第26話 きっかけ
長い時間泣き続けた末、ようやく彩花は泣き止んだ。人目も降らず声を上げ続けたせいでとんでもない疲労感を感じる。
赤く腫れ上がった目を擦る。袖口は湿っていて生暖かい。
悲しみに暮れる彼女に対して他の人々の反応は冷たいものだった。決まって気の毒そうな顔をしながら通り過ぎていった。
クリスマスに悲しむ少女。片思いの相手に振られたのだろう。そう見られていたに違いない。
そんな視線を向けられて気にならないわけではない。注目されているのは正直心地がいいものではない。
顔を上げて辺りを見渡す。人通りの少なそうな路地を見つけた。今はとにかく1人になりたかった。
何とか立ち上がるとパン屋の路地へと彩花は移動する。座るには十分な道幅がある。パンの香ばしい香りが漂ってくる。
硬く冷たい地面に体育座りに彼女は腰を下ろす。
上着が腰まで覆ってくれたおかげで冷えずに済みそうだ。
ああ、このコートで良かったな。初めて買った日のことを思い出した。
同時に美由紀の最期が脳裏をよぎり、両手で口を押さえる。胃の中のものが込み上げてくるのを必死に我慢した。
思い出したくない記憶が頭の中を埋め尽くす。抗いようなない苦痛。口は押さえたまま片方の手で彩花は頭を抱える。
息が詰まるように肺が苦しい。段々と呼吸も荒くなっていく。
頭を力強く掻きむしる。爪が当たり頭皮が剥けてしまう。血は出ていないがヒリヒリと痛い。
膝の上に降り掛かった頭皮は白い肌と相まって目立って見える。毛先が捻れていざつな形をしている。
一瞬でも、良かっただななんてどうして思ったのだろう。目の前が真っ白になりそうだった。
だからだろうか、目の前にいる小さな影に気付くのが遅れた。
「お姉ちゃん、なんで悲しそうな顔してるの?」
思わず顔を上げた。そこには知らない女児が見下ろしていた。手に握られたリードには茶色の子犬が繋がっている。
「うるさい、ほっといて」
彩花は目を逸らしながら冷たく突き放す。
「ほっとかないもん。泣いてる子がいたら話を聞いてあげなってママに言われてるの」
そんなことは彩花には関係のないことだった。しかし自分に興味を持ってくれた人間を無碍にすることはできなかった。
無言で自分の隣を指差す。少女は素直に腰を下ろした。
「なんで泣いてるの?」
「分からないの、生きている意味が」
顔を膝に埋めながら彩花は語る。別にこの女児に答えは求めていない。だが、とにかく話を聞いてもらいたかった。
「私いま何やってるんだろうなぁって思うの。やりたいって思ってたこと、他の人に全否定されて。実際にそれが正しいのか分からなくなっちゃって」
言葉を切るたびに女児はうんうん、と赤べこのように相槌を打ってくれる。このおかげで彩花は一方的に話していても楽に感じた。
「友達がいないことぐらいなんてことないなんて思ってた。でもいざできるとあれだね、いない時間がすごく寂しい」
京子の顔が脳裏に浮かんで彩花の心が締め付けられる。
「話の意味分かってる?」
「わからない!」
女児は元気よく即答する。その純粋振りに彩花は呆気に取られてしまった。
ワンワン!彼女の周りを嗅ぎ回っていた犬が暇そうに吠える。しっぽは地面に付きそうなほど垂れてしまっている。
「アンドリューが散歩行きたがってるからいくね。じゃあねお姉ちゃん」
手を振りかえす彩花には目もくれず走り去る。犬よりも速いのでどっちが飼い主か分からなくなる。あっという間に角を曲がって見えなくなってしまった。
分からない。女児の言葉がずっと耳に残っていた。なんだか悩んでいるのがバカらしくなってきた。
彩花は立ち上がり背伸びをする。ポキポキと関節が心地の良い振動を与える。目元を拭うと袖はすでに乾いていた。
私は絶対に諦めたりしない。
顔の腫れを確認して人通りの行き交う通りへ振り返る。やるべきことをなすために路地を抜け出した。




