第25話 訪れた限界
彩花の気分はとにかく最低だった。
頭の中に重たいモヤが掛かっているような。
気分を変えようと別のことを考えてもすぐに途切れてしまう。
駅に向かう道を自分の足を見ながら歩いてゆく。
コートの裾から見えたり隠れたり繰り返すブーツのつま先。
何年も履きっぱなしのはずなのに新品のように綺麗なままだ。
駅周辺に近づくと賑やかな音楽で包まれていた。
街灯に備え付けられた高そうなスピーカーは聞き飽きた定番のクリスマスソングを奏でている。
ふと甘い香りが漂ってきて、思わず足を止める。
ここは洋菓子屋のようだ。砂糖の焦げた香ばしい空気が店内から溢れている。
まるで落ち込んでいる彼女を誘惑しているよう。
「……」
だがすぐにガラス越しに陳列されている商品から目を離す。
再び自分の足を見つめながら歩き始めた。
すると、2足のブーツが目に入り、自分の前に誰かが立ち止まったのが分かった。
顔を上げると上司の雨竜が立っていた。
「なんでここにいるんですか」
葉山と同様に時間を認知できる能力があるのではないかと疑いを持つ。
だが、全てを知った上で見透かしたようなあの男とは違った。
雨竜はいかにも心配していると言った表情を浮かべている。
恐らく私がすでに何千回も過去を繰り返しているのを知らなかったのだろう。
他人の心を察するのは得意なのに、自分の感情を隠すことは苦手なのが伝わる。
「……ひどい顔をしているな」
しゃがれた声には戸惑いが混じっている。
辛うじて彩花の耳に聞こえる程度であった。
「お前、何回過去を繰り返してるんだ?」
雨竜は寂しげな目を向けながら問いかける。
その言葉を聞いた途端、喉の奥からじんわり込み上げてくるものを感じた。
彩花は涙を流さないように必死に歯を食いしばった。
そうしなければすぐに溢れてきそうだった。
「もう、限界なんです……」
彩花は両手の拳を強く握り質問に答える。
爪が食い込み鋭い痛みを生み出す。
だが、それでも力を緩めるのをやめられない。
「なんでこんなことしてるのか自分でも分からないんです……」
こんなこと、というのは葉山のことだけでない。
口に出して彩花は、はっきりと分かった。
それはとても単純な話だ。
もっと単純で、根本的な原因が――
「この仕事やっている意味が、分からない……」
そう言い切って彩花は号泣した。
次から次へと押し寄せては涙と声となって飛び出してくる。
自分でも情けないと思った。
だが、一度崩れたものを持ち直すことは難しかった。
最早、周りの視線など気にならない。
どうせ彼らは何もしてくれない。
「彩花、お前は何になりたい」
雨竜が質問してくるがどういう意図なのか理解が追いつかない。
だが、彼がいつもの態度に戻っていることに気が付いた。
「なりたいのは立派な後押し屋か?それとも別の何かか?」
上司の問いかけに彩花は回っていない頭で考える。
私は誰かを救うために後押し屋に入った。
だからこの仕事こそ私の為すべきこと結論付けていた。
だが葉山との出会いでそれは矛盾していることに気が付いてしまったのだ。
正しいと思っていたことは相手にとっては忌むべき状況に巡り合ってしまった。
死にたい相手とはいえ背中押すことは彩花にはできなかった。
私のやりたいことは相手の願いを叶えることじゃないんだ。
「私はただ……気付いて欲しいだけだった。生きていればなんとかなるって」
途切れ途切れになりながらも答える。
ただそれだけだった。
後押し屋という役割に縋ることしかできない私だけど。
葉山にもなんとかなるって伝えたかった。
幸せじゃなくてもいい。
でも、生きてさえいれば何かは成すことができる。
だから、葉山には死んでしまっては困るのだ。
自分の居場所を守るために!
彼の重たそうな瞼が僅かに開いたように思えた。
「俺はもう必要なさそうだな」
雨竜はため息を吐き、切り捨てた。
「それってどういう意味ですか」
「……後押し屋のことは忘れろ」
「私は向いていないってことですか!?」
彼は彩花の質問には答えなかった。
ゆっくりと振り返り元来た道を歩いていく。
「私の何がいけないんですか!?」
彩花はその後ろ姿に向かって叫んだ。
全力の声は車道の喧騒も押さえ込むほどだった。
「救おうと思って何が悪いんですか……、死なせたくないと思って何が悪いんですか!?」
「汚れた自分の命に、意味を求めて何が――」
――何が、悪いんですか。
◇
彼女の慟哭を背中に感じながらも、雨竜は決して立ち止まらなかった。
ここで振り返っては彼女のためにならないことを知っているからだ。
先輩はあのときこんな気持ちだったのだな。
若かりし頃の記憶を思い出しながら笑みを浮かべる。
彩花にこの表情を見られたら本気で嫌われるであろう確信を持つ。
実際、彼女からしたらクビを切られたと思っているだろう。
だが雨竜は彼女を見捨てたつもりは全くなかった。
これは試練。
一人前の後押し屋になるため。
誰かを理解するには、自分を理解しなければいけないのだ。
あらゆる理想と確固たる現実。
辛い選択を迫られたとき、己をどう貫くのか。




