その視線の先 2
救急車は避けたいだろうという蕪木の気遣いは当たりだった。杉並家では今のところ車が運転出来るのは父しかおらず、選択肢は救急車かタクシーになる。が、車は今車検中でその上救急車が駄目となると選択肢はタクシー一択。だがそれほど激しいものではないとはいえ雨が降っていて、どこのタクシー会社に電話しても今日はタクシーは捕まらないだろう。だとしたらそれほど離れていないそのひとの家から車で来てもらうのが一番だーーーと蕪木は判断したようだった。咄嗟の判断が素晴らしい。杉並家は父親筆頭に蕪木に頭が上がらなくなった。ーーー雨の中車を運転して来てくれた、御影さんに対しても。
「ともり」
「みーさん、来てくれてありがと」
運転席から飛び出て蕪木の元に駆け寄ったのは思っていたよりもずっと小さな、小柄な女性だった。蕪木より歳上と聞いていたのだが歳下にーーー女子高生である姉と同い年くらいに見える。いや、化粧が濃い分姉の方が……。
「え……」
突如現れた少女のような女性に姉が絶句した。視線に気付き御影がぺこりと丁寧に頭を下げる。
「杉並さん。こちら、僕がお世話になっている方で、御影ユキさんです」
「はじめまして。蕪木がいつもお世話になっております。御影ユキと申します」
やわらかい声にきちんとした仕草。夜の中、玄関先の明かりが御影さんの髪を照らし、光が触れたところからふわりと不思議な色に髪が染まった。さらさらと肩から零れ落ちるその美しい波のような動きに思わず見惚れた。
「はじめまして、杉並です。突然申し訳ありません……」
「いえ、旦那様はどちらに?」
「玄関に……」
「すぐに病院に行きましょうね。ともり、病院に電話はした?」
「した。杉並くんにしてもらった」
こちらが杉並くん、と簡単に紹介されお互いぺこりと頭を下げる。病院に予め電話するように指示したのは蕪木だ。なんだかもう本当頭が上がらない。
「杉並くん、お父さんを車に運ぶから手伝って」
「はい。すみません……」
「席倒しておく」
ぱっと御影さんが踵を返し車に行き、呻く父親を蕪木と挟んで三人で立ち上がった。のろのろと進み、何とか車の中に父を押し込む。
「すぐに着きますからね」
運転席から振り返った御影さんが言って、その細い腕に不釣り合いに見えるハンドルを握った。
診断結果はぎっくり腰だった。事前に連絡していたおかげですぐさま診察を受けられた父はがっくりとしながら、でもそれでも幸運だったわと母が隣で胸を撫で下ろしながら言う言葉に同意する。実際蕪木が来てくれなかったら救急車は避けられなかったので今よりももっと大事になるだろう。何というか、本当に必要ならば救急車を使うのに躊躇してはいけないと思うが、雨の日って交通事故が多いというし、避けられるのなら避けて万が一の方の時に備えるのがいい気がする。
「本当にありがとうございました、本当に助かりました……!」
「いえ、お気になさらないでください」
蕪木が首を横に振り、隣で御影さんも同意するように仕草を返す。部屋着のまま来てくれたのかパーカーにシャツにデニムのショートパンツ。すらりとのびた脚は細く白い。何というか、本当、小柄で華奢で、思わず守ってあげたくなるような女性だった。このひとが蕪木の片思いの相手かと思うとついしげしげと見つめてしまう。
視線に気付いたのか御影さんがこちらを見て、それからにこりとはにかんだ。深い深い色をした眼がやさしげに啓太を見つめ、思わずどきりとして意味もなくこくこくとうなずく。なんというか……あんまり、見たことがない髪と眼をしたひと、だった。日本人なのは絶対だが、どことなく異国的な……神秘的というか、不思議な空気を纏うひとだった。馬鹿みたいな華々しさはないが、凛と咲く綺麗な花を思わせるような、そんなひと。
「……」
で、姉は不機嫌だった。恐ろしいことに姉は真面目に蕪木を狙っているのだった。全く相手にされていないが。
若い女子高生が押せばイチコロ、なんて姉は以前言っていたが、どうかな。姉よりも若く見えてでもなんだか歳上っぽく頼れるところもあるし、なんというかいいとこ取りなひとだ。絶対姉に勝ち目はないだろう。
だって、蕪木が御影さんを見るあの眼。……眩しいものを見るようなあんな眼、誰にだって向けられるものではないと、啓太ですらわかるのだから。




