訪れたその日を待って 6
「・・・・・・そっか」
うなずいて。
友人はーーー林場は、ひとつだけうなずいた。
「そっか。ーーーうん、わかった」
こういう時、林場は少しだけ彼女に似る。言葉少なくうなずいて、そして、きちんと向き合ってくれるところが。
逃げ出して辿り着いたのは林場の家だった。1ルームの小さなアパート。辛うじてトイレと風呂が別々のところで、ここで林場は妹と暮らしている。きちんと金が届くようになって生活は前より楽になったようだが、林場はあまり以前の時と生活スタイルを変えなかった。バイトの時間帯が変わったくらいだ。なるべく妹との時間を増やすように、なった。
頭が真っ白になって。体だけ動かして辿り着いた先は、林場の家だった。
「・・・・・・悪いな、団欒の時間邪魔して」
「や、全然構わねえよ。ゆかりもやることあるし」
やること。目を細めて妹に目を向けた林場の視線をそのまま追うと、まだ幼い林場の妹は粘土を捏ねてなにかを一生懸命作っていた。
「粘土っていいよなあ。口に入れたりしなけねばどうやっても怪我しようがないし。安心して見てられるよ」
「・・・・・・そう考えると画期的なものかもな」
流した訳ではなく、ああそうなのかもしれないと真剣にうなずく。林場と自分では見えるものが違うと、こういう時に思い知らされる。林場の方が圧倒的に見える範囲が広く、深い。
「・・・・・・とりがさ」
「・・・・・・ん」
「とりがそうやって逃げるのって、御影さんが相手の時だけだよな」
「・・・・・・」
林場を見て。
視線を落とした。
「・・・・・・不釣り合い。か」
「や。全然。・・・・・・でも、不釣り合いとかそういう単語出て来るのは、あんまり良くないことなのかも、な」
のんびりと、やさしい口調で言った林場は、出したコーヒーを促した。うなずいて、一口含む。・・・・・・やわらかくて、ほろ苦い。彼女が用意してくれる『コーヒー』を知っている林場は、それと同じものを用意してくれた。いや。
全く同じには、なれない。
そんなのはわかっている。
「・・・・・・とりがさ。とりの、そうやって自己評価が異様に低いところはーーーあんまり、良くないと思う。とりが自分がどうやって生きて来たかそれを踏まえて低くしてるっていうのは俺もわかるけどーーーでも、まだ他に原因があると思う」
「・・・・・・原因?」
自分の身体を使って金銭を得ていたーーー自分で『選んだ』かつての生き方に、今は負い目を感じているから、だけでなく。
なにが、他にーーー
「とりはさ。・・・・・・蕪木と、自分との境界が、曖昧になってるんじゃないか?」
言われて。
一度二度、瞬きすることも忘れてーーー襲って来た恐怖にぞっと身を冷やした。
蕪木 光。自分とこれ以上なく血肉を分け合った双子の片割れ。片割れ、で、あるけれど。
自分が光で光が灯。
自分が灯で光が光。ーーーあれ。
わからなく、なる。ーーー違う。
ともり
やわらかく、自分を呼ぶ存在。
呼ばれた。ーーー確かに、呼ばれた。
あの橋の上で。光を映す彼女の眼が自分を見付けーーー呼んで、くれた。
「同じ顔で同じ声をした人間が目の前にずっといて、その性格は、褒められたものではなくて。・・・・・・でも、全く理解出来ないわけでもなくて。・・・・・・いつか自分もああなるんじゃないかってーーーそう感じてるとこ、ないか?」
「・・・・・・わから、なーーー」
そうか。そうか。ーーーそうだった、か。
自分に自信が無い。いつだって。
彼女が欲しい。欲しい。欲しい。どれだけ時間がかかっても構わない。何年だって何十年だって待つ。待てる自信がある。
けど、誰かに彼女を連れて行かれるかもしれないと思うと怖くて堪らない。彼女に恋して愛して、彼女に恋され愛された存在が現れて、いつか自分の前から彼女を攫ってゆく。そして二度と、帰って来ることはない。
怖い。怖くて堪らない。嫌だ。絶対に、嫌だ。・・・・・・繋ぎ止めて自分だけ見ていてもらう自信もない。だって自分に自信がない。
仮に彼女を無理矢理手籠めにしたところで、それは彼女に恋され愛される行為ではない。ーーーでも怖い。なんでもいいから、自分に彼女を縛り付けたい。
彼女はきっとこれからどこか遠くに行く。ーーー自分もそこに往くための努力は、出来る。
けれどもし、彼女の心が自分に向かなかったら? ーーー今だって彼女の心は、『三人目』に向かっているのに。
なにもない。自分の中には、なにもない。ーーー縋れるものが、なにもない。
「・・・・・・っ・・・・・・」
なにも要らない
何処にも行けない
何処にも行かない
距離が縮まったと思っていたのは、自分だけだった。ーーーそのことが、哀しい。
逃げ出した。
黙らせたくて。黙って欲しくて。ーーー聞きたく、なかったから。
うるさい。ーーー要に向けられたあの激痛みたいな悲鳴。
向けられない。自分には向けられない、彼女の心。
やさしさは向けられる。
間違えそうになったら手を引いてくれる。
頼ったら助けてくれる。
ーーー頼られたことは、ない。
「・・・・・・仲里に言われたことは、全部本当なんだ。だから無理矢理、止めようとしたーーー」
このひと好きなひとがいる。 そのひとがいる限り、先輩はこのひとに見向きもされない
思っていて、わかっていたことを他人に刺されてーーー聞きたくなくて、無理矢理終わらせようとした。
「・・・・・・本当だから止めようとした? ・・・・・・とり、それ違うんじゃないか?」
「・・・・・・?」
「とり、お前ーーー」
林場がなにか言いかけた、その時。
チャイムが鳴って、言葉が途切れた。
「あっ、おねえちゃんだっ」
うれしそうにゆかりが言って、ぱたぱたとドアに駆け寄る。林場も止めない。止めないということは、知り合いだからということでーーーそれなら、それなら本当、に。
「こんばんは」
ゆかりがドアを開けた瞬間飛び付いた相手は、やわらかく少女を受け止めると頭をひと撫でし、顔を上げてそう言った。
「いらっしゃい、御影さん」
「忙しい時にごめんね、林場くん」
呆然とするこちらを尻目になにも驚いていない二人がゆるやかに挨拶を交わす。ひと段落着いたのか、彼女が自分を見た。
黒い深い色。すべてを呑み込みそのまま映す、深い深い色。
「ともり」
やわらかい声。やさしい声。ーーー大好きな声。
「迎えに来たよ。ーーー帰ろう、ともり」
何度でも、何度でも、あなたが俺を呼ぶ。
「ーーーうん」
心が、勝手に、呼応する。
無意識の内にうなずいて立ち上がったこちらに、彼女は少しだけ微笑んでくれた。




