怖いものの話をしようか 10
腕をのばし、触れるほど近くに横たわる彼女の身体に縋り付く。
あたたかくて小さくてやわらかくて儚くてやさしい。
ぎゅう、と、必死にしがみ付く自分をーーー思惑もなにもなく抱きついた自分の頭を、彼女の手がそっと撫でる。
大丈夫だよ。ーーー声なく、彼女が云う。ーーー安心させて、くれる。
心臓の音。彼女の、音。・・・・・・こんなにやさしい音を、安心出来る音を、自分は他に知らない。彼女に触れているだけで、もうなにも怖くなくなる。
安心して怖がれる。安心して震えられる。ーーー安心して、泣ける。
彼女が自分にこうしてくれるように。
いつか。いつか自分もこうやって。
彼女が安心して怖がって震えて泣けるように。
そんな風にーーー彼女のように。
絶対になるとーーーそう思った。
それを選ぶと、決めた。
眼が覚めると腕の中に彼女がいた。
ぼんやりと彼女を見つめてーーー微笑んで、そっと抱きしめる。
小さい。いつも自分を守り、助けてくれる彼女はーーー本当に小さい女の子だった。
形振り構わず、全力で手をさしのばしてくれる、女の子だった。
「・・・・・・」
そっと腕を離し、彼女を起こさないように上体を起こして、・・・・・・その胸元に光る、真鍮のホイッスルに眼をを落とした。
片時も離さない。あの日、自分が彼女の首にかけてから、彼女は片時もこれを離さない。
「・・・・・・ごめん」
それに向かってーーー彼女の前の持ち主に向かって、謝った。
「・・・・・・こんな風な、甘え方して。・・・・・・ごめん。でも・・・・・・これを利用したり、絶対しないから」
返事は、ない。
「・・・・・・」
彼女もこんな風に話しかけては、無言の返事を待っているのだろうかーーーそう思うと胸が苦しくなった。ーーー知っている。
知ってるよ。
苦しいんだ。ーーー愛おしいんだ。
彼女が下に降りて来たのはそれから三十分ほどしたあとだった。
「ごめん、寝坊した・・・・・・」
「いや、俺もさっき起きた。というか色々あって疲れてたんだよ俺もみーさんも」
自分も時計を見てびっくりした。
十時を過ぎていた。
「ということで今日はブランチってことで」
「あ、私やるよ」
「いいの。みーさんの当番は夕飯。俺、すっごく楽しみにしてるんだから」
「・・・・・・そっか」
ふは、と彼女が笑った。その細い首には焦げ茶色の革紐が見える。ホイッスルは服の下にしまってあるのだろう。大事に、大事に。
目を細めてそれを見てーーー微笑った。
「・・・・・・? ともり?」
「ううん。なんでもない。・・・・・・ねえ、みーさん」
「なあに?」
「例えばさ。なにか欲しいものひとつなんでもプレゼントするって言われたら、なにが欲しい?」
けれどそれは、
「形にあるものじゃなく、形にないもので」
「ーーー」
少し、思うところがあるように彼女は顔を上げてーーーそれから、その眼がこちらを見た。
深い深い、世界のすべてを呑み込んでその煌めきを映す、水の底の光のような深い色。
「ーーー秘密」
少しだけ微笑んで、彼女は言った。
「秘密、だよ」
「ーーーそっか」
微笑む。ーーーそれでも一瞬で、彼女は答えを出したのだ。ーーー『なにか』を。
呑み込まれた。
隠された。
ーーー薄暗くて。
ーーー錆びた鉄と湿った水の匂いのする。
ーーー冷たくもあたたかくもない、そんな部分を。
どんな夜を越えれば、心がそこに行き着くのか。
ふと、思い付いたように立ち上がってーーーそのまま何処かへ消えてしまいそうな彼女。
視線に気付いた彼女が、小首を傾げた。
「ーーーともりは? なにが欲しい?」
ーーーあなたに
「ーーー秘密」
心の底から
「大事なことだから」
泣いて欲しい。
「いつか、話す」
ーーーすべてを投げ出す程に。
今は、まだ。
今、この時は。
くしゃりと、彼女がやわらかく自身の髪に触れた。
「・・・・・・まあ、今回はーーーともりには形あるものしか用意出来なかったんだけど」
「えっ、プレゼントくれるのっ?」
「うん。夜のお楽しみで」
「えっそれみーさんってこと?」
「ともりくん」
「嘘ですごめんなさい。でもみーさんが欲しいのは本当」
「そ、そう・・・・・・」
「あ、でも今すぐじゃなくていいから」
「そ、そう・・・・・・」
本当だよ。
あなたが欲しい。
過去も今も未来も想いも心も。
あなたが呑み込んだすべてを。
形ないものが欲しい。
あなたが呑み込んだすべてが、欲しいんだ。
訊かないで。ーーーいつか、話すから。
あなたにあげたい、たくさんの形のないものーーーあなたがくれる、たくさんの形のないものの話を、しよう。
〈 怖いものの話をしようか 秘密の話をしようか 〉




