010. 難解名前さん、いらっしゃーい
檻が用意されてたりしたから、虜囚的扱いを受けるのかと思っていたら、意外や意外、とっても和やかで友好的な態度で接してきた。神官さんが3名、シュワちゃんマッチョと細マッチョが食事の席を囲んだのだ。
神官さんは、例のセツレンと、もう二人は…AとBで良い? ダメか。名前覚えるの苦手なんだよねー、えーと、スィドゥオトグァーシとハーフォドンルーキュ。…もう、やけくそになりそうなほど覚えにくいでしょ? ちなみに、後者は女性だ。脳裏に浮かぶ真名はもう少しだけ長い。
「スィドゥでいいですよ」
「シドゥな」
「…ええと、でしたらオトグァーシと」
「オトガシ?」
「オトゥガー?」
「…そんなに発音し辛いですか?」
神官Aと設楽君、続けて栗原さんと木村君が発音チェックを受けていた。言い間違い聞き間違いを繰り返す。コントか。
翻訳の魔法具はけっこう優秀で、概念が同じモノや似たようなモノは置き換えて聞こえてくる。たとえば、食事で供されるパンはパンって聞こえてくるし、シチューはシチューってなっている。ホントはペブレとかサーとかいう発音であってもだ。そうそう、シチューって和製英語の発音だからね、ご注意。外国でシチューと言っても通じません。スチュ、くらいの発音なら、レストランで聞き取ってくれるでしょう。
そんな優秀な魔法具でも、個体固有名称は翻訳されない。ヒエラはちゃんと神官って訳されても、個人名は原語のままなのだ。
「…それで構いません」
はあ、と大きくため息をついて、ガクリとうなだれる神官Aさん。どうやら根負けさせたようだ。神官Aさんがシドゥ、神官Bさんがルーキュに決まったみたい。ルーキュは女性ね。
「俺はイグナ」
シュワちゃんマッチョの名前が判明。
「私はマーリ」
細マッチョも自己紹介。呼び名だからあっさりだ。
神官さんたちの自己紹介の名前は、限りなく真名に近いモノで、だからあんなに発音も並びも難しいものなのだが、兵士の彼らは、やけにあっさりな呼び名だ。まあ、危急の際にズラズラと長い名前で呼び合っちゃいられないってことだろうけど。
「はいはい、あたしは栗原紗枝子。えっと、サエコ・クリハラ」
挙手して皆の注目を集めながら名乗り、英語風な発音で繰り返す栗原さん。
「シャーエッコクリッハラー?」
出たよ、神官A。何だそれ、呪文か。私の当初の懸念どおり、激しい聞き間違いを披露する。
あー、魔族が特別聞き間違いするって訳じゃなかったんだねえ。触れ合えば意思の通じる夫殿も、けっきょく私の正しい名前を発音できたためしがないもの。
「何それ!? さ・え・こ、だよ。さ・え・こ・く・り・は・ら」
「シャーエ、コクリッハ、ラー」
うん、改善されてない上に、こちらじゃすごく法則にのっとった形に聞こえちゃったよ。まるで真名のごとく。
ハッと気付く間もなく、何やら魔術的なゆらぎが栗原さんと神官Aの間に結ばれる。あれって契約じゃない? チラッとリュリュを見れば、キロッとリュリュの目も動いて私を見た。
その動きと共に耳にしたイヤーカフからリュリュの子供らしい声が、契約、と囁く。風魔法を利用した意思疎通。イヤーカフに施した改変だ。相手の耳に直接魔法を掛けるのではなく、自分の言葉を風に乗せればイヤーカフが拾うのだ。口パクか腹話術か囁きで言葉を発する必要があるけど、内耳を傷つけたり鼓膜を破ったりしないように風魔法を調整する必要がないから、微力な魔法で済む。
でも私の習い覚えた契約みたいに、降す、という文言がない。ってまさか婚姻? 私は驚いて神官Aと栗原さんを見比べる。
その隙に設楽君も名乗って、神官Bに名前を確認されていた。
「キース、ケシッダ、ラー」
うわ、こっちもか。ゆらりと立ち上る契約の気配。
でも、なんか、違う。夫殿との婚姻契約はもっと生々しかったし、決して一方的なものではない。まあ、気が焦って早急にコトを進めたって自覚のあった夫殿が、契約が結ばれお互いの指に印の指輪が出現した後、安堵と歓喜に躊躇と焦燥のマーブル状態で、何度も何度も説明してくれた。というか、脳内に流し込まれた。契約に関する全ての知識が一緒くたに傾れ込み、気を失いそうになったが、あの頃は常に夫殿と肌が触れ合っていたので、些細な疑問も懸念も全て解消されていた。
「あの、それ、何ですか?…その、もやもやっとしたの」
木村君がセツレンに聞かれても名乗らずに、逆に問い返している。神官Aと栗原さん、神官Bと設楽君をそれぞれ交互に指差して。
そういえば木村君はオーラが見えるとか言ってたんだっけ。生体魔法とか、そういうのが見えるのかなあ?…まあ、私も詳しい訳じゃないけど。だって、夫殿と一緒にいる限り、魔法関係で困るなんて有り得ないから。あの人、魔王だし。人じゃなかった、魔族だ。
「契約だって。種類は知らないけど」
私が思わず答えると、ハッと彼らが息を呑んだ。ヤベッ、うっかりした。知らん振りしようと思ってたのに。
「お詳しいですね、えーと」
「ミッツー・ルォーバ・ラーです。ルォーバとお呼びください」
「ミッツー・ルォーバ・ラー」
セツレンがハッキリ明確に発音する。でも契約の気配はチラとも出ない。当然だ。婚姻契約した時に、真名に新たな名が加わっている。夫殿を示す部分を、私が言葉に乗せるはずがない。
「…ルォーバ、それが貴女のお名前ですか?」
「ええ、全てではありませんが」
私が済まして答えると、セツレンは両眉を上げてじっと見つめてきた。
「…先ほども申しましたが、お詳しいですね」
「…ほんの少々ですよ」
アルカイックスマイルで受け流す。営業マンにお引取りいただくときの心持ちだ。
「契約って何ですか?」
ニッコリスマイルで見つめあっているセツレンと私に木村君が聞いてくる。いや、視線はセツレンに向ってる。おおう、これはアレかな。共通の敵がいるから味方って方式?
「…何のことだか、分かりかねますが」
「その、モヤモヤっとした空気の塊みたいなものが、契約の一種って事なんですよね? 小原さんも見えるんですか? 詳しく聞きたいんですが」
味方のハズだけど固い口調。んー、まあ、情報を共有してないって事への苛立ちかな。
「ね、ねえ、何の話? 何か、あったの?」
「契約とか言ってたよな? 何だよ、サインとか了承とか、何にもしてないぜ」
栗原さんと設楽君が話しに入ってくる。ふむふむ、その点を明確にすると良いかも。設楽君ナイスだね。さすが社会でもまれた人だけある。
「とにかく、いかなる契約も今現在は拒絶する、って意思を明確にして言葉にすれば良いんじゃない?」
一方的な支配による契約だったとしても、拒否を紡げば結ばれない。リュリュだって、Noという権利はあったのだ。私はそう助言してみる。言霊、言質をとるのは、この場合非常に有効だろう。
「お、おう。契約なんか結ばない、拒否だ」
「う、うん。説明もなく訳の分からない契約なんて、するはずない。お断りします」
途端にゆらぎが霧散した。木村君もホッとしたように二人を見比べて、それから私に視線向けてきた。え、説明しろって感じ?
「あー…、ええとー…」
困ったな、何か神官ズも鎧さんズもガン見だ。スルーしてくれれば良いのに。
「そうですねえ…、わたしは彼らと正しく同郷ですが、直前まで故郷に居たわけではありません」
こんな感じでどうだ! と神官ズとマッチョ二人組みにスマイル0円。
「そうそう、小原さんはこの世界にすでに居たんだよ」
「何か召喚じゃなくて、トリップって云うの? みたいだ」
栗原さんと設楽君が補足してくれる。けど、連携取れてない援護射撃はこっちまで被弾しそう。
「旅姿も決まってるもん、長いんだよね?」
「竜とか連れてるし、慣れてるって感じだな」
…やっぱりか。着弾しちゃった感じありありなんですが。
神官ズがジロジロ眺めてきた挙句、リュリュをガン見してボソボソ話し出し始めた。マッチョ二人組もだ。さり気なくのつもりだろうけれど、空間障壁が膜となって展開されてる。盗聴防止の音声遮蔽だろう。風魔法が超得意になったリュリュは障壁膜に穴を開けて、こちらの被召喚ズに聞こえるようにしちゃってるけど。やるな、リュリュ。
「竜の幼生体ですね、入手経路をあきらかにしたいところです」
「召喚体の五体目って事だろ?」
「そうです、彼女は四体目でしたから。五体目が同時召喚で、魔法陣がもたなかったのでしょう」
「警備隊の手落ちでもなければ、神殿側の落ち度でもない。強いてあげれば召喚体の目標指定がなされてなかった事でしょうか」
「術式組んだヤツの手落ちってか? 言うねえ、内部分裂かい?」
「いいえ、反省点ですよ」
「結果、成功だとしても、どうすんだ? あれ。繋げないだろ?」
「契約で縛り、檻にて搬送、神殿に繋ぐという基本方針が滅茶苦茶です」
「…ですが、考えようによっては、望みうる最高の召喚体を手に入れたと言えるのでは?」
「能力において不安なし。確かに。だが、それは縛り繋いでこそ安堵できるものだ」
ナイショ話のつもりでけっこうべらべら喋り倒す方々。一方こちらは知らん振りで食事中だ。私は率先してパンとシチューと茹肉の食事を摂っていた。被召喚ズがもぐもぐ口を動かしながらガン見しているのに、ようやく気付きだした神官ズとマッチョ二人組。テニスの試合のように話す人に視線向けて会話のキャッチボールの行方を追っているんだから、気付くのは当たり前ってトコだけど。
パシッと軽いラップ音のような音がして、遮音障壁が弾けた。我々の様子をぐるりと見回したイグナはニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。主に私に。
「魔法が巧みですね、ミズ・ルォーバ」
へえ、女性専用敬称ってあるんだ。ペーって聞こえるけど、激しく嫌な予感。
「ええと、婚姻されてるでしょう? ミセス…」
嫌な予感的中で、ぐっと腹に力を込めた。だって噴く。笑いそう。パーって、マジか。ピンクの服着なきゃダメな感じだよ!
「わたしのことはルォーバとお呼びください。…ええ、婚姻契約しています」
ヒラヒラと指輪の嵌った手を動かしてみせる。魔王殿の渾身の婚姻契約だ。あまり精査に辿られるとヤバいかも。
「えっ、結婚してるの?」
「ひっ人妻!?」
栗原さんと設楽君。二人揃って妙に弾んだ声だ。
「ね、ね、どんな人? こっちの人ですよね? うわー、プ、プロポーズとか、どうでした?」
栗原さんがキラキラお目で聞いてくる。うん、ガールズトーク炸裂だ。そしてその質問に答えるほど、乙女な思考をしていないのだよ、私は。
「もちろん、この世界で出会いましたから。…そうですね、わたしの魔法の師でもあります」
栗原さんだけでなく、神官ズやマッチョズにも視線を向けて答える。特にこの指輪を婚姻契約と指摘したルーキュにニッコリ。
師弟の恋…などとうっとり呟いてる栗原さん。恋などという生温いモノじゃないけどね。
「さぞかし高名な方なのでしょうな。お名前を伺っても?」
「本人が自ら口にする以外、彼の名は音に紡がれません」
魔術使いがうっかり名を明かすかボケ、と聞こえるように言ってみた。実情は、名前を繰り返すと、溶けるか弾けちゃうよ。ピンポイントで魔界の瘴気渦巻く空間の柱が立つと思われます。いのちだいじに!
「通称か、二つ名を教えていただいても?」
キア、は呼び名だけど、私の専用だ。他の人が呼ぶと、たぶん怒る。そして二つ名…知らないよ。職業は魔王だけど。あれ、元魔王? 息子たちに玉座預けてたし。あ、預けただけだから、今も魔王か。
「…わたしが呼ぶ婚姻名でよければ、教えますが」
キアって呼び名は一応そういう扱いだ。
「いえ、そこまでは…けっこうです」
うっすらと頬を染めるルーキュさん。イグナも後ろ頭を掻きながらそっぽを向いた。他の皆さんも気まずげに視線を逸らす。
一方、被召喚ズは急にそわついた彼らを訝しげに見回していた。やがて説明を求める視線が私に集まる。私は済ましてスルーする気満々だったけど、セツレンが軽く咳払いをした。おお、説明する気らしい。
「婚姻名はとても親密で個人的なものです。公にされるものではありません」
「主に閨で呼び合うものですね」
マーリもさらりと補足。
「閨?って何?」
栗原さんが隣の設楽君に聞いてる。二人揃って首傾げてるのは理解してない証拠。でも、木村君が僅かに赤くなったのは通じてるんだろう。
「ベッドではって事よ」
私の説明に、さっと顔を赤らめた栗原さん。
「交尾するとき呼ぶ」
私の後ろ頭に掴まってるリュリュの爆弾発言に、一同絶句。私も掌で額と目元を覆ってみんなの視線を避けたけど、赤面してしまった。これは頑張って躾しなきゃ。言ったでしょ、日本人はシャイなんだってば。