5話 赤ずきん姫と黒狼
俺はアンジェリカが閉じ込められている部屋にこっそりと侵入する。
暗殺者としてのスキルを持っていることに、この時ばかりは感謝する。
音もなくアンジェリカが閉じ込められている部屋に降りると、ベッドに腰を掛けていたアンジェリカと目が合う。
「……カーク?どうしてここに?」
「決まってるだろ。助けに来たんだ」
俺はアンジェリカに手を差し出す。
アンジェリカは差し出された俺の手を戸惑って見つめる。
「俺が絶対あんたを安全な場所へ逃がす。だから、俺と来い」
「……とても素敵な提案ね」
アンジェリカは優しく微笑む。
だが、小さく首を横に振る。
「どうしてだ?ここに居たらあんたは……」
「わたくしを心配してくれるの?とても嬉しいわ、カーク」
「真面目に答えろ」
「あら、わたくしは真面目に答えているつもりなのだけど……」
アンジェリカは小さく首を傾げ、苦笑する。
どうして笑っていられるんだ。
あんたの命が懸かっているこの状況で。
「ねぇ、カーク。今ここで、わたくしが逃げたところで、なにも解決しないわ。ただ追手がやってくるだけだわ。それよりも、正面から叩き潰すほうが良いとは思わない?」
そしてアンジェリカは扉を見つめたあと、立ち上がって俺を抱きしめた。
「……アン?」
「カーク、わたくしを信じて。わたくしの命はあなたのもの。そしてあなたの命もわたくしのものだわ。お願い、しばらく見守っていてちょうだい。わたくしはわたくしの欲しいものを、望む未来を自らの手で掴んでみせるわ」
「……わかった。アンを、信じる」
「ありがとう。さあ、行って。もうすぐお呼び出しがかかるはずだから」
そう言ったと同時に、扉を叩く音がする。
俺はさっと隠れ、アンジェリカが返事をする。
「アンジェリカ王女。陛下たちがお呼びです」
「ええ、わかったわ」
アンジェリカは優雅に笑い、衛士たちのあとに続く。
俺も密かに彼らを追い、アンジェリカがどうなるのかを見守ることにした。
謁見の間に連れていかれたアンジェリカは、陛下や殿下、そしてレイラ妃とジュリエット姫を正面から見据え、優雅に一礼をした。
レイラ妃とジュリエット姫はアンジェリカの姿を見て、愉快そうに笑っていた。
階段から突き落とされたことになっているジュリエット姫は椅子に座っていた。
「アンジェリカ。なぜ、ここに呼ばれたか、わかっているか?」
「はい、陛下」
「では、何か言うことは」
「わたくしは、なにもしておりません」
「しかし、ジュリエットは実際に怪我を負っている」
「あれはジュリエットが勝手に倒れただけです。わたくしはジュリエットに触れてすらいませんわ」
「嘘ですわ!わたくしは確かにお姉様に突き飛ばされたのです!」
ジュリエット姫がたまらず、と言ったように叫ぶ。
「ジュリエット」
「お父様……お父様は信じてくださいますよね?」
「―――誰がおまえの発言を赦した?」
「あ……も、申し訳ございません」
ジロリと陛下がジュリエット姫を睨むと、ジュリエット姫は顔を青くして謝る。
すると陛下は興味をなくしたように、またアンジェリカに視線を移す。
「わかればいい。では、アンジェリカ。おまえはジュリエットに怪我を負わせてはいないと誓えるか?」
「はい、陛下。誓いますわ」
「なるほど。しかし、誓いだけではおまえがジュリエットに怪我を負わせていない、という証拠にはならない」
「わかっておりますわ。ですが、考えてほしいのです。わたくしがジュリエットに怪我を負わせて、わたくしになんのメリットがあるのか」
アンジェリカはまっすぐに陛下を見つめて言った。
「あんな多くの人が見ているところでジュリエットに怪我を負わすメリットがどこにあるのでしょうか?それではわたくしが犯人だと宣伝しているようなものです」
「……それもそうだな」
「そもそもわたくしにはジュリエットに危害を加える理由がありません」
「う、嘘だわ!お姉様は、わたくしを憎んでいらっしゃるのよ!わたくしを羨んでお姉様はっ……!」
ジュリエット姫は立ち上がり、声高に言った。
そんなジュリエット姫を見て、アンジェリカはとても不思議そうな顔をする。
「あら、ジュリエット。あなた、怪我はもういいの?」
「………っ!」
ジュリエット姫はしまった、というような顔をした。
今まで黙ってみていたルシアン殿下が発言をする。
「陛下。聞いて頂きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「許そう」
「ありがとうございます。ジュリエット、君には失望したよ」
「お、お兄様……?」
「ジュリエットは実の姉であるアンジェリカを罠に嵌め、濡れ衣を着せようとしていたのです」
「そ、そんな……酷いわお兄様……!わたくしはそんなこと……」
「そんなことをしていないと?言い切れるのか?」
ルシアン殿下はとても冷たい目をしてジュリエット姫を見据えた。
「その足の怪我。医師の報告では立つことすら困難なはずだけど、どうして君は立っていられる?医師の診断を偽装したのでは?」
「そ、それは……」
「君はそんな酷い怪我なんてしていなかった。君は自発的に階段から転がり落ち、打撲ができた程度の怪我だったのを大袈裟に言い、さも重傷であるかのように振る舞い、姉であるアンジェリカに濡れ衣を着せた。目撃証言もある」
「嘘だわ……確かにわたくしはあそこにいたものに口止めを……」
ジュリエット姫は動揺するがあまりに、ポロリととんでもないことを言った。
すぐに気づいたようだが、一度口から滑り出た言葉は戻らない。
ジュリエット姫は恐る恐る陛下を見つめた。
「……まさか、おまえがそのようなことを企むとはな……」
「お父様……違います……これはなにかの間違いです……」
「もうよい。ジュリエットを捕らえよ。ジュリエット、処分は追って知らせる」
「そ、そんな……」
ジュリエット姫はその場に座り込もうとしたのを、二人の衛士たちによって支えられた。
そしてそのまま連れ出される。
「なんてこと……わたくしの可愛いジュリエットが、そんなことを……」
「母上」
ルシアン殿下が冷たい声音でレイラ妃を呼ぶ。
「今回、ジュリエットの診察をしたのは、母上の手配した医師でしたね?」
「そうだけれど……それがなんです?」
「その医師を調べるに当たって、とんでもない事実が判明しまして」
「とんでもない、事実?」
「おや。心当たりがありませんか?」
「心当たりなんて……」
「そうですか……残念です。おまえたち、母上……いや、レイラ妃を捕らえよ」
「で、殿下!?一体なんの真似です」
「母上には姦通罪の疑いがありますので」
「なに?」
姦通罪、というところで、陛下が反応を示した。
「レイラ妃は昔からその医師と懇意にしているようで。陛下に嫁いだあとも頻繁に逢瀬を重ねていた、ということが判明いたしました」
「な、なにを仰るの!?」
「……そうか。実に、残念だ」
陛下はちっとも残念そうではなく、言った。
そして静かに「レイラを捕らえよ」と命じた。
レイラ妃は抵抗したが、男の力に敵うわけもなく、連れていかれた。
やがて静かになった謁見の間で、陛下は疲れたように息を吐いた。
「これも、おまえの望み通りの結末か、アンジェリカ」
「まあ、陛下。なんのことでしょう?」
アンジェリカはとぼけたように言う。
そんなアンジェリカを陛下は静かに見つめ、とぼけるな、と言った。
「おまえのお蔭で、煩わしいものが一掃できそうだ。なにが望みだ」
「わたくしの望みはただひとつだけですわ。カーク」
俺は突然呼ばれ、戸惑う。
「出てきなさい、カーク」
そう言われ、俺は渋々と謁見の間に姿を現す。
3人に一斉に見つめられ、俺はとても居心地が悪く感じた。
「陛下、カークを、わたくしに与えてください」
「は?」
「……もう与えているではないか」
「いいえ。従者としてではなく、わたくしの夫として、カークを認めてくださいませ」
「はぁ?」
思わず場違いな声を出した俺は悪くないと思う。
ただひたすら困惑する俺に、アンジェリカはとても綺麗な微笑みを浮かべた。
「ねぇ、カーク。わたくしは、自分で思っている以上に貴方が好きみたいだわ。そう、妹や義母を嵌めるのを躊躇わないくらいには」
今、とんでもないことを言わなかったか?このお姫様は。
「貴方を手に入れるために、わたくしは危険も顧みず頑張ったのよ。今まで頑張ってきたのは、貴方と一緒にいるため。わたくしが有能であることをお父様やお兄様に示し続けたのも、わたくしを手放したくないと思わせるため。すべて、貴方と一緒にいるためにやったことよ」
アンジェリカは俺の目の前に立ち、俺を見上げた。
そして昔と変わらない、澄んだ空色の瞳で真っ直ぐ俺を射抜き、言った。
「ねぇ、カーク。覚えているかしら?わたくしと貴方が初めて出会った時の事。わたくしは貴方に言ったわね。わたくしを殺して、と」
「あ、ああ」
「どうせ死ぬなら貴方に殺されたい。今も昔もその気持ちは変わらないわ。だけれどそれ以上に、わたくしは貴方と一緒に生きたいと今は思うの」
「アン……」
「貴方も、そう思わない?わたくしは貴方が後ろに連れ立って歩くのではなく、貴方の隣に並んで歩きたいの。
だから、わたくしの夫になって。わたくしの生涯の伴侶となって、生きるのも死ぬのもわたくしと共にして」
ああ、なんてことだろう。
普通そういうことは男から言うものではなないだろうか?
なんて漢らしいのだろうか、彼女は。
格好良すぎる。俺は一生、アンジェリカには勝てない気がする。
だから、俺は彼女に跪くしかない。
「―――仰せの通りに、お姫様」
アンジェリカは、とても満足そうに微笑んだ。
その後、ジュリエット姫は遠くの修道院に入り、レイラ妃に至っては辺境の地にある王家の別荘に生涯幽閉の身となった。
その処理に追われ、王城はドタバタとした日々が続いた。
そんな中で、俺はいつの間にかどこかの公爵家の養子に入っていた。
アンジェリカと殿下の仕業である。
そんなアンジェリカは今、俺の隣で幸せそうに微笑んでいた。
白い、花嫁衣裳を纏って。
「ねぇ、カーク。わたくし、今とてもしあわせだわ」
「見ていてわかる」
「カーク。貴方を一生離さないわ。覚悟をしてね?」
「……なんであんたはそんなカッコいいんだよ……」
「カークが頼りないだけだわ」
そうですか、と俺はやけくそのように言う。
アンジェリカはただ笑う。
ああ、そうだ。俺は一番大事なことを言っていなかった。
「アン」
「なあに、カーク」
「好きだよ」
アンジェリカは驚いた顔をして俺を見つめ、そして、今まで見た中で一番綺麗な笑顔を浮かべて言った。
「わたくしも、カークが好きよ」
ここまでお読み頂きありがとうございました!
カッコいいお姫様が書きたかったんです……短編にすればよかったと後悔しております……。