た空き瓶に挿し入れた。

「こう」

それを大きく振りかぶった腐れ縁はーーーぶん、という風を切る音も勇ましく、漆黒の鏡のような水面に向かってそれを放り投げた。

ぽちゃん、というーーー水の音と音の間に微かに聞こえた、それ。

「また会おうー!」

それに向かって叫ぶ腐れ縁ーーーああ畜生、酔ってるこいつ。くそ。

大体なんだ。傷付いている癖にーーー傷付けられた癖に一度もそのことを言わない。泣き言すら言わない。

腐れ縁と付き合っていた彼女は、腐れ縁にとっての良きパートナーではなかった。

善良なひとではあった。魅力的なひとではあった。ーーーでも、もっと早くに別れて欲しかった。

あのひとはーーーその気があってもなくても、腐れ縁を幸せとは別の場所に引き摺り込むことしか出来ない、そんなひとだったから。

「・・・・・・」

悪いひとではない。けれどーーー悪意も害意もなにもなく、ひとを巻き込んでしまう。

そういうひとが、状況が、世界には在る。

それでも。それでも腐れ縁はーーー彼女のことを最後まで、大事にし続けていたのだ。

「『利用してごめんなさい』だってさ」

「・・・・・・」

「そう言ってた。・・・・・・まあ、俺といたことによって二年間なんとかなってたならーーー幸せではなかったかもしれないけど、不幸ではなかったならーーーそれだけでまあ、意味はあったよ」

「・・・・・・」

「やさし過ぎて、そして、弱かったからな」

「・・・・・・お前には合ってなかったよ」

「だろうな」

「・・・・・・大丈夫、あのメモ俺も色々付け足しといたから」

「は? なんて」

「言わない」

「ちょっ、おまっ、俺の女になにした!」

「人聞きが悪い!」

「あーくそ、見てなかった。もう回収出来ないし。いや出来るか?」

「今から飛び込む? 死ぬぞ」

「まだ出会ってもないのに死ねるか」

「じゃあ出会うまでやめとけ。というか出会ったなら死ねないだろ。・・・・・・あー・・・・・・その子見付けたらお前自然な流れで相手にも気付かれない内に独占するんだろうなあ・・・・・・」

「だろうな」

「しれっと同意すんなよ。・・・・・・未成年なんだから程々にしとけよ」

「・・・・・・未成年なのか?」

「え?」

「今ディーが言ったんだろ。未成年って」

「ああ・・・・・・なんでだろう、自然と」

「・・・・・・そういえば年齢訊いて来なかったな。歳下だと思ってたから?」

「多分・・・・・・」

「ふうん・・・・・・」

歳下ね、と、腐れ縁は呟いた。こちらとしては無意識の内に当たり前のようにそう思っていたことが不思議なのだがーーーいや、腐れ縁も同じように感じているのかもしれない。もう絶対に探すことの出来ないであろう瓶を投げた昏い水面をじっと見つめていた。

やさしくて不器用で損しがちな、泣き虫なのに泣くもんかと堪えて結局友人の前ではぽろぽろと泣く、健気で敗けず嫌いで笑顔のかわいい勇敢で度胸がある特別な色の髪とすべてを呑み込み映す色をした眼の歳下の女の子。

今は何処か遠いところにいる女の子。

弱くてもいいからーーー腐れ縁のことを想い、大切に大切に心から抱きしめてくれる女の子。

腐れ縁の過去も今も未来も、すべてを愛し、大切に想ってくれる女の子。

また会おう。

そうだな。

また会おう。

早く出会ってくれ。

そして見せて欲しい。

腐れ縁と並んで、幸せそうに微笑う二人の姿を。




「だからもうすぐ二十歳だもん」

「三ヶ月も先だろ」

微かに頬を膨らませた少女がむくれた眼つきでまっすぐに見上げて来る。そのすべてを呑み込む色に自分の姿が映っているのを感じて少し微笑った。宥めるように髪を梳くと日の光がその上を流れるようにして色合いを変え儚いグラデーションが眼に焼き付く。

「三月の、いつ?」

「・・・・・・最初の週の、」

その日にちを聞いてふとなにかが引っかかった。三月に入って一週間弱。酒を飲んで・・・・・・橋に行って。・・・・・・いや、その間に。

「・・・・・・メモ・・・・・・」

「メモ?」

むくれた顔を引っ込ませ、少女が首を傾げた。さらりと髪が流れ白い首筋が露わになり、それを誰にも見せたくなくて無意識の内に引き寄せる。特に疑問に思う様子も見せないままぽすんと腕の中に収まった少女の眼が一度瞬きをする。

「なんのメモ?」

「ん・・・・・・昔橋から流したんだ」

「橋?」

「そう。また会おうって」

「・・・・・・」

少し考えるような仕草を見せてーーーそれから少女は、微笑った。

ふわりとしたーーーやわらかくてやさしくて本当に幸せそうな、あたたかい笑みで。

「会えた?」

「ーーーうん」

躊躇いなくうなずく。

「会えた」

額をその小さな額に付け、微笑んだ。

「そっか。ーーーならよかった」

「うん。ーーーミユキ」

「なあに? オーリ」

「やっぱりミユキは未成年で正解」

「・・・・・・? そうなの?」

「うん」

そう。

そうなんだ。



〈 青色の幻影 青色の白 〉





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