第31話 アクシデント
心配が募る雨竜は目頭を揉んで、焦る気持ちを落ち着かせる。
滞ってた血流は眼球を縦横無尽に駆け巡り、陰鬱とした不安を紛らわしてくれた。
大きく息を吸い吐き出しながら目を開けると景色がジワジワと色彩を取り戻す。
(もうすぐ出番か)
未だぼやける視界でステージ脇にピントを合わせるがすでに木原はいなかった。
出番が近いためスタンばっているのだろう。
ショーは後半へと差し掛かり観客はヒーローの登場を待ち侘びている。
役者扮するスタッフを返り討ちにした怪人がステージのど真ん中を堂々と占領している。
鮮やかな悪党振りに子供ならず大人までも文字通り視線を釘付けにされる。
恐怖ではなく畏怖。フィクションであることが唯一の救いだろう。
誰もが御伽話で良かったと、改めて創作劇の有り難さに感謝しつつ没頭した。
「出て来い戦隊どもぉ!この娘がどうなってもいいのか!?」
人質を自らの傍に引き寄せて、怪人はこれから訪れるであろう正義の味方に問いかける。
人質であるお姉さんは強引に引かれたことで苦悶の顔を浮かべる。
間に合わなければ人質を殺す。
もちろん実際に平和な日本でそんなことはしないことは分かっている。
それでもほんとにやるんじゃないのか、という凄みが見る者すべてにそう感じさせた。
迫真の演技には魂が宿る。
会場内はまるで葬式の最中であるように息を潜める。
あまりの静かさに唾を飲む音さえ憚られた。
「鎧怪人アーマード!!その娘を早く離すんだ」
「その声はレッド!どこにいる!?」
響き渡るレッドの声に会場の空気は一変する。
姿は見えない救世主を我先に見つけんと子供達と同様に怪人も首を動かす。
観客席を端から端へと舐め回すように視線を動かす。
不運にも目が合った子は例外なく肩をすくめ、一部の子は親の懐に顔を埋めた。
しばらく眠れぬ夜を過ごすことは想像に難くない。
「そこにいるな!出て来い!!」
肉をも切り裂けそうな爪を舞台端の方へ突き付けながら睨みつける怪人。
流れ出す聴き慣れた主題歌。
赤い弾丸が飛び出した瞬間、漂っていた静寂が嘘のように吹き飛んだ。
それが号令であるかのように子供達は一斉に立ち上がり歓声を上げた。
ある者は両手を突き上げ、ある者は喜びの余り足踏みをする。
そんな英雄の登場に小さな観客が希望を噛み締める中、舞台上では小さいながら問題が起きていた。
木原は駆け出しの俳優とはいえ素質は十分備わっている。
それはコーチを担当した雨竜もお墨付きを付けるレベルである。
練習の際では台本通り動くことはできる上に、他の役者パートも覚えていた。
だが圧倒的に足りないのは本番でしか味わうことのできない経験。
1万回の練習よりも1回の本番。
練習では起こり得ないアクシデントや臨場感。
それゆえに得られる経験値はそれほどまでに莫大なものだ。
今回のショーにおいてアクシデントは起こっていない。
だが彼を慮って最高の仕事をした怪人により会場のボルテージは最高のものへと仕上がっている。
良いのか悪いのか。
本来なら最高の環境ではあるが、内に秘めるタイプの木原には逆効果だった。
否、ノリすぎてしまったのだ。
舞台端を注視していた観客は想像よりも高い位置から飛び出してきたレッドを一瞬見逃した。
およそ予想していた頭の高さをつま先が通過して行ったように見えたに違いない。
見えない壁を突き破るように屈めた体勢で砲弾のように飛び出してきたのだ。
まさかの身体能力にさすがの雨竜も唖然とする。
波がある性格なのは重々承知ではあったが、地上2メートルを走り幅できるとは思わなかった。
一体何秒経ったのだろう。
そう思えるほど木原は空中に浮いていた。
雨竜は一種の懸念を抱く。
木原も怪人も最高の演技を保っている。
だが、前座である怪人が生み出したペースに対して木原の常人離れしたフィジカルはあまりにも浮いていた。
このまま歩調が合わぬまま進めば一気に物語は瓦解することは想像に難くない。
ポケットに入れていたトランシーバーに手を掛ける。
もしもの事態に備えてレッドのマスクに密かにスピーカーを搭載していたのだ。
着地する頃には怪人の目の前だった。
静かに着地した彼は怪人の前でファイティングポーズを取る。
一瞬遅れるも怪人も手持ちの大剣を体の周りでクルクルと回したのちに構える。
本来の台本とは違う。
雨竜は訝しんだがこれが木原のアドリブであることになんとなく察する。
本来なら間合いの外からお互いに口上を述べてから構えるはずだった。
だが驚くべきは怪人役だ。
帳尻を合わせようとした木原に合わせることで整合性を持たせた。
そんなことは梅雨知らず、台詞は台本通り流れ出す。
本来は棒立ちで語り合うシーンをお互い臨戦体制で間合いを取りながら進行していく。
(なんとかうまく行っているが…他にできることはないか)
雨竜はこれからの最悪の展開や考える。
おそらく木原に関してはその場の勘でなんとか切り抜けることができるだろう。
問題はそれに付き合わされる怪人役がどこまで付いていけるかだ。
ベテランとはいえ相手は空回り同然の素人だ。
また何かをしでかしたらうまくいくとは限らない。




